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黒鉄重工

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京都鉄道博物館を見て回る その3【2017/8/16】

2019-10-13 21:53:41 | 旅行・イベント記
京都鉄道博物館の本館に入りました。入ってまず出迎えてくれるのは500系、583系、489系です。博物館建造時にたまたま廃車になったことと車輪が8つ付いていることくらいしか共通点のない3者ですが、500系はともかく他の2台も何かしら功績を残しているんでしょう。
記念撮影には絶好の場所なので常に人だかりができています。まともに電車だけ撮影は不可能です。平日の閉館間際を狙いましょう。


あの3台は後で見るとして、まずはこれですよ、230形233号機。1902年製造開始の2-4-2配置の古典蒸気機関車です。
官設鉄道が汽車会社に発注して初めて国産化して量産化した蒸気機関車という肩書ですが、この頃はまだイギリスから輸入した蒸気機関車のパk・・・模倣でした。この頃の国産機関車あるあるです。これらの模倣、イギリスのメーカーの承諾は多分取ってないと思うんですけど、どうだったんでしょうね?


好ましい大きさで端正な造りの古典機です。好き。
よくぞ残っていたというところですが、幹線運用から退いた後、工場の入換機として生き延びていたところを価値が認められて保存となったようです。運が良かったのです。案外そんなものです。


みんな大好きネジ式連結器と緩衝器。これはブレーキ管が低い位置にあるのだなと。


シリンダー部。比較的単純な構造ですね。


動輪も2軸だしやっぱり単純。


後ろ。この時代の機体はライニングが良いのです。まだ蒸気機関車が珍しく1機1機が大事にされてたんだなと思わせます。


横から。弁天町から移される際に化粧直しされてきれいになりましたね。


ワット式複動蒸気機関の模型。ジェームス・ワットが発明した、蒸気機関の事実上の始祖と呼んでいい代物です。
蒸気機関自体はワット以前にもありましたが、ワット式はピストンの大幅な熱効率改善円運動の発明が大きな特徴です。
ピストンと蒸気の冷却を別々に配置して熱効率を改善しました(ここらへんの構造は自分の中でよく噛み砕けてないのだが)。ピストンの熱効率が良いということは、エネルギーロスが少ないので低燃費であり石炭消費量は従来型の1/4になりました。
さらに、上下運動しかできないピストン運動をクランクシャフトを用いて円運動に変換することを可能にしました(発明当時クランクシャフトは特許技術だったので別の方法で代替したようだけど)。円運動が可能になったことで従来鉱山の排水用ポンプくらいにしか使い途のなかった蒸気機関は、紡績業を始めとした工業の動力や鉄道、蒸気船にその用途を拡大していき、まさに世界を変えていくことになるのです。また、これにより従来円運動を生むのに使っていた風車や水車は絶滅していくことになりました。

ロンドンの科学博物館にこれの実物大レプリカか本物があるはずなので、見てみたいものです。


ご存知ロコモーション号。世界で初めて乗客を乗せて走った蒸気機関車です。
シリンダーが垂直に配置されていて、それをあっちゃこちゃして車輪に伝えています。ボイラーの上は蜘蛛の足みたいな複雑さになっています。

これの実車は第一線から退いた後定置機関として使われてたんですが、保存されることが決まって復元されました。いまはどこかの博物館に保存されているはずです。


全国に19万人のファンを持つロケット号。世界初の鉄道人身事故の当該機として有名。
ロコモーション号と比較して、シリンダーの往復運動を連結棒で動輪に直接伝える方式にしました。これによりエネルギー効率が良くなりました。シリンダーもロコモーション号の垂直配置から斜めの配置になりました。ただしこれでは重心が高くて安定性に欠けるので、後に水平配置にして改善しています。
他にもボイラーにも改良が加えられてますが割愛(手抜き)
という風に以降の蒸気機関車設計の始祖となった機体なのです。

これもロンドンの科学博物館に保存されています。やっぱり行きたいですねぇ。


側鎖(マイルチェーン)という物差し。これ1つで20.1mで1チェーン。80チェーンで1マイル(1,600m)。明治時代の路線にはチェーンという単位が時々出てくるので覚えておいて損なし。


聖地新橋停車場。
ホームは1面2線ですが、左右に不自然な土地が有りにけり。これ、後々の拡張に対応していたのかしらね?この開業時の姿しか見たことないのでなんとも。

現在は跡地に新しく建て直された駅舎と線路数メートルが復元されています。よく汐留の再開発に飲み込まれずに済んだなと思います。


館内にもう1機いる古典蒸気機関車1800形1801号機。車輪配置は0-6-0で、これすなわち性能を牽引力に振った機関車です。
1880年官設鉄道大津~京都間開通の翌年にイギリスから輸入したもの。この区間にあった逢坂山隧道は急勾配でして、そのために用意されたのが1801号機でした。


動輪とか。
官設鉄道から引退後は高知鉄道、東レ滋賀工場の入換機として活躍。入換機には適した機体でした。東レから引退後に国鉄に寄贈されて戻ってきました。


みんな大好きネジ式連結器と緩衝器(2回目)。こっちは他の車両と連結状態ですね。


1801号機の後ろに連結されているのはマッチ箱客車の一部のレプリカ。たぶんハ1005。専門家いわくよく出来ているようだ。
こんなの今回の博物館に合わせて新しく造るはずないので(諦め)、交通科学博物館時代からの展示物だと思うんですが、うーん記憶にないですね・・・。


おおよそ全体の1/3の長さが再現されています。客室でいうと1区画と1/3。多扉車多コンパートメントというイギリス式の客車なのだということが分かります。
座面が畳敷きなのが日本らしく良いです。


ホコリを被っている線路。ちゃんと双頭レールなのか。


太湖汽船の第一太湖丸。官設鉄道の長浜駅と大津駅の間を結ぶ連絡船でした。


1928年製造の初の国産大型電気機関車のEF52形1号機
国産化へ向けて機関車メーカー6社が一丸となって開発した機体です。東海道本線に投入されて、そこから退くと中央本線や阪和線などに転じて活躍しました。

というところで今日はここまで。



京都鉄道博物館を見て回る その2【2017/8/16】

2019-10-01 23:29:17 | 旅行・イベント記
京都鉄道博物館の続きです。
本館入口の脇には電気機関車が2機並んでいる区画があります。この区画にあるのはすべて新規収蔵組です。


緑色の電気機関車EF81形103号機。寝台特急「トワイライトエクスプレス」の牽引機でした。時々「日本海」も牽いてましたね。
国鉄時代の交直流電気機関車の決定版でございます。好きですね~。
EF81の丸車の保存車は当時はここが唯一でしたので、これも無事保存されるようになってよかったです。


後ろには「トワイライトエクスプレス」の客車もありにけり。帯の高さが揃っていないけど、重量の関係ですかね?


台車のDT138。EF65よりもスッキリ簡素化してるようなかんじ。


「トワイライトエクスプレス」の食堂車スシ24形1号。形式上24系客車一門のひとつとなっていますが、485系電車の食堂車を無理やり編入したもの。なので屋根の高さが他より低いのよ。
ただ、この食堂車「ダイナープレヤデス」で供される料理は同じような列車の「北斗星」や「カシオペア」よりも上質だったともっぱらの噂でしたが、ついに自分の舌で確かめることは出来ませんでした。


左がスロネフ25、右がスシ24。このようにでこぼこなのでした。


札幌行トワイライトエクスプレスのケツに連結されていたスロネフ25形501号
客車列車の最後尾の客車というのは古来より特別な位置です。アメリカでは展望車やビジネスカーといった特別な車両が連結されてきました。日本でも展望車が連結されてましたね。
5部屋6名分の定員しかなく、特に車端部はロイヤルスイートルームで、展望車の最後尾からの車窓の移ろいを独占できたのでした。共有空間のある展望車よりも、アメリカのビジネスカーに近い思想の客車ですね。


EF58形150号機。見た目は近代的に見えますが、その実は先輪付きのデッキ付き電気機関車のそれで、本質的には旧型の機関車なのでした。それでも見た目はかっこいいし花形運用にもよく就いていたので人気が高いです。
150号機はJR西日本で最後まで現役に留まっていたEF58です。現存機唯一の原型小窓という個体です。


EF58の後ろにはブルートレインがいます。24系オロネ24形4号で、A寝台車でした。
車両はなんとJR東日本の青森車です。あれ、自分のところには残っていなかったのか・・・と思ったら、末期では客車はJR東しか運用していなかったのですね。知らなんだ。


A寝台なので2段プルマン寝台です。


座席状態。腰掛けは深いけど脚は伸ばせそうにないかなぁ、という印象。靴を脱いで向かいの席に脚の乗せるのが吉か。どうせ2人しか座らないしね。


どこかの駅から持ってきたと思われる洗面台。ちなみにホーム上屋は云十年前に京都駅の建て替えをした時に廃材となったのものを交通科学博物館に移築したものを再移築しています。
だから洗面台も京都駅のものなのかな?


平坦線区用直流電気機関車の決定版と言えるEF65形1号機。15年間くらい製造され続けていたので、時期により外観や番台が異なります。これは機番の通り初期に製造された0番台で、貨物専用機です。後の製造分にはブルートレイン牽引用の機体も登場しますが、最初は貨物用だったのです。
でまあ1号機ですが、こんなのどこにあったんだ?走っているところも見たこと無いし?という謎機体だったのですが、調べると1987年に廃車になったあとに長いこと機関区にしまい込まれていたのですね。それで博物館建設時に日の目を見ることになったと。
ブルトレ牽引機の500番台や1000番台と比較すると0番台は地味な印象の中において、保存されたことの意義は大きいことと思います。


京都駅ホームの上屋。


上屋の手前を線路が横切っています。この門の向こうは現役のJRの線路とつながっています。


線路の先には建物と門扉。ここは現役の車両を展示するための展示棟で、実際にJR西日本やJR貨物の現役車両が期間限定で展示されています。今日もJR貨物の電気機関車が展示されていますがそれは後ほど。
結構な頻度で活用していて、たまに見に行きたいなぁと思わせるレアな車両もやって来ます。同じような展示線はJR東日本の鉄道博物館でも設置されているのですが、初めの数回使われただけであとは音沙汰なしであそこはやる気がありません。

というところでプロムナードの展示車は見終えましたので本館へ入りましょう。今日はここまで。


京都鉄道博物館を見て回る その1【2017/8/16】

2019-09-30 22:45:41 | 旅行・イベント記
2017年8月16日。
関西にある鉄道むすめのスタンプラリーを制覇した翌日。この日は京都市にある「京都鉄道博物館」へ行きます。もともとあった梅小路蒸気機関車館を拡張したような鉄道博物館で、2016年に開館。一度は行ってみたいと思っていましたので、今回ちょうど良いので行くことに。
昨日泊まった江坂のホテルを出発して、JRの225系の新快速で京都駅へ。


京都駅からは京都市営バスで鉄道博物館へ。駅の案内やバスの方向幕に鉄道博物館と書かれているので、路線数の多い京都のバスでも迷いにくいです。


はい着きました。
博物館のロゴマークは、本棟と扇形車庫を図案化したものだと思いますが、中国の謝謝の手振りに見えなくもなく・・・・・・(右手をグーにして左手で包み込むようなかんじ)。



入り口で入館料を払います。1,200円しました。近年開館したJR系の鉄道博物館はこのくらいが相場ですね。まあそんなもんでしょう。その代わり募金とかしないし、そも募金箱見たこと無いし。日本は博物館への募金文化無いですよねぇ・・・。
いきなり本館に入るわけではなくて、まずは屋根のついた屋外展示から。いわゆるプロムナードと呼ばれとるやつです。これフランス語なんですね。なんでフランス語使った?

今も書いたように梅小路蒸気機関車館を拡張してできた博物館で、収蔵車両も大幅に増えています。どこから持ってきたかというと、増えた分の大半は大阪市の弁天町駅にあった交通科学博物館から引っ越してきたもの。なのでなんか見覚えあるなって顔ぶれが多いです。いま並んでるこの3台もすべて交通科学博物館出身です。


日本最大の蒸気機関車C62形26号機。4-6-4ハドソンで、旅客用の機関車ですな。
カナダの博物館ならいざしらず、日本の鉄道車両についてつらつら書いても皆さんすでにご存知のことしか書けませんから、中身は軽く触れるにしときますよ、また長引いてしまいますから・・・。


80系の最初の制御車のクハ86形1号。東海道線の東京口で走り始めた湘南電車です。
これを見ると、正面2枚窓のいわゆる湘南顔の制御車が現存していないことが返す返すも惜しい・・・という決まり文句が反射的に出てしまいます。


内装は長距離用客車みたいなかんじです。電動自走化した客車というところか。


電車の保存車にしては珍しく中間車も残っているのです。これはモハ80形1号なので、電動車なわけです。ただし車体から下は完全に覆い隠されてしまっているので、単に運転台の付いていない中間車なんだね、という感想しか出てきません。


ご存知0系新幹線。説明不要。
小さい頃はよく乗っていましたね。


先頭車しか保存されない0系にしては珍しく中間車も残っています。こちらグリーン車の16形1号


さらにビュッフェ車の35形1号。他に先頭車が2台(21形1号と22形1号)両端に連結されているのでここだけで4両の0系が保存されとります。JR東海だってこれだけのものは持ってないぞ。
特に中間車はよく引っ越しの時に解体されずに済んだね。良かった・・・。


変わってC62の後ろに連結されている客車をば。これはスシ28形301号。系列的にはスハ32系に属するようで。
もともと2等座席食堂合造車スロシ38000形として1933(昭和8)年に製造されたので、乗り心地を良くするために3軸台車を履いています。日本では貴重な現存例です。
何度か改造を経て最終的にスシ28形へ。ただしこれは、交通科学博物館への収蔵の際に全室食堂車へ改造された時に付けられた架空の形式というなんじゃそりゃというもの。内装の改造も含めてちょっとよくわからない。正確にはスハシ38形といったところでしょう。


TR73三軸ボギー台車。TR23系列っぽいな~と思ったら案の定でした。
やっぱり台車は見れたほうが絶対楽しめるよなぁ。



内装はこう。


その隣に連結されているマロネフ59形1号。1938(昭和13)年にマイロネフ37290形37292号 として製造されました。皇族・貴賓用の寝台車で、準御料車みたいなものでした。その後GHQに接収されたり返還されたりしてマロネフ59に落ち着きました。これもTR73を履いています。


内装はこう。あー、プルマン寝台ですね。アメリカで見たことあるから知ってるんだ。


寝台を展開途中の図。


ナシ20形24号。20系ブルートレインの食堂車ですね。交通科学博物館時代は食堂として使われていて、食堂車で食事が体験できる設備として名物になっていました。京都にやってきてからも同じように使われています。昼時になると行列ができますね。人気が高いからなのか席が少ないからなのかは議論の余地あり。
それよりも車体との隙間を絶対になくしてやるぞという意気込みのこもった床の施工ぶりに目が行きますよ。これじゃまるでダルマですな。他の車両でも感じるところですが、ほんと徹底的だ。


20系と連結しているDD54形33号機
ドイツのエンジンと変速機を三菱がライセンス生産して製造したディーゼル機関車です。立ち位置は本線用のDD51の軽量型みたいなところで、DD51が1,000馬力エンジン2基なところをDD54は2,000馬力エンジン1基で走らせてました。
でもエンジンの推進軸が脱落して脱線したりエンジンや変速機も問題を抱えたりで性能が安定せず、長続きせずに10年経たずに廃車になってしまいました。三菱・・・。


現存機はこれ1機だけ。失敗作だったにも関わらずよく残したと思います。
この33号機は風防の窓枠がHゴム支持のロットですね。前期型の窓枠はステンレス枠だったんですが、そっちの方が精悍な顔つきで好きですね。


外観は日本のディーゼル機関車の中でも特に好きだなと思える機体です。造形村のHOゲージの模型が出た時は買おうか悩みました。結局買いませんでしたけど。
当時のヨーロッパ系の機関車に影響を受けていると思いますが、日本っぽさも出ているのが素敵。


みんな大好き103系クハ103形1号。国鉄時代に大量に製造された通勤電車です。
これは今回新たに収蔵されたものです。103系が丸車で保存されたのはこれが初事例です。そして、これが唯一の事例になりそうな匂いがしまっせ(諦め)
博物館建設時にちょうど103系のトップナンバー車が廃車になったので、保存されたというところでしょう。このタイミングが合わなければクハ103-1も他と同様に解体されてたと思うし、トップナンバー車が残っていなければ103系の保存はなかったかもしれません。・・・個人的にはたぶんそうなってたと思いますが(諦め)
鉄道車両の保存は運要素が結構絡んでくるのです。


103系の台車のTR201。


内装は末期に運用されていた阪和線の姿のまま。つまり体質改善工事で改装された内装です。
電車の保存車はたいてい廃車時の姿のままのことが多いので別に目くじら立てることないですけどね。むしろ、中途半端に環状線の橙色に塗り替えた方がアレだと思いますけども。阪和線のままじゃイカンのか。

というところで今日はここまで。



北方project ~Welcome to Hokkaido. 最終回【2017/5/3~7】

2019-04-22 22:37:03 | 旅行・イベント記
2017年5月5日(金)17時24分
 北海道苫小牧市 苫小牧西港フェリーターミナル
苫小牧駅からバスに乗ってやってきたのがこちら。フェリーターミナルです。
言わずもがな、これからフェリーに乗ります。


夕暮れの苫小牧港。
貨物船にトレーラー。港湾ですなぁ。


船体に描かれた太陽の絵。はい、さんふらわあですね。
商船三井フェリー「さんふらわあさっぽろ」に乗り込んで北海道を去ります。行きは飛行機だったけど帰りは船旅というのがオシャレ。次の日には大洗に着きます。


出港。
バイバイ北海道。次は2019年1月くらいに道東に行くよ。





フェリー飯を食べます。美味いかというとまあその・・・という感じなのが。でも食べ放題なので好きなだけ食えるぞ。


〽あの頃の僕らはまだ~

さんふらわあさっぽろと言えば劇場版ガルパンに登場した船としてアンドロメダ星雲の果てまで知られた存在ですが、2017年での引退が予告されていたので普通にサヨナラ乗船になりました(その後同年10月に引退しました)
なので船内を色々探検していました。

5月5日はこれにて終了。さっぽろで一泊。
ちなみに個室は満室でしたんで、大部屋で雑魚寝でした。


2017年5月6日(土)
 福島県相馬市沖 さんふらわあさっぽろ船内
おはようベネット、今朝は冷えるな、えぇ?
朝飯を食べます。


外に出ると、あーあー濃霧だよもう。


外があんななんで、船内映画館でジュラシックワールドを見てました。
俺は結構好きだよ、この映画。


2017年5月6日(土)13時39分
 茨城県大洗町 大洗港
大洗へ着きました。下船です。外へ出てみると温度が高いし湿度も高い。どうしようもない。北海道はやはり涼しかったのだ。
奥に停泊しているのはさっぽろではなく、「さんふらわあふらの」。新造船の方です。ふらのはさっぽろよりもひと足早く代替わりしました。確かこの直後にデビューしました。


こっちは「さんふらわだいせつ」。苫小牧~大洗航路は夕方便と深夜便の2往復があり、便ごとに船の運用が分けられています。
だいせつともう1隻「しれとこ」は深夜便担当で、私達の乗ってきたさっぽろとふらのは夕方便担当なのです。


下船後は大洗を少し観光。まいわい市場(仮)にあるガルパンギャラリーをば。
劇場版にも出ていたショッピングモールで営業していましたが、施設の運営会社とゴタゴタがあって掘っ立て小屋に一時移転していた時期でした。


歩いて鹿島臨海鉄道大洗駅まで来ました。
ここは変わらんね。


ホームに上がると新型車の8000形が止まっていました。
前面はNDCシリーズ、側面は関東鉄道のなんか変わったやつ。


乗るのはこちら。6000形の水戸行きです。


水戸駅からはJR常磐線に乗り換え。特急「ときわ」82号で上野まで。
車両はE657系ですが、なんかいつの間にボンネットに鉄板(?)が貼り付けられてたんですね。踏切事故でなんかあったんだろうねぇ。


上野駅に着きました。
ついでなんで、伝説の上野駅13番線ホームの様変わりした様子を見に行きました。


荷物の積み下ろしをしていたホームも今は昔。


この日は静岡に帰らずに相模原の旧IORI工房事務所に転がり込んで一泊。
一人でマリカーをしてキノピオハイウェイのミラーで遊んでました。このコース何回やってもマジキチだよね。
(通常では道路を走る車と同じ方向を走るのだがミラーではプレイヤーが逆走するのだ)


2017年5月7日(日)9時17分
 東京都江東区 東京ビッグサイト
ゴールデンウィーク最終日はなんかビッグサイトへ。


そうです、例大祭です。ZBSで売り子をやってました。
例大祭が終わった後は静岡へ帰りました。

といったところで北方Pおしまいです。
以上。

北方project ~Welcome to Hokkaido. その19【2017/5/3~7】

2019-04-21 21:21:16 | 旅行・イベント記
2017年5月5日(金)13時30分
 北海道芦別市 北海道大観音

一行はカナディアンワールドを出国し、国道452号線を南下します。10分くらい車を走らせていると背の高い観音像が見えてきたので、少し寄り道することに。
「北海道大観音」という1989年に建立された最近の観音様。カナディアンワールド公園同様、炭鉱の閉山で斜陽化する芦別市が観光開発の一環としてぶち建てたもの。観音を中心に据えた仏教テーマパーク「北の京芦別」の建設をもくろんでいたらしい。あっちではカナダを建国したかと思ったら、こっちでは仏教都市をぶち上げて、なんつーか、まあ。
当然ながらカナディアンワールドと同じ運命を辿り、北海道に残されたバブル期の遺産のひとつとして一部のB級観光地マニアの間で人気を博していましたが、北の京芦別はカナディアンワールドよりも早い2013年に力尽きてしまいました。今はこの北海道大観音だけ宗教団体に引き継がれています。

時間はなかったので、外から観音様を拝むだけとなりました。
はい撤収。滞在時間5分。

芦別市街地では、まだだったお昼をセイコーマートで食べました。
セイコーマートは町に行けばそこら中にあるもんではない(町に2~3箇所)、ホットシェフが無い店舗もある等、新たな知見を得られました。


芦別市街からも452号線をただ南下します。程よい山道で、山陰にはまだ雪が残っているゾ。


同年同月同日14時58分
 北海道夕張市 シューパロ湖東岸

1時間くらい走り続けていると、夕張には欠かせないシューパロ湖が左側に見えてきました。ちょうどちょっとした駐車場があったので一瞬だけ寄ることに。
眼前に広がるのがシューパロ湖ですが、数年前までは普通の夕張川でした。2015年に完成したシューパロダムによりシューパロ湖の水域が拡大し、この地域も沈んで湖になりました。
なおシューパロダムが竣工する前にあった旧シューパロ湖も大夕張ダムが造り出したダム湖です。大夕張ダムと旧シューパロ湖はシューパロダムによって水没してしまったという、なんだかスケールのデカい話です。


遠くに見えるのはたぶん夕張岳。


大夕張ダム建設時に沈んでしまったと思われる鹿島東小学校。

はい撤収。滞在時間5分。


同年同月同日15時7分
 北海道夕張市 旧南大夕張駅

夕張のイチオシ観光スポット(当ブログ調べ)である旧南大夕張駅に来ました。三菱石炭鉱業が運営していた運炭鉄道ですが、地元民の足にもなっていました。1911年開通、1987年廃線。
廃止後は三菱大夕張鉄道保存会が車両の保存や地域交流なんかの活動を行っています。
旧南大夕張駅のホームであるここには6台もの車両が保存されていて、見応えのある施設であります。


プラットホームだってちゃんと残っています。雰囲気満点。


ちょっと足場が悪いですが編成写真のような構図も取れます。
先頭の黒い車両は機関車ではなくてラッセル式除雪車のキ1形。国鉄のキ100形の同型車ですが、大夕張鉄道用に新造したものです。


スハニ6。国鉄の客車とはどこか微妙に異なるスタイル。
荷物と座席の合造車ですね。小さい扉の向こうにあるのが荷物室です。


荷物室は活動実績の紹介とかが展示されていました。


客室はこう。ナイス旧型客車という雰囲気。
他の客車は閉まっていました。イベントのときに行こうな。


ぐるっと一番うしろまで回り込みまして、セキ1+セキ2。石炭ホッパー車です。
同形状同形式にまとめられているんで分かりにくいですが出自が異なっています。
手前のセキ1は1911(明治44)年製のチョー古い車。オテセ9500として新造されてから色々転々して旭川電気軌道から大夕張鉄道へ。奥のセキ2は1934(昭和9)年製。これも旭川電気軌道からやってきたやつ。
大夕張鉄道が運んでいた石炭ホッパー車は国鉄から乗り入れてきたものがほぼ全てだったので、この自社の石炭ホッパー車は自社内で消費する分を運ぶのに使ってたんだとかで。


三菱ふそうMAR470。1967年式の路線バスです。扉が前側1箇所のいわゆるワンロマというやつ。
また古いものが残っていますが、動態保存されています。ナンバーが無いので道路は走れないかもですが。大夕張鉄道で使っていたものだそうな。


続いて客車の方をば。ナハフ1。1937(昭和11)年日本車輌製。1形式1両のいわゆるワンオフです。
鉄道省のスハ32系っぽい見た目の客車ですが自社発注車なので微妙に違うらしい。
特徴的なのは車内で、実は車端部がロングシートのセミクロスシート車なのです。さらに片側の端は車掌室に改造されてその分客室が食われています。


台車はTR23ですね。


オハ1。1906(明治36)年鉄道局新橋工場製。古典鉄道クラスタの間ではおなじみの新橋工場で造られた客車の生き残りがこんなところに・・・。まあ後述しますが原型は留めてないんですけども。
初めは寝台車のオネ7として造られた後、荷物車のスニ19952、座席車のオハフ8857の順に改造され、1952(昭和37)年に大夕張鉄道にやってきます。
購入後はすぐに車体更新されて、国鉄オハ60系と同等の車体を手に入れます。ただし台枠より下はそのまんまなので、本来のオハ60系には無い台枠のトラス棒が残っています。


台車はTR11。


最後はスハニ6。1912(明治45)年鉄道院大宮工場製。
経歴のすごいやつで、まずオロシ9216食堂車として新製され、荷物座席合造車スハニ19114、1951(昭和26)年に美唄鉄道に譲渡されてスハフ6座席車に、1954(昭和29)年に車体更新を受けて鋼体化改造された際に荷物室を設置してスハニ6へ。1967(昭和42)年に大夕張鉄道に転属してここへやってきました。
ちなみに大夕張鉄道にやって来た後に荷物室は位置を反対側に移していまして、窓に名残が残っています。手前側がもともとあった荷物室で、一番手前の窓の下に一条の線が出っ張っているのに注目してください。あれは荷物扉の靴摺りの名残で、あそこに荷物扉があったんだと思います。




幾多もの改造を受けているので原型は無いのですが、やはり台枠から下はある程度残っていまして、トラス棒と3軸台車が残っています。
特筆すべきは3軸台車のTR70です。国内の3軸台車の現存例は貴重です。オロシ9216時代からずっと流用され続けてきたんで、すなわち明治時代の台車です。
荷物扉の跡もこの向きだと靴摺りとか溶接痕とか分かりやすいと思います。

一通り見たところで撤収します。滞在時間10分。10分で見て回れるようなところじゃないけど、時間が押しまくっているのだ。


同年同月同日17時3分
 北海道苫小牧市 JR苫小牧駅前
大夕張鉄道から452号線を南下しきったところで北海道横断道に乗って苫小牧駅前のレンタカー屋で車を返却します。苫小牧駅前にも保存車があるのですが、泣く泣く諦めました。次回への宿題。
そいで、苫小牧駅前からこちらの道南バス(エアロスター)に乗り換えて表示されているフェリーターミナルとやらへ向かいます。

今日はここまで。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その18【2017/5/3~7】

2019-04-04 22:04:29 | 旅行・イベント記
カナディアンワールド編の最終回。前回に続き園内の建物を見ていきます。
こちらはオーウェルスクールという建物。普通の家だし、何やってるかも分かりませんでした。


家が3軒くらい密集している集落みたいなところ。
ここはひと気がありました。工芸品の製造販売をしているような感じでした。


一周して入り口に戻ってきました。これがケンジントン駅というメインゲートですね。今はみんな自家用車かレンタカーで来るでしょうから、ここを潜る人いないんじゃないかなぁ。
なんというか、解体するお金も無いのかもしれませぬ。


石岡剛の美術館。写真をよく見てみると営業中でした。数少ない生きている建物だった・・・。
石岡剛は芦別市出身の洋画家です。ホームページもありますが、昔ながらの作りになっていて感動しました。


さて園内の道路を1周し終えたんですが、まだ目玉である赤毛のアンのお家を見ていません。
適当なところに車を置いて、歩いて探します。それっぽいところはすぐに見つかりました。


ひと気はないのに確かに管理されている土地。芝生だってきれいに刈り揃えられています。


昔はここから絵葉書とかを投函できたんだろうな~と思う郵便局(閉局済み)。
赤毛のアンの作者が通っていた郵便局を再現したものです。


リンド夫人の家。
リンド夫人は作中に出てくる登場人物なんでこれは架空の建物ですね。最盛期にはリンド夫人の作る手作り料理が食べれたとかなんとか。


ダイアナのお家。アンの親友です。


中は人形の館になっています。赤毛のアンの人形劇をやっているのだ。
カナディアンワールドの主題にもなってる赤毛のアンですけども、日本でだけやけに人気になった作品です。赤毛のアンの聖地巡礼に来るのは日本人ばっかりだという噂も有りにけり。
世界名作劇場の影響が大きいのかな?と思います。1979年放映なのでさすがに現代では下火になってますが。
一方本国のカナダでは言うほど知名度がないなというのが私の印象です。物理的に最果てのビクトリアでの印象ですが...。


そいでたどり着きました、アンの家ことグリーンゲイブルス。グリーンゲイブルスというのは赤毛のアンの原題 (Green Gables; 緑の切妻屋根) です。
これもプリンスエドワード島にある家を再現したものです。これも中には入れるので行ってみましょう。


中は空調が効いていて快適~。
ゴーストタウンと化したカナディアンワールドにも意地があるのか、ここの室内はとてもきれいに手入れされていました。現役を張っています。


原作未読勢なのでふ~ん以上の感想が出ないのがアレなんですが、向こうの様式の建物としてはいい線いってるんじゃないでしょうか。


調度品もいい味出してますね。
閉園後も解体されずにどこか移築されてくれれば・・・と思ってしまいます。


作者のモンゴメリの写真。


マシューの部屋。FGOにそんな名前のがいたよね。
東横インのシングルくらいの広さです。


アンの部屋です。ベッドが小さいのが気になるけどやはり東横インサイズ。
この部屋はかなり再現度が高いそうですよ。


一通りカナディアンワールドを堪能しましたのでこれにて撤収。
これはジャパリバスベルトレイン。園内を周回する乗り物だったというところでしょう。

最初にも書きましたがカナディアンワールドは2019年度をもって閉園する予定でいるので、行くなら今年が最後のチャンスです。開園時期は例年は4月~10月です。もっとも今シーズン開園してくれればいいんですけど・・・。

そいでは、再び移動を始めます。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その17【2017/5/3~7】

2019-04-02 22:04:18 | 旅行・イベント記
前回に続き、公営ジャパリp・・・もとい公営廃ky・・・もとい、カナディアンワールド公園を回ります。
園内の敷地は聞くところによると約44万8千㎡(東京ドーム9.5個分)あります。かなり広めの公園なので歩いて回ろうとすると、すり鉢状の高低差のある地形も手伝ってちょっとキツイです。
しかしここは、園内を周回する一方通行の道路を自動車で走り回ることの出来る公園なのです。自動車社会のカナダのことを反映している・・・なんてことまで考えているとは思いませんが、だいぶ楽です。

というわけで道路沿いにある建物を片っ端から見ていきましょう。
まずは謎のピラミッド状の建物。中身は全く想像がつきません。
その手前にあるガラス張りの建物「サン・ハウス」は植物園なんでしょうかね?


その向かいにあるのは「カーリートレイン」というライブハウス。
正面にそこで催されただろうイベントのポスターが貼ってあるんですが、みんな日付の古くて日に焼けたやつでした。お察しください。


〽かけがえない


〽僕と似た君へ

ぼくのフレンドごっこが捗る。


ブライトリバー駅。さっき見た廃鉄道の駅です。完全に死んでますね。
手前にある車はうちらが借りたレンタカーです。


道路は起伏と曲線の激しいコース取りで、まるでラリーレースのよう。タイムアタックとかしたらいいんじゃないかな。
で、高いところに来たので俯瞰してみます。すり鉢状の地形というのが分かるかと。で、敷地の割に町の中心部はあれだけです。カナダの広大な敷地を再現と言ったところでしょうね。
カナダと一言で言っても広いので、地域によって景色はだいぶ変わります。カナディアンワールドのカナダは、後に出てきますが赤毛のアンの舞台になった東海岸にあるプリンスエドワード島の再現になっています。行ったこと無いけど確かにだいたいこんな感じだったかも。
なお私が前に住んでた西海岸にあるバンクーバー島のビクトリアは森の広がる森林地帯なので景色は全く異なります。俺の知ってるカナダじゃないな、というのが正直な感想。地域が違うんでしょうがないんですが。





道路はこんな感じで、まだ登ります。
俯瞰ポイントにはちゃんと駐車場が誂えられています。


テラノーバ。オルゴールの展示をしているそうですが、なんかの居抜きでしょう。
見晴らしがいいのでレストランだったのかも。なお開いている気配はありませんでした。


続きましては白い建物。


庵野協会・・・もといアンの教会。名前はテキトーですが、プリンスエドワード島にある教会をモデルにしてんだそうな。
ここも閉まっている建物かと思ったら中に入れるのでした。ようやく立ち入れる建物に遭遇しました。


まだこの教会が機能していた頃はここで結婚式を挙げることができて、その時に付けた新婚夫婦の手形が道の脇に並べられていました。真ん中に写っている手形は破損してしまってますが、まあ不吉だこと・・・。
1990年代初めの日付が刻まれていて、まだ有料テーマパークとして運営されていた時代です。軽く25年前のものですから、この頃手形を押した夫婦は今はもういい年ですよね。


で、室内に。「なんか開いてる」って感じで無人でした。
中はちゃんとした教会ですね。生きてる感じはないですが、手入れが行き届いている感じはしました。


外のホワイトボードには2004年8月6日の文字が・・・。この日がここで挙げられた最後の挙式なのかもしれませぬ。
公営化後も結婚式ができたってことなんですね。


室内にあったポスター。1990年開園時の当時物のポスターっぽいですね、これ。


今日はここまで。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その16【2017/5/3~7】

2019-03-13 23:55:48 | 旅行・イベント記
神居古潭駅から道道4号線を通って芦別市へと向かう途中の小さな展望台。
なだらかな丘陵地に広がる畑が北海道って感じ。


2017年5月5日(金)11時45分
 北海道芦別市 カナディアンワールド公園
本日のメインディッシュへと到着です。その名も「カナディアンワールド公園」。元カナダ在住ニキとしては外せないでしょう!
日本が戦争に負けた時のどさくさでカナダがここを占領して以降カナダの領土になっているのだと思います。現地民や政府による領土返還運動は聞いたことがないですが、カナダはアメリカやロシアほど目立つ国ではないのであんまり話題にならないのでしょう。

で、あの黄色いゲートが国境なわけですが、門扉はないし人はいないし、カナダの国境警備はかなりガバガバと言わざるを得ません。それでも自動車で直接入国できる辺り、自動車大国ですね。
というわけで入国。パスポート持ってないけど。


やけに広いのだ。もっと建物がギュウギュウになってると思ってたけど。


道路は舗装されていません。お財布は意外とキビシイのかもしれない。


建物の密集地帯があります。あそこが町なのでしょう。いざ突撃~。


廃墟っ!ゴーストタウンッ!!

これがカナディアンワールドの正体である。
芦別炭鉱の閉山で斜陽化待ったなしの芦別市が折からのバブル景気も手伝って、露天掘りの炭鉱跡地に1990年にぶち建てたカナダをテーマに据えた屋外テーマパークなのです。カナダと同国を舞台にした小説「赤毛のアン」をテーマにするって時点で何か根本的に間違ってる気がしますが、小説の人気に当て込んだようです・・・。
開園したものの集客は延びずに、初っ端で巨額の負債を抱え込み初年度からパークの危機になります。これが原因で当時の市長が引責辞任してるんですから、まあそれなりに大きい問題だったようで。挽回できないまま1997年にソッコーで閉園。南無。その後市営公園として1999年に再出発しました。
以降は市営ゴーストタウンとして北海道の隠れ観光スポットとして文字通り細々とやってましたが(公園を開けているだけで赤字なのだ)、2019年度を最後に閉園してしまうことが2018年11月に報道されました。理由が老朽化というのは嘘はついてないでしょうが、実際のところこれ以上付き合ってられないといったところでしょう。もはやここまで・・・。もう尾張一宮・・・。


今日はゴールデンウィークなんですけどね~、こどもの日なんですけどね~、悲しいくらいだーれもいませんね・・・。


町の建物はほとんど全てが閉鎖されていて廃墟化してるんですが、1~2軒だけ開いていました。この建物は園内案内とか芦別市とカナダとの交流の宣伝(ただし4~5年前のやつ...)とか、そんな感じ。なお係員はいない・・・。
一応お客さんに見える部分は手入れされていますよ。ところで部屋に掲げられている旗の左の方はブリティッシュコロンビア州の州旗ですね。ちょっと懐かしいお気持ちに。


天井の方には大陸横断鉄道と称した鉄道模型が飾られてました。部屋の壁に沿って線路が敷かれているんで、在りし日には部屋の中を走っていたんでしょう。
ところで、大陸横断鉄道と言っといて蒸気機関車が森林鉄道用のクライマックス式機関車というのはどういう冗談なんだか。よくこういう珍しい機関車を持ち込んできましたね。


外に出て町を散策。まあ廃墟ばっかなんですけど。
他に開いていた建物は、個人商店みたいな感じでした。テナントを借りてそこで物を売ったり出来るんでしょうね。物好きだなぁと思いますが。


鉛色の空、薄汚れた建物、人気のない空気。
この光景は、当時はめちゃくちゃ流行っていたアニメ「けものフレンズ」のジャパリパークに通ずるものがあり、特にエンディングの「ぼくのフレンズ」ととても合いそうな雰囲気を醸していると我々の話題はそれで持ちきり。
「ぼくのフレンズ」を流すともうそこはジャパリパークになるのだ。


あら、園内鉄道があるのね。たぶんカナディアンナショナル鉄道だ。
まあ当たり前ですがすでに廃線になってます。集客がありそうな遊覧鉄道がゴールデンウィーク中に稼働していないってところがもう危機的です。


客車が2両放置されています。トロッコ風。特にカナダって感じはしないですね(無慈悲)


駅舎もありますよ。遊覧鉄道にしては十分すぎるほど立派です。ファーマーズ駅というんだそうな。


中はというと・・・アッハイ(察し)


駅舎のすぐ脇には車庫があります。遊覧鉄道によくある本線上の車庫ですね。
あの中に機関車が眠っているんだと思います。この先外に出ることは・・・なさそう。


百姓駅のプラットホーム。放置されてますが意外とちゃんとした造りですね。


謎ステージ。たぶんPPPがライブやってる。


丘の上に建つ家。レストランか喫茶店だったと思います。当然ながら休業中。
ちなみにですがカナディアンワールドは、周り全てが丘で、今いた中心の町と池の所が一番低い位置にあるという、すり鉢状の地形になっています。周り全ての高いところを抑えられているので、戦争になったら相当不利な町だなと思います。
実際のところは、石炭の露天掘りをやっていた時に掘った地形がそのまま活用されたというところでしょうが。


線路は続くよどこまでも。だってエンドレス線形だからだよ。
列車の撮影には苦労しないだろうなという。

そういうわけで、意外と見るところがあるので次回に続きます。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その15【2017/5/3~7】

2019-03-11 22:16:22 | 旅行・イベント記
2017年5月5日(金)8時50分
 北海道東川町 P-DASH
3日目です。北海道滞在の最終日です。早いもんだ。
前日泊まったゲストハウスを後にします。着いた時は真っ暗でなにも分かりませんでしたが、こんな感じの建物なのでした。


まずは準備運動とばかりに寄ったのは、旭川市の東旭川公民館にあるこの保存車両。旭川電気軌道モハ1001です。
旭川市にも1973年までは旭川電気軌道という私鉄が走っていたのですが、そこで使われていた電車です。北海道には蒸気機関車の保存車はゴロゴロいますが、電車はとても珍しいです。実は鉄道コレクションで模型化もされています。
1955年日本車輌製で1形式1両、つまり1台だけ製造された電車です。当時製造されていた日車標準車体っぽいですが、それについて言及されている資料がないので、厳密には違うのかもしれませぬ。
なお旭川電気軌道の会社そのものは名前を変えずに今も存続していて、バス事業を営んでいます。鉄道事業を辞めて数十年経っているのにまだ鉄道系の社名を使っている変わった会社です。


片側にはホームと同じ高さの土台が設置されています。車内には入れませんが土台から車内を覗くことはできます。
状態は良好でして、露天保存というハンデを感じさせません。とても大切にされているんだろうなと。旭川電気軌道の保存車はもう1台、モハ101が残っていますが、これはまた今度ということに。


簡単な路線の経歴と路線図の説明が書かれていて、イメージが湧きやすいです。

今日はとりあえず芦別を通って苫小牧まで行く、くらいの事しか決めていません。今日もそこそこ移動しますぜ。
なので通り道だしともう1箇所寄り道します。


2017年5月5日(金)10時22分
 北海道旭川市 神居古潭
国道12号線沿いにある神居古潭というところにやって来ました。カムイコタンと読みます。石狩川が織りなす絶景が名物の景勝地なんですが、イマイチ知名度がないです。私も今日来るまで知らんかったし。
山の中にあるような感じですが、意外にも路線バスが1時間に1本以上あるのでアクセスも悪くない感じ。
石狩川に架かる白い橋は神居大橋。大橋と呼んでいますが歩道橋です。あれを渡って対岸へ行きます。その先になんか建ってますね?


石狩川の急流を堪能。
すんげー濁ってますね。雪解けだけではここまではならず。実は我々が渡道する直前まで雨でしたのでこんなことに。水量もいつもより多いハズ。


対岸へ渡って階段を登っていくと・・・。おや、何かいるぞ。しかも3機も。なんかすごいところに来たのでは。


さらに歩道と隧道が。あからさまに廃線跡アピールしてますね。


目的地はここ。函館本線旧神居古潭駅です。1901(明治34)年開業、1969(昭和44)年廃業。廃止理由は、函館本線の電化と複線化による線路付け替えのためです。つまりこの一帯は函館本線の旧線の要素も持っています。あとは駅メモの聖地らしいぞ。
駅舎は1910(明治43)年の建築。数度の増改築を受けてますが廃止時まで現役で、その後も歴史的価値が認められ、廃止時の姿で保存されています。西洋風建築で萌黄色の壁が特徴的ですね。


室内は大きく手を加えられていて、休憩所みたいに改造されていました。


ホームも現存しているのが嬉しいところ。千鳥配置の2面2線で導線も一発で分かりにけり。


廃線跡活用あるあるのサイクリングロードにされているので線路はないのです。
当時は道路の修復工事中でここから旭川寄りの一部区間が通行止めになっていたので、自転車は1台もやって来ませんでした。


ホームに立っている名所案内の看板も残っているとは。


橋台も2本分残ってます。片方は現役です。


少し離れたところにも橋台跡がありましたが、なんの橋だったのか不明です。


旧線も少し歩いてみましょう。深川側のすぐに隧道があるのっていいですねぇ。
ちなみに旧線跡が自動車が出入りできる唯一の道路ですので、作業車の通行路でもあります。


隧道の銘板は見当たらず。
内壁はコンクリートで巻かれていますが、坑口の外側にも施工してあります。崩落の危険があったのかなぁと。


一面にコンクリートが巻かれているので、直径は一回り小さくなっています。ちょっと機関車が通るにはキツイといったところ。
旭川側にも隧道があるそうな。


100mあったかくらいの長さなのですぐに反対側へ出ました。あんまり奥へ行ってしまってもアレなので出たところで引き返します。
すぐ隣が石狩川なので、現役時代は絶景車窓だったのだろうなと。


反対側の坑口もコンクリートがはみ出ていました。


そして蒸気機関車ですね。最初に見たとおり、なんと1箇所に3機も縦列で保存されています。しかも3機とも一定の貴重さを持っています。贅沢なことをしましたね。

なおSLが置かれている場所は、昔線路だったところです。このレールも現役だったものがそのまま残ってるんじゃないかと。
というかこのSLたちは最初から保存されることを見込まれて、旧線が廃線になる直前に自走して(それか他の機関車に引っ張られて)ここへやってきたんじゃないかと思います。
神居古潭駅周辺は歩道橋と廃線跡の隧道しか外と繋がっていない陸の孤島なわけですが、隧道もあの大きさなので大型トレーラーとクレーン車で機関車を搬入するなんてムリなわけです。廃線前に線路上を走ってきたと見るしか無いよなぁという見解です。
さらに言えば、この3機はもう2度と旧神居古潭駅から動くことはできんのです。出来んことはないかもしれませんが(旭川側の隧道は元の内壁を工事で拡張したのか、大きめになってる)、簡単ではないと思います。
なのでここを動く時というのは、完全に解体されてしまったときくらいなものです。もっとも、解体するにしたって重機をどうやって入れるのって話ですが・・・。
そう考えると凄まじい場所に保存されてしまったなぁと。


まず先頭の9600形29638号機。大正時代の設計の古典SLということで機種自体が貴重です。
ちなみにここの3機、函館本線の線路切り替えをしてここが廃線になってから間もなく廃車にされています。


その後ろにC57形201号機。C57のラストナンバーです。それ以上に、現存する唯一のC57の4次型という点が貴重です。
4次型はC59形の設計を取り入れているので、3次型までと形状が変わっていて、C57とC59の中間みたいな感じに仕上がってます。特にデフレクターの前部上端が斜めに切り欠かれたところや船底テンダーなんかが分かりやすいそうな。
意外なものが意外なところに残っているもんです。


最後はD51形6号機。御存知デゴイチ閣下ですが、ナメクジと呼ばれる初期型である点に注目。デゴイチはごまんと保存されていますが、ナメクジは元々の製造数も少ないこともあってわずかしか現存していません。
煙突から蒸気ドームに至る機器類が流線型のカバーで覆われていて、この形状がナメクジに似てたのが由来。鉄道オタクのネーミングセンスって昔からひどいなと。
他にもボイラー前部の角が丸く整えられているので、標準型と比べて旅客型機関車のような精悍な印象があります。


といったところで撤収します。結構面白いところでした。
では次の場所へ向かいまする。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その16【2017/5/3~7】

2019-02-19 21:15:29 | 旅行・イベント記
2017年5月4日(木)16時10分
 北海道美唄市 旧東明駅
幾春別の炭鉱跡を後にして、一行は一路旭川へと向かいますが、まだ日が高いので道中寄り道しながら行くことにします。
まずは通り道の美唄市にある旧東明駅に寄りました。

旧東明駅は、三菱の美唄鉄道(1914~1972年)という石炭輸送のための鉄道の駅です。運炭用の専用線が発端ですが旅客輸送もやっていた鉄道で、東明駅はその途中駅のひとつでした。
このとおり、駅舎が現存しています。かなり手入れが行き届いています。通常は室内の公開はされていないようで、駅舎の扉は施錠されていました。


こちらはホーム側。改札の舟まで残っていて、状態は良いのです。


プラットホームも残っています。さすがに線路はありませぬが。
手前にある舗装路はサイクリングロードです。美唄市は地形が平坦なので自転車を漕ぐのに適したところだそうです。
ただしところどころ舗装が剥がれていて、通行止めになっている区間があるとのことで・・・。ここもそうなってるらしい。財政が厳しいのだろうなぁ・・・と。


ホームはどうやら1面2線だったようですが片方はもう茂みに飲み込まれつつあります。


旧東明駅で注目すべきは、美唄鉄道2号蒸気機関車が静態保存されていることでしょう。駅舎とSLが保存されているところは間々ありますが、中でもこの2号機は極めて貴重な機関車です。
2号機は、1914(大正3)~1918(大正7)年に製作された鉄道院4110形の同型機なのです。鉄道院時代設計の機関車が現存しているというだけで貴重です。さらに、現存する4110形系統は2機ありますが、一般に公開されているのは2号機だけ。もう片方は非公開の場所で保存されています。


2号機の原型になった4110形は、ドイツから輸入された4100形のコピーして国産化した機関車です。
車輪配置は0-10-0、つまり動輪5軸のE配置で、自重の全てを動輪に掛けられる重量級の貨物用機関車なのです。代わりに先輪も従輪も無いので速度面は犠牲になっていますが、4110形が投入されたのは奥羽本線板谷峠や肥薩線人吉~吉松の峠区間などの急勾配区間だったのでもともと速度の出る路線ではなかったので、問題にはならなかったでしょう。

とにかく無骨で飾り気のない機体であります。加えて先輪も従輪も無いので車体長が短く、寸詰まり感があります。そこに載せられるだけ部品を載せたので、とても窮屈に見える機関車でもあります。こういう印象の機体は見たことが無く、面白い機体です。


露天で保存されているのですが、状態は良く見えます。目立った欠損も見当たらず、素晴らしい状態だと思います。


後ろ。タンク機なのです。峠区間だけ走れればよいという割り切りでしょう。
美唄鉄道も延長10kmしかない路線だったので、問題なかったと思います。


5つの動輪。
低重心化のために水槽が低い高さにあるのも特徴です。


露天保存なのですが運転室の中にも入れてしまいます。
こちらも悪くない状態だと思います。

良いものが見られました。
では次へ。


道中の車窓。北海道ですねぇ。


2017年5月4日(木)18時12分
 北海道深川市 桜山公園
旧東明駅から下道を走ること1時間半、深川市へとやってきました。ここにも蒸気機関車の静態保存機があるとのことで寄ってみました。
既に18時を回っているのですが、薄暗いもののまだ明るいです。緯度が高いですからね。

やけに空間があるな、さすが北海道・・・と思っていたんですが、実は桜山遊園地というところの跡地を公園化した施設。なんだかバブルの夢のあとという臭いがしますが、ネットにはあまり資料が無かったので詳しくは不明。
北海道、結構こういうところがあるのです。明日も似たような生い立ちのところ行くし・・・。


まず1機目、D51形312号機。最後は北海道で使われていた機体だそうな。廃車後は桜山遊園地の前身桜山レジャーランドの施設のひとつとして譲り受けた模様。
再塗装などの整備は受けているようで、見た目は悪くないです。配管やコックがなぜか赤く塗られているのが惜しい。
あと、デフや窓のひさしが折れ曲がっているのですが、まあ直すのも難しいんだろうなと。


炭水車にはタイヤが山積みされています。たぶん、石炭の代用として乗せたんだろうなぁという気がします。可能な範囲で気を使っているのかなと。


もう1機います、C58形98号機。これも晩年を北海道で過ごした機体。デフ間を煙突をまたいで繋がっているつらら切りが特徴ですね。
これは桜山温泉という昔あった温泉施設で使われていました。C58の後ろに寝台車3両を繋いでいた、昔流行ったSLホテルというやつでした。温泉が潰れた後は客車は解体されてしまいましたね。
これも再塗装は受けているようで、D51と同程度の状態になってます。

遊園地の設備が軒並み解体されて跡形もなくなったのに対して、蒸気機関車だけが解体を免れたのは幸いでした。放置されずに手入れされているのも良い材料です。


公園から日没を眺めたところで、切り上げて旭川の宿へ東進します。


泊まるのはここ。市街地のビジネスホテルではなく、周りは真っ暗で畑の中にぽつんと建ったピーダッシュガーデンというゲストハウスです。ゲストハウス泊まるのは初めてだなぁ。
ちなみに旭川市でなくて東川町にあります。


4人用の大部屋に通されました。うなぎの寝床みたいなベッドがステキ。他にも家の中を探検しましたが結構面白いところでした。たまにはこういうのもいいね。


夕飯は寿司。
北海道は地元の回転寿司屋が安くて美味いと評判でしたから行ってみたのですが、GWなのでひどい混雑でした。チェックインの時間も迫っているし、持ち帰り寿司にして部屋で食べました。
とても美味しかった・・・。次はちゃんと店で食べたいと思いました。

といったところで2日目は終了。翌日へ続きます。