シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY ノスタルジー
今 ジャックリーヌ ダノ の 魅力的なシャンソン ノスタルジーを
練習しているのですが
昨日 私の車で 常時流れている ダノのCDに
すかさず 反応したのは マダムFugikura。
「いいね いいね これ 凄くいいね。なんで 日本には
こういう 歌手が いないのだろー」
フランス語も分からなくても 感じるらしい。
越路吹雪さんの 死に化粧までなさった ファン中のファンで
昔から 歌舞伎 シャンソン オペラ 日本画 陶器の美を 求めている
ので ご自分は なさらなくても 審美眼は スゴーイ。
我々は 時とすると 井の中の蛙で
世界 日本の此処かしこ オペラ シャンソンを 聞きつくし
今も尚 日本の主要コンサート会場 ライブハウスに
必ず聞きに行かれるマダムのように 行動力が無いものです。
とはいえ
PARIS では 私は 毎日 聞きに行き感動していますが・・・
聞いた数 見た数の 多さは 目利き 耳利き 感受性豊かになり
感じてくるものです。
だからと言って 自分が いざ歌う 演じる時 出来るというものでは
ありませんが・・・
自分的には 批評家の耳を持ちながら 「ああは なりたくない」と
下手な演奏を聴いたとき 何故 下手なのか 瞬時に分析して
改良方法が 直感で分かるのは 長く生徒さんに教えたりしてきた
経験も 役立っています。
勿論 人生 勉強ばかりしてくると 沢山の音楽の師から
学んだ 何かが 音楽美の方程式の中に 当てはまります。
よく 音楽は 趣味の分野で 好みの問題じゃないの?
と 上手い下手は ないと 思われがちですが・・・
私は 聴衆の耳 特に優れた耳に 聞かれたいと思います。
感受性の強い 聴衆に 芸人は育てられるのですから。
逆に
褒められるのは怖い。
芦野先生は とても優しい人柄で穏やかでしたけれど
こと 音楽に関しては 厳しく
リオン駅を十字屋ホールで歌う コンサート 前
ゲネプロの時「何やっているのですか?
最後のポーズで リオン駅って 真っ直ぐ手を伸ばす ありきたりの
振りなんかしたら だめですよ。」と 皆さんの前で叱られた
事があります。六年前のことです。「ピアノまで 舞台袖から
歩いて 何歩か 計りましたか?」とも。
マダムFugikira が 最近は とても 辛らつにリリさんを
批判してくれるように なり
それは とても とても 有難い。
昨晩の オデオンでは
後輩の コンサートで花を持たせて シャンソンを
サービスで歌いなさいと
言われて せっかく 二曲弾き語りしたら
「あなた どうせ シャンソンなんて 聞いてくれないわ っと思って
リオン駅 流して 歌ってたでしょ」
えーっ?
先日は
「芦野先生の悲しみで やつれてオバサンみたいだったし
お化粧も濃くて 悲しい時化粧が濃くなる歌手っているのよ」とか
NHKホールの時は
「衣装が 良くナーイ。貴女には ボディーラインぴったりか
パンツスタイルの マニッシュが いいのに・・・」
とにかく 当たってる。
もう 音程も 音楽性も 演技も 上手くて当たり前なのだから
それ以上の 魂のピュアーさ 媚びへつらわず無になり
自分を客観的に見て 真剣であることかなー
しかし 生の人間が芸術作品になるというのは
大変な 時間がかかります。
はー
まだまだ 修行です。
今 ジャックリーヌ ダノ の 魅力的なシャンソン ノスタルジーを
練習しているのですが
昨日 私の車で 常時流れている ダノのCDに
すかさず 反応したのは マダムFugikura。
「いいね いいね これ 凄くいいね。なんで 日本には
こういう 歌手が いないのだろー」
フランス語も分からなくても 感じるらしい。
越路吹雪さんの 死に化粧までなさった ファン中のファンで
昔から 歌舞伎 シャンソン オペラ 日本画 陶器の美を 求めている
ので ご自分は なさらなくても 審美眼は スゴーイ。
我々は 時とすると 井の中の蛙で
世界 日本の此処かしこ オペラ シャンソンを 聞きつくし
今も尚 日本の主要コンサート会場 ライブハウスに
必ず聞きに行かれるマダムのように 行動力が無いものです。
とはいえ
PARIS では 私は 毎日 聞きに行き感動していますが・・・
聞いた数 見た数の 多さは 目利き 耳利き 感受性豊かになり
感じてくるものです。
だからと言って 自分が いざ歌う 演じる時 出来るというものでは
ありませんが・・・
自分的には 批評家の耳を持ちながら 「ああは なりたくない」と
下手な演奏を聴いたとき 何故 下手なのか 瞬時に分析して
改良方法が 直感で分かるのは 長く生徒さんに教えたりしてきた
経験も 役立っています。
勿論 人生 勉強ばかりしてくると 沢山の音楽の師から
学んだ 何かが 音楽美の方程式の中に 当てはまります。
よく 音楽は 趣味の分野で 好みの問題じゃないの?
と 上手い下手は ないと 思われがちですが・・・
私は 聴衆の耳 特に優れた耳に 聞かれたいと思います。
感受性の強い 聴衆に 芸人は育てられるのですから。
逆に
褒められるのは怖い。
芦野先生は とても優しい人柄で穏やかでしたけれど
こと 音楽に関しては 厳しく
リオン駅を十字屋ホールで歌う コンサート 前
ゲネプロの時「何やっているのですか?
最後のポーズで リオン駅って 真っ直ぐ手を伸ばす ありきたりの
振りなんかしたら だめですよ。」と 皆さんの前で叱られた
事があります。六年前のことです。「ピアノまで 舞台袖から
歩いて 何歩か 計りましたか?」とも。
マダムFugikira が 最近は とても 辛らつにリリさんを
批判してくれるように なり
それは とても とても 有難い。
昨晩の オデオンでは
後輩の コンサートで花を持たせて シャンソンを
サービスで歌いなさいと
言われて せっかく 二曲弾き語りしたら
「あなた どうせ シャンソンなんて 聞いてくれないわ っと思って
リオン駅 流して 歌ってたでしょ」
えーっ?
先日は
「芦野先生の悲しみで やつれてオバサンみたいだったし
お化粧も濃くて 悲しい時化粧が濃くなる歌手っているのよ」とか
NHKホールの時は
「衣装が 良くナーイ。貴女には ボディーラインぴったりか
パンツスタイルの マニッシュが いいのに・・・」
とにかく 当たってる。
もう 音程も 音楽性も 演技も 上手くて当たり前なのだから
それ以上の 魂のピュアーさ 媚びへつらわず無になり
自分を客観的に見て 真剣であることかなー
しかし 生の人間が芸術作品になるというのは
大変な 時間がかかります。
はー
まだまだ 修行です。