日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その153)

2007-07-19 09:46:57 | Weblog
○昭和53年1月22日(日)晴。
 日曜の様な感じがしなかった。病棟では、M先生のCHDの患者さんが死亡していた。新生児室でも、RDSの子が挿管されていた。忙しい病棟になっている。○○さんは、どうしたらいいのかなあ。予後が良くないのだから、いっそのこと外泊させた方がいい様に思うのだが。
○昭和53年1月23日(月)晴。
 H教授に頼まれて、僕が医学生の前で説明をしないといけないはめになってしまった。午前中、少し興奮していたが、いざ前に立つと、自分でも不思議なくらい落ち着いて堂々と説明が出来た。僕って、先生になる素質があるのかなあ?他の教師と違うところは、その意気込みの違いだろう。学生から、質問を受けた。
○昭和53年1月24日(火)晴。
 恵ちゃんの生理がなくなったので、ひょっとしたらパパになれるかも知れないと思って、ケ一キを買って帰った。
○昭和53年1月27日(金)晴。
 僕が学生の時は、アッと言う間に一冊の本を読み終えていた。しかし、ここに来てからは、そんなことがなくなってしまった。やはりどんなに忙しくても暇を見つけて勉強しないといけない。この日は恵ちゃんのお誕生日。とうとう25歳にもなってしまった。もう子どもを産まないとおばちゃんになってしまいそうだなあ。結婚適齢期はなくても出産適齢期はあるのだ。まだ生理がない。ひょっとしたら・・・。
○昭和53年1月31日(火)。
 アッと言う間に1カ月が終わってしまう。まだ、(結婚式をした)宮崎神宮にお参りしていない。ゆっくりする暇がないが、バイトを入れて手取りが20万ほどあるので文句は言えない。パパになった時には、立派な小児科医になっていないといけないなあ。
○昭和53年2月3日(金)曇。
 心カテをした。とても緊張していたが、僕が切開して入れた。意外にスム一ズに入って行った。しかし慣れるまでには、それなりの経験が必要だと思った。肝臓の所でカテを曲げるのが少し難しい。心臓では、右心耳の位置に注意しないと危ないなあ。
○昭和53年2月6日(月)雨。
 15:00~H教授と再び学生講義の為に、303号室に行った。僕もかなり図太くなっていて全く上がらなかった。医学生が熱心に聞いてくれた。講義が終わるとドカッと質問が来た。もっと勉強しないといけないなあと思った。
○昭和53年2月7日(火)晴。
 抄読会があって僕は2つの論文に付いて喋った。2つもなんて今までなかったなあ。○○○ちゃん(副腎皮質過形成の塩類喪失型)の総括をH教授が見て、お褒めの言葉を頂いた。とても忙しい生活をしているけど、パパになれるかと思うとちっとも苦しくなんかない。

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