日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

生き方・・・

2008-09-07 13:50:29 | Weblog
 9月5日の民放のテレビで、岩手県一関市在住の藤野静枝(56歳)の腹話術を使っての活動が紹介されていた。14年前から、海外で、ボランティアをしている。渡航費は、全て自費で、活動も全て自費で、お金をもらわない。今までに9カ国で。驚いたのは、全て、その国の言葉で。「ダイちゃん」なる人形を使い、主として、子ども達を対照に。
 最近では、オランダで公演している。それも一人で。子どもが好きだから、自分を試してみたい、自分のしたいことにお金を使いたいと言う。
 学生時代に、既に、岩手県内外の学校や福祉施設、病院等でボランティア公演を行っていた。学生時代に障害児施設で腹話術と出会った藤野さんは、療法としての腹話術の魅力に触れたのだ。
 最近、藤野さんが取り組んでいるのが、入院している子ども達を対象とした臨床公演となっている。
 素晴らしい。
 しっかりとこの世に生きているって感じだなあ。
 私も、頑張ろうかなあ・・・!!

 「宮崎県小児科医会会報第14号」の原稿を募集していたので、以下の内容を送った。
 皆さん、こんにちは。昭和55年3月に宮崎医科大学を離れて、当初は時々宮崎での学会に出席していたのですが、この10年間は殆ど出席してなくて、誠に申し訳なく思っています。
 私の場合は、鹿大卒業後、宮崎の県病16カ月→大学2年半から、佐伯の勤務医10年半余→(19床を持っての)開業医8年半余、更には、福岡県大川市の勤務医2年7カ月→大分市の勤務医2年2カ月、そして、1年間全く仕事をせずにアチコチと海外を旅行(時々篠笛・和太鼓の演奏、タイのチェンマイ→ニュージーランドのオークランド→韓国の釜山→バングラデシュのダッカ→マレーシア→インドネシアのバリ島→イタリアのフィレンツェ→カナダのバンクーバーとトロント)し、再び熊本県上天草市立上天草総合病院小児科の勤務医となり(初めのまる1年間は小児科医私1人だったので、娘の結婚式の時以外は、開業医の時の様に1日も休まずに仕事をしましたが)、まる3年間が経ちました。
 来年の5月には、とうとう満60歳となり還暦です。今まで仕事中心の生活でしたが、自分の人生観も、いろんな体験からかなり変わりました。
 来年の4月からは、仕事半分と自分のしたいこと(趣味)半分にすることにしました(幸いなことに、病院にも、も一人の小児科医にも、了解してもらえました)。
 一度限りの人生なので、又、3人の子どももそれなりに巣立っているので、後は、体を壊さない様に、細く仕事を続けながらも、デッカイ夢を抱いて、子どもの様に目を輝かして余生を生き生きと悔いなく送りたいと思っています。
 佐伯市との姉妹都市であるオーストラリアのグラッドストーン市(9年前にも行ってそこで演奏していますが)に来年行く予定にしています。又、佐伯市の友情都市であるハワイのホノルル市にも機会を見て(5年前に、そこでの調印式の時に演奏に行きましたが)行く予定にしています。
 それに、今年の秋に、娘夫婦(娘は、今、カイロプラクターになる為の大学院に通っています)が住んでいるアメリカのアトランタ市に行く予定です。
 以上の3カ所で、日本の「盆踊り太鼓」を披露して、受ければ毎年行ってみようかとも思っています。体力的にも、今から数年間が最後の勝負だと思っています。
 今の職場は、田舎なので、患者さんが少なくて楽です。それに、2人で小児科をしているので昔のことを考えると、天国です。
 今からやりたい世界もはっきりと見つけることが出来て、今は、若者の様に毎日ワクワクした気持ちになっています。
*以下に述べることを本当は書きたかったのだけれども、書けなかった。
 ホントの所、この日本独特の「盆通り」を海外で盛んにして、「世界平和」を願っているのが、私のしたいこと。
 盆踊りは、供養盆踊りなので、亡くなった人もその時に来るし、小さい子どもからお年寄りまで、それに、踊り自体が難しくないので、直ぐに覚えられるし。又、外国の人も気楽に参加できるから。
 で、太鼓打ちは、国際色豊かに子ども中心にと思っている。それ等の子どもの太鼓の指導を自分がしようと思っているのだ。自分がこの世に存在しなくなった後も、自分の弟子が自分の意志を継いで、いつかは、大きなうねりとなって活動してもらえることを祈っているのだが。


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狂育・・・

2008-09-07 09:02:59 | Weblog
 大分県の教員採用試験後に、突如、今年だけ首になった若い先生達、周りの人の責任もあり、誠に気の毒だなあと思う。
 合格基準もはっきりと示されていない。今も。狭い教育界の中で全てが処理されようとしている。古い体質をまだ持っているのは、教育界以外にも、いろいろある感じだが・・・。
 今回の責任を辿って行くと、市長や知事に辿り着く。更には、官僚、そして、文部科学省の大臣に。となると、やはり、諦めるしかないのかなあ?コロコロ交代になる大臣と、現場の知らない霞ヶ関の官僚では、いつかいつかで、年金問題と同じ感じになり、期待するのが初めから無理かな。早く、小さな政府、大きな地方になってもらいたいなあ。
 一度の試験で、定年まで、終身雇用・年功序列って感じで、どんなに努力してもしなくてもあまり変わらない感じで終わる今の制度、もう一度、真剣に見直すべきだと思う。上級官吏試験、これって、最も古い体質じゃやないのかなあ。
 その職業に就いて、一生懸命にして行く中で、本物に近付いていけるケースが大部分だと思う。その為の研修制度。医師にしても、裁判官や弁護士にしても、そうだ。教員だって、それがあっていいと思う。全て、臨時教員的な身分にして、それから、一般人を入れた客観的な判断で、正式な教員に選ばれる制度を取ったらどうだろうか。ストレートに教育学部を来ている人以外に、一般人もしばしば教壇に立つべきだと思う。学校での親御さんの参観は、常に出来る様にするべきだと思う。
 教員にも生き甲斐があり、そして、生徒にとってもとても楽しい学校であれば、少なくとも、今よりは問題は少なくなるはず。
 今の様に、受験一辺倒の学校であったり、親と教師の間に溝があって、帰っても塾に行っている何て、教育ではなく、子どもと共に育つ共育でもなく、子どもの心に響く響育でもなく、狂った狂育って感じだ。
 自分の大学の時の同級生(女性)で、在学中に、辞めたい辞めたいとしきりに言っていた人がいた。ここまで(専門3年)来たんだから、頑張ったらと、周りが説得していた。で、留年し、やっと国家試験に合格した。初めはそんなボロボロの彼女だったが、最近遭った時には、別人の様に生き生きして、今が一番幸せって感じで言われていた。今は、関東で子ども大好きな小児科医としてバンバン働いているのだ。在学中に同級生の女性が7名いたが、その中で、自分が見た感じでは、今では一番輝いて見えるかな。
 10年経つと、したことの意味が半分になると言う考え方がある。入学した時の価値が、10年後には、半分に、20年後には、更に半分に、60歳過ぎの定年の時には、16分の1でしかないのだ。
 人間は、変わりうるモノ。たった一度の試験だけで、全てが決められは、ホントに困りますネ。敗者復活戦、再チャレンジ、これも、生きる上での醍醐味でしょうか。


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