山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

コロー展

2008年11月22日 23時46分52秒 | Weblog
 神戸市立博物館で開催中のコロー展を見た。随分昔に、ミレー、コロー、クールベなどバルビゾン派の展覧会を見たことを思い出し、見に行った。初期から晩年までの作品を網羅した110点もの大展覧会だった。関連する何人かの作品もあったが、ほとんどコローの作品だ。コローの全体像を一覧できる。
 日本では、バルビゾン派の画家の中ではミレーの作品が早くから関心を持たれていた。コローのみの展覧会がこんど初めてた。その意味で、必見だ。
 ここ30年以上も、日本では、コロー、クールべ以後の、モネやセザンヌなどの印象派へと関心や、人気が移っていったように思う。さらにキュービズムへと拡がりをみた。
 コローをみて、自然主義、写実主義、リアリズムに徹した作品の生真面目さを感じた。初期の作品は小さいものが多いが、細い筆でていねいに描きこんだあまりのリアリズムにおどろくとともに、その技量の高さに感心した。その姿勢は生涯かわっていない。その技量を基礎に、中期以降の、森や湖を詩的抒情をたたえた描き方をした有名な作品をうみだした。
 数は少ないが、人物画がすばらしい。「真珠の女」という作品は、モナリザかと思わせる。
 見ながら思ったことのひとつに、自然を描く画家に、なぜなりえたかということがあった。1796ー1875に生きたコローらよりまえの画家たちは、宮廷画家であり、貴族たちの肖像画を描いていた。また教会お抱えの宗教画家だったりした。だが、バルビゾン派の人たちは、自然のなかに生活し、自然を体で感じ取って、それを表現することを自らの課題とした。
 コローはブルジョアの家庭の生まれで、親が建てた別荘を拠点に画業にいそしんだ。肖像画家や宗教画家のように、注文を受けて絵を描くのではなく、自らの美的欲求にもとづいて自然を描いた。そこに、真の近代の精神を見た。
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