昨年末に『酒場天国イギリス』(小坂剛著、中公新書ラクレ、2016年)を読んだ。イギリス大衆文化といえばパブというくらいパブは有名だ。椅子もあるが基本は立ち飲み。店の外にもテーブルを置いて片肘付きながらビールを飲む。同書のたくさんの写真を見てもほとんどあてなしで飲んでいる。飲むというよりもおしゃべりしているのだ。
パブはパブリックハウス(public house)のことで、公共の家、街の社交場だ。イギリスでは街道沿いの町にはかならずパブがある。労働者を中心にした庶民の拠りどころ、拠点だ。ところがこれが減り続けている。多くはスーパー、日本風のコンビニに転換している。古いスタイルのパブはだんだん太刀打ちできなくなってきた。小さいパブではちゃんとした料理を出さないこともあり、先細りになってきた。パブの所有形態は醸造所の所有が5分の1、パブ会社所有が5分の2、独立系が5分の2だそうだ。パブ会社所有のものは04年から12年までに19000軒減った。
ビールの種類は1970年頃は伝統的エールビール、スタウトビールが93%を占めていたが、2012年にはそれぞれ21%、5%に減った。逆に日本で好まれるラガービールが同期間で7%から74%へと伸びた。
都会の大きなパブでは、かつてはイギリス階級社会を象徴するように労働者の入り口と上流階級の入り口が公然とあった。50年前にイギリスの留学した大学の先生から聞いたところでは、実際に飲み食べるものは同じでも上流の入り口から入ったひとは高い料金を当然のように払ったという。文句も言わずに。そこにイギリス階級社会の姿があった。
著者の小坂氏によると、パブの閉鎖に反対する運動が珍しくないそうだ。労働者の交流の拠点を亡くすなということだろう。そこにパブはイギリスの「文化」だという姿が示されている。
日本の居酒屋は「文化」とまではいえるだろうか。日本の居酒屋は、魚料理やおばんざい、焼き鳥、串カツなど豊富な料理を出す。ちょっとした乾き物でもっぱらビールをのむというのはない。かつて流行ったスナックは乾き物で飲むというスタイルで、これがイギリス風だったかもしれない。だがカウンター中心で、男たちが丸テーブルで談笑するという風景ではなかった。日本ではもっと昔の女性が一人で営む小料理屋が居酒屋の先祖だった。テレビ映画「相棒」で水谷豊が毎回訪れる美人女将がやっているあれだ。韓国には今は居酒屋があるようだが、10年ほど前に行った時には、酒を出す店でも基本はごはんもついた定食スタイルのものが供された。食事中心で酒中心ではなかった。
イギリスのパブは労働者文化の核になる存在だ。パブでの議論が労働運動につながっていた。映画にもなった炭鉱労働者のブラスバンドの文化運動もその象徴だ。日本でも1960,70年代には労働運動と結びついた労働者文化の運動が一定の影響力を持った。だが文化も資本に包摂され、いまや文化は資本主義の一大市場となってしまった。資本主義は文化も、教育も、そして人の死も市場とした。
去年、新型コロナのまん延で居酒屋の営業停止が延々と続いて、廃業した店もすくなくなかった。共産党が「居酒屋の灯を消すな」というポスターをはりだした。これが日本では居酒屋を文化と意識した初めてではないかと思う。
いまから労働者文化の復興をとなえても無理だが、居酒屋がそこに集う人によって公共的な場になっていくことを期待したい。