日本の心・さいき

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たけしの日本教育白書

2008-11-23 11:42:04 | Weblog
 昨日、280分も掛けて、民放で夜に「たけしの日本教育白書」と題して、教育問題をしていた。日本のいろんな教育の矛盾点を指摘していた。真剣になって私は見ていた。親の躾の仕方、教育委員会の問題、モンスターペアレントの問題、教師の実態など。
 最後に、丸い円卓で、石原東京都知事と橋本大阪府知事と東国原宮崎県知事が対談していた。
 それの最後にたけしが、所謂聖職者をマスコミが痛めつけてきたことを反省した弁をちょっと述べていたかな。
 石原氏が高圧的なものの言い方をし、橋本氏も、怒ると叱るの区別が出来なかったのを東国原氏が指摘していたが、その点、東国原氏は、私には、正に、オバマ的な存在に思えてならない。
 アメリカのクリントンもブッシュもオバマも、大麻の経験者、そして、東国原氏も、いろんな経歴を持っている。が、そんな男がそれまでの経験を生かして立派に政治をしていること、これこそ、今後にあるべき日本の姿だと思っている。
 子どもは大人の縮図だ。大人が日々をそれなりに納得する感じで毎日を送っていることが大切だと思う。
 やはり、躾は、小さい時にそれなりにしっかりと家庭でしてもらわないと困る。人のモノを取ってはいけない、人を傷つけてはいけない、してもらったらありがとうと素直に言う、そんな基本的なことで学校が悩むべきでない。
 又、東国原氏が言われる様に、今、地域の力が確かに落ちている。市町村の合併で、地方の行事が減少し、又、現実に行われている祭りの行事にしても、多くの箇所でそれに参加する若者の数が減少している。
 教育なんて、国がどうこうするよりも、基本的には、具体案は都道府県に任せ、更には、その地域に任せるべきだと思う。何故なら、一番いい方法が、その地域でないと分からないからだ。
 国と国との交流も、草の根運動からするのが一番確実で、近道だと常に私は思っているのだが。

 私の茶道の師匠の話2つ。

その1、しつけとおしつけ
 「しつけ」と「おしつけ」は、全く違う。躾は、身を美しくすると書いて、字の如く、親が子に、生きる上での基本的なことを教えること。挨拶をすることや箸の持ち方などは、躾。おしつけとは、押付と書いて、教えられる方は迷惑に思っているのに、周囲から押しつけられること。子どもに小さい時から塾通いさせたり、いやいやながら英才教育をさせ様とするのは、おしつけ。正に、しつけにおがついたものは、不必要のおしつけ。
 今の時代は、「しつけ」と「おしつけ」を混同している親が多い。昔の様に、三世代が同居していると、いい躾が出来ることが多い。しかし、核家族では、それは、難しい。核家族で、親が仕事に出ているとなると、尚更難しい。それに、飽食の時代で、モノが豊富になっているから。理想的には、ほどほどの金持ちか、ほどほどの貧乏がいい。

その2、教育では、上と下の関係を、はっきりしておくべし。
 ○○高校の校長先生が、学校の前の道路の掃除をしていた(師匠の家は、道路を隔てて、この高校の前にある)。で、師匠は、「ここの学校は、生徒に掃除させないで、先生にさせるのですか?校長先生は、自分の校長室を掃除するのはいいかも知れませんが、それ以外は、生徒にさせるべきですよ」と言った。そしたら、しばらくして、校長先生の姿はなくなり、生徒がホウキを持って門の前の掃除をしていた。しかし、掃除機にしか慣れてない生徒達、ホウキの基本的な使い方も出来てなかった。ホウキの使い方ぐらいは、家庭で躾けておくべきこと。
 教育では、上と下の関係をはっきりさせておかなければいけない。教わる方が上に立っていて、教育が上手く行く訳がないと。
 ムムッ、師匠の意見、なるほどと思った。

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