シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY ノスタルジー

2012年02月23日 23時17分46秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY ノスタルジー

今 ジャックリーヌ ダノ の 魅力的なシャンソン ノスタルジーを
練習しているのですが
昨日 私の車で 常時流れている ダノのCDに
すかさず 反応したのは マダムFugikura。
「いいね いいね これ 凄くいいね。なんで 日本には
こういう 歌手が いないのだろー」
フランス語も分からなくても 感じるらしい。
越路吹雪さんの 死に化粧までなさった ファン中のファンで
昔から 歌舞伎 シャンソン オペラ 日本画 陶器の美を 求めている
ので ご自分は なさらなくても 審美眼は スゴーイ。

我々は 時とすると 井の中の蛙で
世界 日本の此処かしこ オペラ シャンソンを 聞きつくし
今も尚 日本の主要コンサート会場 ライブハウスに
必ず聞きに行かれるマダムのように 行動力が無いものです。
とはいえ
PARIS では 私は 毎日 聞きに行き感動していますが・・・

聞いた数 見た数の 多さは 目利き 耳利き 感受性豊かになり
感じてくるものです。
だからと言って 自分が いざ歌う 演じる時 出来るというものでは
ありませんが・・・
自分的には 批評家の耳を持ちながら 「ああは なりたくない」と
下手な演奏を聴いたとき 何故 下手なのか 瞬時に分析して
改良方法が 直感で分かるのは 長く生徒さんに教えたりしてきた
経験も 役立っています。
勿論 人生 勉強ばかりしてくると 沢山の音楽の師から
学んだ 何かが 音楽美の方程式の中に 当てはまります。
よく 音楽は 趣味の分野で 好みの問題じゃないの?
と 上手い下手は ないと 思われがちですが・・・
私は 聴衆の耳 特に優れた耳に 聞かれたいと思います。
感受性の強い 聴衆に 芸人は育てられるのですから。
逆に
褒められるのは怖い。
芦野先生は とても優しい人柄で穏やかでしたけれど
こと 音楽に関しては 厳しく
リオン駅を十字屋ホールで歌う コンサート 前
ゲネプロの時「何やっているのですか?
最後のポーズで リオン駅って 真っ直ぐ手を伸ばす ありきたりの
振りなんかしたら だめですよ。」と 皆さんの前で叱られた
事があります。六年前のことです。「ピアノまで 舞台袖から
歩いて 何歩か 計りましたか?」とも。

マダムFugikira が 最近は とても 辛らつにリリさんを
批判してくれるように なり
それは とても とても 有難い。
昨晩の オデオンでは
後輩の コンサートで花を持たせて シャンソンを
サービスで歌いなさいと
言われて せっかく 二曲弾き語りしたら

「あなた どうせ シャンソンなんて 聞いてくれないわ っと思って
リオン駅 流して 歌ってたでしょ」
えーっ?
先日は
「芦野先生の悲しみで やつれてオバサンみたいだったし
お化粧も濃くて 悲しい時化粧が濃くなる歌手っているのよ」とか
NHKホールの時は
「衣装が 良くナーイ。貴女には ボディーラインぴったりか
パンツスタイルの マニッシュが いいのに・・・」

とにかく 当たってる。
もう 音程も 音楽性も 演技も 上手くて当たり前なのだから
それ以上の 魂のピュアーさ 媚びへつらわず無になり
自分を客観的に見て 真剣であることかなー
しかし 生の人間が芸術作品になるというのは
大変な 時間がかかります。
はー
まだまだ 修行です。



シャンソン歌手リリ・レイ りり・レイ LILI LEY 芦野先生の追悼

2012年02月23日 21時59分35秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ りり・レイ LILI LEY 芦野先生の追悼

自宅の電話とFAXの 回線が風雨で
外回り 配線の不具合で ストップしてしまい
芦野先生の お別れ会の情報を知ったのは 皆さんより遅くなってしまいました。
全然 芦野先生と面識の無い クラシック畑の 勝本先生まで
お電話を下さり 「私も レイちゃんの先生だし芸術家の芦野先生の
お別れ会に 行くわよ」と・・・・
ミリオン協会のプロデューサー 高原加代子さんからも 「行くわよー」

皆さん
素晴らしい 芸術家でスターの芦野宏先生の魂に
感謝の追悼をしたいのでしょう。

昨晩は 川島豊さんの ソロライブを 青山オデオンに
駆けつけて 仲間達と聴き
その帰り道
私は マイカーなので お酒は 飲めない身分ですが
81歳のマダムFugikuraと 二人で
六本木の中華料理店で
芦野先生を 懐かしみ 夜食をたべました。
マダムは 青山オデオンで
ウイスキーのオンザロックをハイペースで ぐいぐい
飲み続けて
「芦野先生の 舞台を見れないと思うと
いらいらして仕方ないから 今日は沢山 宝石も着けてきたの」と。
私は「気落ちしてるけど 大きなイヤリングつけてみたの。
飲めないから 仕方ない 食べるわー」と
二人で 真夜中の夜食
あわび くらげ ピータン
美味しい とりそば を 綺麗に平らげ・・・

二人とも 朝早いのに 芦野先生への追悼の宇宙空間へ・・・・
生きている芸術品を 失う 悲しみを語り合ったのでした。
「レイサン 私の年になるとね。皆は こんなに 悲しいとか
思わないらしい」っと マダムの一言。
感受性を 失わないのは 流石マダムの生き方の 素晴らしさだわ。
六本木を 出るとき 現実に戻り
二人とも時計も持たずに
ただ 芦野先生の話をしつづけて 深夜3時過ぎていました。
雪か みぞれか・・・マイカーで マダムを お送りして
自宅に戻ったら もう 朝の四時でした。


朝 新芽のついた ハイビスカスが 窓辺で 春を告げています。
失う 悲しみ 別れの悲しみは 数限りなく 知っているけれど
私は生きている
木々も 生きている
寒くても 厳しい冬の寒さも 乗り越えている。
春は もう すぐ そばに 来てくれるはず。