山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

原発報道のウソは続いている 

2013年01月03日 21時46分58秒 | Weblog
 福島原発事故に至るまでおよびその後のマスコミの報道のあり方について、『朝日新聞』は2012・12・28夕刊に、1年間連載した「原発とメディア」をふりかえる特集記事を2ページにわたって載せた。自らを検証する作業を1年間つづけた努力は認めたい。『朝日』自身原発容認だったことを認めた。だが、原発反対運動を報道しなかったことを、民意をとらえるアンテナがマスメディアは低かったという程度で、反省の度合いは低い。
 朝日はじめ各社は、原発事故以後、澎湃とわきおこる反原発運動を存在しないかのように無視し続けた。これが事実だ。事故以前の原発容認推進、原発広告費による事実上の買収以上に、事故後の運動敵視、運動無視の姿勢こそが悪質だとわたしは思っている。その中では、運動敵視・無視を批判され、姿勢を大きく改めた『東京新聞』が唯一評価できるものだ。東京の何人かの知人は『朝日』をやめて『東京』に替えた。外国の政治動向をさぐるときには、労働者の運動、反政府運動を詳しくとりあげるのに、おひざもとの日本の政治については、運動の動向は一切無視し、政局報道に血道をあげる。これが日本のマスコミの姿だ。これでは真実に接近できないことはもとより、事実を国民の目から隠すという犯罪的結果をまねく。日本のマスコミがウソつきだといわれるのは決して極端な見方ではない。わたしはすべてウソだというのではない。政治権力、経済権力に有利なように事実報道を操作していること、とくに労働者・国民の運動を一切報道しないことが虚偽報道なのだ。
 わたしがここでとりあげたいのは、総選挙での原発報道だ。選挙報道は問題によってさまざまな内容がある。ここで各政党の原発政策を報道することは、選挙報道であるとともに、原発報道でもあるということを、いささかもあいまいにしてはいけない。
 『朝日』では、選挙報道の枠組みを、民主、自民、未来・維新の3つの極の対立とし、最後までこの枠にあてはめて報じつづけた。原発問題をこの枠組みで見ることが、総選挙で正しい判断をみちびくことになるのか。『朝日』は確か3度、やや大きい原発政策の検討記事をのせた。わたしはこれを見て、朝日新聞は死んだと思った。なさけない記事だった。怒りがこみあげた。
 2039年までにゼロをめざす民主、何の反省もなく推進姿勢がみえみえの(今は改めて新設を表明している)自民、国政進出の目玉にできると政治利用満々だったが石原との合併で平気で方針をかえた維新、10年後に卒業という未来、この4つだけが原発政策でとりあげる価値のある政党だという見立てを『朝日』はおこなった。最後までこれを貫いた。未来の小沢一郎氏は選挙中一度(最初にして最後)官邸前の脱原発集会にきて、テレビカメラを前にスピーチをして、し終わったらさっさと帰って行った。(報道するならこんなことも報道しろ!)こんな4つの政党のどれをいじくりまわしても福島の惨事に真正面から応える道はでてこない。
 原発即時ゼロで廃炉の過程に入ることを提起している共産党、社民党を選択肢から排除する原発選挙報道を虚偽報道といわずして何というか。とくに共産党は日本が原発を導入する時から、各地の原発建設に地元住民とともに建設反対を貫き、多くを断念に追い込んできたたたかいの歴史を持ち、福島についても吉井英勝議員が巨大地震による電源鉄塔の倒壊、津波による電源喪失を指摘し、緊急の対策を求めてきた。この共産党のこれまでの取り組み、政策を無視して排除し、民・自・未・維の政策を検討すれは選挙での原発問題の正しい判断ができると、読者を誘導した。今も16万人が避難をしている未曾有の原発事故を政治的に判断する機会を、明らかに誤った枠組みに読者国民を引きずって行こうとしたのは、報道機関の死を意味する。
 総選挙の原発報道は原発報道の結論部分だといっていい。ここであきらかなウソ、虚報が堂々とまかり通ったことに怒りを禁じえない。反原発運動をまったく報じない、途中からは申し訳程度に報じる、しかし共産党などの原発へのかかわりを国民の目から隠すということは徹底するという報道姿勢は不変だ。12月27日までつづいた原発報道の検証記事が、選挙での原発政策を原発報道だと認識していないのは、検証記事として失格だ。
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西安4日間の旅から

2013年01月03日 00時43分46秒 | Weblog
 2012年の9月、日中友好協会京都府連合会の主催する中国旅行に参加した。西安・延安・フフホト8日間の旅だったが、西安4日間だけでも可ということだったので、4日間コースに入れてもらった。その感想文集に投稿したものをここで紹介したい。



                       西安4日間の旅から
                                                           山上俊夫

 中国旅行は思えば久しぶりだった。10年前に東北部、もっと前に南京を、近藤さん・湯さんのお世話で、大阪府高教の仲間といっしょに訪問して以来だった。長安は行ったことがなかったので、是非と思って参加した。しかしまだ週2回高校で非常勤講師をしているので、延安の方に行けなかったのが残念だった。
 旅行中は、ノートに、ガイドさんに教えてもらったこと、気付いたこと、おどろいたこと、疑問に思ったことなどを書きつづるようにしている。
 外国に行ったら、朝食時間まで、街をめぐることにしている。以前は走って探索をしたが、今は歩きだ。2倍楽しむことができる。目的のひとつはホームレス調査だ。ヨーロッパ(ポーランド・スペイン・ポルトガル)ではホームレスの野宿者はほとんどゼロだった。ちょうど日本でホームレスが大問題になっていたころだ。韓国では日本と同様に公園はホームレスであふれ、ベンチというベンチは寝ている人で占領されていた。日本も韓国も新自由主義構造改革が吹き荒れた。日本の非正規率35%超に対し、韓国は53%だ。こんどの中国では、人々の朝が早いこともあるからだろうか、寝ている人は見かけなかった。ただ、大雁塔広場の北の大きい交差点の地下道を出たところに、2人の人が荷物をもって呆然とすわりこんでいるのを見た。出稼ぎに来て仕事にありつけず路頭に迷っているのではないかと思った。
 西安といえば秦の始皇帝陵だ。陵の地下宮殿の規模にも、発掘による秦始皇帝博物院の大きさもどぎもを抜かれた。そして兵馬俑に圧倒された。発掘は50年100年とつづくだろう。これを見ただけでも行った価値があった。いま20センチばかりの兵馬俑を毎日ながめて暮らしている。

          街の屋台風景
 西安の唐華賓館についた翌朝、6:20~7:40、ホテルの向かいの中層住宅の路地を歩き回った。荷車の屋台のおじさんから、やわらかく炊いたもち米に豆、甘めのタレをかけたのを買った。ふたりの客にもち米の釜からすくってトレイに詰めているのをみていたら、買う気はなかったのに私の番になっていて、勝手につめてくれた。まあいいやと思って買った。値段は1元と少しだった。ホテルの朝食と一緒に食べたが、温かく口当たりもいい。おなかにもたれなかった。
 屋台のひとつに定番の油条屋があった。小麦粉を水と油で練ったのをうすくのばして10センチ幅の帯状にする。それをコテで2センチごとに切っていく。こんどはそれを2枚重ねて、ぐーんと引き伸ばす。5、60センチも引っぱる。油をねりこんであるのでたやすく伸びる。引っぱりながらひねりをくわえる。それを油の鍋に真ん中部分から入れる。すぐ20センチくらいにちぢむ。逆に麺のように細いのが3、4センチまで膨らむ。薄い2枚をかさねてねじってあるので、縦にすじの入ったひねり棒のような格好になる。揚がったら、網の上に立てて並べる。だが、油条はまだ食べたことがない。
 建物の1階にちいさな食料品店があった。野菜、菜っ葉類はやや乾いている。日本のように新鮮を保つために水をかける気などさらさらない。新鮮を売り物にする風習がないようだ。インゲン、ササゲ、冬瓜、ニンジン、キャベツなどはいいが、葉物はあきらかに元気がない。小さい店の半分は野菜売り場、倉庫の棚のようなものに積み上げてあるので効率的だ。あとはソーセージ、缶詰、調味料など。中国は調味料が豊富だ。なかには日式調味料というのがあった。だしの素だ。
 おばさんが入口近くにすわって、袋に入れ、代金をうけとるのだが、そのそばには豚肉のかたまりが、大きいまな板にドーンと置かれている。冷蔵陳列ケースもなにもない。肉はその色からして決して古くはない。しかしその横の大きいレバーはどうかと思った。中国では生は食べないし、まして豚だから十分加熱するので心配はしなくていいのだが。豚肉のかたまりを見て鶴橋の店を思い出した。ソーセージを1本買った。魚肉ソーセージではなく猪肉だ。つまり豚肉ソーセージ。
 夕食後の9時ごろ、また路地に行ったら、ちょっとした広場で、昔の日本のように野外映画会をやっていた。懐かしい風景だ。ぶらぶらしていたら、散髪屋をみつけた。日本のような赤と青のグルグルはない。だから気づきにくい。たまたま子どもがすわっていたからわかった。男の子の頭はほとんどつるつる坊主状態。わすかに頭頂部にだけ毛を残して。ハサミで頭頂部を仕上げているところだった。
 もうひとり客がいて調髪をしていた。おもしろいのは、理髪師が椅子にすわって仕事をしている。足で椅子を動かしながら。すこし怠慢のようにも見えたが、立ちっぱなしでは疲れる。そういえば、スペインのスーパーでもレジ係りの女性が高めの回転椅子にすわって仕事をしていた。一日中の立ち仕事は足がぱんぱんになる。日本では客がいない時でもすわることを許さない。労働者の健康は二の次だ。見ていると、この散髪屋さんがすわっているのには理由があった。それは客のすわる台が低いから。日本では仕事がしやすい高さまで上げることができるのだが、そんな装置にはなっていないから。まさかそんきょの姿勢をずっと保つわけにはいかない。
 路地からの帰りに、コンビニ風食品店に入った。コンビニ風といっても、先の食料品店の2、3倍の広さで、倉庫の棚でなくちゃんとした棚が並んでいるという違いにすぎないが。そこでビールと麻辣ラーメン3種を買った。350mlの青島ビールが3・5元、46円だった。日本人向けレストランのビールが高いのは
いいとして、街で売っているのはすこぶる安い。
 このコンビニ風食品店ではレジがない。主人が代金をうけとると、それを引き出しのなかに入れるのではなく、カウンターがガラスになっていて、その下に放り込む。つり銭もそこから、しわしわのままつまみ出す。ガラス台の下は、小銭のお札が山のようになっている。なんと乱雑なと思ったが、同じ風景を近代的なビルの1階の商店でも見た。大通りに面したきれいなビルに入ったら、ガラスケースがあり、その中はお札が富士山状になっていた。くしゃくしゃのお札もあるので、容易に富士山が形づくられる。ああ、そうかあ、お札を山のように積み上げるのは、だらしないというのではなく、富の象徴のようにとらえているのだ。

          学校の警備
 張学良の公館を訪ねたとき、向かいに中学校があった。給食がないとのことで(日本も中学給食は部分的)、外で食べて、みんなまじめに戻ってきていた。中国旅行ではあまり子どもに出くわさないので興味をもった。見学したいと思い、「請、見学」とメモ帳に書いて頼んだが、伝わらなかった。まあ、日本でもふらっと変な人が入ってきて、見学させろといっても断る。入口から運動場での体操風景が見えたので、近づいて見たかった。門の守衛さんが3人いた。大学も警備員がいる。日本は小中高とも基本的にはいない。教育大池田小学校の事件で小学校に配置されたが、それも橋下によって廃止された。
 中国の小中学校は校門、入り口だけが道路に面していて、学校の全体像は外からは見えない。日本でも韓国でも、街の1区画が全部学校になっているが、中国では(都市部だけだろうが)道路に面したところは商店が占領し、ひとつの街区の中だけ、まんじゅうのあんこの部分だけが学校の敷地となっている。だから、バスで通っても、ほとんど見逃してしまう。たまたま昼休みが終るところで生徒が校門に流れ込んでいたのでわかったのだ。
 大学となると、規模が大きいのでバスの旅行者にもよく見える。韓国の小中学校は塀や柵もいいかげんで、開放的、出入り自由だった。中国は商店ががっちりガードしている感じで、警備もきびしい。
 それでも小学校に暴行犯が入ったらしい。そのためか、小学校では、親というより祖父母のお出迎え風景がすごかった。100人以上はいただろう。大事にされていることがひしひしと伝わった。
 中国の都市には大学が多い。日本では、多くが郊外、それも相当不便なところに移転して、都市に学問の雰囲気がない。その点、中国はそのまま残っているのがいい。日本は規模の拡大に力を入れる結果、手狭になった都心を捨てて、遠くに引っ越す。結果、都市の品格が下がる。

        格差の広がりを是正しえない中国の税制
 中国社会について、以前から疑問に感じ、知りたいと思っていたことに税制の問題がある。それは、あまりの格差の広がりが、外目にもおおいがたいほどになっているからだ。小平が、改革開放で、豊かになれる者から豊かになろうと打ち出して30年以上になる。先に豊かになった者が、まだの人に手をさしのべて、引き上げる、それが社会主義の理念だろう。私はそううけとっていた。
ところが、先に豊かになった者が、それを足場にどんどん富をたくわえ、いっそう豊かになり、あとの者をおきざりにする。1990年代以降、経済はおおいに発展したが、格差はそれにともなって拡大した。小平の方針は、順次、みなが豊かになるということだったはずだ。しかし、そうはなっていないことがわかったら、ただちに是正するのが筋だ。市場経済を導入したとはいえ、社会主義をかかげる以上はそうでなければ意味がない。なすがままにして、社会の分裂をまねいて崩壊へと導くのか。
協同組合企業でもなく、私企業が全面展開しているから金満資本家階級の大集団ができあがり、みごとな階級社会となっている。とはいっても、そこにしっかりとした格差是正のシステム、敗者復活のシステムを構築しなければならない。遅れている者、まだ貧しい者を引き上げるのは、産業政策、労働政策、社会保障であり、それを支える税制である。
 今回、長年の疑問を明らかにしたいと思い、帰ってから少し調べた。
 総じて日本の税制と共通するところが多い。数年前、『赤旗』紙上で農業税が廃止された記事をみて、ああこんなものが今まで続いていたのかと思った。農業税は2006年に廃止された。地方によって率は異なるが収穫の15~30%だったようだ。したがって年貢のような、あるいは人頭税的な、古い性格の税だ。解説では2600年におよぶ税だと書かれている。その廃止はいいことだと当時思った。ではそのほかの税はどうなっているのか。

 ≪中国の税制≫
所得税  企業所得税     2008年より33%が25%に
     外国企業所得税   2008年より優遇税制改め25%に
     個人所得税     5~45%、基礎控除以外の控除なし
流通税  増値税(付加価値税)穀物・食用油など13%、他は17%
     営業税       各取引段階で課税、3%、5%
     消費税       酒・たばこ・乗用車・ガソリン・貴金属に3~45%
     関税        0~270%
資源税  資源税       原油・天然ガスの開発生産に課税、従量税
     土地使用税     土地使用に課税、0・2元~10元/㎡
               中国国内企業が対象、外国企業には土地使用費
財産税  城市房地産税    家屋の所有・貸与に課税、所有1・2%、貸与12%
     車両船舶使用鑑札税 車両船舶の所有に課税、従量税
行為税  印花税(印紙税)  0・003%~0・1%
     契税        土地使用権・建物の売買が対象、3~5%
特定目的税 土地増値税    国有土地使用権・建物の譲渡に課税、30~60%
      固定資産投資方向調節税 固定資産投資に課税(国内企業のみ)0~30%
      都市擁護建設税  納付流通税=増値税・営業税・消費税が課税基準、1~7%
農業税  農業税(2006年廃止)
     耕地占用税     耕地の農業以外での使用に課税

 以上が中国の税制の基本だ。このなかに所得の再配分をするシステムがあるのかどうかが問われる。これが弱いと社会主義の理念はおろか、社会主義以前の不平等社会になってしまう。
税収の内訳は、2010年度では、増値税(日本の消費税)が29%、消費税(日本の旧物品税)8%、営業税(消費税)15%、輸入増値税・消費税14%で、日本の消費税に相当するものが合計で66%になっている(2011年度は64%)。完全な間接税中心、庶民課税によって税収がまかなわれている。増値税(消費税)は、穀物は13%だが全体は17%と高率である。
これに対し、企業所得税(日本の法人税)18%、個人所得税7%。となっている。企業所得税(日本の法人税)は経済発展によりふえているが税率を25%に下げている。個人所得税の少なさがいちばんの問題だ。7%にすぎない。2011年の所得税減税で、課税所得を月2000元から3500元(日本円で45000円)に引き上げた結果、課税対象者は8400万人から2400万人に減ってしまった。課税対象は1・8%だ。これは中所得者を課税対象からはずしたわけで歓迎されたであろう。課税対象がいったんは減っても、経済発展によりより多くの人が課税対象に組み込まれていくことは間違いない。所得税の最高税率は45%で決して高いとは言えず、所得の再分配機能をはたしていない。日本の最高税率はかつて75%だったのがいまや40%となり、所得税収入はどんどん減ってきた。法人税も消費税値上げを見越して、2012年4月より25・5%に引き下げられた。中国でも、日本と同じく給与所得と株式所得との分離課税が認められ、高額所得者が税を合法的に逃れる道が保障されている。さらに、金満資本家があふれているのに所得税が少ないのは、所得の捕捉率が悪いという問題もあるのではないだろうか。
 中国では相続税と贈与税がない。これが所得税の低さとともに高額所得者がますます肥太る原因となっている。もともと市場経済も私企業もない時代は必要のない税であったが、今や経済的には資本主義国と同じになったのだから、しかも格差が目に余る状況の下では導入を考える必要がある。でないと、社会がもたない。導入すると資産家が海外に逃げるとどこかの国と同じことがいわれているようだが、己の利益しか考えない人間が逃げるのはしかたがないではないか。逃げるからといって手をこまぬいている方が何倍も危険だ。
 中国政府は富の再分配をしっかりやらなければ、不満がたまり、社会がもたないことに気付いている。農業税を廃止して農民の負担を減らしたこともそうだし、中所得者を所得税から解放したこともそうだろう。だが高額所得者にしっかり課税して、所得の再配分機能を確立しなければ、大々的な暴動がおきかねない。より深刻なのは幹部の腐敗汚職だ。その広がりと深さはわれわれの想像をこえるもので、遠からず社会を揺るがしかねない。それは湯さんの言葉のはしばしにもうかがうことができた。
 中国政府も十分わかっていて、温家宝首相は「これからは、高所得者からより多くの税をとる。不法な所得を得ているものは、厳しく取り締まり、所得格差の拡大をできるだけ早く是正したい」とのべている。
 中国の税収はここ数年急速に伸びている。とくに2006年以後がいちじるしい。国債を含めた歳入では、2000年1兆3674億元、2002年1兆9163億元、2004年2兆6614億元、2006年3兆9440億元、2008年6兆1722億元、2010年8兆5549億元、2012年12兆0830億元で、税収では2010年度が7・3兆元(約91兆円、前年比23%増)である。だいたい毎年20~30%増のいきおいである。だが税収の構造が変わらないと格差是正にはつながらない。
 日本では、2010年度は税収が41・5兆円で、そのうち所得税が13兆円、法人税が9兆円、消費税が10兆円である。歳出は95・3兆円で、税金でまかなっているのは43・5%にすぎない。財政規模は中国と日本はほぼ同じだが、中国の方が国債依存度が低く健全だ。日本の税収は、高額所得者の税率の切り下げ、法人税の切り下げとデフレスパイラルで減る一方だ。1992年に54・4兆円あった税収が、2010年41・5兆円、2012年42・3兆円に落ち込んでいる。
 人民中国の人間の顔をした社会主義の成長をねがうものとして、いまの中国の腐敗と格差をなんとしても克服してほしい。高額所得者からの徴税強化のため若干の手直しがされているようだが、累進課税の強化をはじめとした民主的な税制によって所得の再配分が毎年確実に行われることを願う。
 ただ社会保険システムは国有企業時代には企業内で完結していたが、私企業時代にうつってからは国家的な社会保険システムが構築されなければならない。現状はどの程度まできているのであろうか。また社会保障システムも同じように国家レベルで再構築されなければならない。それにしても日本の人口の10倍だから並み大抵のことではない。でもがんばってほしい。
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追悼 ベアテ・シロタ・ゴードンさん

2013年01月01日 23時59分38秒 | Weblog
 2013年元旦。NHKニュースでベアテ・シロタ・ゴードンさんが亡くなったことを知った。わたしは彼女をベアテさんあるいはベアテと呼んでいる。教室ではもっぱらベアテといった。
 ベアテさんは日本国憲法の人権条項女性の人権形成に深くかかわった人だ。音楽家の父に連れられて、子ども時代の10年間を日本で過ごした。のちにGHQの一員として若くして憲法草案作成にかかわった。小さいころに遊んだ子どもやその母親の姿を思い浮かべながら、女性の人権をねりあげた。
 90年代半ばに出版された『1945年のクリスマス』でベアテさんはその間の事情をくわしく教えてくれた。この本が憲法学習に膨らみをあたえてくれた。ベアテさんは何度も日本を訪れ、日本国憲法の先進的意義を話してくれた。21世紀になってすぐの頃、吹田の女性センターで憲法講演会が行われたとき、私は当日、女性センターに行った。ぜひベアテさんの話を直接聞いて、その感動を定時制の教室で伝えたいと思って。ところが行ってみると女性対象の講演会で、事前に申し込みした人だけが入場できるということだった。そこをなんとかと頼み込んだら、人がいっぱいで第2会場をつくったので、そこでテレビを通じてならということで入場を許された。講演がおわったあと、実行委員会がベアテさんと短時間懇談をおこなうので希望者の方もどうぞといわれたので、わたしはそこにも参加した。記念撮影にも入った。
 その後の憲法制定過程のプリントには、ベアテさんのはたした役割とともに、べアテさんの若いころの写真、わたしも入ったベアテさんとの記念写真をいれた。憲法制定が身近に感じられるようにと。5年前には大阪の舞洲アリーナで9条の会の全国交流会が開かれたときにも、ベアテさんの講演を聞きに行った。
 わたしにとってベアテさんは憲法学習を応援してくれる大切な人だった。高齢にもかかわらず、定期的に日本を訪れ、日本国憲法を輝かせようとがんばっている人を励ましてくれる素敵な人だった。
 ベアテさんの死を悼むとともに、改めて感謝の気持ちをささげたい。
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