日本の心・さいき

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亡き母の思い出

2019-09-29 09:41:48 | Weblog
 母は、認知症でした。13年間。
 開業時、私が傍にいましたが(駐車場を挟んで、病院の前のアパートに住んでいて、703号室に両親が、私が702号室に)、母の手作りの料理をしばしば頂いていました。
 「たはら小児科医院」が閉院になって、私の兄夫婦の世話になり、私は、県外で、単身で、福岡県大川市(→大分市→上天草市)の病院に就職しました。
 父は、私が開業している時に、亡くなりました(閉院2年前)。
 私が県外に出て、しばらくしてから、母の精神状態が普通でないことに気が付きました。帰るたびごとに、どんどん、症状が確実に悪くなって行き、私の方も、そんな母を見ると、精神的に、参っていました。
 母は、料理に凝っていて、お茶会のお菓子も、全て、母の手作りでした。
 亡くなる前の3年間は、(その前に、救急車を何度か呼んで大騒ぎすることもあって)施設に入りました。施設に入ると、加速度的に悪くなった感じがしました。
 佐伯に帰った時は、必ず、篠笛を母の前でいつも吹いていました。母は、「青葉の笛」が一番のお気に入りで、それを特に念入りに吹いていました。(葬儀の時にも)

 ある時の母と私の会話ですが・・・
「あんた、仕事は、今何してるんか?」
「お母さん、何してると思う?」
「さあ、何かなあ・・・先生か?」
「違う、医者。」
「ヘェー、医者か。何科?」
「何と思う?」
「(しばらく考えた後)外科かな?」
「小児科。」
「ヘェー、小児科か。」
 母が、昔、外科の看護師をしていたので、外科と言ったのでしょうか。今、思い出すと、つい、笑ってしまいますが・・・。
 働くは、傍を楽にさせる為に働く、身体は借り物、魂は不滅、信仰する心が大切(どの宗教でもいい)、高慢のほこりが一番いけない、と何度も言われていました。

https://www.youtube.com/watch?v=VN0OBOW1-3A
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