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RunRunTako

takoのラン日記

橘湾岸スーパーマラニック島原ステージP100km部門2012完走記

2012年11月12日 16時46分10秒 | 大会記

湾岸がおわって、仕事が忙しくて
ここの更新ができませんでした。
もう1週間以上たったんですね〜。

今回は、いろいろといつもとちがいます。
まずは、あの日のことが遠いことのように感じること。
ウルトラのあとは、いまくらいならまだ
きのうのことのように感動がからだじゅうにしみ込んでるのに、
今回はもう思い出のひとつになってるみたい。
ちょっと症状が悪化してる故障との戦い、
歩きが悪くなってて日々格闘してます。
そういう日々にもどってるので
そのせいかなあ。
ちょっとさびしいな〜。
あの感動をむしかえしたいな〜。

そして、ランニングは9日に再開しました。
走る方の症状は悪くなってません。
あいかわらずいい感じで走れてます。
やっぱり、ランナーとしては復活できてるようです。
雨や仕事で土日は走れなかったけど、
今朝もいい感じで走れました。
いつも100キロのあとの1週間くらいは、
どこか痛みが出たり疲れを感じますが
故障のせいなのかなんだかわからないせいもあって
まあ、橘の前と同じに、
変わりなく走れるようになってます。
今回、足首が痛くなって力一杯
出し切ることができなかったせいだと思いますが
終わってからあまり筋肉痛がひどくなかったです。
これはちょっと残念です。
目一杯がんばりたかったのに〜。
それから、この1週間で体重がナント
2キロも増えました!えっ?!なんで?!
いつもは、1キロほど増えて体脂肪は2%くらい減ってて
それが3日目くらいに体脂肪は徐々に戻り、
体重はかくんと2キロくらい減るんです。
それが今回は、体脂肪に変化はなく、
1キロ増えて帰って来て、それからさらに1キロ増えて
そのまま現在に至ってます。
あら?どうしたんでしょ?
ゴールしてから、我慢してたビールで乾杯して
その後は毎日飲んでます。そのせい?
大会前やせてたのは、無理な休肝日を重ねてたから?
そういや、顔まで肉が戻った気がする。
大会前よりしわが減ってるもん。
これはうれしいけど・・・う〜ん。

とまあ、こんな感じで、
1週間後のたこはすっかりいつものたこに戻ってます。
でも、ランナーたこは、復活できてます。

て、ぜんぜん完走記に至ってないですね。
もうすぐ治療に行く時間だ。
書けるだけ書きましょう。

前日の11月1日は
大会前の最後の治療に行きました。
先生は
「島原に応援には行けませんが、こうして念を送り込んでおきましょう」
といいながら、痛い痛い施術をしてくれました。
そして明けて2日の当日、
いつもどおり4時起きで、
娘のお弁当作りにはじまって
おばかでかわいい愛犬ミミとのお散歩でおわるという
午前中の家事を済ませたら、
JRの鈍行列車に乗り込み、諫早まで行き、
島鉄バスにゆられて
爆睡のうちに小浜につきました。

ぎんさんが
「10時スタートだとあんたは目一杯がんばってしまうからな〜。
もし、だめだと思ったらリタイアも考えなさいよ」
と言いました。
わたしはリタイアをすることは考えてなかったので
返事をしませんでした。
「心配しとるのよ」
わかってます。
もし、深刻な故障に陥ったらどれだけぎんさんは悲しむだろう。
そう思うと、やめる気がないのが申し訳ない。
たぶん、わたしはタイムアウトにでもならない限りやめない。
ぜったいやめたくないと思う。
ごめんね、ぎんさん、
と心の中であやまりました。

公民館に入って、まずは厨房でできつつあるエイド食を
いくつかつまみ食いさせてもらって
ooyamaさんと受付をしました。
受付をするみなさんに説明やら諸注意をしますが
残念なことに、自分がこの注意を怠ってしまいました・・・
だいじなチェックシートを持つのを忘れて
スタートしてしまったんです。

7時半まで受付業務をしてから
休憩に入りました。
なんと、あのざわざわした公民館で
しっかり30分くらい爆睡しとりました。
それから準備にとりかかりだしたら、
kimiさんがテーピングをしにきてくれました。
それから、いなちゃんが各種ドーピング薬を持って来てくれました。
痛み止めや胃腸薬やつり止めなどなど。
それらを受け取って、荷造りをして
スタート前の腹ごしらえに水餃子とおいなりさんと
いただきました。
なんだかんだしてたら、すぐにスタート時間になりました。

あ、もう治療に行く時間だ。
続きはあとで。


阿蘇カルデラスーパーマラソンDNSde応援

2012年06月03日 17時55分32秒 | 大会記

ただいま〜。
阿蘇から帰ってきました〜。

金曜日の昼頃現地到着し、
鍋の場所を確保したあと
選手受付し、「走らないのでこれは返却します」と
チップは返却。
これでDNS確定です。
そのあと、受付に約200部てくてく7号を置いてもらいました。

今年はkimiさんご夫妻と鍋をしました。
通りがかったじゅんじゅんさんを捕まえて
つきあわせました。
今年もたくさんの走友が参加してて
明日の応援が楽しみだ。

早めにお開きにして9時には解散しました。

2時半頃目が覚めたので
スタート会場に向かうみなさんを見送ってから
コーヒーをすすりつつ、
一緒に応援に回る予定のikedaさんを待ちました。

4時45分ごろikeda号で、いざすっぱつ!!

スタートには間に合わないので
まずは10キロの久木野エイドに向かいました。
ここではそうめんが出ます。
口からそうめんを下げたまま走り出す選手もいたりして
なかなか見てておもしろかったです。
先頭はキロ4分を切るタイムで通過しました。
かなり前でとっきゅうさんとおぼしきランナーを見つけました。
故障してたのでてっきりDNSと思ってましたが。
スパちゃんも5分を切るくらいで現れたんじゃなかったかな。
なんだかすごく早い展開です。
曇りでときどき小雨が降る絶好のコンデションです。
いい記録が狙えそうな気配がしました。
全体に早いペースで通過しているようでした。
ここは選手が団子状態で来るので
だいぶ知り合いを見逃したようです。

一通り知り合いが通過したところで
次は20キロあたりで応援することにしました。
場所を物色してたらryojiさんたちをみつけたので
一緒に応援することにしました。
順位がさっきからだいぶ変動してました。
すでにきつそうなランナーもいて
いたく同感な思いをしました。
わたしは去年この辺ではもうへろへろでしたから〜。
湾岸のエースogawaちゃんはかろやかな走りです。
ガッツさんは重そう。調子悪いみたいです。
今年の春の湾岸173キロのダントツトップkizenさんは
ゆっくりの出足のようでずいぶんうしろのほうでした。
ryojiさんの顔を覚えてくれていたようで
わざわざサングラスをとって挨拶をしながら走って行きました。
まじめな人です。
スパちゃんも快調!
じゅんじゅんも余裕!
ごろさんがちょっときつそうです。
いーさんは楽しそう〜。
120603_071107b
きのう、ここはどんな景色でしたか?
わたしはまだ2回しかここに行ったことがありません。
次はいつ行けるかな〜?
足の状態を見ながら走ったり歩いたりしてみました。
まわりに人も車もなにもない中で
じっくり試行錯誤できました。
のどかないい時間を持つことができました。
来年はスケジュールが入ってるので
阿蘇には来れませんが
きっとその翌年には、
走ってここまで来たいなと思います。

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松浦シティフル駄マラニック

2012年05月21日 18時34分34秒 | 大会記

日曜日はあみりん主催の「松浦シティフル駄マラニック」に参加してきました。阿蘇前のロング練にちょうどいいと思って。
土曜日の昼に家を出て、イラストレーター仲間と活動してる「フクオカ絵本クラブ」で手作り絵本の制作作業をし、その足で松浦に向かいました。
地下鉄天神駅〜JR筑肥線唐津駅〜JR伊万里駅〜松浦鉄道松浦駅という路線なんですが、地下鉄とJR筑肥線は相互乗り入れをしており、1枚の切符で乗り継げます。だから当然その次のJR線である唐津線も乗り継げるだろうと思ってました。だもんで、地下鉄の改札を入るとき、JRで使えるICカードで入場しました。んで、唐津駅で改札を出ることなく唐津線に乗り継ぎました。電車は1両編成のワンマンカーで、のどかな田舎を進みます。それにしてもどうも乗客の皆さん、ICカードなんか使ってない様子。そしてどの駅も無人。ん〜?もしかしてカードは使えない?不安がってるうちに終点の伊万里に着きました。運転手さんにカードで入ったというとやっぱり使えないらしく、なんと手書きの領収証明を書いてくれました。しかもそれは唐津線のみだそうで、筑肥線のぶんは駅でカードに入場履歴があるのでそれとあわせて処理してもらってくださいとのことでした。こうしてカードが使えないことを知らずに乗ってくるお客さんはときどきいるらしく、そのたびに手書きの領収を運転手さんが書いてるそうです。なんとまあ具合の悪い対応でしょう。改札にちゃんと表示してくれたらいいのに。つうか、ワンマンならなおのこと、カードが使えたら手間が省けていいのに。で、降りた伊万里駅は駅窓口は締まり職員もいなくて、結局処理してもらえないまま、今度は松浦鉄道(これも1両編成のワンマン)に乗りました。こちらも全部無人駅です。でも今度はちゃんと整理券をとって、降りるときに料金を払ってすっきりと降りました。
ほいで、午後8時過ぎ、駅前ですら人一人いない薄暗い松浦の町を進み、松浦シティホテルに行きそこで一泊しました。
おお〜、前振りが長くなっちゃった。
さてさて、そんなこんなで大会当日がやってきました。
ちょっとうらぶれた松浦駅にランニング姿の集団が集まって来て、なごやかな雰囲気の中、9時にスタートしました。
まだまだ足は不自由で、うまいこと走れません。こりゃあ苦戦するな。前途多難です。それでも去年の状況よりははるかにマシです。オクラホマミキサーをするまでもなく、なんとかビッコが弱くて走りになります。とにかくそんな走りと歩きとで、少なくとも20キロ、できれば阿蘇の目標の30キロは進みたい。時間にして5時間以上は動きたいなと思ってました。制限時間は8時間でしたが、スタート前に会ったたぁみさんが自分たちは6時間でゴールするから、その時点でわたしがいるとこに拾いにいくと言ってくれたので、そんじゃあ6時間進もうということにしました。全コース42.195キロは無理っぽい。でも、なんとか自分の足でゴールに行きたかったので、ショートカットすることにしました。
ペースを計ってどこまでいけるか考えました。途中バス停があります。時刻表を見たら9時過ぎのが出たばかりで、あとは4時間後・・・バスに乗るのはあきらめました。ショートカットも、知らない道では安易にすると迷子になってしまいます。となると、最初の地点は20キロ過ぎ。行けるか?まずは10キロ通過が約1時間40分でした。15キロあたりが2時間30分くらい。ほぼキロ10分か。ははは、、、阿蘇のペースにはほど遠い。でもこれなら先までいけそう。去年の阿蘇以来の最長距離になりました。マメはできてきたけどまだだいじょうぶ。20キロに着きました。おおむねキロ10分ペースでいけてます。もう少し先まで行くことにしました。だんだん走るとつりそうになってきました。でもなんとか少しずつは走るようにしました。26キロあたりでショートカットコースに行きました。近くに御厨駅がありますが、自分の足で行くことにしました。少し行くと正規コースと合流します。そして正規距離で37キロのあたりの無人エイドでコーセーさんに会いましたが置いて行きました。ほどなく追いつかれ、あとは一緒に歩いてくれました。6時間を過ぎた頃、たぁみさんから電話がありました。あと約3キロだったので待ってもらいました。コーセーさんがすたすたいいリズムで歩いてるあとをついていってたら、普通のいい感じで歩けてました。6時間35分くらいでゴールできました。ジョグノートで計ったら33.3キロでした。約9キロのショートカットでした。9時間弱あれば42.195キロいけたようです。
なんとか足はだいじょうぶでした。あまり後遺症はありません。マメができたのと、股関節まわりに筋肉痛、それと左すねに筋肉痛です。約1年、長い距離は踏んでなかったけど、あんがいいけるものなんだなと思いました。
9キロショートカットして海岸線ののどかなコースを満喫できなかったのは残念でしたが、いいコースでよかったです。去年よりは苦しくなかったですし。少し「普通」になれそうだという感じも持てたし、少し走れたから。正直言うと、同時にいつまでこの不自由を背負っていないといけないのかな〜というのをしみじみ思ったりもしました。自由に動く足の人たちの中にいると、どうしてもそういう思いにかられてしまいます。でも、そのぶん、帰ってから「よし、がんばろう!」と思います。きょうは筋肉痛があるので用心してランオフし、明日からまたがんばります。筋トレとストレッチは今日からがんばってます。
来年こそは、自由な足で松浦をたのしみたいと思います。
で、帰りはたぁみさんに車で送ってもらいました。
途中SAで夕食を食べたんですが、突然吐き気がおそってきておいしい夕食をもどしてしまいそうになりました。もったいないので必死にがまんしてコトなきを得ましたが、残り半分食べられませんでした。疲れてるんだろうと言われました。う〜ん、くやしいな〜、弱くて。もっと強くなりたいもんだと思いました。
そんなわけで、いまだに例のICカードのぶんの支払いが未処理のままです。近いうちに処理してもらわんと。めんどうだな〜。

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阿蘇カルデラスーパーマラソン参戦記_2

2011年06月05日 19時36分49秒 | 大会記

スタート会場についたら
仲間をさがして
中間点行きの荷物を預けました。
多分行けても第一関門。
前半でリタイアした人々はみんな
中間点に連れていかれます。
リタイア者が集合するのを待たされるので
なにかと待ち時間があります。
からだが冷えてるかもしれないから
ウィンドブレーカーを入れて預けました。

スタートしてあんましうまく走れないことがわかりました。
あちゃ〜。
最初のエイド、2.5キロも行けるかな?
できれば第一関門29.5キロ地点までは行きたい。
関門時間は3時間55分。
キロ7分56秒ペースでいかないといけません。
5キロあたり39分39秒のペースです。
そんなペースで30キロ近くを走るなんて
この数年したことありましぇん。
でも、とにかくいけるとこまでだ。

まめくまさんが最初の坂で歩いてます。
余裕の歩き作戦です。
でも、下りですい〜っと前に行って見えなくなりました。
わたしも歩きましたが
こっちはあっぷあっぷで歩いちゃったクチです。
すでにぜーぜー言ってます。

北九州ウルトラのメンバー数名が見えました。
ランボーさんがうしろから来ました。
えらいゆっくりなのでびっくりしたら
1週間前に盲腸の手術をしたばっかりというので
またびっくり。
きょうは様子見でゆっくりいくとのことでした。
ランボーさんとは10キロくらいまで
前後しながら進みました。

最初ののぼりで歩いたものの
5キロ手前までは下り基調なのが幸いして
なんとか脚をまえに進めることが出来ました。
5キロは35分23秒で通過。
37分でいければいいと思っていたので
これは希望が持ててきました。
Aso5k
今回はカメラも携帯も
持たずに走りました。
できるだけ負担がないようにしたかったので。
写真は2006年に撮った5キロ地点です。

ここからゆるやかにアップダウン。
必死に動かすけど
腰が痛くて長く走り続けられません。
でも、麻痺そのものはひどくなく
走る動きはできます。
びっこではあるけど
そんなことはもうどうでもいい。
走れるだけでもありがたい。

前哨戦は南阿蘇地方です。
広々と田園地帯が広がり
左手に雄大な阿蘇五岳がそびえ
行く手に外輪山が望めます。
Aso8k

10キロ手前のエイドでそうめんをいただきました。
ランボーさんは2杯食べてました。
ランボーさんとは
このあとは離れてしまいました。

元気が出てきました。
10キロまでは行けそうです。

もう平地でも歩きが入るようになりました。
5〜10キロは37分21秒で通過しました。
まだ貯金があります。

15キロもなんとか通過したいです。

下りはなんとか走れますが
のぼりでも平地でも歩きになってしまいます。
でも、急がんと、第一関門まで行けない。
いつ収容されるかヒヤヒヤしながら
うしろをちょこちょこ振り向きながら
進んでました。

10〜15キロは40分27分で通過。
ああ、目標ペースを超えちゃいました。

必死に動かしてぜーぜー言いながら進んでるんですが
これがせいいっぱい。
痛くて続けて走れないし。
ムリして走り続けてると今度は麻痺がひどくなってきて
びっこの度合いがひどくなります。
だからときどき歩いて仕切り直さないといけません。
電信柱とか目標を決めて
走りと歩きを交互にしながら進みました。

時計を何度も見て後ろを見て
はらはらどきどき。
くっそぉ〜!
なんとか第一関門までは
行きたいんだ!
収容車来るなよ〜!

20キロまで行けました。
15〜20キロは40分50秒で通過しました。

あと少しで高森の坂だ。
阿蘇に出たからにはあそこは登りたい!

必死に進んでると
前方に脚が痛そうで歩いてるランナーを見つけました。

坂まで数百メートルというところで
追いつきました。
「あの角を曲がったら
急坂がはじまりますよ。
どうどうと歩けますから
あの角までがんばって走りませんか?」
と話しかけたら、彼もがんばって角まで走りました。

少し話しながら進んでましたが
だんだんに彼のほうが遅れて
離れてしまいました。

元気だった時は多少坂の傾斜がゆるいところは
走れたのに
今回、「ゆるい」と思えるところがなく
歩いているのにぜーぜーで
とてもきつかったです。
ああ、体力落ちたな〜と実感しました。

やっとのぼりきったら
あとは下り基調です。
少しくだったところにエイドがあります。
峠のエイドでなにか食べたかったですが
もうバナナはなくなってました。
シロップをもらいました。
おなかが減りました。
ぐーぐー言わせながら走りました。

かなりの急坂がつらなり
そこを半ばやけっぱちのように
ころがりおちました。

25キロ通過。
20〜25キロは56分08秒で進みました。
3時間30分12秒たってます。
あと4.5キロを25分弱で行けないよね〜。

しかたありません。
ここからはいつ収容されるかわかりません。
覚悟しなきゃ。

収容車が通り過ぎるたびに
ひやひやしました。
とにかく第一関門をめざしました。
きつくてなんども歩をゆるめたくなったけど
捕まってしまうと思い、
必死に進みました。

「関門まであと1キロ」の表示がありました。
おお、あと1キロか。
て、3時間58分じゃん。
すでにタイムアウトしています。
でもここまで来れただけでもうれしいです。
わたしにとってのラスト1キロです。
よくがんばった。
うるっときました。

収容されることなく
29.5キロ地点、第一関門につきました。
4時間06分でした。
時計を止めてわたしの阿蘇がおわりました。
悲しいけど、うれしくもある結果です。

そのあとはバスの旅でした。
中間点まで行きます。
そこでがんばってる仲間を応援しました。

エイドのそばをいただいたら、喉が痛くてそばが通りません。
そういえば、終始ぜーぜーといっぱいいっぱいで
走ってましたから。
あらためてがんばったんだと思いました。

その後、
またバスに乗ってゴールに帰ってきました。

少ししたらトップが帰ってきました。
考えてみたら、そこにいるランナーは
みんなリタイア者なんですよね。
トップはリタイア者に迎えらる
最初の完走者なんですよね。
なんだか不思議な情景です。

今年は思った以上に
リタイア者が多かったです。

わたしたちのテーブルは
リタイア者の集いの場状態になりました。
たくやんさん、宮崎のランちゃん、みしんさん、
IkeBさん、かなさん・・・
ランザクラブのラン♪さんもかなりがんばったけど
リタイアでした。
ランボーさんもバスで帰ってきてました。
でも、湾岸のエースogawaちゃんはサブテン!
女龍神さまは座骨痛で不本意ながら3位!
がっつさんもまめくまさんもIkeAさんもスパちゃんも完走!
そして、へっぽこさんも感動の完走!
よかった。ほんとうによかったですね、へっぽこさん。

完走って、ひとの完走でもうれしいもんですね。

わたしもいつか完走できるように
またがんばっていきたいです。
今回、希望がもてる結果を出すことが出来て
出走してよかったと思います。

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阿蘇カルデラスーパーマラソン参戦記

2011年06月05日 18時08分41秒 | 大会記

土曜日は、阿蘇カルデラスーパーマラソンに参加してきました。
出走人数 1,441名(100km848名、50km593名)
完走人数 1,035名(100km521名、50km514名)
完走率 72%(100km61%、50km87%)
100km部門の完走率を下げたひとりになりました〜。

でも、満足しています。
第一関門までの短い戦いでしたけど。

金曜日の午前中に家事を片付けてから
阿蘇に向かいました。

車を駐車場に入れて
テーブルスペースを確保したら
前日受付をしてから
てくてく5号を置いてもらいました。
今回かならず阿蘇に行こうと思っていた理由は
このためでした。
快くスタッフの方に了解をいただきました。

そのあとはひとりでまったり。
散歩していてみつけました。
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博多唐津街道駄マラニック第一回記念大会

2011年04月15日 19時16分23秒 | 大会記

あやっ!
もう、1週間たとうとしてしまってますね〜。
やだわぁ。
なんせほれ、ろくに筋肉痛にならない程度にしか
進めなかったですからね〜。
なんだか、ウルトラのあとにある余韻というものも
ほとんどなくて、ちょいと淋しい気分ですな。

コースはジョグノートに掲載しました。

ルートラボが見られる人はこちら

なかなかいいコースでしたよ〜。
是非、また走りたいです。

あ、今回、ほとんど走れなかったっす。
ん、もぉーーーーーっ!
よりによって、めっちゃ状態が悪くてさぁ。
さすがにめいりましたさぁ。
だから、ぜったい治ったらリベンジしますっ!

そんなわけで、
片道だけ自分の脚で進みました。
帰りはあみりんさんの車にのっけてもらって
みんなが死ぬ思いで走ってる復路を
グースカピーと居眠りしながら博多まで帰りました。

さあ、そんな博多唐津街道駄マラニック
記念すべき第一回大会参戦記を
書くとしますか。

例によって、ろくに走れないわたしは
アーリースタートで午後10時に博多駅前をスタートしました。
Dscn2810
のどかな景色が続きます。

Dscn2835
ピークを過ぎたら海が見えてきました。
遠くに虹ノ松原が見えます。

坂を下ったら202号線に合流します。
そこが45キロエイドですが
だれかが持って行っちゃったらしいです。
ドロボォ〜〜〜っ!
なにもありませんでした。

つぎからつぎに折り返して来たランナーたちに会いました。
みんなにがんばってと言ってもらえました。

Dscn2860
玄海のとき、地蔵峠で
「がんばろうね」と声をかけてくれたランナーさんに会いました。

Dscn2869
唐津城が見えました〜!

10時15分頃到着しました。
12時間15分かかりました・・・・
およそキロ13分47秒ペースです。
いかに苦戦したかがわかりますねぇ。

その後は、
例によって状態がよくなりました。
いつもウルトラのあとは状態がよくなります。
人体の不思議ですね〜。

というわけで、がんばって状態を改善させて
リベンジがんばりたいと思いますっ!

おもしろい大会でした。
あみりんさん、ありがとうございました。
そして、声をかけてくださったランナーのみなさん、
ありがとうございました。

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橘湾岸島原ステージ完走記5

2010年10月15日 12時55分25秒 | 大会記

雲仙エイドを出たらすぐ森の中の自然歩道を行きます。
いわゆるトレイルですが、
歩いたんで、ただの山歩きでした。
涼しくて気持ちいいです。
土の路面が足に優しいです。

林道を出たところで
まだ走れるhirasueさんには「先に行ってください」と言いました。

わたしもあとを追って走ってみました。
走れました。
なんとか走れました。
痛みはあるものの
雲仙までののぼりのときの激しい痛みが消えてました。

幹線道路に出たら
脇をサポートカーが走り去って行きました。
「がんばれ!」と言われた気がしました。

かなり走らないと最終関門には間に合いません。
ここまできたら、間に合うかどうかはともかく
がんばれるだけがんばってみよう。

いや、関門を通過したい!

腕を大きく動かして
走りました。

がんばる。
できるだけがんばってみる。

幹線から別れ
389号線に入ります。
下りがきつくなりました。
ずだだだぁ〜〜〜!!と勢いのまま走りました。
なぜか、走れました。
キロ4分台くらいで走れてる感覚がありました。
きついカーブを6つ回れば分岐です。
全部走ろう。
カーブを数えながら進みました。
Dscn2049
95キロ通過です。
16時45分。
最後の表示です。
この表示を見るたびに元気が出ました。
hirataさん、ありがとうございました。

Dscn2052
だんだん日が傾いてきました。


残り3キロを切りました。
橘湾に夕陽が映えます。

あと2キロくらいのところで
お迎えランにやってきたkimiさんと合流し、
4人で行進です。

小浜の町に下りた頃には
だいぶ薄暗がりになってきました。
遠くにゴールが見えて
人がたくさんいるのが見えました。

inaちゃんとhirasueさんと3人で
手をつないでゴールしました。

21時間15分の橘湾岸の旅が終わりました。


いまできるかぎりのがんばりをしたと思います。
こうしかできなかったいまの状態をあらためてくやしく思います。

苦しく、くやしい101.5キロでしたが
それでも、楽しくいい一日になったな〜と思います。

これからしばらくはおとなしくします。
また100m走るてなレベルからはじめます。
がんばって治します。

ボラのみなさん、共に走ったみなさん
ありがとうございました。


橘湾岸島原ステージ完走記4

2010年10月15日 12時13分07秒 | 大会記

最初は衝撃が少ないようにと歩いてたんですが
急なくだりでは歩いたって
ついつい「だんっだんっ」と強い着地になってしまいます。
坂の傾斜のあるところでの
歩きによる足首のひねりも気になります。
ひょっとして小さく小刻みに走って
少ない着地でたったっと進んだほうが
歩きより足首の動きが少なくてすむんじゃないか?
着地の衝撃のダメージとひねりによるダメージとで
どっちがマシだ?
などといろいろ考えながら歩いてみたり
走ってみたり・・・・

とはいえ、どえりゃあ景色なんです、ここ。
Dscn2038
中央の建物は大火砕流で被災した
大野木場小学校跡です。

なんだかんだと忙しくも苦しい下りがおわると
69.6キロ地点に無人エイドがありました。
ちょうどスタッフのryojiさんが来て
補給の買って来たばかりの冷たいコーラをくれました。
そこでnisidaさんやokaさん、maemuraさんたちと
合流しました。

Dscn2041
75キロ通過。
11時48分。

こうして距離を通過するたびに
ここまで来れたなという喜びを感じました。
hirataさん、ありがとうっ!

がっつさんが軽快に走って追い抜きながら
「計画通りに進めてますか?」と声をかけてきました。
「まずまずです」と答えました。

走りたいな〜。

また座り込んでさらにテーピングを厚くしました。
このところはぜんぜん走れません。
着地の衝撃が痛くて走れません。
これで少しは走れるようにならないかな。
なんとか俵石エイドにはたどり着きたい。

でも、だんだんに走るどころか歩くのも辛くなってきました。
痛みに波があって、強いときは
着地の瞬間ずーんと腰あたりまで痛みが走り、
力を入れられません。
はよ、エイドに行ってリタイアしよう。

さぁみんが小さく小刻みなピッチで坂を登ってきました。
「雲仙までは行きぃ。」
と言いました。

うん、雲仙までは行こう。

なぜかそう思ってしまいました。

それからしばらくして俵石展望所エイドに着きました。
ぜんざいをいただいたら少し元気がもどりました。
「ムリせんでね」という抹茶んの声に送られて
出発してしまいました。

すでにそうとうムリしてるよね。
ああ、またリタイアしきらんでだらだら進んでる。
でも、出発したからには雲仙までは
たどり着かにゃあ。

痛み止めを飲みたい。
inaちゃんから24時間分の痛み止めをもらい
最低4時間間隔ということで
4時間おきにここまで飲んできていました。
1個、落としてしまって
残りは1個しかない。
どこで飲もう?
飲んでも効くかどうか・・・

ひたすら痛みとの戦いになってしまってました。
歩くのでせいいっぱい。
こうしてあとから思い返せば
リタイアすべき状態だったと思いますが、
とにかく雲仙に行かなきゃ、
と思ってました。
雲仙でリタイアしよう。

Dscn2044
14時46分でした。
雲仙の関門に間に合いそうです。

すぐに雲仙の温泉街に来ました。
地獄めぐりをしないといけません。
もう、じゅうぶんここまで地獄だったようなんですけど・・・

で、また道を横断しないといけません。
スキを見て渡ってたら車が来ました。
あわてて走りました。

あれ?走れたよ、いま。

うしろからhirasueさんが来ました。
地獄めぐりの遊歩道は歩くと大会ルールにあるので
一緒に歩いて行きました。
Dscn2047
雲仙エイドに着きました。
15時10分。

ボラも含めて橘湾岸には
春と秋あわせて6回出てますが
7回目にしてはじめてこの雲仙エイドに来ました。
初参加のランナーのときは
この地点はワープしてて
ボラのときはエイド業務の都合で寄れなかったんです。
これで思い残すことはない。

トイレに行って少し痛みが減ってるのを感じました。
どうしよう。

「ここを出たら林道は最低でも抜けないと
収容してもらえないんですよね。
どこでリタイアしたら都合がいいかな?」
と言ってるとmatuoさんが
「ここがいい」と耳元でひそひそ言ってきました。

だれもがんばれとか行くべきだとか言いません。
ただ、応援する気持ちをもっていてくれることが
なぜだか伝わってきます。

行ってみるか。

クーラーボックスの中の氷を
痛む右足のソックスに挟み込みました。

林道が不安だったので
hirasueさんにひっついて出発しました。
出発してしまいました。


橘湾岸島原ステージ完走記3

2010年10月14日 17時01分41秒 | 大会記

水無川手前の道の駅ふかえ前のエイドにつきました。
足首が痛くなって来てましたが
予定より1時間早く各ポイントを通過できてたので
かなり気持ちには余裕がありました。

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少し進んだ先の漁港の夜明け。

できるだけ走る歩数が歩く歩数と同じより
下回らないようにしたかったけど
状態がよくなく、このへんからは
歩くほうが多くなりました。

島原の市街地に入ってからは
少し休もうと思って
お城までは歩くことにしました。
歩いているうちに回復するかもしれない。

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お城へののぼり。

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着きました〜。
57キロ地点中間エイド。
7時22分。

ここには8時までには着きたかったので
余裕でセ〜フっ!

ここからひびきちゃん、さぁみんは
ボラからランナーにへーんしんっ!
それにかんみちゃんに会いました。

ちょっとはゆっくりしたいけど
どうも状態が悪くなって来てたので
これからは苦戦しそうだ。
具雑煮とかんざらしをいただいて
トイレを済ませてそそくさと出発しました。

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だんだん坂がきつくなって
歩きに徹することにしました。
な〜んていうとかっこいいけど
正直にいえば走る根性がなくなりました・・・

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まだまだのぼりは続きます。

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峠のピークです。
平成新山が目の前です。
もうすぐエイドです。

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65キロ。9時31分。

さあ、ここからが地獄の下りで〜す。
この足でどうやって下りゃあいいんだ?

この大会一番の絶景のなかで
約4キロ、試行錯誤の下りがはじまりました。


橘湾岸島原ステージ完走記2

2010年10月13日 12時16分44秒 | 大会記

10月9日21時にひとり走り出しました。
これから21時間を越える長い旅がはじまりました。

が、
じつはおろおろしてる間にスタートしてしまい、
覚悟だの心の準備などなにもなく
ただなんとなぁ〜く走りだしていた・・・・
という間の抜けたスタートだったのよねぇ。

走り出して少しして、
「ああ、やっぱよう動かん」
とがっかりしたと同時に
「それでもなんとか進んで行こう」
とこれからの道中を思いました。
で、少し走ってムリしないように
100走って100歩くを基本に
状態を考えながら
よければ400走ったところで20歩いたり
きつければ20走って100歩くというように
ずっと数を数えながら進んで行きました。

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海を見ると遠くにあかりが見えます。
漁り火か?対岸の町の灯か?

故障で体のバランスが悪くて
足下に目線を落とすと走りやすいという状態なのもあって、
ほとんど下を見て走ってました。

大会の地図は、
親切にところどころバス停の地名と距離が表示してあり
それをたよりに進みました。
どうやらキロ8分台で進めているようでした。
だとしたら、第一エイドは設営は間に合わないな。
「いいから」とは言っておいたけど、
スタッフはがんばって間に合わせようとするんじゃないかな。
申し訳ないな。

もしかしたら第一チェックポイントも間に合わないかもしれない。

でも、貯金作りたいから
できるだけ前半はがんばりたい。

そんなことを考えてると、
路面にエイド0.5キロという表示がありました。
山口から毎年参加されているhirataさんが
石膏まみれになって書いて来てくれたんでした。
ありがたいことです。
感激してるうちに
第一エイド津波見バス停13.6キロ地点に着きました。
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15キロ地点通過です。
hirataさん、ありがとぉっ!
23時14分。

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25キロ通過。1時10分。

トミーさんが追いついて来てきました。
ついついほっとして歩きまくりました。

トミーさんは「原城で中華粥を食べてるね」
と言って先に行きました。

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35キロ通過。3時09分。

まだまだ夜は明けないな〜。

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堂崎のエイド。
トマトのゼリーをいただきました。

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50キロ通過。5時59分。

もうすぐエイドです。

どんだけ数を数えたかな。
ここまでなんとか、走れたら走るようにして
進んで来れました。