シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 長坂 玲子 姉妹

2012年02月16日 04時25分09秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 長坂 玲子 姉妹

昨年
考えてみたら 妹と二回 会ったのだわ。
一回目は NHKホールの後の会場で
二回目は 仕事の後 待ち合わせして 夜だった。
十月に 中華街で 妹と二人で 会食して
その時 私は四年ぶりの酷い風邪をひいていたのに
気管支ぜーぜー で咳をしながら
「ごめんね。もし うつったら。」と言い残し別れたら
その後
「お姉ちゃんの風邪うつったら マイクロプラズマ肺炎になったから
4日間 寝込んだわ。あれって マイクロプラズマ菌だったんじゃないの」
と 連絡があり
申し訳なかったわー
確かに 酷い風邪で 丁度 ワニ子さんと Je suis malade
(原題は 私は病気 という題のシャンソン 日本では 恋の病に冒されて)
の練習と ヤクルトホール本番前の リハーサルとかの連続で
ずーっと ワニ子 ワニエ 二人共 ぜーぜー 気管支がはれ上がり
「私は病気 Je suis malade」状態でしたけれど
私は 一日も休まず 歌いつづけていました。
同じ菌でも 私は 肉体が丈夫なのですが
妹は 心臓も悪いし 肥満だし あちらこちら 教師を続けられるけれど
病気の宝庫ですから 肺炎になってしまい
私は 医者に二度薬をもらい 薬も お酒も飲みながら
歌も歌えて 生活はいつもどおり。

どうして 同じDNAなのに こんなに違ってしまうのか。
でも 魂は とても似ていて 感受性が強いことと
仕事に忠実な誠心誠意ということや 漫才師みたいに 可笑しな
会話をして 二人で居ると ゲラゲラ 笑ってばかりです。
妹は 私より更に 真面目で 善意の嘘さえ つけないタイプです。

父が 癌の末期の時「こんなに痛いのは 何か悪い事したかなー」
と言うと「したわよ。女を作って ママを悲しませたからバチかも」と。
母の末期 認知症風だった時も 何故 病院に入院している
のか忘れてしまう母の質問に 最初から最後まで 繰り返し
繰り返し 幾度も説明していて 又 忘れられて 質問されて
又 再度 繰り返し説明して・・・・その 教師気質に 尊敬。
私ときたら「お母さん 病院は 暖かくて 家より楽ねー。
ご飯も作らなくて良いし いいわねー。」みたいに 流すのに・・・

妹の一人息子が 浪人して 今年大学に受かり
オバサンとしての リリさんは 少し 妹の為に安心しました。
妹は出産後 実家の成城で 三ヶ月間過ごし
我々の母は おばあさん役は できないと言うので
私が おばあさん役で お風呂に入れたり
当時 クラシックの歌手で 日本とベルギーを
行ったり来たりの時期 でしたけれど
必死に 早く帰宅して 毎晩 抱いてミルクをあげて
お風呂に入れて マッサージして 頑張ったものです。
時は 流れます。なーんら 変わらない気質 性格。
私にとって 妹は やっぱり ずーっと かわいいです。



シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 長坂 玲 シャンソン弾き語り

2012年02月16日 01時56分13秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 長坂 玲 シャンソン弾き語り


何でも やり続けると 体に染み付いて 感というものが 出てきます。
たとえば お料理でも 毎日続けていれば 味加減の調節も 盛り付けも
何となく スムーズになるように
私の場合 ピアノの伴奏を生徒さんのシャンソン レッスン伴奏者として
ひき続けてきたので 弾き語りは 感が働きます。

バンドや ピアノ伴奏で 歌う時は 振りや動きに アテンションして
出来る限り 曲に忠実な振り付けを自分に施しますが
弾き語りは ピアノが背景で 歌が語り・・・みたいに
シャンソンのポエムの世界を自分で クリエイトできるので
楽しくて しかたありません。
今日は
芦野宏先生の 十八番のシャンソン 「小雨降る径」の 新しいコード進行を
考えながら 練習していて無我夢中になっていました。
あまりに 有名な古いシャンソンには
私としては 新しい風を吹き込み
リリ・レイ風に 仕上げたい。 お料理と似ています。

けれども 素材が良いというのは大事ですね。
メロディーが美しく 詩の韻が綺麗で 誰でも聞いて
口づさみたくなる・・・・シャンソン。
素材の味を消すような ごてごて のコードや
ポエムとかけ離れすぎるアレンジは
出来ないけれど 趣味の良い伴奏は 求め続けたいです。

銀座のかつての 自分の店では 毎晩弾き語りをしていましたけれど
あの経験も良かった・・・リーマンショックの後
演奏家に ギャラを払い続けたら 赤字になりそうだから
苦肉の策で 自分で自給自足的に 歌手兼伴奏者
弾き語りを継続し続けたら
いつのまにか 感がしみついて 今では 弾き語りが楽ですし
評判も良いです。
経済困窮が 私の芸を育てた事は 幾度もあります。
大学生の時は 一人暮らしで自立型学生でしたから
銀座のクラブのピアノ弾きを 三年間毎晩 し続けていたし
(歌うバイトは クラシック歌手は 声の為に禁止でした。)
亡父の銀座の高級クラブ店では 歌手のギャラが高いので
自分が社長になってからも 自分がノーギャラ歌手を 毎晩
しつづけているうちに
いつの間にか レパートリーが増え続け シャンソン歌手になってしまいました。
生き抜く為に なんとなく 芸術崇拝のクラシック歌手なのに
ポピュラー歌手になってしまいました。
今も まだ 自分がポピュラー歌手である事が 不思議です。
ただし フランス語ポエムのシャンソンは 芸術です。


先日 内幸町ホールで 弾き語りしたナントに雨が降る
は 三拍子で静かに語るシャンソン
リオン駅は わくわくする 三拍子
バルバラの作品は フランス語の韻が 弾き語りの方が
規則的で 上手くいきます。

こつこつ 学びながらコードクリエイトする時
リズムは 左脳 ポエムの語り表現は 右脳の作業ですから
超忙しい作業ですが
上手く見せよう 聞かせようとか 訴え様とか言う 自我が
消えるので 忠実な音楽が発信できる気がしています。

青山 オデオンで 弾き語りのライブをさせて頂ける日
2月 17日 2月24日 3月16日 金曜日 19:30~23:00
かつての自分の銀座の店では
毎晩 忍耐で本番と接客をし続けなければならない
連日連夜でしたけれど
年齢を重ねて ご褒美みたいに 又再び 青山オデオンという
場を与えられて 私はラッキーガールだと思います。
何をしても
あの時代に比べたら 体も精神も楽チンです。感謝。感謝。ただ 感謝。