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北方project ~Welcome to Hokkaido. その15【2017/5/3~7】

2019-02-17 22:46:40 | 旅行・イベント記
2017年5月4日(木)14時30分
 北海道三笠市
三笠鉄道村を後にして、次は幾春別に行きましょう。三笠市立博物館に車を停めて、歩いて川を渡ります。この川は幾春別川。なんか濁っているけど、雪解けの時期はこうなるんだったかね?


川岸にはこんな感じのウェスタンリバー鉄道っぽい客車が。鉱山で使っていた人車でしょうね。


今歩いているところは三笠ジオパークというところ。というか、三笠市全体がジオパークに指定されてます。雑かな。
いまいるところは幾春別・奔別地区となっています。かつての三笠市の主要産業だった鉱山関連の史跡が残っているのです。
ちなみにさっきまでいた三笠鉄道村は幌内地区に指定されています。


今歩いている歩道には炭鉱への線路が伸びていました。ここは鉄橋が架かっていた場所で、コンクリートの橋台跡が残っています。
ひとつ上の写真を見ると、線路の築堤が残っているのも分かると思います。


山火事注意の看板。いつ立てられたやつやら。
末尾に書いてある岩見沢林務署という組織は今は無いようですね。


地層が露出したところ。幾春別層という5000万年前の地層です。でも雑草と苔だらけで素人にはよく分からず。
この幾春別層にあった石炭を産出していたのです。


そして着きました、幾春別炭鉱錦立坑櫓。1885(明治18)年開坑、1957(昭和32年)閉坑。
ただし当初は立坑の対岸に坑口を開けてそこから露天掘りしてました。次第にどんどん坑道が深くなっていったので、効率化のために1919(大正8)年に立坑が建造されました。
高さは10m、深さは215m。北海道に現存する立坑では最古のものです。


鉱山系だと前に足尾銅山に行ったことがありましたが、立坑櫓を見たのは初めてですね。
竪坑櫓は要は垂直に掘られた坑の上に建てられた、巨大な巻揚機です。算出された石炭はもちろん、鉱夫も運んでいました。

現在は当時物の鉄骨の柱と滑車が残っています。ただ、ベルトなどの小物類は外されているので、意外と竪坑櫓の動き方が分からん。


竪坑櫓の横にある鉄筋コンクリート造の建物は、巻揚機を動かすための機械室です。外壁はレンガ、内壁はモルタルですかね。


巻揚機の機械そのものは無くなっていたのでやはり動き方が分からず。
完全に廃墟。


もう1軒建物がありましたが、こっちは何の説明もなくて謎。事務所だったんですかねぇ?

これ以上はなにもないので撤収。


もどり道に小さな川が流れてたんで見てみる。
水が白濁してるし、臭いがなんかやばいし、飲んだら具合が悪くなるやつです。なるほど炭鉱なのだ、という感じ。


上流の方を見てみると坑口がありました。錦抗というのだそうな。
今見てきた立坑から伸びる横坑で、現役時にはここからトロッコの線路が延びていて、産出した石炭をここから運び出していました。
今は入口が蓋をされてるんで入れませんよ。


歩道の脇道に露出した石炭。これが黒いダイヤ。
なんでこんな浅いところで石炭が出てくるかと言うと。


地層が垂直に立っているからなのだ!とのこと。
なるほど黒い石炭層が地表から地下にまで分布しているのね、という感じ。


川岸にあった謎建物。倉庫っぽかったです。
これにてジオパークからは撤収。


次に来たのがここ。すぐ近くにある旧住友奔別炭鉱です。1900(明治33)年開坑、1971(昭和46)年閉坑した炭鉱です。
巨大な立坑櫓が目を引きます。この辺りで現存する竪坑櫓では一番大きいです。
この竪坑櫓は1960(昭和35)年に建造、櫓は高さ50m、立坑の深さは750m、内径6.4m、莫大な投資で東洋一という規模でしたが、11年で閉坑に追い込まれてしまいました。南無。

閉山後は廃墟化しつつも建物が現存しています。100年は運用できると言われてたそうなんで、造りがしっかりしてたんでしょう。ただし私有地なので通常は敷地内に入ることはできません。
しかしこの日は大型連休ということで建物に近づくことの出来る催しが行われていま・・・した。受付時間が15時までで、我々がここに着いたのが15時20分。時既にお寿司。
外から建物を見るだけで終わりました。まあ、通常だったらここまで近づくこともできないので、これだけでも収穫です。


もう1棟別の建物があります。あれは、石炭を積載するためのホッパー施設だったと思います。


最後にもう1箇所、旧幌内炭鉱立坑櫓です。高さ40m、深さ1,070mあります。今までで一番深いですな・・・。
ここも私有地なので遠くから眺めるだけです。


ちなみに櫓の手前にはSLの動輪が置いてありました。ボックス動輪で直径もそこそこなので、D51系統の動輪でしょうかね?知らんけど。

では次回から今日の宿泊地旭川市へと向かいますが、道中寄り道しながら行きます。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その14【2017/5/3~7】

2019-02-07 23:46:04 | 旅行・イベント記
2017年5月4日(木)13時43分
 北海道三笠市 クロフォード公園
三笠鉄道記念館から移動してクロフォード公園に来ました。記念館から車で数分。旧幌内線の廃線跡沿いを歩いていくこともできます。
クロフォード公園と名前だけは普通の公園っぽいですが、三笠鉄道村の施設のひとつできちんとした鉄道博物館です。クロフォードというのは、幌内鉄道建設に携わった鉄道技師のジョセフ・U・クロフォードから。

この建物は旧三笠駅の旧名の旧幌内太駅時代の駅舎を再現したもの。移築じゃなくて新築だそうだ。


室内は売店になってました。昔の土産屋という感じでグッド。


これがクロフォードさん。氏はアメリカ人です。なるほど北海道の鉄道はアメリカ系の技術が投入されたのだなと分かる人物です。


駅舎を抜けるとプラットホームに出て、そこにも保存車両が展示されています。
このホームと跨線橋は当時から残るものだそうな。


跨線橋から線路を眺めるおなじみの構図。普通に駅ですね。北海道やはり土地が広いのか、土地の使い方がアメリカっぽい。


跨線橋は1901(明治34)年築ですが、改築を重ねているので当時そのままというわけではないですね。


ホームにはDD51形548号機の貨物列車がいます。非常に実感的。


貨車2両と車掌車1両が連結されています。
これはホキ2200形ホキ2341。小麦やとうもろこしなどの穀物を運ぶためのグレインホッパーです。


ホキ700形ホキ746。
線路のバラスト散布用のホッパ車で、事実上事業用車輌です。これの改良型がホキ800形で、一部のJRや私鉄で今も現役を続けています。


車掌車のヨ8000形ヨ8006。
短距離乗務だったからこの広さで済んでたのかも分かりませんが、北米のカブースと比べると日本の車掌車は居住性が悪いねぇ、と。

そしてホームより先にいるアイツです。


いた!ようやくその姿を拝むことができた!

クロフォード公園の目玉は、6両編成で保存されているキハ82系気動車。編成単位で静態保存されている鉄道車両は日本ではそうそう見当たらず、極めて貴重な例です。EMU/DMU方式の列車が極めて普及している日本だからこそこの方式には大きい意義があると思うんですが、ほとんどは先頭車1両だけの保存例です。まあ土地の問題とか文化的事情とか、チーム事情もありましょう。


このキハ82系には特別な思い入れがあります。7年前の2010年に訪れた際は再塗装中のため車体の周りに足場が組まれてしまい、何も見られなかったのです。北海道まで来てこんなことありますか...と当時はえらくショックでした。
以来ここの再履修の機会を伺っていましたが、今まで中々そういう機会も無く・・・。そうしているうちに月日ばかり経ってしまい、そして2017年ついに再履修を果たしたのです!
今回の三笠鉄道村での最大の目的はこのキハ82系なのでした。7年越しのこの光景は感激しますね。


しかし7年というのは時間がかかりすぎた・・・。さすがに塗装がくたびれてサビが垂れていました。近い内にまた再塗装をするかもしれませぬ。


中間車のキハ80-100。中間車が保存されるってことがもうすごいぞ。


ここに保存されている6両編成、ただの6両ではなくて食堂車キシ80-27とグリーン車キロ80-52も保存されている点も特筆されます。
本当素晴らしいことをしたと思います。


グリーン車。
その先は中間車と先頭車です。編成はキハ82+キハ80+キシ80+キロ80+キハ80+キハ82という具合です。


車両が置かれているところも、旧幌内線の本線のような具合に線路が敷かれています。カーブを描いているのが良く、まるで本線を走る編成写真のようなものが撮影できます。


三笠鉄道記念館とクロフォード公園、どちらも極上の保存車両が揃っているので、一見の価値はありますぜ。

三笠鉄道村からはこれにて撤退。次の場所へ向かいます。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その13【2017/5/3~7】

2019-02-06 22:00:27 | 旅行・イベント記
三笠鉄道記念館の目玉となるのが、蒸気機関車の動態保存とそれの遊覧運行です。
記念館の敷地となった旧幌内駅構内から旧幌内線の本線の一部までの約400mを往復します。
これも前回来た時は平日だったのでSLは車庫で休んでいて乗れずじまい見れずじまいでした。再履修科目の内の第2目標です(第1目標は次回)


蒸気機関車はS-304という機体。日本車輌製の0-6-0T配置の機関車です。室蘭市の鐵原コークスの専用線で入換に使われていた産業用蒸気機関車です。産業用機関車とはなかなかマニアックなものを持っています。
国鉄から蒸気機関車が完全に消え去った後も働いていた、日本で最後まで現役をやっていた蒸気機関車です。


産業用蒸気機関車なのですが、だいぶ垢抜けた姿をしています。1939年製ということですが、その頃だとC12形が量産されている時期なので、そこら辺の設計が取り込まれてるんだと思います。なんとなくC11やC12に似てますし。


社紋、ナンバープレート、性能諸元。


水槽にデカデカと書かれたテツゲンの文字。社名を大きく書くのは日本では珍しいですね。アメリカやイギリスだとよく見るんですけどね。


うーむ、そそりますね。


乗車料金を支払っていざ乗車。
乗客が乗るのは、無蓋車を改造したトロッコ客車。ロングシートのベンチがあるだけです。
乗り心地なんて知らぬ存ぜぬの貨車ですから、線路からの揺れや振動が直に伝わってくるのが新鮮です。貨車の車輪は2軸なので、二軸客車の乗り心地はこんな感じなのかなぁと想像しながら乗ってきました。


乗車したあとは、他の静態保存車を見聞しながら、SLの走る時刻を見計らって今度は撮影に興じます。
最大で20~30km/hは出してるんじゃないかという速度なので、意外に迫力があります。
貨車を牽いているので様になっていますね~。


やはり見物客が多いし子供に大人気。


一本の線路を往復するだけなので、復路は推進運転で乗り場まで戻ってきます。煙の流れに注目。


今度は反対側からローアングルで。


ス ク ー コ は 房 暖
S-304名物の謳い文句。逆から書かれているのがミソ。
産業用蒸気機関車特有の前輪も従輪もないややアンバランスな外観がよきかな。牽引力を上げるために軸重を下げる前輪と従輪は持っていないのですね。


これを見終えたところで次のクロフォード公園に移動します。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その12【2017/5/3~7】

2019-02-05 23:49:08 | 旅行・イベント記
三笠鉄道記念館の続きです。
記念館の本館にも機関車が4機保存されています。ここ、毎日見られるわけでは無いようで、前回2010年に来た時は閉まっていて見れませんでした。ここの機関車も再履修科目だったのです。


DD13形353号機
日本のディーゼル機関車初期の中型入換用機関車です。ここに来れば、DD13、DD51、DE10、DD16と、国鉄の基本的なディーゼル機関車を一度に見ることが出来るので、なかなかこういうところは無いぞと。


運転室の中にも入れます。
運転台が前後ではなく左右についている、つまり枕木方向ではなくてレール方向に平行にあるのが特徴。前進と後進を頻繁に繰り返す入換用機関車なので、前後の運転台を行き来しなくてもいいようにこういう配置になっているのです。


ED76形505号機
函館本線電化時に投入された旅客用電気機関車。


これも運転室に入れます。
注目は車両中央にある機械室で、機械類が残されたまま保存されています。往々にして機械類は外されることもあるので、貴重な例でしょう。


ED76の運転台はこんな感じ。


9600形59609号機
8620形と並んで、外国機のコピー国産から脱却した初めての純国産蒸気機関車です。大正時代に設計された古典SLなんですが、妙に垢抜けた姿なんでそんなに古ぼけて見えないです。
9600とかいう半端な数字を付けておきながら800機弱も造ったもんで機番がしっちゃかめっちゃかしてしまった機関車。それでも8620形に比べるとまだましな方。ちなみにこれは510機目の機体です。


C12形2号機
ローカル線用のタンク式蒸気機関車です。1号機は現存しないのでこの2号機が一番若番号ということになります。


園内の保存車は一通り回ったんですが、そういえば炭鉱用の細長い電気機関車がいない・・・と思ってあたりを歩いていると、道路の反対側の駐車場の奥にいました。いつの間にかこちらへ移動されてきたようです。


キシ80形食堂車の横に連結されていたスハ42系もこっちに移動していました。キシ80で調理した料理をここで食べていたんでしょうけど、どういうわけか切り離されてしまいましたね。


キシ80を挟んで反対側に連結されていたスハ42系。キシ80と同じ一般気動車色に塗られてます。隣のスハ42とは塗り分けが違うのだ。


キロ26形キロ26-104
キハ56系のグリーン車。急行形気動車なのに以前は国鉄特急色に塗られていましたが、再塗装時に正しい色に直されたんですね。


鉱山用電気機関車。トロッコも一緒に連結されています。


とにかく幅が細いのがかわいい。
太平洋炭礦で使われていたそうな。


これはなんでしょうねぇ。蓄電池機関車っぽいです。火気厳禁な区画もある鉱山の坑内線路ではこういう蓄電池が最適な動力源でした。
後ろに連結されているのは鉱夫を運ぶための簡易的な客車でしょう。

今日はここまで。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その11【2017/5/3~7】

2019-01-30 22:49:36 | 旅行・イベント記
2017年5月4日(木)11時42分
 北海道三笠市幌内町 三笠鉄道記念館
711系を見た後は、ほど近くにある三笠市の三笠鉄道記念館という鉄道博物館に来ました。ここに来るのは2010年以来2度目です。前回来た時の雪辱をようやく晴らすことができるのか・・・?
昨日見た小樽市総合博物館に匹敵する、道内どころか全国でも屈指の規模を持つ鉄道博物館です。北海道最初の鉄道、幌内線の廃線に伴い開館しました。道内で活躍した鉄道車両をこらしょと収蔵していて、一見の価値あり。

幌内線は、元を辿ると幌内鉄道を国有化したものです。幌内鉄道は幌内~小樽(手宮)までを繋いでいました。昨日訪れた小樽市総合博物館が旧手宮駅の土地を活用した博物館でしたので、ちょうど幌内鉄道の起点と終点を渡ってきたことになります。なんだかステキですね~。

鉄道駅では岩見沢駅が最寄りですが、駅から離れた位置にあるので自動車で来るのが楽。でも路線バスでも来るのはそう難しいことではないです。前回もバスで行ったので。
ここも蒸気機関車の動態保存を行っていて、今日はそれの運転日です。今日は蒸気機関車目当てに来ました。前回来たときは平日だったので蒸気機関車は休みでしたからね。


手早く順番に見ていきましょう。収蔵車両のほとんどは屋外展示されています。展示場は旧幌内線の旧幌内駅の跡地を活用したものです。ただしあまり幌内駅の名残はないです。


ワム60000形ワム66172
15t積みの2軸有蓋車です。車扱いの急行列車によく使われていたとかで。
前回来たときは再塗装の最中で足場を組まれていたので、ようやく見られたという感じ。
そう前回の雪辱とは、整備中のため満足に見ることの出来なかった車両たちの7年越しの再履修なのです。


セキ6000形セキ6657
小樽でも見た石炭を積むホッパ車。


DE10形1072号機
未だに全国で見ることのできる汎用ディーゼル機関車。1000番台は0番台のエンジン強化版です。蒸気暖房発生装置を積んでいるので旅客列車にも使われていた・・・ハズ。


キシ80形キシ80-31
これは珍しいもので、キハ80系の食堂車です。小樽でも見たじゃん、って思うでしょうけど、食堂車自体の現存数が極めて少ないので貴重なわけです。
キシ80-31は博物館の食堂として使われていて、まさに食堂車の面目躍如といったところ。車内で食事を摂ったわけではないので、中がどの様になっているのかは未確認。
前回は白と緑に塗られていて塗り分けも独特なものでしたが、いつの間にか塗り分けは変わらないものの色が国鉄っぽくなりました。気動車特急色ではなくて一般型気動車の色味ではありますが。この塗り分けも、国鉄末期~JR初期に流行った斜めストライプ塗装に近いものを感じるので、意外と馴染んでいる感があります。
車両の位置というかキシ80の前後に連結されていた客車がどこかに行きましたね。


DD15形17号機
小樽でも見たDD13形を原型にしたラッセル式除雪機関車。
ラッセルヘッドには車輪がなく、機関車に完全に取り付けている状態です。これが祟って着脱には結構手間がかかったんだそうです。なので夏場は普通の入換用機関車として使えるのがウリのはずだったのに、着脱が面倒なんで雪が降らなくなったら車庫で遊ばせてたなんて話もあったかと思います。


DD14形1号機
ロータリー式の除雪機関車。見た目が全く違うのですがこうみえてDD13形(DD15形)を原型に開発した機関車です。ここには1号機が保存されているのですね。


アメロコスタイルな見た目。車体の下部にはロータリーヘッドを回すためのドライブシャフトがあるので、それを避けるようにエンジンと運転室を上に上げる必要があったのです。
運転室を前方に寄せたのは、除雪作業時の視界を確保するため。何度も言ってますけど、こっちが前側です。正直カッコ悪いからそうは見えないけど。
前回来た時は完全に足場が組まれてたんであんま見られませんでした。で、この時は後ろ側を前側と思って写真を撮ってました。この時がDD14の存在を知った最初の瞬間だったのですが、いくら視界が悪そうだとは思いつつもボンネットのほうが前という先入観がありましたね。あの時は若かったのさ、フフフ・・・。


ソ80形ソ81
扱重65tの操重車。1956年製で、こちらははじめからディーゼルエンジンを動力とします。手前に連結されているのは、クレーンブームを収納しておくための控車チキ6147。
ソ80の現存車はここの他に静岡県の佐久間レールパークにもあったんですが、同園の閉鎖に伴い解体されてしまったので、ソ81が唯一の現存車になっています。


キハ22形キハ22-52
北海道専用の寒冷地用気動車。小樽のはクリームとオレンジのツートンカラーでしたけど、三笠のはたらこ色に塗られています。


キハ56形キハ56-16
急行形気動車キハ58系の北海道型。といっても外観はあまり変わっていませぬ。
気動車の運転席窓の下には通行票のタブレットを受け取るための展開式の棒が付いています。


キハ27形キハ27-23
キハ56とよくペアを組むやつ。キハ56は2エンジン車ですがキハ27はエンジン1基だけ積んでいます。


スユニ50形スユニ50-505
50系客車の郵便荷物合造車。


スハフ44形スハフ44-12
スハ42系門下生の一人。動態保存でおなじみの旧型客車。12番ってのはずいぶん若い番号ね。


オハフ33形オハフ33-451
オハ35系門下生の一人。これも動態保存でおなじみの旧型客車。車端部の扉部分の車体に絞りがないので戦後製造分ですね。
この2台は撮影が苦しい。


DD51形610号機
幹線用のディーゼル機関車。一部地域でまだ現役。


DD51とキハ22。


DD16形15号機
軸重制限の厳しいローカル線でも走れるように小型化したディーゼル機関車。DD51やDE10と同じスタイルながらさらに小さいのでかわいいです。
この15号機は、煙突周りにある手すりが前から謎に思ってるんですけど、なんなんでしょう?


スエ32形スエ32-1
DD16の後ろには救援車が連結されています。小樽でもそうでしたが、救援車が残っているのも大変貴重なのですよ。救援車という車種もそうですが、救援車の種車になったのは、オハ35系やスハ42系等の旧型客車よりもさらに一世代前の車両の場合が多いので、車両的にも資料的価値があるのです。

スエ32は、オハ35系のひとつ前の客車であるスハ32系の荷物車マユニ31から改造された救援車です。おそらく外観はほとんど改造されてないんじゃないかなと思います。
荷物車ながら窓配置は座席車と同じだったようで、スハ32系で最後になった小型窓がよく分かります(オハ35系から窓が大型化された)
スハ32系の現存車はなかなか希少です。有名なところではJR東日本が動態保存で1台保有していますね。


スエ30形スエ30-41
オハ31系の荷物3等合造車のオハニ30から改造された救援車です。これも扉配置は種車時代から変わってないと思われ。客室部分はそのままなのか改造して資材置き場にしたのかはちょっと外からじゃわからないですね。見た感じ物置になってますが、あのブルーシートは冬季に車両に被せるやつですかね?

オハ31系も貴重な客車です。スハ32系よりも一世代前の客車ですし。
オハ31系よりも前に製造されていた木造客車ナハ22000系の車体を鋼体化したような客車です。車体を鋼体化しただけの客車みたいなものなので、二重屋根、妻面のアンチクライマー、魚腹式台枠など、当時の木造客車の構造を引き継いでいて、オハ31系の特徴にもなっています。
あとは、鉄道模型のKATOが初めてNゲージを生産した時の車種がオハ31系だったので、そういう意味でも知られた客車です。

というところで今日はここまで。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その10【2017/5/3~7】

2019-01-29 19:50:30 | 旅行・イベント記
2017年5月4日(木)8時47分
 北海道札幌市中央区 西18丁目駅
北方projectも2日目のスタートです。一晩過ごしたホテルの最寄駅の西18丁目駅から札幌市営地下鉄東西線に乗ります。


JR札幌駅に着きました。でかい駅だよなぁ。
ここから駅前にあるレンタカー屋に行って車を借ります。写真は撮り忘れましたが日産のノートeパワーでした。エンジンで発電した電気でモーターを回して走る電気式ディーゼルカーみたいなやつです。(ノートはガソリンエンジンですが)
今回は結構な距離を走ったんですが、途中の給油は無しで走りきったので燃費はたいしたものなのかもしれません。eペダルはずっと踏み続けていないとたちまち減速してしまうのでちょっといらないかな・・・と思いましたけど(足をペダルから離して足首を解せないのが特に高速道路を巡航中ではアレ)


2017年5月4日(木)10時50分
 北海道岩見沢市栗沢町 大地のテラス
車を走らせて1時間半ほどで岩見沢市の大地のテラスに着きました。地のものを使ったレストランです。シュラスコが名物なんだとか。開店前ですがすでに行列できてます。美味いんだろうね。


ベンツのリムジンがいました。送迎で使うんでしょうねぇ。


でまあ、我々の目的はアレです。


JR北海道711系電車。函館本線の電化に合わせて登場した電車です。
2015年に引退しましたが、その前から保存の機運が高まっていて、同年8月から大地のテラスで公開されました。
保存に際してはクラウドファンディングを利用して車両の移送費用が集められました。確かこの711系がクラウドファンディングを使った鉄道車両保存のはしりだったと思います。以降も同様の手法で移送費や修繕費を集める例が増えていて、711系のこれは鉄道車両保存の転換点のひとつと言えるかもしれません。
私も以前にこれで札幌から旭川まで乗ったことがありますから、その時を思い出して懐かしくなります。保存されてよかったなと思います。


ここの711系の展示の特徴として、雪の降る冬季でもブルーシートを掛けないことが挙げられます。レストランで食事しながら電車を電車が見られる、というのがウリのひとつでしょうから、通年電車が見られることは大事なのでしょう。
ただし、その分車体の傷みの進行が早いらしく、塗装が剥がれたり補修の跡も目立ちました。所有者もその点は認識しておられるようなので、ほったらかしにされることは無いと思います。


車内にも入れます。あ~、こういう感じだったなあといろいろ思い出してきます。状態は極めて良いです。
今までの保存車両というと、自分が電車に乗るようになる前に引退してるような車がほとんどでしたので、711系のように現役時代に乗ったことのある電車が保存されるというのはこれが初めてなくらいです。
年配の人が保存車に乗って懐かしむ気分がようやく分かってきたような気がしました。


北海道型の車両といえば二重窓ですね。今の電車は普通の固定窓になっているので、この二重窓をギリギリ体験できました。
車窓も函館本線のそれっぽい感じですので、いいですね。


運転台。こっちはあんまりよく見てなかったのでそれほどでも。


711系は2台保存されていて、クハ711-103とクハ711-203。3両編成の中間のモハは無いです。電車なのにモハがないのか・・・と思うのはいつものことですが、やっぱりまあ顔のある方がいいってことですよね。自分でもそうすると思います。
このクハ711-103の車内ではグッズ販売をしてました。募金がてらDVDを買いました。気に入った保存車があって募金できる手段があるならしといたほうがいいですね~。


短い時間でしたが懐かしみに浸れる電車でした。今後も末永い保存を願います。

今日はここまで。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その9【2017/5/3~7】

2019-01-12 20:27:29 | 旅行・イベント記
小樽市総合博物館から撤退しました。帰りは歩いて小樽駅まで戻ることに。
途中、近代建築物を眺めながら歩きます。


謎車。ヨーロッパっぽいなと思ったんですが、バンデン・プラス プリンセス1300なんだそうな。
体格は小さいですが高級車の部類に入る車でした。


小樽運河にある謎の建物。ちょっと魅力。
倉庫か工場でしょうかね?


人の気配がないですが、廃墟になってしまったんでしょうか?


滑り台もありますぜ。


このあと駅の向こう側まで歩いてお土産屋を物色したら、駅前まで戻って、近くにある焼肉屋でジンギスカンを食べました。


たまたま見つけた店でしたが、美味でした。
少し癖のある肉でしたが、ラム肉を食べている感じがするんで癖のある方が良いですね。


小樽駅へ戻ってきました。もう真っ暗よ。


小樽駅で少し撮影。函館本線の小樽以西で使われるキハ150形とキハ40形1700番台。小樽~長万部も1回乗っただけですね。小樽~倶知安あたりまでは列車本数もそこそこあるんでまた乗ってみたいものです。


キハ201系とキハ150形。


733系の普通電車で小樽を後にしました。
この日は札幌市内の小さなホテルの4人どうにか寝られるような大部屋で一泊しました。

次回から2日目に入ります。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その8【2017/5/3~7】

2019-01-11 21:46:06 | 旅行・イベント記
2017年5月3日(水)15時0分
 北海道小樽市 小樽市総合博物館
時間は少し遡って屋外展示を見学し始めて少し経った頃。アイアンホース号が動いているのが見えたので、少しの間これの見学に専念することにします。

前回でも少し触れましたが、アイアンホース号は小樽市総合博物館で動態保存されている蒸気機関車です。1909年にHKポーターで製造された2-6-0車輪配置の小型機です。特徴的なのは軌間で、914mmという日本ではほとんど例のないゲージです。というのもこの機関車、もともと日本にゆかりのある機体ではなく、小樽市総合博物館の前身の北海道鉄道記念館開館に合わせてアメリカから購入した異色の経歴の持ち主。しづか号と製造工場も車輪配置もパッと見の大きさもおおよそ同じ(アイアンホースの方がやや小さい)なのが選ばれた決め手になったんだろうと思います。

アメリカのどこから来たのかはよく分かりませんが、保存鉄道かテーマパークあたりらしいです。あとは製造番号4515は分かっているのでこれから製造後の納品先くらいまでは辿ることができるかもしれません。
914mmゲージ・・・つまり3ftゲージはアメリカでは森林鉄道や工場専用線みたいな簡易的な鉄道で使われていた軌間です。しかしそんな路線は生まれては消えていったり機関車も転職を繰り返したりで、簡単に経歴を追えるもんじゃないです。


ちょうど列車が中央駅へ入ってくるところに遭遇したので、静態保存車の見学を中断してアイアンホースの撮影に切り替えます。
まずは無難に編成写真を撮ります。


側面。典型的なアメロコという外観でして、実に素晴らしい。こう見えてもテンダー機なのだ。
ボイラーを緑色に塗っているのはアメロコでは意外に見えますが、20世紀初頭あたりまではカラフルに塗られている例は結構ありました。これもその時代を想定しての塗装だと思います。あとはテンダーにライニングがされてればもう文句なしのかっこよさになります。
まだ蒸気機関車が高価で珍しい時代だった頃の話で、その頃は機関車1機ずつに愛称をつけるくらいには丁重な扱いを受けていました。次第に機関車の数が増えてくるといちいち名前をつけている余裕も無くなり、管理するにも不便なので数字だけ付けられるようになってしまいました。
なおアイアンホースの番号、3号機の由来が説明されているところは見当たらず、由来が分からず。アメリカ時代の番号だったのかなぁ?


客車は多分博物館が独自に製作したものだと思います。緑色の密閉型客車1両と赤色の開放型客車2両が連結されています。
台車は小型アーチバー台車を履いています。3ftゲージの特殊性から、台車は機関車と一緒にアメリカから輸入されたものかもしれません。


数百mの路線ですが、ちゃんと機関車の方向転換をします。まあカウキャッチャーが付いているんで向きを変えないと連結できないですしね。
この転車台は手宮線で使われていたものなんだそうな。


方向転換を終え、機回し線に入ります。


機回しを終えて客車と連結。
ナローゲージの保存鉄道の雰囲気が存分に充満していて素晴らしい。


手宮駅行きの列車を撮影。地面から撮影してみることに。
客車はご覧のように盛況でございます。


手宮駅での機回しの様子を縦面で撮影。
機関士と機関車の大きさを比べてみると、機関車の小ささが分かると思います。


走行中のところをもう一度撮影。アウトカーブからの撮影です。柵がアレですがまあ仕方ないです。


桜の花が咲いていたので入れてみましたが、まあそうね・・・。


最後に引きで撮影。
これでアイアンホースの見学はおしまい。今回乗らなかったんで、次回は1回乗っておきたいところ。

そしたら中断していた車両見学を再開しました。


車両見学をすべて終える頃にはもうぐったりです。
本館2階の展示を軽く見学して、最後に2階からしづか号を撮影して締めました。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その7【2017/5/3~7】

2019-01-09 22:36:56 | 旅行・イベント記
小樽市総合博物館の続きです。まだ見る車両があるんですよ。


レンガ積みの扇形機関庫。これも相応に古い建物だったはず。


博物館のアイドル、アイアンホース号。動態保存されている蒸気機関車で、館内の線路を往復してます。今日はもう一日の運行を終えて入庫しています。
アイアンホースについては次回にて詳しく。


キ600形キ601ロータリー式除雪車
前方に付いた巨大な回転翼で雪を吹き飛ばすタイプの除雪車です。キ601はアメリカのアルコ社で1923年に作ったものを輸入したアメ車なのです。
全部で十数台造られましたが、アルコから輸入したのは最初の2台だけで、残りは構造を丸パクリして国内製造にしました。アルコもよくブチキレなかったな。

雪を吹き飛ばすような巨大な動力は蒸気機関により生み出されます。なのでこの車両には蒸気機関のボイラーがまるっと乗っかっています。この写真は後ろ側ですが、ボイラーの火室やら燃料投入口なんかが分かると思います。屋根が見られれば煙突があるのも分かるそうな。さらに本来は水と燃料を入れておく炭水車も連結されます。
ただし動力は全て回転翼を動かすのに振っているので自走は出来ませぬ。後ろから機関車に押されながら走ります。


キ800形キ800マックレー式除雪車
線路の左右に溜まった雪を崩すための除雪車。写真の向きから見た場合(これは後ろ側から見た向き)、V字形に雪かきする羽が展開して、雪を線路に掻き込みます。線路上に寄せられた雪は後ろを走るキ600みたいなロータリー式除雪車によって遠くへ飛ばされ除雪完了となるのです。
これも無動力なので前に連結した機関車に引っ張ってもらいます。このマックレーとロータリーを組み合わせた除雪方法をキマロキ編成と呼んどりました。車両の連結順になっていて、キは機関車、マはマックレー、ロはロータリーですね。名寄に行けばこの形態で保存展示されている車両を見ることが出来ます。一度行ってみたい。

ロータリー式と次に出てくるジョルダン式はアメリカ製のをコピーして国内製造したんですが、マックレー式はカナダの技術を参考にしつつも独自開発したやつです。というか北米にはマックレー式って無いらしいですね。


キ700形キ718,キ752ジョルダン式除雪車
操車場や駅の留置線など線路が何本も敷いてあるようなところを除雪するための車両です。幅広の羽を持つので何本もの線路を一度に除雪できるのだ。
ちなみにこの窓の付いている方が前側です。羽の付いてるほうが後ろ側。右と左で先頭の顔つきが違いますが、左のキ752は仕様変更が加えられた改良型の750番台なんだそうな。
なおこれもまずアメリカ製を輸入してそれをコピーして国内生産したもの。


こっちがキ718。細っい!


ト形30号/7150号
30号は北海道炭礦鉄道時代の、7150号は国有化後の名前です。さらに大勝号の和名もあります。お好きな方でどうぞ。
これまで輸入に頼っていた日本の蒸気機関車において、2番目に国内製造された蒸気機関車です。第1号は神戸で造られた860らしい。


狭いところに置かれているんで全景を撮るのは無理。
国内製造した蒸気機関車ですが、これも輸入機のコピーです。さっき見たしづか号こと7100形を参考にしています。


煙突とか細かいところは違いますが、基本的には7100形の同様です。


キャブ内もそっくりです。


キハ03形キハ03-1
1956年製のレールバスこと小型気動車です。キハ01形の派生型で、耐寒耐雪構造を施した北海道専用車。ちなみに製造は当時まだ駆け出しの東急車輛。
全長10mちょっとの車体で、エンジンはバス用のディーゼルエンジンを転用、他にも各所にバス用部品を流用しています。80年代に富士重工が開発したレールバスLE-Carよりもだいぶ早く開発されていたのです。

ローカル線輸送の収益改善の切り札として投入されましたが、小型すぎて汎用性に欠けることが露呈。通勤ラッシュ時には収容力が足りなくなるし、複数台連結時の総括制御運転は出来ないし、トイレもない、座席も狭い...等々。
おまけに耐用年数も低かったので、寿命が来た段階でソッコーで廃車になってしまい、10年ちょっとの短命に終わりました。


キ550形キ1567ラッセル式除雪車
除雪車の中でも一般的な種類です。正面に雪かきする排雪板を付けて線路上の雪をどかすのだ。
キ550は複線用のラッセル車で、隣の線路に雪が溜まらないように排雪板が片側の向きにだけ取り付けられているのです。


キ100形キ270
こっちはよく見る単線用のラッセル車です。排雪板が楔形になっているのです。


DD14形323号機
ほぼ除雪専用のディーゼル機関車。アメロコみたいな外観がステキ。
ロータリー式のヘッドを装着できて、蒸気機関車時代にキマロキ編成を用いて除雪していたのがこれ1機で済むようになったのです。
雪が降らない季節は用無しになってしまうんですが、そうならないように雪かきのヘッドは外して入換機程度には使えるようになっています。


通称ザリガニの愛称で知られるロータリーヘッド。雪の巻き込みと遠方投射を同時に行えるのだ。


機関車とロータリーヘッドの連結部。
灰色の棒状のものが羽に動力を伝えるプロペラシャフトです。たぶん。


後ろ側。たまにこっち側の写真をバーンと載せていることがありますが、蒸気機関車の炭水車を正面だと思って撮っているようなもので。
まあボンネットがドカンとあるこっちの方が迫力あるんで分からんでもないですが。


DD15形37号機
DD13を除雪用機関車に再設計したやつです。ラッセル式の雪かきを取り付けられるようになっています。従来の専用の除雪車を使うよりも方向転換や機回しが不要になるので効率的に運用できるのがウリでした。


機関車本体はDD13とほとんど同じです。

今日はここまで。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その6【2017/5/3~7】

2018-12-16 21:50:30 | 旅行・イベント記
C55形55号機
C51形の後継機として開発されたC54形が設計がアレで空転大魔王だったためたったの17機しか生産されなかったことを反省して、まともな設計で1935年に開発されたのがC55形です。こちらは62機とそこそこの数が生産されました。
C51とC57の間に挟まれて地味になっているかんじですが、当時流行してた流線型の機体がいたのがこのC55です。残念ながら流線型の現存機はないです。なおこの50号機は間違って解体してしまった流線型の30号機の代理として急遽保存されたものなんだそうな。


スハフ44形スハフ44-1
旧型客車スハ43系一門の門下生の一人。スハフ44は内地用のスハフ42の北海道版なのだ。外観はスハフ42と同じだけども、窓が二重化されてたり暖房機能が強化されてたり寒冷地仕様にされているのです。


車内も二重窓以外は内地向けと同じ仕様。大井川鐵道でよく乗るやつですわ。


マニ30形マニ30-2012
個人的にはこの博物館の隠れた目玉車両と思ってます。
マニ30形にはオハ35系列の車体を持つ1948年生まれの初代(2001-2006)と初代の置き換え用に50系の車体を持つ1978年生まれの2代目(2007-2012)の2種類があります。これは2代目となります。

外観は50系の荷物車っぽいですが、これは世を忍ぶ仮の姿で真の正体は現金輸送専用車なのです。運んでいる荷物が荷物ですので外観は普通の荷物車っぽくして周囲に気取られないようにしているのです。運用も徹底的に秘匿されて鉄道雑誌にも取り上げられることは無かったとかで。
運んでいる荷物が荷物ですので、荷物車の車掌の他にガチの警備員が便乗して現金の警護にあたっていました。車掌の乗る乗務員室と現金と警備員のいる荷物室は完全に分断されていて、さらに荷物室側の妻面には貫通路も無く、ガチガチの警備だったことが伺えます。片側の貫通路が無いのがマニ30の特徴なのだ。

マニ30の現存車はこれだけ。旧客スタイルの初代も全滅してます。時々中にも入れるようなので、ぜひとも。


別の線路へ転線。今度は気動車の線路へ。
キハ56系3両編成、キハ22形等々・・・。


キハ56形キハ56-23
全盛期は全国を走り回っていた急行型気動車キハ58系一族のひとつ。キハ56系はそれの北海道型ですね。キハ56形はキハ58形相当の2エンジン搭載車です。
その活躍ぶりとは裏腹に保存車の少ないキハ58系ですが、北海道は保存車天国で、北海道の保存車だけで内地の保存車に匹敵する数があります。しかも先頭車以外の車種も充実。


車内は普通のキハ58系と変わらず。窓は北海道型おなじみの二重窓になってます。


キロ26形キロ26-107
キハ56系のグリーン車です。キハ58系のグリーン車は北海道にしか残っておりませぬ。
あと地味に冷房車です。


車内は赤いモケットの回転式クロスシートが並んどります。たぶん簡易リクライニングシート(通称ばったんこシート)だったと思いますが、座らなかったんでよく知らず。
この時期のグリーン車自体、現存車が少ないので、座席もそれなりに貴重でごわす。


キハ27形キハ27-11
キハ27形はキハ28形相当の1エンジン搭載車。
ちなみにサボ受けには急行ちとせ(札幌~室蘭)のサボが入っています。レプリカでしょうけど、年季が入ってぼろぼろなので妙に本物っぽく見えます。


キハユニ25形キハユニ25-1
キハ56系の前にもう1両連結されていました。
キハ20系の寒冷地型キハ21形を原型にした合造車で、運転室側から順番に荷物室、郵便室、客室の3部屋が1台に詰め込まれた気動車です。


キハユニ25の客室。キハ20系は普通列車用の気動車なのでキハユニ25の客室もそれに準じた内装になっているんですが、キハ56系の急行列車に増結されていた時は客室はどういう扱いになってたのでしょうか。自由席として使われていた可能性もありますが、それだととんだ遜色急行だことで。


ED75形500番台ED75-501
ED75形500番台は函館本線の電化に際して試作された電気機関車。501号機の1機だけ試作に造られただけで、量産はさっき見たED76形500番台に移行しました。ED76と違ってED75は他の番台とほぼ同じ形状です。
車体はちょうど修復中なのかパテ盛りされてました。北海道の過酷な環境ですが、ちゃんと維持してもらっていることはありがたいことです。


キハ22形キハ22-56
キハ20系の北海道型です。元々寒冷地型のキハ21が用意されていたんですが、北海道の過酷な寒さには耐えられなかったことから新しく開発された北海道専用車です。
おなじみの二重窓と乗降扉が車端部に寄せられてデッキが設けられたことが外観上の特徴です。急行用車両に近い内装になったので遜色急行に使われたこともあるとかで。


キシ80形キシ80-12
キハ22に連結されている2台目のキシ80形。食堂車ですね。よく2台も持ってるなと。


C12形C12-6
1932年から製造された簡易な地方路線用の小型蒸気機関車。かねてより小型のタンク式蒸気機関車はC10、C11が量産されてましたが、これらよりもさらに小型軽量化したものです。


キャブ内もちゃんと保存されています。

今回はここまで。