山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

ビラ配布無罪判決をよろこぶ

2010年03月30日 07時23分05秒 | Weblog
 2003年の総選挙に際して、「赤旗」号外を配ったとして、一審で国家公務員法違反で有罪とされた社会保険庁職員・堀越明男さんに対し、2010年3月29日、東京高裁(中山隆夫裁判長)が逆転無罪の判決をだした。
 きわめて当たり前、憲法の表現の自由の立場から当然の判決だ。だが、私には驚きだった。6年もたたかってきた堀越さんは勝利を確信していただろうが、常識が通らない最近の裁判事情から、私は悲観的だった。
 勤務時間外にビラを配ることは、国家公務員であれ、市民社会を構成する人としての健全な姿だ。ところが国家公務員法、人事院規則は、選挙にいくこと以外はまったくといっていいほど政治行為を禁止している。それもそのはず、アメリカ占領軍が押し付けた反共国家づくりの柱のひとつだったのだから。健全な市民社会とは反する、制定当初から憲法の表現の自由をふみにじる違憲の産物だった。国際人権規約にも反する。
 大企業や政府の外郭団体に天下りしていく高級官僚には大きな職務権限がある。長年にわたって自民党と一体になって、巨大な職務権限を行使して、自民党と大企業、アメリカに奉仕してきた。その職務権限行使は、すべて政治行為だ。だ賄賂をともなわない限り、罪に問われることはない。いかに政権党と癒着していようと問題にならない。逆にそれが官僚としての栄達の道なのだ。
 ビラを配る行為は、職務をゆがめるのとは無縁の行為だ。一市民として社会に参加する表現行為だ。多くの人がそれぞれの立場から活発になされる社会が理想だ。
 僧侶の荒川康生さんのビラ配布の有罪が確定したり、大阪の私学教員が経営者から敵視され解雇された事件で、解雇は当然というあきれた判決がつづいていた。裁判官には人間の心がないのかとさえ思っていた私には、うれしい判決だった。良心的な裁判官もいたのだ。
 『朝日新聞』では、いっせいに歓声をあげ拍手をした傍聴者に対して、中山裁判長は「静かにしなさい。こんなことで喜んではいけない」と制したそうだ。たしかにその通りだ。当たり前の判決なのだ。こんなことで喜んではいけない。ビラ配りを犯罪に仕立て上げる法律を変える時なのだ。国際基準と憲法にしたがって。
 付け加えて公安警察について。堀越さんを逮捕した公安警察は、長期にわたって何十人も動員して尾行、監視、ビデオ撮影していた。日々の行為を犯罪の可能性があるとして捜査員を大量投入していた。これのほうが重大問題だ。戦前の特高警察の流れをくむ勢力が温存されている。公安畑のひとが出世するのも戦前といっしょだ。交通や刑事で靴をすりへらしても出世とは無縁だ。公安を廃止すべきだ。民主党も人権侵害の疑いのある、そして無駄遣いでもある公安警察に事業仕分けのメスをいれるべきだ。公安の人員を刑事警察に振りかえれば安全に役立つし、多くの警察官もよろこぶのではないか。
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