goo blog サービス終了のお知らせ 

黒鉄重工

プラモ製作、旅行記執筆をやっています
同人誌通販始めましたhttps://603kurogane.booth.pm/

東北project~Trains' last tour. その3【2017/10/7~8】

2020-04-13 23:11:01 | 旅行・イベント記
山形交通高畠線の旧高畠駅には保存車両の他に駅舎も残されています。国登録有形文化財で、高畠線が高畠鉄道により開業した1922年に建てられたものです。高畠鉄道の本社屋も兼ねていました。
地元名産の高畠石という凝灰岩をふんだんに使っているのが特徴です。石造りの鉄道駅舎は珍しいもので、私の知る限りでは他にはJR北海道の美瑛駅を思い浮かべるくらいです。高畠鉄道への地元の期待が大きかったのではないかと感じます。
屋上の手すりがおしゃれだなと。


待合室はこの規模なら一般的な広さと設備です。
内部は非公開でした。これは現代の耐震基準に満たないので一般公開できないからです。ただ、2019年5月17日付の山形新聞で駅舎を改修した上で公開する計画が策定されたことが報道されました。まだ調査段階のようですが、うまく弾みが付いてこの駅舎が活かされるようになるといいですね。



錆びついた山形交通のバス停。高畠待合所という名前です。このバス停の路線が現役だった頃はこの駅舎がバスの待合室に使われていたということですかね。


裏側に回ってみると、プラットホームがあります。上記の山形新聞の記事によればこのプラットホームも登録有形文化財に指定されています。
プラットホームとその奥の保存車のある線路の関係からして、現在の芝生の場所は公園化される際に埋め立てられたと見るべきでしょうか。


公園内には駅舎以外にも高畠石造りの建物が残っています。当時の建物ではないかと思うもなんの建物なのか手がかりが無くてずっと謎だったのですが、新聞記事を読んでこれの正体が変電所だとようやく分かりました。
高畠鉄道の電化が1929年ですのでその時建てられたものでしょう。これも登録有形文化財。


公園のトイレと化しているので気づきませんでしたが、これも高畠鉄道時代の1938年に建てられた倉庫です。登録有形文化財。駅舎をもして建てられた最近の建物だと思った・・・。
ただトイレに改造されているので入り口や間取りは原型を留めていないと思います。


石造りの車庫なんて妙だな・・・と不思議に思っていましたが、やはり登録有形文化財。駅舎正面の向かいにある1939年築の自動車修繕庫です。
思った以上にゴロゴロ残っていてびっくり。



最後に、これは山形県置賜郡高畠町のマンホール蓋。桜木町というのはこの蓋のある小字です。字名だったり道路の名前だったり色々あるみたいです。
角型分割式の蓋は初めて見たので撮影した次第。


旧高畠駅を見学して高畠町での用事は済みましたのでJR高畠駅へ戻ります。行きと同じ廃線跡を戻るのも面白くないので帰りは町の方を走ります。
この道は駅前通りだったからか、商店が多めでしたね。


拡幅工事されて見通しの良くなった道とか。


高畠町役場にもご挨拶。土曜日だから閉まっているけどね。


道路を走ったのは道中でお昼を食べれたらいいなというのもありました。無かったら高畠駅までやり過ごせばいいですが、赤湯ラーメンののれんが目に入ったのでここにすることに。赤湯ラーメンは何かで聞いたことがありますね。


普通の赤湯ラーメンにしました。味噌ラーメンに赤い辛味噌が乗っかっているやつです。そういえばそんな感じのラーメンでした。
味噌ラーメンは普段食べないですけど、ここのは美味しかったです。辛味噌を溶かして食べるとまた食欲が刺激されるのだ。
「龍上海 高畠店」という店でしたが、執筆時点の現在では閉業してしまいました。行った時は昼時で席は殆ど埋まっていたのですが・・・。赤湯に本店があるし他にも支店があるのでそこへ行けばまた食べることはできます。


庁舎通りをずっと西へ走ると、行きに通った高畠線の廃線跡の遊歩道とぶつかります。ここで廃線跡に復帰しまして、その近くにある浜田広介記念館へ立ち寄りました。行きの時に見かけて少し気になりまして。
浜田広介(1893(明治26)年~1973(昭和48)年)は高畠町出身の童話作家です。恥ずかしながら彼と彼の作品のことは存じないのですが、記念館の敷地内にある浜田広介生家が気になったので少し見ていきます。 
これは江戸時代末期建築の木造茅葺平屋建ての農家造り。浜田が生まれてから米沢中学校(現米沢興譲館高校)に入学するまで住んでいました。2000(平成12)年に記念館敷地内に移築・復元されていますが茅葺きは止めてしまったようで。


土間と囲炉裏ですね。


天井には煙逃しがあるのだ。


家具ですね。箪笥とか化粧鏡とか湯たんぽとか。


電球の包は特に意味があるわけではないでしょう。


糸車。製糸業が盛んアピール?


梁とか。

中途半端ですが今日はここまで。



東北project~Trains' last tour. その2【2017/10/7~8】

2020-04-04 22:15:32 | 旅行・イベント記

しばし山形新幹線を撮影後は山形交通高畠線の廃線跡走行に復帰します。前回書いた通り高畠線は廃線跡が遊歩道になっていて、私はそこを自転車走行しています。
写真は曲線の部分を道路が横切っているところで、これは踏切の跡です。道路同士の交差点だと中々こういう線形にはならず、鉄道と道路の交差特有のものです。これだけあからさまだと、この道が廃線跡という事前情報無しでも察することが出来ますね。

一応、山形交通高畠線について少し。山形交通とは今まで接点のない人生でしたのでネットに書かれていること以上のことは書けないので少し。
元は高畠鉄道が建設した路線で、開業は1922(大正11)年3月16日、廃止は1974(昭和49)年11月18日。糠ノ目(現・高畠駅)~二井宿10.6kmの路線でした。
開業時の高畠は製糸業が盛んだったのでその製品の輸送用に建設された路線でした。1929(昭和4)年に電化し、貨物輸送も多品目を運びましたがトラック輸送への切り替えと1966(昭和41)年の水害による半分の区間の不通からの廃線が影響して、全線廃止になりました。

今回は糠ノ目~高畠間をチャリで走ります。



高畠駅から約3km地点。これもあからさまに痕跡が残っている地点ですね。駅だったところです。島式ホームが残っているのが分かるでしょう。
ここは旧竹ノ森駅です。ここが最初の途中駅かと思ったら実は2駅目で、途中にあった一本柳駅を見逃していたようです。あまり痕跡が無かったしやむ無し。



プラットホームには生け垣が植わっていますが、土台は当時のままでしょう。



途中は基本的に田んぼの中を突っ切っていきます。秋の風物詩、稲木がありました。この干し方は初めて見たので写真に撮りましたが、棒掛けというのですね。



平地に唐突にある山。まさに山。山の名前は相森山です。



右手に池が見えてくれば目的地はもうすぐそこです。



着きました、「高畠広場」こと旧高畠駅です。JR高畠駅から約5km。ややこしいですが、今のJR高畠駅は1991(平成3)年に糠ノ目駅から改称したものです。東海道線の鈴川駅→吉原駅みたいな感じですね。
で、旧高畠駅には高畠線で使われていた電車、貨車、電気機関車が3台も保存されているのです。これを見に来ました。



順番に見ていきましょう。これはモハ1形電車。1929(昭和4)年電化時に導入された日本車輌製13m級の自社発注車です。ただし1959(昭和34)年に車体更新しているので、見た目は確かに50~60年代っぽい。
とはいえいかにも地方の小私鉄という風貌です。



特徴がないのが特徴の三面窓。鉄道模型の自由形電車みたい。



車内には入れないですが、車体はとてもきれいに維持されています。正直驚きました。



運転室はこんな感じで半室構造。



客室はロングシート。車内もキレイそうです。



パンタグラフ。目立つ欠品が見当たらないのもすごい。



台車はちょっと見たことのない形状をしています。鉄道省のTR23になんとなく似ていて、TR23を小型軽量化したような見た目をしています。



ワム201号。鉄道省ワム23000形と同型車のような気がしますが詳しいことは不明。
保存車の中でも貨車は基本的に冷遇される立場ですが、よくぞ残りましたね。貨物輸送で賑わっていたことを示す高畠鉄道の証人です。中々貴重な現存例だと思います。



ED1号機電気機関車。電化時に川崎車両で製造されました。なんか既視感があると思ったので帰ってから当たってみたら、今は上毛電鉄にいるデキ3021号機と同型機でした。



大変好ましい凸型電気機関車。



1950年代にED2号機を増備するまで、これ1機で貨物輸送を担っていたそうな。故障時や検査時はどう凌いでいたんだろう・・・。電車か電化前使っていた蒸気機関車あたりを代理の牽引機にしていた?



中小私鉄の、しかも貨物鉄道主体の路線で電化しているのは当時としては珍しいはずで、結構需要旺盛で収益も多かったのでしょうか?



車内は年月が経っている割によく残っているのではないでしょうか。



パンタグラフとか。
現役時は切り抜き文字でED1の文字が貼られていたんですが、今は無いです。



線路は周りの地面よりも一段下がった高さにあります。恐らく元あった線路を利用しているのでしょう。
線路の周りはプラットホーム風になっていますが、これが当時からのものなのか新しく建てたのかはちょっと分からないです。



以上、高畠線の保存車両でした。
廃線から40年以上経っていることを考えると、とても良い状態で維持されていると思います。廃線になった地方私鉄は10年も経つと忘れ去られて保存車も段々荒れていって・・・ということが往々にしてありますが、ここはそんな事は感じさせない様子です。
2014(平成26)年には屋根も追加工事されたみたいで、東北地方特有の雪害にも対策できたと言えます。屋根工事後に車両にも手入れが入ったと思われ、外観も良好です。
40年以上経ってなお市民に親しまれる保存車両はありふれたことではないです。3台とも末永く親しまれるといいなと思いました。

・・・と軽く締めてしまいましたが、まだ見るものがあります。しかし今日はここまで。



東北project~Trains' last tour. その1【2017/10/7~8】

2020-04-03 22:42:22 | 旅行・イベント記
保存鉄道に乗ってみたいというのがそもそもの動機の始まりであった。
そうなると次に考えるのはどこへ乗りに行くかということだが、色々選択肢が浮かぶ中で宮城県の旧くりはら田園鉄道の保存鉄道に行くことに決めた。
さらにはどういう手段で行くかだが、JR東日本の乗り放題切符「週末パス」を主軸に回っていくことに決めた。
最後にどういう経路で行くかだが、それはこれからつらつらと書いていこうと思う。
というわけで始まり。


2017年10月7日。
朝6時の静岡駅。まずは東京駅までバビュッと出るために新幹線に乗ります。
今から乗る静岡駅上り列車初電の「こだま」700号は変わった入線の仕方をします。東静岡駅にある新幹線の夜間留置線を出発したN700系は、下り本線を逆走しながら静岡駅構内に入ってきて、ホームに入る直前に渡り線を渡って上りホームへ入ってくるのです。
こだま700号は静岡6:22発、東京7:36着。東京着がいささか遅いよなぁという気もします。これより早く着こうと思うと5時台の東海道線に乗って三島駅まで先回りしてそこから三島始発のこだまに乗るか、かくなる上は夜行バスに乗るか。ただ夜行バスは寝ていられる時間が実質5時間くらいしかないので、これ翌日辛いやつだから敬遠している向きあり。


で、東京駅に着いたら週末パスで東北新幹線のホームに入場。
週末パスは使用開始日の前日(つまり金曜日)までしか購入できないよそ者お断りの切符です。なので前週に最寄りのJR東日本の駅である熱海駅まで出張ってきたんですね。
とりあえず出発まで新幹線を撮影します。これはE7系「はくたか」553号。


E2系1000番台+E3系2000番台の回送。


E3系は新塗装でした。もうほとんど全て新塗装だったはず。東日本は最近は屋根に色を塗るのが好きよね。


E4系+E4系「Maxとき」305号。二階建て16両編成はやはり圧巻なのですよ。


JR西日本の700系3000番台とE6系。


それではE3系2000番台の「つばさ」175号に乗ります。東北新幹線系統に乗ることはそう無いことなので、ちょっとわくわくしますね。


一気に福島駅まで行きまして、そこから山形新幹線へ分岐。


地上を走ってるし踏切もあるし、というのがミニ新幹線なのだなぁ。新幹線に直通できる在来線特急というかんじ。


山形新幹線といえば板谷峠ですね。福島駅を出て程なく、どんどん山深くなっていくぞ。フル規格新幹線も山の中通ると言ってもあれは隧道と橋梁でぶち抜いていくものですが、山形新幹線は異質の沿線風景でここは奥羽本線なのだ。


これが峠駅か。在来線でのんびり乗ってみるのも一興ですが本数がな・・・。


板谷峠を越えると、山形県の平野部へ。目まぐるしく変わるものですな。


高畠駅で下車しました。


「つばさ」と列車交換した719系5000番台米沢行。


高畠駅の駅舎。一見立派ですが実態は太陽館という温泉施設。JR高畠駅よりも太陽館の方が上に来ているし文字も大きいし・・・。
駅前ではちょうどお祭りみたいなものが催されていて、露店がいくつも並んでいました。なので駅舎の遠景は撮れなかったぞ・・・。

高畠駅では観光案内所で貸し自転車を借ります。これに乗ってかつて高畠駅から分岐していた山形交通高畠線の痕跡を辿りに行きます。


高畠線の廃線跡は遊歩道になっています。痕跡は薄いですが線形は良く残っていて線路跡を辿るのは容易です。さすがに高畠駅のホームや駅舎は残っていませぬが。


少し脇道に逸れて、山形新幹線の撮影をします。日の出ない曇り空で光量が足りないのが辛いです。
まずはE3系1000番台「つばさ」127号。銀塗装が秀逸だったので紫の新塗装は未だ慣れぬものがあります。新型のE8系が出てくればその違和感も無くなるかもしれませぬが。


次にE3系700番台「とれいゆつばさ」1号。これはE3系旧塗装を踏襲した塗装で良いですよね。


世界最速の足湯と言っても基本的に東北新幹線を走ることは無いからせいぜい120km/hしか出さないのよな。それでも速いと言えば速いです。


最後に719系5000番台山形行。

それでは高畠線辿りを再開しましょう。



京都鉄道博物館を見て回る 最終回【2017/8/16】

2020-02-11 17:02:41 | 旅行・イベント記
2017年8月16日(水)20時36分
京都府京都市右京区 渡月橋
この時間の渡月橋、もっと人気が無くてしんみりしていると思ったら激パだった。想像していたのと違う。どうして。


めちゃくちゃ人いるよ。
ちなみにここに着く直前まで山で大文字が燃えてたらしい。うーむ、見てみたかった。で、それが終わった直後なので見終えた群衆が一斉に移動しているんじゃないかと。


橋を渡っているとなんか川の上で光っているものを見つける。


なるほど、灯篭流しか。今日は8月16日なわけですが、ちょうどこの日が年に一度の灯篭流しの日だったのです。第二次世界大戦の戦没者の供養が目的で始まったので、この日になったのね。
そりゃ混むわな・・・。年に一度の行事に鉢合わせたのはラッキーでしたが。


右岸に渡りました。人減らないなぁ。


川岸で受付して自分で灯籠を流すスタイル。


彼の世感ある。見に来てよかったね。


言わば此の世と彼の世の境かしらね。



少しの間灯篭流しを見物したら離脱して歩いてJR嵯峨野駅へ。ホームは中々に混んでいます。嵯峨野線には103系を走らせたほうが良いのでは・・・?


2017年8月16日(水)20時36分
京都府京都市下京区 JR京都駅
JR嵯峨野線でJR京都駅へ。山陰線ホームを降りたら北陸方面の特急「サンダーバード」683系更新車が停車中でした。
まだ当面は活躍すると思って油断しているので、まだまともな写真は撮ったことがないのです。


まだ小一時間時間があったので、酒もまだだったし駅の中のバーで少し飲む。
カナダへの郷愁を誘うフィッシュ・アンド・チップスを注文してみましたが、カナダのものには程遠い代物でした。まあこんなものかと、少し残念。


京都駅八条口に出て、帰りの夜行バスを待ちます。それまでの間はバスの見物をば。
近鉄バス(日野セレガ#2061)の「クリスタルライナー」甲府行き。


近鉄バス(ふそうエアロキング#7402)の「よかっぺ号」水戸行き。便名のセンスが破壊的。


ウィラー(Willer Express西日本)(ふそうエアロエース)のディズニーランド(R)行き。


アルピコ交通(日野セレガ)の長野行き。


阪急バス(日野セレガ)の富山行き。


ウィラーのディズニーランド(R)行き。さっきのとは違う便だよ。
これは大阪さやま交通(ふそうエアロエース)の運行。


京都観光バス(ふそうエアロエース#82F06-736C)の京都止まり。


ほい来ました。しずてつジャストライン(ふそうエアロクイーン)の「京都大阪ライナー」静岡・清水行きです。
なんと阪急バスから移籍してきたエアロクイーンが来ましたね。京都大阪ライナーはしずてつと阪急の共同運行でしたが、阪急がこれから手を引いたのでその際に移籍してきた車両です。行先表示の行灯に阪急の面影が・・・。
移籍の中古車と言っても中はちゃんとした独立3列席だから問題なし。


草津SAで休憩。他のバスもみんなここで休憩を取るので、似たような夜行バスが集結。


平成コミュニティバス(ふそうエアロエース)の「VIPライナー」102号新宿・王子行き。


広栄交通バス(ふそうエアロエース)の「ブルーライナー」大宮行き。


ウィラーの日野セレガとふそうエアロエース。


JRバス関東(ふそうエアロキング#D654-03504)の「青春エコドリーム号」。エアロキングも記録できる内に記録しておかないと。


京成バス(ふそうエアロクイーン#H651)の「K★スターライナー」横浜・東京・千葉行。


一通り撮影し終えたので車内に戻ります。
この後はちゃんと睡眠でき、翌朝静岡駅を降りました。

というわけで、一連の関西遠征のお話でした。
おしまい。

京都鉄道博物館を見て回る その9【2017/8/16】

2020-02-07 20:41:22 | 旅行・イベント記
2017年8月16日(水)17時24分
京都府京都市下京区 梅小路公園
京都鉄道博物館を見学し終えました。10時に入館して、結局閉園間際まで居てしまいました。まともに見学しようとするとやはりこのくらいの時間がかかるのだな。
京都鉄道博物館の隣には梅小路公園があるんですが、ここには京都市電の路面電車が何台も保存されています。屋外保存なので夕方になっても見に行けますので、行ってみましょう。

これは西口にゲートガードみたいに置かれている2000形2001号。今は観光案内所になっています。
一部の2000形は伊予鉄道に譲渡されています。調べてみてそういえばそうだったなと思い出しました。前照灯の数と位置が変わっているので、気づきにくい・・・。


市民の憩いの場的な都市公園です。


東へ向かって歩いていると、軌道が出てきました。ああ、これが例の市電の動態保存車の走る線路か。
線路を辿っていけばこの軌道の主に出会えるはず。


いました。狭軌1形27号ですね。明治村の路面電車でおなじみのやつです。
これは動態保存車で、今見た軌道を走るんですが、架線集電ではなくて電池に充電した電気で走ります。利点としては地上設備費が抑えられるというところですかね。色々言われてますが、チーム事情というのもありましょう。
本日の運転は終了しているので、動いているところはまた来ましょう。


続いては市電広場。4台の路面電車が静態保存されていて、売店に使われています。屋根付きなのは得点。


700形703号。電車グッズ売り場になっています。
ちなみに中は資料的価値を損なう改装は行われていない様子で、原状復帰させるのはそう難しくないだろうという印象でした。座席などは外されていましたが、恐らく別の場所に保管されているでしょう。


800形890号。800形の最終号車です。これは空き家でした。テナントが見つからんのでしょう。


1600形1605号。京都市電と言うとこの顔つきかなぁと思います。ただしこれも空き家。


500形505号。これは軽食屋になっています。いまは季節柄かき氷が主力商品。ヘッドマーク風の営業中がおしゃれ。


東口のゲートガード兼観光案内所は900形935号。
路面電車を見ながら公園を横断しました。これで今日の目的は達成できたのですが、今日の帰りは夜行バスなのでまだまだ時間があるのです。
どうしたもんかなと思案しながら博物館を回っていたんですが、模型屋のボークスがあったのを思い出したので時間つぶしに行くことに。
梅小路公園から歩いていくとちとキツイので(博物館を練り歩いた後)、バスで行きます。店の目の前に停まるバスはないので少し歩きましたが。


着きました。ここ、京都の店舗は本社機能もあるのね。
で、玄関には飛行機のプロペラがありにけり。すげーね。
この太いペラと回転軸のぐるぐる目はドイツのFw190のプロペラですね。VDM 9-12153.13という型番だそうな。ドイツ機のプロペラと言えば木製なんですが、これはアルミ合金製です。アルミ製もあるにはあるんだね。


これもドイツのBf109のプロペラのレプリカ。ペラだけでもこの太さはドイツ製だなと分かるので結構特徴的なんですよ。
強力なエンジン出力を効率よく推進力に換えてやるにはペラの枚数を増やすかペラの表面積を増やすかでした。ドイツ機は後者を選択したのでこんな太いプロペラになりました。木製を選んだのは軽量化のためです。
ちなみに連合軍は前者を選択しています。分かりやすいのはイギリスのスピットファイアで、最初のMk.Iは木製2枚翅固定ピッチプロペラだったのが、最終型のMk.24では金属製5枚翅可変ピッチプロペラまで増えてます。さらに海軍のシーファイアは3枚翅*2の二重反転プロペラのやつもいます。果たして同じ戦闘機と呼んでいいものか・・・。


謎の木製プロペラ。不明です。


さらに航空エンジンも置いてあります。これマーリンですよ。日本でこんな形でマーリン見ることになるとは。すげーな。
イギリスのロールスロイスが開発した液冷エンジン「マーリン」をアメリカの自動車メーカー パッカードがライセンス生産したもの。正確にはV-1650という型番で、パッカード・マーリンと呼ばれることもありにけり。
搭載機はスピットファイアMk.XVI、P-51B/Cマスタング、P-51Dマスタング、ランカスターと傑作機ばかり。


反対側から。ああ、いいですねぇ。スーパーチャージャーも付いているのも得点高いですよ。


配管とか排気管とか。


隣にはマーリンと同時代に生産された空冷エンジンのライトR-1820サイクロン。星型9気筒で、B-17やらSBDやらDC-3やらに搭載されたやつです。
これを基にした複列14気筒や複列18気筒のエンジンもあるんで、この時代のアメリカ空冷エンジンの礎みたいなやつです。


放熱フィン1枚1枚がきれいですね。もしかしてレプリカなんじゃないかと疑いたくなりますが。

エンジン見学はこの辺にして店舗へ入店。色々置いてありましたがプラモデルを物色していくつか購入しました。
海外製キットをたくさん置いてある店舗は良いです。


いよいよやることがなくなりました。プラモデルを買って荷物も増えたのであんまり動きたくもないです。
なんの気無しに大宮あたりまで出てきてラーメンを夕食にします。京龍という店だったかな。うまかった。


同年同月同日20時4分
京都府京都市下京区 嵐電四条大宮駅
グーグルマップを見ながらなんかないかと探していると、嵐山や渡月橋が目に入る。渡月橋は夜でも明るいから暇つぶしにいいかもと思い、ここに行くことに。
ちょうど嵐電の四条大宮駅の近くにいたので、嵐電のモボ611形に乗っていきます。


2日振り2度目の嵐山駅に着きました。少数派のモボ501がいますね。


暗くなるとこういうふうに電飾されるのか。なかなか良いもんだ。
時刻はもう20時半なのに駅前の土産屋は盛況で、さすが京都は日が暮れると閉まるそこらへんの観光地と格がダンチだ。

というところで今日はここまで。



京都鉄道博物館を見て回る その8【2017/8/16】

2020-01-29 23:20:38 | 旅行・イベント記

2017年8月16日(水)16時2分
京都府京都市下京区 京都鉄道博物館本館 
車両は一通り見終えたので落ち穂拾いします。
とりあえず2階の吹き抜けに上がります。吹き抜けの上からは500系、583系、489系が見えます。この時間になると人もまばらになってきて、幾分か撮りやすくなりました。



上の展示物を少し見てみる。
これは乗車券の裁断機。


これも乗車券の裁断機。こっちは小さい方。


コンテナの展示。うぐいす色の19Dコンテナの中にパレット積みの貨物が載っているところを展示しています。
コンテナは2014年総合車両製作所和歌山事業所の製作です。銘板にそう書いてあった。

で、他の展示を見ていると、スチーム号の運転が終わったから機関車を車庫に返すやでという放送が流れてきたんで、そっちへ行くことに。


再び梅小路の方へ行くと、8620の8630号機が転車台に乗るところでした。


転車台の上で方向転換します。回る回るよ。


一度別線に入って、今日使った石炭を補給します。


補給を済ませたら再度転車台へ。


ぐるぐる。


車庫へと入っていきました。お疲れさまでした。


本館へ戻ると、この3人組の並びを人が入らない状態で撮影できました。こういう写真を撮りたい時はやはり閉館前だね。


その他展示物。これは日立製の回転変流機。
変電所から来る交流電流を直流に変換する装置です。


第一大堰川橋梁のトラス格点。


233号機。うーん、好き。


EF58とEF81。人がいないとそれはそれで寂しい(←わがまま


最後に二条駅の中を見学します。ここは改装前から変わりませんね。
鉄道模型の展示も今まで通り。これは御存知150形。最近ワールド工芸がNゲージのキットを出しました。近い内に買うつもり。


2120形。いわゆるB6で、こっちの方が通りが良いです。
タンク機だから小さいと侮るなかれ、実機を近くで見ると結構デカい。C11と同じくらいあるんで普通に中型機でしょう。


アメリカ代表、サザンパシフィック鉄道AC-12形。
おいおい機関車の向きが逆だよいい加減な展示だなー、・・・ではなく、これで正解。
トンネルの多い区間を走るための蒸気機関車です。通常の機関車の向きだと、煤煙がトンネル内を走っていると拡散されずに機関士が窒息してしまうので、だったら運転室を煙突よりも前に持ってきてしまおうという発想からこういう形に。
なお2年後にこれの実機を見ることになりますが、それをブログに書くのはまだまだ先の話・・・。


カナダ代表、カナディアンパシフィック鉄道ロイヤルハドソン。
イギリスの国王と女王がカナダを行幸した際の牽引機に指定された、つまりはお召機関車。当該機以外にも同型機は全部その様に呼ばれるようになりました。
なお1年前に実機を見ているんですが、それをブログに書くのはまだまだ先の話・・・・・・。


アメリカからもう1機、サザンパシフィックGS4形。
アメリカ西海岸の平地用の旅客用機関車。アメリカ機にしては派手かなと。
こいつは動態保存されています。しゅごい。

他の国の機関車もありましたけど、ブログではこんなところで。
ビッグボーイが飾られていなかったのは遺憾。


投炭練習機。火室に石炭を投げ入れるにも色々な技術や熟練が必要なのじゃ、というお話。


最後に二条駅駅舎をば。これで以上。
結局閉館間際まで居てしまったな。

またそのうち行きたくなると思います。またその時まで。

話はもうちょいだけ続くんじゃ。



京都鉄道博物館を見て回る その7【2017/8/16】

2020-01-28 21:41:17 | 旅行・イベント記
引き続き京都鉄道博物館の梅小路蒸気機関車館の辺りを歩いていきます。
C58形1号機とD50形140号機。


D50形140号機。
9600形の後継機として1923年に開発された貨物機。主にイギリスを範にしてきた日本機としては珍しくアメリカ流の設計が取り入れられてるとか何とか。
1960年代までにほとんど廃車になってしまったので保存機に恵まれず、わずかに2機だけ。地方線用に軸重低減改造したD60形というのがいますが、これも3機だけ。


C58形1号機。
地方線で未だ闊歩している8620形と9600形の置き換え用として1938年に開発された中型貨客機。なおC58は十分な数を生産できず、8620と9600は蒸気機関車時代末期まで活躍を強いられた模様。
比較的丁度よい大きさだからなのか、動態保存機が秩父鉄道とJR釜石線に存在してます。
お召列車用の装飾がされていますが、1号機はそういう経験は無いようです。謎です。



C55形1号機。
C51の後継機として開発された島秀雄のC54がアレすぎてたった20機足らずで生産終了になってしまったので、それに代わる機体として1935年から62機生産されたパシフィック機。
綺麗にまとまっているので外観がスッキリしていまして、パシフィックの中では結構好きだったり。


パシフィック機としては最後にスポーク動輪を履いていた機体となりにけり。


う~ん良きかな。


1070形1080号機。
鉄道省制式機が居並ぶ中で少数派のイギリス機。いわゆるネルソンと呼ばれる古典機です。
車輪配置は4-4-0Tアメリカンですが、アメリカ製の同配置機とは似ても似つかない外観です。ネルソンは元々テンダー機ですが1070形はタンク機に改造されました。


こういう横並びが見れるのはやっぱり良いですよ。意外とアメリカではこういうところ少ないんじゃないかな?


B20形10号機。
本来なら車籍を持たないような小型入換機ながら、突如としてうっかり制式機の仲間入りしてしまったやつ。
専用線で使うような規格品の産業用機関車っぽい見た目で、鉄道省っぽくないです。よくこれが残ったなという。


C62形1号機。
御存知銀河鉄道999のアレ。
貨物機D52のボイラーを流用して、足回りは旅客用に新しく造ったのを合体させたもの。D51の次に認知度が高いんじゃないかと。本線走行の話が浮いては沈むを繰り返してますよね。


D51形1号機。御存知デゴイチです。説明不要でしょう(手抜き)
傑作機と言えるかと言うと微妙だけど、日本中で親しまれた名機ではあろう、というのがまともな評価じゃないかな。


C11、9600、D51。


9600形9633号機。御存知キューロク。
1913年に開発された貨物機。8620形とほぼ同期で、最初期の日本独自設計の機体です。
小型ながら高馬力を出すので特に地方路線で重宝されて、結局蒸気機関車時代の最末期まで使い倒されました。使い勝手が良かったのもあるかもしれませんが、どちらかと言うと9600と同じ特性を持つ直系の後継機がいなかったのが要因な気がします。


C11形64号機。テレビ露出が一番多い形式ですね(新橋の292号機)
中型で扱いやすいので大井川鉄道を始め全国各地で動態保存されています。よって説明不要(手抜き)


C61形2号機。
D51のボイラーを流用して改造した旅客機。車輪配置は4-6-4ハドソン。従輪が増えて伝統のパシフィックを脱した形ですが、これ火室の大型化じゃなくて軸重低減が目的ですよね、きっと。
これは動態保存機なので、時々スチーム号を押したり引っ張ったりしています。


松葉スポーク車輪の森。
4つ置いてありますが、どれもスポークの形状が少しずつ違うのだ。私はやはりオーソドックスな右から2つ目の車輪が好きかな。


これはキハ58の車輪。差動装置がくっついたまま。


扇形車庫の梅小路の看板が降ろされたり建て替えられたりされなかったのは良かったです。


梅小路も見終えたのであとは落ち穂拾いです。



京都鉄道博物館を見て回る その6【2017/8/16】

2020-01-23 21:00:10 | 旅行・イベント記
本館の1階を全て見終えたので、次は扇形車庫の館・・・つまり旧梅小路蒸気機関車館の区画へ移ります。
本館2階の連絡通路から移動できます。途中では扇形車庫を上から眺めることが出来ます。何度見ても壮観です。


新しく建てた蒸気機関車の検修庫には、官営幌内鉄道の義経号が入っていました。蒸気機関車ではこれを一番に見たかったのですが、ガラス越しとは残念です。また来よう。


遊覧鉄道のスチーム号も運転しています。今日の機関車は8620形8630号機でした。大正期の機関車ですが、蒸気機関車時代の末期まで残ったり九州で動態保存機が走っていたりで、えらく物持ちが良いなという印象です。
見た目のバランスも美しいので好きな機関車です。Nゲージにあまり恵まれていないのが玉に瑕。


休憩室になっている50系客車オハフ50形68号。
たぶん休憩室に丁度よいからと特に深い理由もなく選ばれて連れてこられたと思うんですけど、今や基調な50系となっています。塗り直されてつやつやになっていますね。


蒸気機関車がずらずらと並び圧巻であります。


C51形239号機。アメリカのアルコ社から輸入した8900形の改良型というかそれを国産化したもの。こう見えてバリバリの大正期の機関車。
8900形は車輪配置4-6-2、いわゆるパシフィック形で、広い火室を動輪の後ろにある従輪で支持するという構造。鉄道院は元々4-6-0テンホイーラー形を発注していたのだけれども、これが想定外に良好だった、ということでしょうかね。以降の幹線用蒸気機関車は軒並みパシフィックですし。


8900形からC51形への改良点として動輪直径を1,600mmから1,750mmに拡大したことです。この直径は以降の幹線用制式蒸気機関車の標準となりC62形まで続くのです。
日本形蒸気機関車の基礎を築いたという意味では意義深い機関車なのです。


唐突ですがDE10形1118号機。梅小路の入換機でしょうね。


御存知C62形2号機。これは動態保存機で、スチーム号で動くことがあります。
今書いたように動輪直径はC51と同じなので、足回りの規模に大きい違いは無いのです(従輪が4輪化してるけど)。なのでこれの巨大さとか威圧感はボイラーの太さと長さからなのだろうと。


C53形45号機。正面の見た目がなんか独特なやつ。
鉄道省製制式蒸気機関車で唯一の3シリンダー機ですね。増加する輸送量や重量級の鋼製客車の前にC51形では出力不足ということで、3シリンダーを採用して出力増強を図ったものです。
いきなり3シリンダー機を自力で作るのも無理な話なので、研究目的でアルコからC52形を6機輸入してそれを模倣して国産化したものです。ちなみにC52形はアメロコの臭いを全身から放っていて好きなのですが、残念ながら1機残らず解体されています。研究用だから特に残す意義も無かったんやろなぁ。南無。


3シリンダーのうち2つは普通の蒸気機関車と同じで左右についていますが、3つ目はと言うとその間、中央にあります。
C52から色々いじくった設計が色々とダメだったようで、いい話は聞きません。大人しくC52をコピーしておけば・・・?
ちなみに設計は東京大学を出たばっかりの島秀雄だったそうな。
・・・戦闘機の話なので直接は関係ないんですけど、三菱の堀越二郎も川崎の土井武夫も東大出のエリートでした。一方でP-51の設計者エドガー・シュムード、スピットファイアの設計者レジナルド・ジョセフ・ミッチェルは独学でした。
ハインケルだったかカプローニだったか、設計に必要なのはセンスだ、と言っていたような。だからなんだという話でしか無いですが、何だか考えさせられるなぁ、というのを思い出しただけです。


C59形164号機。
島秀雄のC53がアレだったので、2シリンダーでなおかつC53よりも強力な牽引力を持つ蒸気機関車として1941年に開発された機体。C51から歩んできた鉄道省制式パシフィック機の最終形です。性能や整備性は良好だった模様。
東海道・山陽筋の優等列車用なのですが、戦後になるとその路線は電化されて蒸気機関車は九州へ追い出されることに。なので九州での活躍が目立つ機関車です。いくつかは軸重を減らして地方路線へ走れるよう改造したC60というのがいますが、梅小路にはいません。仙台に1機だけ現存しています。まだ見に行ったことはない。
1960年代からのいわゆるSLブームが来る頃にはほとんど姿を消していたので、保存機にもあまり恵まれていない運が低いやつです。


れんこんの輪切りみたいなボックス動輪が後期のパシフィックの特徴です。


D52形468号機。
D51を上回る日本最強の牽引力を持つ1943年登場の貨物用蒸気機関車です。戦時中の粗悪な製造で欠陥機扱いされることもありますが、素地は良かったので粗悪な部分を直せばまともに戻ったようで。
御殿場線での活躍が有名で、現存機の大半は御殿場線沿線かその周辺に集中しています。山北駅に保存されている70号機は圧縮空気による自走が可能な動態保存機です。見に行きました。


貨物機なので動輪は4軸。2-8-2ミカドですな。


というところで今日はここまで。



京都鉄道博物館を見て回る その5【2017/8/16】

2020-01-12 21:03:31 | 旅行・イベント記
2017年8月16日(水)13時15分
京都府京都市下京区 京都鉄道博物館本館
京都鉄道博物館の見物にやってきた話です。本館の主な展示は見ましたんで、次に本館の端にある車両工場の館へ。
車両工場のピット線みたいな造りをしていて車両部品などを展示していますが、ここの真骨頂は現役の鉄道車両を引き込み線を介して呼び込んで博物館内で特別展示出来るというものです。
普段目にすることのできない事業用車や引退間近の機関車、果てはDMVまで、本線上を走れる車両なら何でも呼んできているという具合です。面白い展示の仕方です。
大宮の鉄道博物館にも同じような展示線があるんですけど、あれは完成したての頃に何度か使ったきり放置されているような状態だったと思います。というか最近展示線があったあたりが増築されたんで、今はもう撤去されてるかもしれません(最近行ってない)
そこでEF58の青大将を見ることが出来たんで、私にとっては良かったことだったんですけども。今思えば屋根がなかったのがまずかったかもね。

閑話休題。
で、この時に特別展示されていたのがJR貨物のEF210形310号機です。東海道線の貨物列車ではおなじみのEF210形ですが、この300番台は山陽本線の急勾配区間(セノハチというのだ)を登る貨物列車を後ろから押し上げる補助機関車です。側面の黄帯が見分ける点だぞ。


補助機関車としての専用装備は連結器に集中していて、走行装置なんかは普通のEF210形と同じです。
台車はEF66なんかと比べるとだいぶすっきりしたのねと。

EF210の後ろにはコキ107形1828号が連結されています。コンテナ貨物列車とはなんぞや、という展示に使われています。1828号ってもうそんなに造っていたのと思ったら今は既に2,000台以上使われているんだそうな。そりゃコキ50000いなくなるわな。


コキ107に積まれている2つのコンテナ。これは49A形コンテナ(49A-38069)。
31ftコンテナで、この長さはちょうど10tトラックの荷台と同じ容積を持ちます。つまり、長距離トラック輸送の転換を狙ったコンテナなわけです。昨今はトラック運転手不足から来るモーダルシフトが起きているので、このコンテナは需要が旺盛だそうです。
側面は跳ね上げ式のいわゆるウィングコンテナで、妻面は観音開きになっているのもウィングトラックの代替を狙っているのが読み取れまする。


もう1つはおなじみの19D形コンテナです(19D-49755)。JR貨物では標準の12ftコンテナです。最近生産された個体っぽく、JRFマークの付いていないやつです。
これは扉が開けられていて積載時の様子が展示されています。積み込まれているのは月桂冠の日本酒です。
12ftコンテナは基本的に側に扉を付けています。妻面に付けたほうが積み下ろし時に荷役場にトラックをたくさん付けられるのでは?となんとなく考えていましたが、こういうパレット積みだと側から積み下ろしする方がフォークリフトが動かしやすいのだなと気づく。ちゃんと考えられているのだな。


空中の足場に登って車両の屋根を見る通路もあるのです。
これは49Aの上側。なるほどウィングコンテナなのだ。


EF210の屋根。めちゃくちゃ真新しいのだけれど、もしかしてまだ運用入り前だったのかしら。


続いて車両工場の館の常設展示。
これはみんな大好きネジ式連結器と緩衝器。鎖の中央部分がねじになっていて長さを調節できるからネジ式連結器なのだ。
日本では明治・大正期の鉄道車両のアイコンのひとつです。1925(大正14)年に自動連結器に交換されているので絶滅しています。ヨーロッパでは今更交換しようにも交換できないので今もこっちが主流です。


奥が自動連結器、手前が密着連結器。
自動連結器はアメリカで生まれました。日本の発明品じゃありません。我が国のオリジナルです。
連結器同士を接触させるだけで自動で連結できるから自動連結器。連結を外す時はテコを動かして錠を解放してやれば外れるのだ。映画でよく列車強盗が拳銃で解放テコを撃って連結器を外すシーンがありますね?
連結作業が楽だし安全だしで日本では上述の1925(大正14)年にネジ式連結器から一斉交換されました。

密着連結器は、自動連結器の簡便性はそのままに連結器同士の隙間を無くして密着させたもの。だから密着連結器。
自動連結器には連結器同士に遊びがあるので発進時などに衝撃のある時があり乗り心地が悪いので、密着させるのだ。
隙間なく密着させているので、ついでにブレーキ用の空気管も通しています。
JRの電車は全てこの連結器です。気動車も最近製造されたやつはだいたいこれですね。

あとは電気連結器やジャンパ連結器の展示もほしいなー。


次は集電装置。よくパンタグラフというけれどもあれは集電装置のいち形態に過ぎないのだ、というのが分かる展示。
これは路面電車用のトロリーポールです。先端はU字状の溝の滑車になっていて、そこに空中を走る架線に接触させて集電するというもの。
そもそも外れやすいという欠点があり、それゆえ高速化や長編成化には向かないので、鉄道用は今では主流から完全に外れていてほぼ絶滅しています。一方トロリーバスでは未だにこれがほとんどです。


第三軌条方式というやつ。車輪を乗せる線路とは別に集電用の3本目のレールを使うから第三軌条方式。
このレールに電流が流れていて、それを電車の台車に取り付けられた集電靴で集電するのだ。
架線を張るよりも建設費が安くなるのが利点。地下鉄ではトンネル断面を小さく出来るので特に有利。
ただし線路のすぐそばに集電レールがあるので誤って感電してしまう危険がありますね。なのでこれも基本的に今では古い方式で、昔に建設された地下鉄の銀座線や御堂筋線なんかで使われているに留まります。今更トンネル掘り返して架線を張るわけにもいかんので。ヨーロッパやアメリカでも古い路線では今も現役です。


ビューゲル(左)とZ型パンタグラフ(右)。
ビューゲルはトロリーポールの発展型。架線との接触が点だったトロリーポールと比べて、横幅を持たせることで面で接触できるようになったのだ。でも高速走行すると離線してしまうこともしばしばで、結局トロリーポールよりはマシ程度に過ぎませんでした。低速走行の路面電車ではよく見られるものでした。
Z型パンタグラフは、ビューゲル本体の上部を折り曲げたやつ。途中で折れているので本体が上下に揺れた時に、揺れ動く長さが短く済むのと、比較的追従性が良いので離線の恐れがビューゲルよりも若干減るのです。それでもビューゲルよりはマシ程度でしたので、これも専ら路面電車用でした。


集電装置の完成形のパンタグラフ。由来は写図器から。架線と接触する摺板を押し上げる力が強いので追従性が良くて離線しないのが魅力。
これは最初に登場した菱形とよばれるやつ。中でもこれはPS15という種類。PS14よりも枠を狭くして軽量化と追従性向上を図ったものです。EF58等に搭載。
後に登場する下枠交差型やシングルアーム型と比べると大型で部品点数も多いので、日本では近年の新造車両にはまず搭載されていません。長い目で見れば菱形は絶滅してしまうかもしれませぬ。


下枠交差型パンタグラフ。下側の枠を交差させることで台座と折りたたんだ時の専有面積を減らして小型化を狙ったもの。他に軽量化、追従性向上も達成。
日本では0系新幹線が最初の採用例です。軽量化が目的だったようですが、パンタグラフからの騒音を防ぐ防音カバーを付ける際にも下枠交差型の小型さが役に立った模様。
他には、当時実用化されて間もない鉄道車両用冷房装置を屋根に積みまくってた私鉄でも省面積化のために採用が相次ぎました。特に関西私鉄で顕著でしたね。

これはPS22。JRの電気機関車に搭載されているのが代表的。


シングルアーム型パンタグラフ。形状的にはもうパンタグラフじゃないんだけどね。
さっきも書きましたが、Z型パンタグラフの発展型で、菱形とはなんというか、系譜が異なります。
なんと言っても部品点数が少ない点が挙げられ、これは省面積化、軽量化、騒音低減や経済性に有利なのです。いい事尽くめなのでわざわざ菱形からこれに交換する例も多数。

これはたぶん700系新幹線用のWPS205(説明が書いてなかった)。騒音絶対なくすマンなので、枠に付随するイコライザー類は全部枠内に収めてしまって、台座のばねも覆いをつけてしまい、摺板の左右から伸びているホーンは穴を開けています。騒音源を徹底的に潰しているのです。


500系新幹線用のWPS204。翼型パンタグラフという500系にしか採用例のない特殊なやつです。翼型という名前の由来がよくわからんですが、断面形状から来ている・・・?
2つの筒状の構造体で上下伸縮することで架線に追従するもので、通常のパンタグラフのように関節を持っていません。パンタグラフの面影がないですが、もう集電装置=パンタグラフみたいな感じなんですねー。
これも新幹線用なので騒音絶対殺すマンです。特徴は筒の表面に凹凸が付いていて、これが渦流生成器(横文字で言うところのボーテックスジェネレーター)の役割をします。意図的に乱流を発生させて風切り音を減らすのが目的なのです。フクロウが音を立てずに飛ぶところから着想を得たのは有名な話。
後にWPS205のようなシングルアーム型でも同じ性能でしかも安価に使用できるようになったので、翼型は500系だけで途絶えてしまいました。


次は台車。これはTR11。ナハ22000系やオハ31系でおなじみ、明治・大正のボギー台車の代表的型式。典型的イコライザーがステキ。
当時議論されていた狭軌から標準軌への改軌論の影響で、車軸が標準軌へ対応できるよう長かったのが特徴。この角度からだと分からんですが・・・。


住友が製造していたFS345。いかにも私鉄っぽい風貌ですがその通りで阪急2000系が履いていました。ミンデンドイツ式の軸バネを持っています。くわしくはググって(手抜き)


TR23。TR11含むTR10系で使っていた形鋼材が調達できなくなったので起こされた新型式。
ペンシルバニア形軸バネ式台車というやつ。見た目にはイコライザーが無くなったのが特徴ですな。


KS50。汽車会社製の日本初の空気バネ台車の試作型。京阪電車の1700系の中の1台で実用試験をして、それの量産型になったのがKS51となり、特急車の1810系に採用されたのです。圧力計がついているのが試作っぽさを出しています。
KS50は空気バネ台車といっても枕バネじゃなくて軸バネが空気バネになっているのが特徴です。ですが試験結果、軸バネより枕バネを空気ばねにしたほうがイイネということが分かり、量産型のKS51ではそれが反映されています。
当時は「台車の京阪」と呼ばれるほど台車の技術開発に精力的な京阪らしい台車なのです。
脱線しますが、川崎のefWINGは画期的な台車ですが、京阪は特に関与しなかったのは時流の変化でしょうかな。


最後に車輪。D51蒸気機関車の動輪とみんな大好き松葉スポーク車輪。
松葉スポークは明治期の貨車、客車の車輪の特徴です。スポークが2又になっているのが松葉に見えるからですね~。


おまけ。
この時車内公開されていた583系の中に入りました。すげー混んでる。
外観は国鉄時代ですが車内はJRの引退時のまんまですね。


半分は寝台、半分は座席という、プルマン寝台あるある展示。
着席禁止なのは、大宮の鉄道博物館の教訓を活かしているんだろなぁと。
この座席見るとサイコロの旅を思い出していやだなぁ(本家の方じゃない自分たちがやった方)


というところで今日はここまで。


京都鉄道博物館を見て回る その4【2017/8/16】

2019-10-14 20:30:13 | 旅行・イベント記
京都鉄道博物館の本館の続き。これはご存知500系521形1号。説明不要でしょう。
掛け値なしにかっこいいですよね。実はまだ乗ったことがないのだけど。


京都鉄道博物館といえば、段差や隙間を徹底的に無くした設計がされていることですね。こんな感じに、車体形状的にどうしても床との隙間が出てしまう500系でも床に張り出しを設けて脚を挟むことのないようにしています。
車両の床下、特に台車は車両観察に置いて重要な要素ですので、できればプラットホームと同じ高さまで嵩上げした床は無い方が嬉しいでが、これもバリアフリーやチーム事情がありましょう。


ガラス柵も車体形状に合わせて隙間がないようになっていて、見事。ここまでされるともう言うことはないなと。
ちなみにガラスのそばにある黒い丸は、なんかセンサーの穴だそうです。


断面はかまぼこ型なのだ。窓側席は圧迫感があったとか別にそんなのなかったとか。実際に乗って確かめないとね。


昼夜兼用の寝台電車583系と電車特急の代表格489系。ああ、この2台が並んでいるのはいいな。


座席と寝台を転換可能なプルマン寝台を備えていて昼間は座席特急、夜間は寝台特急として24時間休む間なく走らされることを企図された583系クハネ581形35号
が、この設計思想は色々うまく行かず、後に続く車両は現れませんでした。特に昼間の座席特急は、ボックスシートが評判良くなかったようですね。個人的には、特急運用を念頭に入れてるだけあって座り心地は良かったし足元も広かったので、後ろ向きの座席がどうしても出てくること以外は良かったですけどね、そこがダメだったんでしょうね。
この個体は最後は急行「きたぐに」に使われていたものです。何回か乗りましたね。
現状、まともな583系の保存車はこれだけ。あとは九州に一応いますけどね。それと台湾に何故か中間電動車ユニットがあります。東日本のやつはどうなるんでしょうねぇ。大した期待してないですけど。


489系クハ489形1号。交直流特急型電車485系一門のひとつ。485系に急勾配の碓氷峠を長編成で通過できるように設計した系列です。
ボンネットの先頭形状が特徴で、晩年は主に急行「能登」の運用に入り最後のボンネット型特急として人気を集めていました。現在保存されている485系の大半はこのボンネット型先頭車です。485系は全国を縦横無尽に走り回った割に保存に恵まれてませんゆえ。


鉄道院の有蓋貨車のワム3500形ワム7055号。製造初年は1917(大正6)年で実は100年前の設計の貨車なのだ。製造数は12,000台弱。しゅごい。
最後は1970年代まで北海道で残っていましたが実は北海道には現存車なし。この個体はJR西日本の研修施設に残っていたのを引っ張ってきたらしい。


カーリターダーという貨車の減速装置。線路の両側にある制動板で車輪を締め付けることで減速させるのだ。
貨車操車場のハンプヤードの下り坂にあった装備。貨車を1台ずつ切り離して方面別の線路に仕分ける時にいちいち入換機関車で仕分けていてはいつまで経っても終わらないので、ハンプの頂上で貨車を切り離しました。あとは下り坂で位置エネルギー閣下の力で貨車を自走させて仕分けるのです。その時速度が出すぎないようにカーリターダーを使いました。


油圧式ですかねぇ?
アメリカのヤードではまだカーリターダーが使われてるはず。


車掌車のヨ5000形ヨ5008号。貨物列車にも車掌が乗務していた時代がありました。その車掌が乗るための車で、貨物列車の最後尾に連結されていました。今も鉄道車両の甲種輸送時に連結される時もあるので一応車掌車は現役ですね。
ヨ5000形は最高速度を従来型の75km/hから85km/hの高速貨物に対応できるように開発されたものです。日本初のコンテナ高速貨物列車「たから」に充当されました。塗装は専用の淡緑色に塗られて専用のテールマークも付けられて、大した力の入れようでした。

これは元々JR貨物の宇都宮貨物ターミナルの新幹線高架下に保存されていた18台の貨車の1台。JR貨物はこれらの保存車を活用して博物館を建てるつもりでしたが、流れてしまって保存車は散り散りになって大半は那珂川清流鉄道保存会に譲渡されました。


151系特急「こだま」の前頭部モックアップ。485系のボンネット車とは見た時の印象が微妙に異なるんですけど、両者で形状違うんですかね?


「はつかり、がっかり、事故ばっかり」の文句でおなじみのキハ80系キハ81形3号
国鉄初の気動車特急として登場したけどすぐにエンジンから火を吹いてダメな子扱いされてしまいました。かわいそうに。
151系が少し前に登場していて車体や内装はそれを踏襲しているんですが、ボンネット部の形状は全然違います。キハ81の方がだいぶ無骨。


「ひかり」の新幹線として私に親しまれている100系122形5003号。のぞみは300系、こだまは0系というのが幼き日からの私の構図なのです。
JR西日本の100系だと二階建車を4両繋いだ「グランドひかり」なわけですが、静岡には停車していなかった記憶なので、馴染みがないです。
100系の先頭車は本来無電動車でしたが、グランドひかりの二階建車4両連結に際し中間電動車が不足したので、この122形5000番台で制御電動車化したというもの。先頭の電動機冷却のための空気取入口が連結器覆いとスカートの間にあるのが外観上の特徴。この制御電動車は短編成化の時にも有利に働いたので、100系の中でも最後まで残りました。最後にこの色に復元されてから新大阪駅まで見に行きましたねぇ。なつい。



唐突に現れる昔懐かし昭和コーナーに置かれているダイハツ・ミゼットMPA。地味に左ハンドル車でなんじゃこりゃと思いましたが、沖縄仕様なんだそうな。なるほど、当時はまだアメリカ統治下か。
大阪の交通科学博物館には鉄道車両の他に自動車や航空機や内燃機関といった交通に関わるものも一緒に展示されてたんですが、閉館に伴い公開を止めました。これは数少ない、交通科学博物館から引き続き展示されているものですね。
自動車の行方は存じませぬが、航空機とそのエンジン関連は意外なことに静岡空港の近くにある静岡航空資料館に移設しています。これは次の年に見学してきましたので、後々ご紹介します。いつになるかは約束できませぬが。


無煙化の象徴、DD51形755号機ディーゼル機関車。
蒸気機関車を追いやるために造られたので登場当初はそれはもうオタクから嫌われていたようです。今では貴重な本線用ディーゼル機関車として人気の的。時代も移り変わるし、オタクなんてそんなもん。
まだ細々と活躍していますが、JR貨物の機体はそろそろ絶滅しそう。関西圏ではこの寝台特急「出雲」の牽引機だったのが有名でしたかね。


DD51は機体の下に潜り込めるのだ。気分はピット線の中に入り込んだ整備士なのだ。
推進軸が丸見えだぜ。さすが、機関車だけあって全軸駆動のAWDなんですね。


軸重を減らすための中間付随台車。


私にとってはブルートレインの牽引機として馴染みの深かったEF66形35号機電気機関車。これもね、楔形の先頭形状とか縦型のライトケースとか、かっこいいですよね。


これも足回りがよく見えるのだ。
これといいDD51といい、機関車ってクッソ重いわけですが、車体内に格納されている機械類やエンジンはあるんでしょうかね?よその保存機(特に個人所有や公園保存のもの)では重すぎるゆえに移設が出来ず、中をがらんどうにして保存されていることがしばしばあるんですね。


これはねえ、いいですねぇ。360度から見れるのもいいです。



主電動機と車軸を合わせた駆動装置の展示。
主電動機はMT56です。


車輪はすごくものものしいのだ。


101系のモックアップ。新性能通勤電車の先駆けです。電車の構造とはなんぞや?という展示のために使われています。
画期的な電車ですが保存車は大宮に1台だけです。まあ通勤電車への扱いなんてそんなものよ。

これで本館の常設展示車両は回り切りました。では次は特別展示車を見に行きますか。