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北方project ~Welcome to Hokkaido. その5【2017/5/3~7】

2018-11-27 23:58:25 | 旅行・イベント記
小樽市総合博物館の屋外展示車両を見ています。どんどん見てきましょう。


DD51形615号機
ナンバープレートが欠けてるんでちょっと間抜けなことになってますが、堂々の幹線用ディーゼル機関車です。なのでここに保存されているディーゼル機関車の中では最大です。
蒸気機関車の置き換えのために登場したもんですから、デビューした頃は鉄道オタクからそれはもうひどい言われようだったようです。今はもうオタクの世代も変わってきているんでそういうこともないどころか人気者なわけですが。

今までの保存車両同様これも機関車の後ろに車両を繋げてひとつの列車に仕立てている展示をしています。DD51の場合救援列車をやっています。


オエ61形309号
救援車というお客を乗せない事業用の車両です。線路上で脱線事故や災害が発生した際にその復旧用の機材を載せた車両を前もって備えておくことで、迅速な復旧作業に取り掛かれるようにするための車両です。
現代では問題が発生しても沿線の道路から取り付けるようになったとかそもそも鉄道の重要度が低下してるとかの理由で減少傾向です。ていうかもう絶滅したんじゃないかと。

いざという時のための車両で普段は使うことがないという性格上、イチから救援車が造られるということはまず無く、使われなくなった客車を改造して再利用することが一般的でした。オエ61形もそのクチで、マニ36形という要らなくなった荷物車から改造された車両です。
改造にあんまりお金を掛けられない事情もあったのでしょう、原型から大きく姿を変えているわけではありません。車体は妻面貫通路と右側の荷物用扉を塞いだ以外は原型のままと思われ。車内も作業用機材を積み込むにはうってつけの荷物車なので大きな改造は必要なさそうですがそこら辺はよく知りませぬ。


車内も見れます。
車内の半分くらいは人が乗る部屋になっています。機材といっしょにそれを動かす作業員も運ぶのです。さらに救援車は現場の前線基地の役割もありますので、作業員が休憩や食事を摂るための設備も持っているのです。


もう半分が機材置き場です。枕木とかが載っています。


スエ78形5号
これも救援車で、70系客車の荷物車から改造されたもの。70系って聞いたことのない名前なんですが(自分の記憶では35系か60系あたりまでしか遡れない、それより前だと一気にナハ22000やハ1005あたりまで行ってしまう)、戦争で被災して損傷した客車の台車や台枠を再利用して車体だけ新製してできた「戦災復旧車」と呼ばれる客車群です。
戦後混乱期に造られた客車で簡易・急造・応急処置・間に合わせといった設計や改造がなされたので、その種類は混沌を極めることは想像に難くないです。
外観の特徴は色々あるようですが、窓が他の客車と異なり2段窓になっているのがポイント。大きい窓ガラスが手に入らなかったでしょうからね・・・。

スエ78-5はマユニ78形から改造されました。さらにマユニ78はオハ78からの改造なので、迷宮ですね。普通の座席車からの改造だからなのか知りませんが、荷物車の扉にしては扉の幅が狭いように見えます。


救援車らしく床下には替えのレールを装備しています。こういうの好き。
なお70系の現存車はこれだけです。まあ品質の悪い戦災復旧車なので喉元を過ぎればもう用済みでしょうし、どれもあっさり解体されたんだろうなと。


注目は台車で、なんと3軸台車を履いています。たぶんTR71だと思います。
荷物車時代から履いていたようですが、荷物車にこれが選定された理由はよく分かりません。わざわざ3軸を使う必要はないと思うんだけれども。


チキ6000形チキ6141
平たい荷台を持つ長物車。コキ5500を改造したやつだそうな。ちなみにコキ5500はチキ5500を改造したやつなんで、先祖返りしてますねコレ。
後ろに連結されている操重車の控車として使われるやつもいました。クレーンのブームが長いんで張り出た部分を収めるために連結してます。
他にも作業で使う道具も置いてますね。何に使うのか分かりませぬが。右側の道具ってあんなブームから離れたところに置いて取り付けが大変だろうなと思いましたが、荷台の上に台車とレールが敷かれているんで簡単に荷台の上を移動できるんですね。うまいこと考えるもんだ。


ソ30形ソ34
操重車、つまりクレーン車です。事故の復旧用に造られたものです。めちゃくちゃインパクトのある車両ですが、保存車はあんまないです。元々弾数が少ないしね。
ソ30は元々蒸気機関で動く蒸気クレーンなのです。なのですが1970年代にディーゼルエンジンに換装されてしまって当時の姿は見るまでもなく・・・。


暗くてあんまり中が分かりませんでしたが、蒸気機関ではないのは確かっす。
機関部の形状は全く変わってしまっていて、どっちかというとソ80に近い形状になっていますかね。


ヨ6000形ヨ7904
貨物列車の一番後ろに連結する車掌車です。1960年代、これだけで900台造られたっていうんで、当時の貨物列車よほど多かったのかなぁって。
北海道の極寒に対応した車両は7900番台に区分されているんだそうで、なので番号が7900まで飛んでるんですねぇ。

救援列車は以上。


屋外展示車の一部はプラットホームを模した土台の横に展示されていますが、これって京都鉄道博物館で見るやつですね。この手法はここが先でしたのね。
光線が逆光アンド逆光なんでちょっと撮影条件厳しめ・・・。


ED76形509号機
函館本線の電化に合わせて1968~1969年に投入された電気機関車です。ED76は九州向けの0番台が先行して投入されてましたが、それとこの500番台は外観も中身も性能もガラッと変わってます。車軸配置と蒸気暖房搭載くらいしか共通点がないので型式を変えてもいいくらいですが、新形式を起こすと労働組合との折衝がアレを極めることから、当時の国鉄は機関車の形式数をむやみに増やさない方針を採っていたので、ムリヤリ同形式に収めたんだと思います。なんか1950年代のアメリカ空軍みたいだ。
D級機関車なんですが、動力台車の間に軸重軽減用の無動力台車を挟んでいるんで車体は意外と長め。
意外にも旅客列車専門だったんですが客車列車は早々に消滅してしまい、貨物列車への転用も非電化区間からディーゼル機関車を直通させてきたほうが楽だ、となっているんで30年経たずにすべて廃車になってしまいました。以降津軽海峡線を除いて北海道に電気機関車が走ることも無くなっちゃいました。

ED76の後ろには客車が3両繋がっていてさながら現役時の旅客列車です。


スユニ50形500番台スユニ50-501
国鉄の一般型客車の50系客車の形式のひとつ。電車みたいな車体が特徴。地方の通勤列車のための開発が主ですが、荷物車/郵便車も新たに起こされまして、スユニ50もそれのひとつで、郵便荷物合造車です。500番台は北海道専用です。
1978~1983年にかけて製造されましたが、1986年に荷物/郵便列車が廃止されてしまったので登場から十年経たずソッコーで要らない子になってしまい、ほとんど廃車になりました。国鉄ホントそうゆうとこだぞ。

スユニ50では、旧型客車がよく履いていた旧式のTR47を履いているのに注目です。通常の50系は新しく開発された台車を履きます。
まあ、旧型客車からの廃車発生品です。ところがスユニ50の場合、台車を提供した旧型客車からの改造で出来上がった車両という名目になっているのが面白いところ。車体も台枠も新造しているんですけど台車を以て改造扱いするとは、これもう分からないです。まあむやみに車両新製できなかったんだろうという事情は察せますけども・・・。


車内にも入れます。中では郵便局員の敏郎(仮名・左)と恒造(仮名・右)が業務に邁進しています。
この仕事、楽ではないと思うんですけど、何か手当とかは付いてたんでしょうかね?


オハ36形オハ36-125
旧型客車オハ35系一門の門下生の一人。同じく門下生のスハ42が修繕工事を受けたところダイエット効果があったので軽量化したのだが、客車は重さで格付けが変わるので「ごく重い」の「ス級」から「ってたより重い」の「オ級」へと改名したのだ。ついでに数字も変えた。
北海道形は500番台なのだがこれは125番。内地の客車を持ってきたかもしれないけどそこら辺はよく分からず。


オハフ33形オハフ33-364
旧型客車オハ35系一門の門下生の一人。緩急座席車として600台くらいがジャカジャカ造られた、オハ35系を代表する門下生だ。大井川鐵道でも現役だぞ。


今日はここまで。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その4【2017/5/3~7】

2018-10-24 20:54:12 | 旅行・イベント記
2017年5月3日(水)14時48分
 北海道小樽市 小樽市総合博物館屋外
次に屋外展示を見ましょう。前回も書きましたが収蔵車両の数はかなり多くここにしか保存していないような車両もあり、内容には満足できます。さらに蒸気機関車アイアンホース号の動態保存をしていて、館内に敷かれた線路を往復運転する本格的なものです。これは後で紹介します。欠点は、冬期は積雪から保護するために屋外の車両は全てブルーシートに覆われて見学不可になること。

というわけで順番に見ていきましょう。


DD16形17号機
重いDD13やDE10では走れないような支線用の小型ディーゼル機関車です。C12やC56といった支線用蒸気機関車の置き換えを目的に1971年に開発されました。ただしこの時期になると支線の旅客列車は気動車化され、貨物列車も廃止傾向にあり、そもそもDD16しか入れないような低規格ローカル支線自体が廃線になって消える事態になっていました・・・。
製造機数は65機に留まり、活躍の機会もあんま得られないまま多くが廃車されました。今も現役やっているのはJR東日本の1機だけ。

先行して開発されたDD51、DE10と部品を共用化することで開発費用や維持費用の圧縮を図っているので、パッと見はDE10と似ています。DE10をさらに小型化したような見た目で、2位側(写真だと手前側)のボンネットがすごく短いのがかわいいやつです。
2位側のボンネットにはエンジンが載っていないんですけど、排ガス用煙突がついているのは見た目の美観なんでしょうかねぇ。


DD13形611号機
1958年から導入された操車場での貨車の入換や支線の貨物列車の牽引などに活躍したディーゼル機関車です。個人的には地元の清水港線での活躍をよく聞く機関車です。

日本の液体式ディーゼル機関車の基礎を作り上げた機関車で、後のDD51やDE10の開発に繋がります。
国鉄の貨物列車を扱うにはやや性能不足ではありましたが、私鉄の専用線や貨物鉄道で扱うには手頃だったのか、私鉄向けの同型機も少なくない数が製造され、まだ現役をやっている機体もそこそこいます。実は長生きの機関車ですが、今後JRからDE10が引退すると変化が出てくるかも知れません。
611号機は600番台でして、駆動装置を小変更した300番台に総括重連能力を付与したものです。


DE10形503号機
御存知、客車列車、貨物列車、工臨、入換、定期列車、臨時列車、だいたいなんでも出来る万能ディーゼル機関車。ただしDD51と比べると基本的に地味で目立たない奴という扱いを受けています。
牽引/制動能力と軸重制限を満たすために2軸台車+3軸台車という珍しい配置を取っています。これが中々複雑な構造をしているのだが割愛。

500番台は貨物列車専用機として製造されたもので、客車暖房用の蒸気暖房発生装置を積んでおりませぬ。
ちなみにこれも使い勝手が良いので私鉄向けの同型機が導入されていますがDD13ほどではないですね。

割とどこでも見かけることが出来るし普通に元気に動いているんであんまり珍しがられないしありがたがれることもない、よく考えると不遇の扱いを受けているんですが、一番若いやつでも製造から40年は経っています。
最近は後継機となるDD200形の試作機が試験導入されていて、これが量産され始めたらいよいよ引退という感じです。元気なうちに乗ったり撮ったりするなら今のうち。


ワム80000形ワム82506号有蓋車
DE10の後ろには貨車が数台連結されていて、貨物列車のようになっているのが特徴。
これは数年前まで現役だった2軸の有蓋貨車のワム80000。くすんだうぐいす色に塗られていますが、どういう意味があるのかは不明です。一応標準色はとび色なんですけどね。
保存車はそこそこありますが、それ以上に放出された貨車の車輪を取り払って地面に直置きして物置に転用したいわゆる「だるま」が多いです。


セキ6000形セキ7342号石炭車
石炭車という名前の貨車ですが、構造としてはホッパ車と同じです。ホッパ車と統合されててもいいもんですが、歴史的には日本ではホッパ車よりも石炭車のほうが先に登場していたことと、貨物列車における石炭車の役割が大きかったので特別に区別されていた模様。
最高速度65km/hというやる気のない速度しか出なかったので、のろまを表す黄帯が巻かれています。また、北海道専用の道外禁止の文字も書かれています。
保存車はここと三笠鉄道村の2台だけで貴重です。


トラ55000形トラ57964無蓋車
一般的な無蓋車ですね。砕石が積まれています。
これもここと那珂川清流鉄道の2台しか残っていません。


ホキ2200形ホキ2226ホッパ車
小麦やとうもろこしなどの粉粒穀物を輸送するためのホッパ車。北米ではグレインホッパーとして馴染み深いやつ。
これは昔カトーのNゲージを持っていたので懐かしい気分に。活躍時期は2000年までと意外と遅くまで走っていたんですね。
保存車はこことクロフォード公園の2台だけでやっぱり貴重。


ワフ29500形ワフ29984有蓋緩急車
有蓋車と緩急車(車掌車)が組み合わさった貨車です。
これは北海道を中心に10台弱が現存しています。


緩急車の車内はこう。車掌クンが仕事してますね。
机仕事するにはちょうどいい広さ。


後ろから。ちゃんと貨物列車になっています。こういう展示は嬉しいですよね。


キハ82形1号(キハ82-1)
キハ80系気動車の2次車の先頭車。1次車のキハ81形はボンネット形状の非貫通型、さらに日本初の特急型気動車でした。しかしその分初期不良も多かったです。それを解消したのがキハ82です。
先頭部形状が貫通型になったのが外観上の一番の特徴です。この形状は以降の貫通型の特急型車両の基本形になってます。
車番はトップナンバーであり、実は貴重なやつです。北海道はキハ82保存車の天国で、翌日もすごいのを見ます。


キシ80形34号(キシ80-34)
キハ80系の食堂車です。これの場合まず食堂車自体の保存例が貴重です。
食堂区画の大型窓(右側)と厨房脇の通路の小型窓(左側)という変則的窓配置や乗降用扉が無かったり、特徴的な車両なのです。中央左寄りにある扉は食材搬入用の業務用扉です。


少しですが自動車も置かれています。最近の鉄道博物館は鉄道以外の展示は止めてしまったところが多いので、こういうのも嬉しいです。


スバル360 K111型
軽自動車を日本初の量販軽自動車にして日本に軽自動車を定着させた自動車。
まるっこいのがかわいいのだ。


トヨタカローラDX-1100 KE10型
大衆車の代名詞カローラの初代モデルです。
なるほどなぁこれが初代か。意識して見たのは初めてですね。


日産ダットサン(サニー)1000DX B10型
これも大衆車の代名詞サニーの初代モデルです。上記のカローラとは骨肉の争いを展開しましたが、サニーは今では消滅してしまいましたね...。
この時代の自動車かっこいいですねぇ。乗ろうとは思わんけど。

というところで今日はここまで。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その3【2017/5/3~7】

2018-10-22 22:00:09 | 旅行・イベント記
円山動物園のある円山公園からは路線バスが出ていたので帰りはそれに乗車し円山公園駅へ戻ります。なお道路激混みで歩くより時間かかりました。それでも疲れてたんでバスでよかったんです。
JR北海道バスのいすゞエルガでした。


北海道中央バスのエルガも停まってたのでついでに撮影。
円山公園駅からは地下鉄に乗って琴似駅へ。


琴似駅ではJR函館本線に乗り換えるのですが、地下鉄とJRで同じ駅名なのに両者はおよそ800m離れています。800mは乗り換えするにはちと遠いですがそうは言ってもこれが一番楽ですので。


駅前にはJR北海道バスのふそうエアロスター新MP35。


琴似駅から函館本線の普通電車に乗って小樽駅まで行きます。731系でした。
特に車窓とかは無し。


小樽駅へ着きました。小樽は2度目で、初回は札幌から函館まで函館本線経由で移動する酔狂なことをやった途中で寄りました。
留置線には733系が停まっていました。731系の改良版で、細かいところが色々良くなっているのだ。


いつもの駅前の景色。昔はもっと海がよく見えたんだろうなとか。


2017年5月3日(水)14時20分
 北海道小樽市 小樽市総合博物館
その後歩いていったかタクシーに乗っていったか忘れましたが、小樽市総合博物館に来ました。来るの初めて。前に小樽に来た時は冬でしたからね、屋外展示物は雪対策で覆いをされて見れないので行かなかったのです。
総合博物館という名前ですが特に鉄道系の展示が強く、鉄道博物館としても十分通用する規模を持ちます。その中身はこれから見ていくとして。


まずは館内に展示されている蒸気機関車から見て行きます。
6号機関車、しづか号、7100形、A形などやたら名前がありますが、「しづか号」が通りがいいでしょうかね。
北海道最初の鉄道「官営幌内鉄道」が1884年にアメリカのH.K.ポーター社に発注し1885年に納品された蒸気機関車。つまりアメリカ型蒸気機関車なわけです。約1年ぶりに見たアメリカ型に懐かしさが。
幌内鉄道は北海道炭礦鉄道を経て鉄道省に買収されて国有化されましたが、その後もしづか号は1917年まで現役でいました。引退後は製鉄所に転職しましたが、これが幸いして後まで現存することに繋がり、1952年の鉄道開通80周年を記念して原型に復元されました。

ひし形火の粉止付きの煙突に大型の排障器が特徴で、これはまんま当時のアメリカ型の蒸気機関車の特徴です。内地の鉄道は主にイギリスの鉄道を範にしたんですが、北海道はアメリカ製をよく輸入していたとかなんとか。
当時の北海道も開拓時代でしたし、この開拓スピリッツあふれるアメリカ型蒸気機関車はよく似合っていたのかも。

なお同型機は他に2機保存されていて、7101号機「弁慶号」が埼玉の鉄道博物館に、7105号機「義経号」が京都の京都鉄道博物館に保存されています。この時代の車両としてはよく残っている方だと思います。


ポーターの銘板。#672はメーカーの製造番号です。
ポーターは小型機関車の製造に自信ニキだったので、幌内鉄道がポーターに発注したのもそういう理由だったのかも知れません。


車輪配置は2-6-0(車軸配置1C)モーガル。動輪直径は914mmで小さめです。
当時の主流は旅客用は4-6-0、貨物用は2-8-0で、どっちつかずの2-6-0は半端な配置なのですが、汎用性はある程度あるので中小規模の鉄道では需要があったようです。幌内鉄道でも適していたと思います。

動輪を始め機体には細かく色差しされていて、当時はまだ珍しく数も少なかった蒸気機関車への思い入れが感じられます。しづか号といった固有の愛称もまだ数が少なかった頃特有の慣例です。


キャブは開放式でして、冬は寒さで死にそうなんですね。

なおしづかとは源義経の妾だった静御前から取られています。先に名付けられていた義経号繋がりだと思います。


ボイラー周りはこんなかんじ。


しづか号の後ろにいる客車(連結はされていない)はい1号客車。これもい1、フコイ5130、ロフコ5670、コロ1と名前がたくさんありますが、い1が一番通じるようです。
1882年製の幌内鉄道の一等客車です。アメリカから輸入した客車のコピーですが自社製です。ただし台車は製作できなかったようで、これはアメリカから輸入しています。
1928年に定山渓鉄道に譲渡されて1963年まで活躍、その後原型に復元されました。これも転職したのが幸いして、現役期間が長くなったうちに価値が認められて現存に至った例ですね。意外とこういう例は多いので、バカに出来ないものです。


台車はいわゆるイコライザー台車。鎖で台枠と繋がれているのは脱落防止?


星マークは幌内鉄道の社章だったかな?


屋根は採光用の段差が設けられた二重屋根。これがあると意外と明るいんですよ。


車内はロングシートとクロスシートが変則的に組み合わされたもの。貴賓車として使われたこともあったというので、ラウンジ的な設計をされたのかもしれませぬ。
ちなみに当時の内地の鉄道の客車はイギリス式の多扉多室構造で、アメリカ式の両端扉一室構造とは真逆と言えるものでした。


というところで今日はここまで。次回からは屋外展示を見学します。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その2【2017/5/3~7】

2018-10-11 21:04:20 | 旅行・イベント記
ZBS、IORIさん、いぶき君とゴールデンウィークに北海道に行った話。
最初は札幌市の円山動物園ですっごーい!たーのしー!している話。


さばんなちほーを歩く一行。ついにライオンを見つけます。
ネコ科の動物の中で唯一、群れを作って、その群れ、プライドっていう名前がついてまして。狩りも力をあわせて行ってまして。1頭が獲物を見つけると、獲物を囲むようにどんどん距離を縮めていくんですね。何頭かで追いかけて、もう何頭か、待ち伏せをするような形ですね。そっちに追い込んでいって、ポッと仕留めるみたいな感じなんですね。ほかのネコ科動物と違って、チームワークのいい狩りを行いますね。

まあライオンも動物園で寝てばかりの動物筆頭ですからね。寝てますね。時々半目開けたりするんで起きてはいるんですけども。


エランドはアフリカに生息するウシ科の動物。鹿っぽく見えるんですけど牛です。


完全に夜行フェリーの座敷で横になってる時のおっさんの後ろ姿をしているブチハイエナ
ライオンキングの影響で悪者のイメージが付いていて少し気の毒です。


「そこの歩道に伸びてるやつ奴は何なんだ?」
「ここに住んでる」


バk・・・もといカバ。最近は動物界最強の呼び声も高いです。ヒグマ選手も優勝候補ですが、まあ土俵が違いますから。


続いてあじあちほーでアムールトラ
トラというと東南アジアのジャングルっぽいイメージですがアムールトラはロシア極東地方に生息しています。クソ寒いところに住んでいるトラで、なので毛並みが深いのだ。北海道の気候にも適したトラですね。
中々猛虎魂を感じる写真が撮れました。まあ今年最下位だけどな(2018年)


ユキヒョウはヒマラヤやチベットあたりに住む白いヒョウ。雪に対する保護色ですな。ホワイトタイガーみたいな白変種やアルビノとは異なって元から白いです。
前足の毛並みが深くてすっげぇもふもふしてそう。


ぶつかり稽古するヒマラヤグマ
インドシナ半島に住むクマで、この時は見せてくれませんでしたが胸に三日月模様があって、これはツキノワグマの親戚みたいなやつなのです。


耳かき。犬みたいだ・・・。


バk・・・もといマレーバク
バクはバクであって他に例えようがないってくらいには独特な動物ですよね。


御存知ホッキョクグマ
のっしのっしとよく歩いてくれて柵の周りには人だかりができていますが・・・。


実際は暑さに参って早く建物の中に入りたいだけなのでした。しかし無常にも扉は閉まっているのです。中々大変なのね・・・。


カナダやアラスカ原産のシンリンオオカミ。日陰で休んでてもイケメン。すっかりバテてるホッキョクグマと違い余裕の表情を浮かべます。
なんというか、土地柄でしょうけどさっきから寒冷地の動物が多いですね。


ゼニガタアザラシです。ゴマフアザラシと何が違うねんというと体の模様だそうな。ゴマフはゴマを振ったような模様、ゼニガタは小銭の模様をしているからです。


サル、ゴリラと来たらチンパンジーと続けるのが通例。たぶん払い戻しをしてるんだと思います。
ケツがでかいですけど、あのケツだとどのくらいモテるんでしょうね。


ひと通りぐる~っと回ってきて最後にもう一度サーバルを見ていきました。かわいい。


園内のレストランで昼ごはん。しゃれた焼きそばを食べました。
併設する売店ではこの機を逃すなとばかりにけものフレンズグッズを売っていましたんで、みなさんお買い物。自由帳とか買いました。


資料館もあります。ちゃんと見ていきたい気持ちはありますが今回は骨格標本だけ。
マサイキリンの標本です。ここで飼育されていたタカヨの骨です。なんと30歳も生きたそうで、これは国内のキリンの最高齢記録です。


アジアゾウの花子の骨格標本。
象の鼻って骨がないんですね。あれ全部筋肉か。骨になってしまうと少し物足りなくなってしまうのね。

というところで円山動物園は以上です。しっかりと楽しめました。
では次の場所へ移動します。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その1【2017/5/3~7】

2018-10-10 22:20:06 | 旅行・イベント記
2017年5月3日(水)0時53分
 静岡県静岡市駿河区 JR静岡駅
おっしゃゴールデンウィークだ、出かけるぞ!ということで北海道に行くことにしました。
深夜、自宅にいると1台のルークスくんが現れて私を連れ込み拉致し、さらに静岡駅にいたいぶき君も拉致したのである。そうZBSの仕業だったのだ!ちなみに既にIORIさんも拉致されていました。


その後東名高速に乗って東進。途中の富士川SAで小休止。最近建てられた観覧車を見てきました。まあ当然ですがこんな時間にはやってませぬ。富士山見えないしね。
なおいぶき君は去年のアレでこちらの行動を完全に疑っていますが、富士川に着く頃には爆睡してました。今後が心配です。


同日4時40分
 神奈川県鎌倉市 JR大船駅
大船駅へ連行されました。ここから京浜東北線の初電に乗ります。発車時刻は4時43分。さすが都会だ早いなぁ。
横浜駅まで乗ってそこで京急に乗り換えます。


そして羽田空港へ。2015年4月以来ですか。
今回は山口宇部に拉致されることはなさそうか。


同日6時22分
 東京都大田区 羽田空港国内線出発ゲート
保安所を通過して出発ゲートへ。渡されたバーコード紙がちゃんと新千歳になっていていぶき君も安堵。前回は唐突に伊丹行きのチケット渡されたからね。


はい飛んでいます。
というか、北海道には何度か行ったことはありましたけど飛行機で行ったのは初めてですね。今までは青函トンネル通ってました。しかも全部急行はまなす。そっちの方が変わってたと思う。


90分そこらで到着。やっぱはえーわ。
なお乗ったのは6時25分発のANAのNH987便、機材は767-300。6時台発の飛行機とか誰が乗るんだよって感じですが、さすがゴールデンウィークで見事ほぼ満席でした。


同日8時27分
 北海道千歳市 JR新千歳空港駅
そそくさとJR新千歳空港駅へ。朝8時だとまだ何も店がやっていないんですよ・・・。
721系4000番台快速「エアポート」に乗ります。エアポートは混雑がひどいのでロングシート化が進行していると聞いてますが、まだ一部にはクロスシートの721系が走っているんですね。


新札幌駅で地下鉄東西線に乗り換えます。地下鉄の駅は新さっぽろ駅で平仮名。これで円山公園駅まで乗ります。


同日10時4分
 北海道札幌市中央区 札幌市円山動物園
駅から歩いて10分位のところにあります札幌市民の憩いの場所円山公園内にある円山動物園にやってきました!
当時は「けものフレンズ」のアニメがめちゃくちゃ流行っていた時期で、揃い揃ってその影響を受けていた我々もその流れに乗ろうと札幌の動物園へやってきたのです。動物園に来るのも久々です。


園内には色々な動物がいるわけですが、全部写真撮れるわけじゃないし中には失敗したものもあるんで、かいつまんで見ていきましょう。
まずはオオタカ。鳥類は籠の中の鳥なので基本的に網が入り込むしピント合わすのも大変なので難しいですね。猛禽類なのでとても強い。


いつ見に行っても寝転んでるアイツことオオカンガルー。これが走り回っているところはテレビ画面でしか見たことありませぬ。
今日も元気にダレています。タマタマωはみ出てるぞ。


ダチョウ。ダチョウはダチョウなのか。オオとかマとかシロとかクロとかそういう亜種はいないんでしょうか。


なお卵を産んでいたようです。ダチョウ大統領の貴重な産卵シーン、見てみたかった。


サーバルキャット
サーバルはですね、基本的にはアフリカの、サバンナといわれる地域に過ごしていまして、若干ゃ草が、生えているところなので、そういったところで歩きやすいようにサーバル、あの、細長い個体で。であと耳も大きいので、遠くの音を聞こえるように。ジャンプ力ぅ…ですかねぇ…高いところに、スッと、ジャンプできる動物でして、結構高いところが好きなので、軽々と1メートル2メートルは余裕でジャンプしてくれますね。(信頼)

今までは無名に近い猫でしたが2017年に入ってから急激に知名度を上げ、今やヒョウやトラ並みの認知度を獲得。一体なにフレンズのせいなんだ・・・?
お察しの通り一行が円山動物園に押しかけたのはほとんどこれが目当てです。

毛並みが悪いですが、高齢ゆえの体質だそうで。ちなみに国内で飼育されているサーバルの中で最高齢。
円山動物園には2匹のサーバルがいますがもう1匹は骨折のリハビリのためおやすみしていました。みんみ・・・。


ミーアキャットはライオンキングのティモンがいたので昔から知っている動物です。ティモンと実際のミーアキャットはだいぶ姿が違うんですけどもね。
名前とは裏腹にネコ科ではなくてマングース科の動物です。まあ猫の顔つきではないです。


直立するのが特徴です。


キリンは陸上動物で最も背の高い生き物。頭身は高いし美脚だしでモデル体型なのだ。

というところで今日はここまで。



武器学校の公開イベントへ出向く 最終回【2017/4/8】

2018-09-30 21:52:23 | 旅行・イベント記
前回BRTのかしてつバスに乗りましたが、その目的は沿線に保存されている鹿島鉄道の気動車を見に行くためでした。鹿島鉄道廃線時は9台の気動車が在籍していましたが、そのうち6台が保存されています。元の数が少ないとは言え残存率66%は高い数字です。車種が数種類あったのも幸いしていると思います。

で、最初は小川駅停留所近くの小川南病院の介護施設はるるの郷に保存されているキハ432です。
1957年東急車輛製で、鹿島鉄道ではなく富山県の加越能鉄道向けに2台造られたものです。加越能鉄道廃止後の1973年に2台とも鹿島鉄道に譲渡されてきました。そして廃線時まで活躍を続けます。ただし非冷房車なので夏場は走っていなかったようです。


なんといっても湘南顔の前面が特徴でしょう。製造当時流行っていたデザインです。とても好ましい気動車です。
露天保存にも関わらず車体の状態は非常に美しい状態です。


片側にはプラットホームが建てられています。
車両をじろじろと見ていると私を怪しんだだろう施設の従業員が声を掛けてくれ、車内を見せてもらえました。その時に記帳するんですが、今もちらほらとキハ432を訪れる人がいました。


車内もきれいな状態を保っています。座席はロングシート、床は木の板ですし、車幅は少し狭いのかも。
通路中央には長机が置かれていて、何かしら活用されているようです。


運転室は半室構造。左側に細い扉があり、あそこから出入りします(そもそも車体横に扉がない)。逆に運賃収受するところには壁と窓が出来ています。変わった構造をしていますね。
ワンマン運転するにはやや不便な構造だと思いますが、製造時の原型のままなのかはちょっとわからないです。


運転席。当時らしい計器の少ない運転台です。手ブレーキが目に付きます。


車外に出て反対側を撮影。全長16mの両運転台車なのです。


台車は正確なところは不明ですが当時の気動車によく使われていたTR26でしょう。製造元の東急車輛での名称はTS-102Aでした。
当時のディーゼルエンジンは非力でしたので、軽量化と低走行抵抗を念頭に置いて設計された台車です。部品のひとつひとつが細くて弱々しいのが分かります。軸受にはころ軸受を採用して走行抵抗の低下を狙っていたんだそうな。


エンジンはDMF13Cです。DMF13というと1980年代の国鉄末期からJR初期にかけてJRや第三セクター鉄道の気動車に採用されたやつなんですが、キハ432の製造時よりも後のエンジンですしエンジン換装の記録も見当たりません。
実際は1950年代に登場したDMH17を8気筒から6気筒に小型化したエンジンです。DMH17はキハ20系やキハ58系なんかに採用されたのが有名ですかね。DMF13はそれを小型化したんで出力も相応に下がっているようです。
これのエンジンは配管やベルトに至る細かい部品まで残っていて正直驚きました。エンジンは動かすことが出来るなんて噂もありますが、本当なのかも知れません。

というところでキハ432見学は終了。車体から足回り、車内に至るまで美しい状態だったのに驚かされました。今後も大切にされてもらえると思います。


病院から533号線に戻って再びかしてつバスに乗ります。小川駅停留所へは戻らず、そのひとつ先の旧小川高校下停留所でバスを待ちます。
この後はほっとパーク鉾田へ行きます。


もうすぐ鉾田駅というところの坂戸中央停留所で下車します。


グーグルマップによればここを通れば近道。昔から残っている古道なのでしょうな。


バス停から歩いて5分位。ほっとパーク鉾田へ着きました。ここは日帰り温泉・プール施設なのですが、温泉に入りに来たわけではありません。まあこの後入るっちゃ入りますけどね。


敷地内に保存されている鹿島鉄道の2台の気動車、これを見に来ました。KR-505とキハ601です。
鹿島鉄道廃止後に鉾田駅保存会という団体により旧鉾田駅で保存されてきましたが、現在はこちらに移設され引き続き保存されています。気動車2台を移設となると(主に資金面と移設先交渉で)苦労されたと思います。
今もエンジンは動かせる状態で保存されていて、車内の公開イベントもたまに開かれている等活動は積極的です。車両の維持活動も抜かり無く、きれいな状態です。


まずはKR-505から。1988年から4台が新潟鐵工所で製造された16m級の軽快気動車です。鹿島鉄道初の冷房車でした。一般型気動車には珍しい前面非貫通構造も特徴的。
4台しか造っていないのに505がいるのは、504は忌み数字で避けられたから。なお帯の色は1台ずつ異なっています。


台車はNP120T/D。付随台車はT、動力台車はDです。これはTかな。簡素っぽい見た目をしています。


エンジンはDMF13。さっきのキハ431とは違う80年代に出てきた新しい方のDMF13です。


キハ601。見た目はそこそこ新し目ですが実は1936年製の戦前製ディーゼルカーです。
国鉄のキハ07形気動車を1965年に2台譲渡してもらったものです。キハ07は前面が流線型になっているのが特徴でしたが、1972年から近代化改修を行い前面を切妻型にして貫通扉を設置(後に埋めることになりましたが)しました。なので製造年の割に垢抜けた顔つきなのです。ただし側面は部品単位の交換に留まったので原型をよく残しています。車内はロングシート化されたそうな。
塗装は何度か変わったようですが、晩年はキハ58のような急行型気動車と同じ塗装をしていました。元が元だからかよく似合っています。


台車はTR26の改良型のTR29を履いています。といっても基本構造は変わらないのでやはり繊細な印象を受けます。


辺りも暗くなってきたところで今回の鹿島鉄道の保存車巡りは以上です。
鹿島鉄道の保存車は6台いると書きましたが、残りの3台は鹿島鉄道保存会という団体が一箇所に保存してあります。ただしたまに開かれる公開日以外は非公開となっており、見学のハードルが高いのが難点です。公開日も不定期ですので、見に行きたい場合は常にアンテナを張っておく必要があります。
しかし今日見た3台も粒ぞろいであり状態も極めて良好です。これらだけでも一見の価値は大いにあるでしょう。

この後は明日の用事で一緒に行動する人達と合流し、ほっとパーク鉾田で温泉に浸かった後(一日中雨に打たれていたのでよく温まった・・・)、鉾田市内の宿泊施設で一泊しました。

以上おしまい。

武器学校の公開イベントへ出向く その5【2017/4/8】

2018-09-29 22:08:11 | 旅行・イベント記
土浦駅から常磐線の下り列車に乗ります。普通電車なのでE531系。


石岡駅で降ります。
東口の自由通路を歩いていると、空き地が広がっていました。ああ、ここがかつての・・・としみじみしました。
石岡駅からは鹿島鉄道という地方私鉄が2007年まで石岡駅~鉾田駅を走っていました。非電化路線の典型的ローカル線だったようで、旅客収入が年々減少する中で航空自衛隊百里基地への燃料輸送のための貨物列車が廃止になったことがトドメとなって廃線になってしまいました。
起点の石岡駅には車両基地があって、その跡地がこの空き地なのです。線路、駅、車庫が建っていたのですが更地にされていて面影すらありません。


こっちは反対側の土浦方面を見た時。土地の境界に立てられた柵を見るにあそこらへんが鹿島鉄道と常磐線の接続線だったのかなぁとか思います。知らんけど。
こちら側には道路が舗装されています。鹿島鉄道の廃線跡の一部(旧石岡駅~旧四箇村駅)はバス専用道に転用されたBRTの「かしてつバス」になっています。なんでもこの区間の代替バスは慢性的な渋滞に悩まされて定時運行がとても出来ない状況だったといいます。


駅舎は2016年に橋上化したばかりでキレイでコンパクトに纏まっています。鹿島鉄道の線路のあった場所もガンガン再開発されてますんで、やはり面影はありません。ただし、鹿島鉄道とかしてつバスの歴史という立て看板が立っていて、今後これだけが名残ということになりそうです。


ふと常磐線ホームの方を見てみるとEF81形98号機が停まっていました。北斗星色の機体は久々に見た気がします・・・というかまだいたんですね。


かしてつバスが乗り場にやってきました。名前は鹿島鉄道を感じられますが、運行は関東鉄道のグループ会社である関鉄グリーンバスが担当しています。まあ鹿島鉄道も晩年は関鉄グループだったんですけども。
車両はいすゞエルガミオ(G048)。銀色のかしてつバスの専用塗装がされた特別仕様です。車内は普通ですけどね。大きく「か」と書かれているのが目立ちますが、ちょっと崩し過ぎな感もあり、私は最初なんの文字か分かりませんでした。「分」かな?なんで?とか思ってました。

というわけでこれに乗ります。BRTに乗るのは初めてですね。


乗客はほとんどおらず車内はガラガラなので難なく一番前の座席を確保できました。まだ時間が夕方前で人の少なめの時間帯とは言え、心配になる乗車率ですね。平日はまた違ったりするんでしょうか?

駅前のバスターミナルは一般の乗用車も乗り入れられますが、出発してすぐにBRT専用道に入ります。乗用車の誤進入を防ぐために専用道の出入り口には棒が伸びています。
そして出入り口の横に石岡一高下停留所が。停留所は鉄道時代よりも格段に増えました。


専用道をひた走ります。バス1本が走れる程度の道幅に緩やかな曲線など、鉄道をつよく感じられる道路です。


石岡南台駅停留所。旧石岡南台駅があったところで、見ての通り鉄道時代の遺構が色濃く残っている場所です。
プラットホームと跨線橋がそのまま残っています。ただしバスを乗り降りするのは地面からです。


途中、道幅の広いところで対抗のバスとすれ違い。
関鉄グリーンバスのエルガミオ(G069)です。普通の関鉄バス塗装のバスも走っています。


四箇村駅停留所を出ると専用道区間は終了。ここから先は一般道を走ります。
道路は左に曲がりますが、正面の方向を見ると鉄道の廃線跡がまだくっきりと残っています。


このバスの終点、小川駅停留所に着きました。ここは旧常陸小川駅だった場所です。
常陸小川駅はちょっとした駅だったんですが、すっかり更地にされて今はバスターミナルになっています。といってもかしてつバスの途中駅という扱いの停留所で、後は茨城空港や水戸駅へ向かうバスが分岐するくらいの場所です。


駐車場はありますが、別にパークアンドライドというわけではなさそう。勿体無いような。


ここまで乗ってきたエルガミオは石岡駅へ折り返して行きました。石岡駅~小川駅は本数が多いのです。
初めてのBRTだったわけで、乗る分には楽しい交通機関でしたが、かしてつバスは乗客が少ないのががが。そもそも収入少なくて鉄道を維持できないのでそれよりも維持費の安い交通機関をという弱気の交通機関なので、もとから人数は多くないんでしょうけども。もうちょい活気があると思ってたのです。


小川駅から少し散歩します。駅前の道路である県道355号線を南東へ歩いていきます。
途中園部川を渡りますが、そこには鹿島鉄道の橋梁がまだ残っていました。


小美玉市のマンホール蓋。市の花コスモス、市の木ケヤキ、市の鳥シラサギをすべてまとめた欲張りな一枚です。


園部川を渡ったら脇道に入ります。


ズンズンと進んでいくと・・・いましたね!

というところで今日はここまで。



武器学校の公開イベントへ出向く その4【2017/4/8】

2018-09-19 22:04:00 | 旅行・イベント記
武器学校の広報棟に来ました。
今日は公開日なので自衛隊の広報とかやってますが、一角に銃火器の展示室があります。
戦中戦前の銃器はもちろん火縄銃まで置いてあるので中々充実したところです。これまた全部見てると時間がないのでテキトーに書いてきます。


一式旋回機銃二連
帝国陸軍が採用したチェコ製の機銃2丁分をひとつにまとめたもの。旋回機銃とありますけどガトリング砲とかではなくて、銃座が旋回するということでしょうかね。
結構使えたようで、後に海軍もちゃっかり採用しています。


九二式7.7mm機関銃
いわゆるルイス機関銃というやつです。第一次世界大戦あたりのイギリスでよく使われた機関銃です。でも発明したのはアメリカ人。7.7mm機銃の割に砲身が太いんですが、これは砲身の放熱装置です。地上用の他に戦闘機の武装にも使われていました。
これは三脚の上に取り付けられてるのと放熱装置付きなので地上用ですね。


九九式20mm二号四型固定機銃
スイス エリコン社のライセンス生産品。零戦とかの20mm機銃のそれです。
二号四型は給弾方式を弾倉式からベルト式に変更したやつです。


江戸時代の火縄銃。
上から普通の火縄銃、長筒(狙撃用)、番筒(足軽用)、十匁筒(武士用)、普通の火縄銃。


明治時代に開発された6.6mm小銃。
上から三十年式歩兵銃、三八式歩兵銃、三十八年式騎兵銃。


零戦の照準器、九八式射爆照準器。
下から照準器の光を照らして斜めに傾けた反射板で反射させて正面のフィルターに照準器を投影させるのだ。椅子に座って照準を合わせてみることも出来るぞ。
でも飛行機飛ばしながら狙いを定めて敵機を撃ち落とそうとするの大変そうね。その間周囲警戒ががら空きになりそう。


ロケットランチャーだけでこんなに。


外国の機関銃。よく集めたね。


拳銃も国内外問わずたくさん。信号弾を撃つための信号拳銃というのもあるんですね。知らなかった。


この広報館の隣には雄翔館という戦時中この駐屯地にあった予科練出身者の遺品などが収蔵されている資料館があります。こちらは撮影禁止です。
帰りは屋外展示車の後ろ側を見ながら戻りました。この頃には雨も小康状態でしたので土の上でも歩きやすかったです。


駐屯地の庁舎。コンビニとかがありました。


駐車されていたハイエース スーパーロングバン。業務車4号というちゃんとした自衛隊の装備です。
ホイールが独特な形ですけど、自衛隊専用だったりするんでしょうか?

以上、武器学校の見学は終了です。
ちゃんと楽しめる内容でした。銃火器や野砲の展示はもっと詳しくなってからまた行ってみたいですね。


この後またバスに乗って土浦駅まで戻りました。昼飯を食べてちょうどよい電車が来る時間まで再びバスを見ます。
関東鉄道バスの日野ブルーリボンHT 9299TC。2017年に廃車されてしまったそうな。


関鉄パープルバスのいすゞジャーニーK 1744P。グリーンバスはなんとなく聞いたことありましたけど、パープルバスというのもあるんですね。


関東鉄道バスのいすゞエルガハイブリッド 2146TC。


JRバス関東の日野ブルーリボンシティハイブリッド L527-04507。


土浦駅を去ります。さらばじゃ。


常磐線ホームへ降ります。
なんとなく撮影したE657系特急「ときわ」65号。

というところで今日はここまで。



武器学校の公開イベントへ出向く その3【2017/4/8】

2018-09-18 20:37:29 | 旅行・イベント記
引き続き武器学校の屋外展示のAFVを見て行きます。


60式自走81mm迫撃砲
聞いたことのない装備だったんですが、車両後方に迫撃砲を装備しています。迫撃砲は後ろへ向けて撃ちますが、その時は後ろと屋根の扉を開けて撃つらしい。正面切って殴り合う装備ではないでしょうが、がら空きなんだなーと。


73式装甲車
兵員輸送用の装甲車です。乗員4名、隊員8名を乗せることができます。出入りは後方の扉から。


74式自走105mm榴弾砲
73式装甲車の足回りを流用して作った自走榴弾砲。
しかし当時の世界の自走榴弾砲は155mmが主流になりつつあったので、開発完了時点ですでに時代遅れになっていました。結局20両造られただけで調達は打ち切りになってしまいました。なんだそりゃ・・・。


60式106mm無反動砲
さっき見たやつですね。背が小さくて可愛い。


75式130mm自走多連装ロケット弾発射機
ロケット弾を30発装備している車両。これも73式装甲車の設計を流用しています。
ロケットランチャーは発射時が画になるのかよくゴジラと戦っていたようです。


96式装輪装甲車
73式装甲車の後継として開発された兵員輸送用の装甲車。乗員2名と隊員8名を輸送可能です。
73式のキャタピラと違いタイヤで走行するようになっています。舗装された道路では最高速度100km/hを出すこともできますが、逆に不整地では欠点になります。
これはまだ現役バリバリ。


99式自走155mm榴弾砲
戦車っぽいけど自走砲です。これは試作車なので量産車とは細かいところが異なっている模様。
これも現役です。


82式通信指揮車
指揮官が前線で指揮するための車両。通信機材がたくさん積んであるのだ。
これも試作車。


87式砲弾運搬車
めっちゃ厳ついやつ。地味に好きです。でも地味なのでプラモデルにはなってないはず。
203mm自走榴弾砲へ補給する弾薬と補給要員を運ぶための車両です。


90式戦車回収車
擱座した戦車を引っ張って回収するための車両。重い90式戦車回収のための車両です。


61式戦車
陸上自衛隊初の国産戦車。丸い砲塔とT字型のマズルブレーキが特徴。2000年に退役済み。


74式戦車
みんな大好き74式おじいちゃん。低い車体とつぶれた砲塔が特徴。
これの次に採用された90式戦車がほぼ北海道専用だったので本土配備の戦車は長いこと74式が主力なのでした。今後は10式戦車や16式機動戦闘車への置き換え、あとは配備車両数の削減で置き換えられること無く単に数が減るだけという感じで退役していきます。
長いこと活躍している上にかっこいいので、日本での人気は結構高いと思われ。


90式戦車
御存知90式先輩。61式や74式が、開発が終わって配備開始した頃には既に時代遅れになってたというアレなことをしていた時期とは違って高水準な戦車だそうな。
本州で運用するには体重が重いのでだいたい全部北海道に配備されてるんですが、御殿場あたりに行けば見ることができます。


屋外展示は以上。桜が綺麗に咲いているだけに天気のいい日に来たかったですね。

今日はここまで。



武器学校の公開イベントへ出向く その2【2017/4/8】

2018-09-09 20:59:07 | 旅行・イベント記
陸上自衛隊土浦駐屯地内にある武器学校の一般公開に来ています。
道路沿いの戦闘車両を見ていますが、その途中で火砲館という建物が見えてきたのでそっちに寄ってみることに。


館内には野砲がたくさん置いてあります。中々充実した内容そうです。


三八式野砲
日露戦争中にロシアの長射程野砲に泡食った帝国陸軍が慌てて開発した75mm野砲です。結局日露戦争には間に合わず1905年に配備開始されました。
後の第一次世界大戦後には野砲の高性能化が進み三八式も旧式化したため、改造して射撃操作性の向上(砲口の仰角を角度の向上)を図りました。
ここでは原型と改造後の両方を保存していて、左側が原型の三八式野砲、右側が改造三八式野砲です。


四一式山砲
帝国陸軍で2番目に多用された野砲です。山砲というのは小型軽量な野砲で、山岳地帯や不整地でも機動性があるのが特徴。代わりに射程や初速性能は犠牲になっています。


九一式10cm榴弾砲
帝国陸軍で3番目に多用された野砲です。設計製造はおフランス。性能は優秀だったそうな。


一式機動47mm砲
1940年頃に採用された対戦車砲です。「機動」と名付けられている通り、空気式タイヤを装着しているので車両牽引による高機動を実現しています。
第二次世界大戦前や大戦前期はともかく、中後期になると47mm砲は使えなくなってきます。世界的にはあんま強くない方の戦車であるアメリカのM4シャーマンの正面装甲が抜けませぬ。
欧州ではイギリスの75mm対戦車砲やおなじみドイツのアハトアハト(88mm砲)などの後継兵器導入で高性能化を図りましたが、日本はと言うとお得意の伝統芸能「後継機が開発できない」に陥ってしまい、ついに一式を終戦まで使い倒しました。
対戦車砲が使えぬため、歩兵の肉薄攻撃で代替するというアレすぎてアレなことになってました。だめだこりゃ。


鹵獲クルップ砲
日清戦争で清から鹵獲したドイツの120mm火砲。


4.5inch多連装ロケット発射装置
建物の横にも置いてあります。これは米軍からの供与品でしょうか?よく分かりませぬ。


155mm迫撃砲
試作止まりの野砲だそうで、なんだか出来損ないのような形です。


M1942 76mm野砲
たぶん日本で見るには珍しいものでしょう、ソ連製の野砲です。


L-90 35mm 2連装高射機関砲
1969年から運用開始した陸自の高射砲で、機関砲とレーダー制御の射撃管制装置を1台にまとめたもの。
今どきジェット機相手に機関砲ですかい、という感じですが中々優秀だったようです。今は退役しています。


三式中戦車
通称チヌたん。帝国陸軍が採用した戦車ですが、日本の戦車はアレなんで、まあその・・・。
アメリカのM3中戦車に対抗するために開発された一式中戦車(開発が迷走しまくって実戦投入されてない)というのがあったんですが、後に太平洋戦線に投入されたM3の後継機M4シャーマンには全く歯が立たないのでした。そこで一式中戦車の車体に75mm砲を載せられる砲塔を新しく付けたのが三式中戦車なのです。
なお採用後量産して戦力化出来たのは1945年春であり、最早三式中戦車が戦える戦場はどこにも無かったのですが・・・。結局実戦投入されないまま終戦となりました。生産数も約160台とハナクソみたいな台数でした。


武器学校の三式中戦車はレプリカではない本物で、これは世界で唯一の現存車と言われています。連合国としては特に見るべきところはない戦車でしょうから本国まで接収された車両は無いのではないかと。
砲塔が頭でっかちでそのクセ履帯が細くて弱々しい、なるほど急造兵器なのだなと思わせます。
チハたんと違って知る人ぞ知る戦車だったのですが、ガルパンで主人公チームの一員として出演したことで知名度が一気に上がりました。私もそれで知ったクチです。

というところで今日はここまで。