尖閣諸島問題は船長の釈放でぬきさしならない事態を回避した。弱腰ではないかという意見もあるが、わたしは冷静に対話をする方向に進む可能性がでたという意味で賛成だ。
衝突事件以来、日本政府は「中国との間に領土問題は存在しない。国内法によって粛々と処理するだけだ」とくりかえしてきだ。このいいかたは、相手からすれば、問答無用の冷たい態度とうつり、起訴、公判と粛々とすすめば後戻りできないと思ったのだろう。
でも、中国の態度は理不尽きわまるものだった。かつての中国外交にあった大人の態度は消えうせ、中国との友好運動をすすめる人たちの気持ちさえも踏みにじるものがあった。
尖閣諸島は、歴史的にも国際法的にも日本の領土であることは明白だ。ただ日本政府があとで領有を主張してきた中国に対し、歴史的・法的正当性を道理をつくして説明するという外交努力をまったくしてこなかったということが、わたしには理解できない。決着がついているのだから、外交問題にもなりえないというのだが、あらぬ摩擦をつくらず、相手を納得させるための手立てをつくすことこそ外交ではないのか。いまからでも遅くない。道理を尽くして説明する、相手の言い分に道理がないことも冷静に説明する、この機会をもつことが求められる。
歴史的な事実で興味深い話が昨日の『しんぶん赤旗』の1面コラム「潮流」にのっていたので紹介したい。
26日付に、尖閣諸島を開拓した古賀辰四郎について書きました。きょうは、後日談をひとつ▼尖閣でアホウドリの羽根の加工やかつお節づくりを始めた辰四郎氏は、1918年に亡くなります。息子の古賀善次氏が事業をついで、あくる19年。中国の福建省の漁船が、嵐にあって尖閣諸島の沖合いで難破、漂流します。発見し、助けたのが善次氏たちでした▼彼は、難破船と乗組員31人を石垣島へ連れてゆきます。石垣島民も、彼らを手厚くもてなします。やがて船が直り、彼らは無事に中国へ帰ってゆきました。翌20年、善次氏や石垣の人たちに、中国政府の感謝状がおくられてきます。▼そこには、中華民国の註長崎領事の署名がありました。漁船が遭難した場所を、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内…」と記していました。善次氏はのちに、当時は中国も尖閣諸島を日本領土と認めていた、といい残しています▼1920年という時期にも注目したい。中国では当時、激しい反日運動が起きていました。第1次大戦後、日本が中国に”山東半島をよこせ”と求めたからです。1919年5月4日の学生デモをきっかけに、日本商品の不買運動が全国に広がります▼21年に訪中した作家芥川龍之介は、女学生たちが不便にたえながら文房具も日用品も日本製を一切拒む姿に、驚き感動しています。そんな折の、東シナ海を舞台にした日中庶民の交流。当然のように、尖閣を日本領とみなした中国。いま振り返っていい、歴史のひとこまでしょう。
衝突事件以来、日本政府は「中国との間に領土問題は存在しない。国内法によって粛々と処理するだけだ」とくりかえしてきだ。このいいかたは、相手からすれば、問答無用の冷たい態度とうつり、起訴、公判と粛々とすすめば後戻りできないと思ったのだろう。
でも、中国の態度は理不尽きわまるものだった。かつての中国外交にあった大人の態度は消えうせ、中国との友好運動をすすめる人たちの気持ちさえも踏みにじるものがあった。
尖閣諸島は、歴史的にも国際法的にも日本の領土であることは明白だ。ただ日本政府があとで領有を主張してきた中国に対し、歴史的・法的正当性を道理をつくして説明するという外交努力をまったくしてこなかったということが、わたしには理解できない。決着がついているのだから、外交問題にもなりえないというのだが、あらぬ摩擦をつくらず、相手を納得させるための手立てをつくすことこそ外交ではないのか。いまからでも遅くない。道理を尽くして説明する、相手の言い分に道理がないことも冷静に説明する、この機会をもつことが求められる。
歴史的な事実で興味深い話が昨日の『しんぶん赤旗』の1面コラム「潮流」にのっていたので紹介したい。
26日付に、尖閣諸島を開拓した古賀辰四郎について書きました。きょうは、後日談をひとつ▼尖閣でアホウドリの羽根の加工やかつお節づくりを始めた辰四郎氏は、1918年に亡くなります。息子の古賀善次氏が事業をついで、あくる19年。中国の福建省の漁船が、嵐にあって尖閣諸島の沖合いで難破、漂流します。発見し、助けたのが善次氏たちでした▼彼は、難破船と乗組員31人を石垣島へ連れてゆきます。石垣島民も、彼らを手厚くもてなします。やがて船が直り、彼らは無事に中国へ帰ってゆきました。翌20年、善次氏や石垣の人たちに、中国政府の感謝状がおくられてきます。▼そこには、中華民国の註長崎領事の署名がありました。漁船が遭難した場所を、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内…」と記していました。善次氏はのちに、当時は中国も尖閣諸島を日本領土と認めていた、といい残しています▼1920年という時期にも注目したい。中国では当時、激しい反日運動が起きていました。第1次大戦後、日本が中国に”山東半島をよこせ”と求めたからです。1919年5月4日の学生デモをきっかけに、日本商品の不買運動が全国に広がります▼21年に訪中した作家芥川龍之介は、女学生たちが不便にたえながら文房具も日用品も日本製を一切拒む姿に、驚き感動しています。そんな折の、東シナ海を舞台にした日中庶民の交流。当然のように、尖閣を日本領とみなした中国。いま振り返っていい、歴史のひとこまでしょう。
【東京都渋谷区ほか】10.2 中国の尖閣諸島侵略糾弾!全国国民統一行動(10/2)
http://www.ganbare-nippon.net/news/diary.cgi?no=9
http://www.youtube.com/watch?v=5Rx046-1WQc
日時・内容:
平成22年10月2日(土)
集合場所 : 代々木公園けやき並木(NHKスタジオパーク入口横)
13時00分 準備
14時00分 東京集会
(登壇予定)
田母神俊雄、山田 宏、西岡 力、黄 文雄、イリハム・マハムティ、鳴 霞、西村幸祐、土屋たかゆき、永山英樹、柚原正敬、三輪和雄、水島 総、ほか 地方議員多数
15時10分 隊列準備
15時30分 出発 けやき並木~渋谷駅前~青山通り
~表参道~原宿駅~けやき並木
16時30分 けやき並木到着
17時00分 ハチ公前広場街頭宣伝活動(~19時00分)
(登壇予定)
萩生田光一、赤池誠章、馬渡龍治、ペマ・ギャルポ、イリハム・マハムティ、鳴 霞、井尻千男、小山和伸、土屋たかゆき、永山英樹、柚原正敬、三輪和雄、水島 総、ほか 地方議員多数
全国各地でデモ・街宣・ビラ配り等の抗議行動を同時に行いたいと思います。
ご協力いただける方は「頑張れ日本!全国行動委員会」事務局までご連絡下さい。
主催:
頑張れ日本!全国行動委員会
草莽全国地方議員の会
連絡先:
頑張れ日本!全国行動委員会
TEL 03-5468-9222
■チャンネル桜公式サイト
http://www.ch-sakura.jp/
http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV?gl=JP&hl=ja#g/u