goo blog サービス終了のお知らせ 

山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

テレビ・新聞は、なぜ倉林提案「選手村を宿泊療養所に」を無視するのか

2021年08月15日 12時16分57秒 | Weblog
 コロナ感染第5波が燃え盛っている。もはや制御不能の災害レベル、救える命も救えなくなるといわれる事態だ。
 8月13日の東京は、新規感染者5773人、入院調整中13627人、自宅療養者21729人、宿泊療養者1788人だ。全国の自宅療養者は74000人だ。4,5月の大阪では自宅療養者が増えて放置されたあげく、医療にかかれないままつぎつぎと自宅で死亡した。東京でもこのような死亡者が出た。医療崩壊だ。
 自宅療養というが実質は自宅放置だ。ふじみ野救急病院長は、自宅療養は感染者を逆に増やすと警告している。ならば、これを宿泊療養にすぐに持っていくべきだ。隔離することだ。
 このとき菅首相は責任を問われて、ワクチンを一生懸命やってますと弁明した。菅首相はこの1月以来ずっとワクチン頼みだ。尻を叩いた結果、65歳以上は8割接種が済んだが、あとはワクチンが足りなくなり集団接種会場、企業会場などははしごを外されて休場だ。それでもワクチン頼みで、あとは自粛と酒提供の禁止だけだ。
 ここで衝撃的な提案をしたのが共産党の看護師でもある倉林明子さんだ。8月5日の議院運営委員会で、オリンピックの選手村を宿泊療養所に転用すれば18000人を収容できる。しかも7000人の医療者も確保されている。西村大臣はうろたえて真正面から答えれらず逃げを打った。
 政府が逃げるのはわかっている。選手村を転用するのはパラリンピックを中止するということだからだ。でも菅首相は豪雨災害で命第一といった。コロナ災害でも命第一でないのか。オリンピック第一で命第二とはいえないだろう。本心はそうだとしても。でもやる気がないのは国民には不幸だ。
 ここで問いたいのはテレビ・新聞の姿勢だ。コロナ問題で根掘り葉掘り時間をかけてテレビは論じているにもかかわらず、倉林提案をみじんも触れない。良心的なコメンテーターでさえそうだ。「朝日新聞」も1行も書かない。5日の国会に記者はいたはずだが、仕事をしないのか。
 そこにあるのはテレビも新聞もオリンピック第一の姿勢だ。これの差しさわりになるものは、たとえいい提案でも国民の目に触れないようにする。菅忖度、オリンピック忖度だ。ジャーナリズムとして情けない。

核兵器禁止条約にふれない、ふれられない菅首相は一国のリーダーとして不適格

2021年08月09日 16時36分50秒 | Weblog
 原爆投下から76年の広島、長崎の記念日。菅首相は出席しあいさつしたが、内容は貧弱そのもの。今年1月22日から国際条約となった核兵器禁止条約。すでに核兵器は違法な兵器となった。毒ガスや地雷が違法なのと同様だ。
 菅首相はあいさつで核兵器禁止条約にひとことも触れない、触れられない。被爆者がこぞって、広島・長崎市長が、そして中満泉国連事務次長が核兵器禁止条約の推進を呼び掛けている中で、ひとり知らんぷりを決め込んでいる。あまりに情けない、被爆国のリーダーとしては値打ちなし、失格だ。
 おまけに付録がついている。あいさつを1枚分読み飛ばした。紙がひっついていて飛ばしたそうだ。飛ばしたのは122文字分だ。紙1枚で122文字とは量が少ない。つまり相当大きな文字で印字しているということだ。そういえば国会の本会議の答弁原稿もフェルトペンで書いたような大きな字が画面に映ったことがあった。間違わないように大きな字にしているのだ。それなのになんだ。間違いはだれにでもある。しかし、問題は飛ばしたことに自分で気づかなかったことだ。文章が続かないではないか。
 それともう一つ。「広島市」を「ヒロマシ」といった。広島市民は腹が立ったことだろう。実はこれは菅首相がいつもやることだ。「ヒロシマシ」をかってに短縮して「ヒロマシ」といったのだ。このたぐいの勝手な短縮は菅氏の国会演説、答弁を聞いていると無茶苦茶多い。もし菅氏が教員だったら、聞いている生徒はしゃべっている意味が分からず、すぐにそっぽを向いてしまうだろう。授業は1か月も持たないこと請け合いだ。
 被爆国のリーダーとしてこの程度の人物しか持つことのできない日本国民は不幸だ。

パラリンピックを中止し、選手村をすぐ宿泊療養施設に転用せよ

2021年08月04日 16時10分34秒 | Weblog
 東京のコロナ感染は爆発状態だ。政府は原則入院を原則自宅に方針転換した。東京の自宅「療養」者は8月7日現在1万8444人だ。4、5月の大阪も1万人を超えて医療崩壊したが、現在の東京も医療崩壊だ。事実、50代女性が、8月2日に感染発覚、自宅療養扱いになった。ところが5日に容体が急変し当日死亡した。これがコロナの怖さだ。原則自宅方針の間違いは明らかだ。
  ところがここで、医療崩壊を打開する秘策が示された。倉林明子議員(共産)が5日の参院議院運営委員会で提案した。その内容はこうだ。
 五輪中止を即刻判断し、選手村を宿泊療養施設に転用するというものだ。選手村は1万8000人が収容可能だ。自宅療養者全員をすぐに収容できる。オリンピックパラリンピックのために医師・看護師は7000人確保されている。入院に至らない患者は宿泊療養施設にというのがもともとの基本だった。倉林さんの提案で危機的な状況を抜本的に改善できるではないか。
 西村康稔経済再生担当相は、選手村は大会終了後、分譲マンションになる、現在は東京都が民間から借り受けて管理しているとだけ答えた。それはいい提案だとは絶対言わない。オリンピックパラリンピックは人の命を犠牲にしても止めないというのが政府の立場だから。共産党は1月から「五輪よりも命」をスローガンにしてきた。医療崩壊が眼前にあり、それに対して、「パラリンピックを中止して命を」がいまやるべきことだ。
 オリパラが第1、命は第2でいいのか。国民世論はこれを認めるのか。

中等症は自宅療養に方針転換、政府のコロナ対策失敗。

2021年08月03日 22時07分33秒 | Weblog
 政府は2日、コロナの軽症、中等症は原則自宅療養とすると方針転換をした。東京を中心に予想を超えて爆発的な感染が続いていることからこのままでは医療崩壊が必至という見通しから方針転換したと思われる。
 第4波のとき大阪では、重症病床を重症患者が大幅に上回り、医療崩壊がすすんだ。万という数の患者が調整中、自宅療養という形で放置され、大阪の死者は東京の死者を大きくこえた。先進国とは思えない悲惨な事例が噴出した。
 政府は先手を打って、中等症までは原則自宅とすることで見た目に医療崩壊がないかのように演出しようというのだろう。中等症といってもすぐに死に至る人が大阪では続出した。原則自宅ということはホテル収用も制限するということだ。
 菅首相は事実を見ずに、「安心、安全」「人流は確実に減っている」と信仰告白のごとき言葉をくりかえしてきた。それももう駄目になり、方針転換した。「安心してください、病院に収容してしっかり治療します」とはいわないのだ。
 自宅療養という名の「棄民政策」で、4月5月の大阪ではむざむざと人命が打ち捨てられた。

 


映画「パンケーキを毒見する」がおもしろい

2021年07月31日 21時28分00秒 | Weblog
 封切り2日目に「パンケーキを毒見する」をなんばパークスシネマで観た。予想通り面白い。パンケーキおじさんの真の姿をえぐろうというものだ。案の定、自民党の先生方、その取り巻きの評論家先生などは取材拒否だ。自民党では石破茂、村上誠一郎両氏だけがインタヴューに応じ、思いを述べている。これくらいの度量があっていいと思うのだが、いまの日本の与党勢力の狭い根性にはあきれるばかりだ。
 映画では、菅首相の国会答弁の論点ずらし、ごはん論法が上西充子法政大教授の解説付きで詳細に描き出される。これがじつに面白い。観客から思わず笑いが漏れる。笑いが出るのは寅さん映画以来だ。菅首相の最初の大仕事が学術会議の会員任命拒否だった。小池晃議員、辻本清美議員がわかりやすく質問するが、これに対する答弁が菅という人物のあほさ加減と厚顔無恥をみごと暴きだす。
 権力に切り込むべき大手記者がパンケーキをふるまわれて軟弱になる。その中で敢然と切り込むのが「赤旗」。大手が「桜を見る会」のお祭りにいっしょになって酔いしれているとき、赤旗は税の私物化の視点で地道な調査を続けた。やがて安倍菅政権の本質を暴く。カメラは赤旗日曜版編集部に潜入する。編集長がマスコミの現状を説明するのが説得的だ。さらに今年、領収書なしで買収でも何にでも使い放題の官房機密費を菅氏が官房長官時代に1日307万円、計86億円使ったというスクープ。自民党総裁選の時の機密費の支出が、総裁選買収に使われたであろうと推察されるドキュメントだ。政権交代で闇を暴かなければならない。
 製作・川村光庸、監督・内山雄人。慰安婦問題を扱った「主戦場」もよかったが、「パンケーキを毒見する」は大手の映画館でのロードショーでもあり、多くの人に見てほしい。日本のマイケル・ムーア登場だ。

 


ぼったくり男爵バッハ会長の、ひとつだけいいなと思ったこと

2021年07月29日 09時03分43秒 | Weblog
 ぼったくり男爵、オリンピック帝国主義者ともいうべきバッハ会長だが、ただひとつだけ「これはいいこと」と思ったことがある。それはオリンピック開始直前の何かの会合で、バッハ氏のために椅子を引こうとした係員に、彼はそれはいいと手で制したことだ。
 現代の貴族というべきバッハ氏が、椅子に座るとき係員が丁重に椅子を引くのは当たり前だとふるまうのかと思ったらそうではなかった。自分で椅子を引いて座った。当たり前のことだが、ちょっとだけ常識を持っていることに私はびっくりした。
 これで引き合いに出されるのが、吉村大阪知事だ。この吉村という人物、大阪府庁内の会合で自分か座るとき、かならず部下の職員に椅子を背後で引くサービスをさせる。こんなことをしてもらっていいのは結婚式の新郎新婦だけだ。ひとを下男下女のごとく使うのは人として許されない。この吉村氏、会議では正面に一人だけ座る。本来なら執行部側として副知事や局長らは知事と同列に座るべきだ。府議会や国会などもそうだ。ところが府内の会議では正面には吉村氏だけ。副知事も局長も下手に座る。内閣の各種会議でもそんなことはない。吉村氏は自分がどれだか偉いと思っているのか。一人正面に座るのは私の記憶では、徳川慶喜の大政奉還と天皇の小御所会議、御前会議しかない。
 世界の貴族バッハと大阪の貴族吉村。


五輪中止世論、東京で50%

2021年07月15日 11時48分47秒 | Weblog
 「読売」7月9~11日実施の世論調査によると、五輪開催のあり方について、東京都民は「中止する」がなんと50%に達した。全国でも41%だ。政府がろくな説明も質問への回答もできないまま、開催への既成事実を積み上げてきた結果、また尾身会長も中止提言を封じ込めて、やるなら無観客へと提言内容を変更したこともあって、「中止」世論は減少してきた。「読売」5月調査では「中止」59%、6月48%だった。
 しかし、冷静に見ると、開会2週間前という直前の調査で、「中止」世論が41%、地元東京では50%が中止を望んでいるというのはおどろきだ。東京都議選での議論と結果もおおいに関係しているだろう。都議選では、共産党が1月以来いい続けてきた、五輪は中止してコロナ対策に全力をあげようというスローガンが浸透した。
 五輪とコロナは問題の裏表だ。その先にあるのが総選挙で、菅与党が勝利することが最大の命題となっている。総選挙そのための五輪、これをつつがなく実施する範囲でのコロナ対策という関係だ。これでは問題が全く逆だ。
 コロナの新規感染者が7月14日、東京があっというまに千人を上回り、1149人に達した。沈静していた大阪も349人へと急拡大している。高齢者はワクチンの普及もあり少ないが、それ以下の層があぶない。デルタ株だ。ワクチンが普及したアメリカでもデルタ株により感染が急速にぶり返している。開会まであと1週間。オリンピック本番中はコロナデルタ株が爆発という状況だろう。想定していなかった、緊急事態下のオリンピック。
 世界的パンデミックの下でそもそもオリンピックはやるべきではない。専門家の一致した意見だ。それを無視して、ここまでごり押ししてきたが、政治的思惑優先の結果、大切なものを押しつぶしている。



全国学力調査の問題内容に重大な疑問

2021年07月10日 11時03分16秒 | Weblog
 2021年5月27日、全国学力調査が小学校6年生と中学校3年生それぞれ約100万人対象に行われた。この調査が児童生徒の学力調査を目的にするなら、数年に一度の抽出調査でいい。これが最善の方法だ。統計学的に証明されている。毎年、100万人もの答案を集めてどうするのだ。分析する時間もない。学校と生徒を権力の下にがんじがらめにするための手段として教育の国家統制のためにやっている。これこそ安倍政治だ。これによって全国の学校は点数競争に巻きこまれている。大阪で声を上げた久保敬校長の提言のポイントはここにある。点数競争から教育を取り戻そうと。
 小さな無料塾の生徒から中3国語の問題を見せてもらった。国語教育が専門ではないが、大人としての常識から問題を解いてみたが実に難しい。
 大きい問題が4つある。問題はA4・17ページに及ぶ。1問4ページだから、ページをめくったり戻ったりの繰り返しとなる。しかもすっと答えられない難問だ。だから私はどれだけ問題文をめくったかわからない。それを面倒くさがったらほとんど正答できない。
 1番目の問題はある市の中学校の代表生徒たちが司会者含めて4人で地域清掃活動についてテレビ討論をしたという設定だ。疑問に思う問いは、さらに討論を続けたとして4人のうち誰がどのようなことについて発言するとよいと考えるか、そう考えたのはなぜか書きなさいという記述式の問題だ。ただし条件①・問題文の討論をふまえ、どのようなことについて発言すればよいかを書くこと、条件②・①のように考えた理由を具体的に書くことという条件に従って答える。
 誰が発言するか、どのように発言するかを自由記述的に答えてもいいようにも見受けられるが、条件①②のしばりがあって、限られた時間ではじつに難しい。正答例では70字あまりの文章となっている。
 2番目の問題はSNSに関する文章を題材にした問題で、これも50字余の正答例がある。
 3番目は夏目漱石の『吾輩は猫である』からの問題だ。80字の正答例がある。
 4番目は、中学生が焼き物について調べる際に、「焼き物館」との間でわりと長いメールのやりとりをしたのがあって、3通目のメールの「なお書き」であなたが二つの確認事項について焼き物館に訊ねる文案を書けというものだ。
確認事項は、焼き物館を訪れるにあたっての持ち物と服装、写真撮影の許可についてだ。これは尊敬・謙譲語をつかって手紙を書くもので、国語の学力を図るには適切な問題だ。120字。
 問題のページ数は大部なものだが、問題の数は多くはない。だが時間を要する記述式が4つもあるのは、問題として不適切だ。しかも回答するのに条件をいろいろつけて思考を維持するのを難しくさせている。国語的なあるいは文学的なセンスを問う問題はなく、論理の力にもっぱら焦点をあてた問題だ。
 学力調査なら国語力全般を調べるのが筋だろう。広く基礎的な力から調べるべきだ。ところがそんな姿勢は文科省にはない。漢字の読みの問題は2つ。漢字の書き取りはなし。書き取りなしにはおどろいた。採点が面倒というのもあるだろうが、いまやパソコンの時代で漢字は書けなくていい、パソコンが代わりにやってくれるというのだろう。ここに文科省の学力観が示されている。
 基礎的な問題は出さずに、論理操作を中心にした難しい記述式がメインとなっている。記述式中心はバランスを欠く。
 大学入学共通テストで英語民間試験とともに記述式導入が懸案となっていたが、実施中止となった。記述式については「公正な採点体制が困難」だから。
大学入試は20日間で50万人分を採点しなければならないが、無理だということだ。採点はベネッセなどの業者に丸投げするのだが、公正さを担保できるか怪しいのだ。主婦や一部学生のアルバイトにやらせるのだろうが採点はむずかしい。高校入試では、限られた採点者が打ち合わせをして採点し、疑問のある答案が出てきたら採点を中断して、打ち合わせをし直す。ところが50万人の大学入試でも公正さを保てないのに、100万人の学力調査では上からの指示書はあっても、打ち合わせはありえない、まして疑問答案、採点基準のずれが生じても対応はできない。学力調査は3か月ほどかけて採点するそうだから時間的には可能だろうが、公正な採点は不可能だとわたしは思う。採点者に国語の専門的な能力があり、議論に参加して採点基準を練り直す権限が与えられないのであれば、じつにいい加減な採点といわざるをえない。
 もちろん記述式の問題は必要だ。だが大規模なテストでは採点の公正が保てない。生徒に身近な学校のテストで記述式をどんどんやればいいのだ。
 全体として文科省の学力調査の問題は、これから学校で教育する内容をどこに引っ張っていこうとしているかを示している。基礎的な学力をすべての生徒に保障するという姿勢は放棄している。抽象的な論理操作にすぐれた一部の生徒を育てることをもっぱらとするものだ。
 高校の教育課程の改編で、論理国語と文学国語の選択を生徒に迫り、学力調査では論理国語一辺倒の問題文をみせつけ、国語教育を論理教育に変質させようとしている。
 生徒間のそして学校間の点数競争を極限まであおり、学校を新自由主義の市場と化す戦略は着々と進んでいる。こんどの学力調査の問題をみて、その路線があらゆるところで強引に進められていることがわかった。入試と違って反発が出にくい、批判意見が発表されないことをいいことに、こんな乱暴なやり方で教科教育を変質させるのは許せない。

「『自由』の危機――息苦さの正体」(集英社新書)を読む

2021年07月08日 14時00分22秒 | Weblog
 2021年6月22日発売の「『自由』の危機――息苦しさの正体」(集英社新書)を読んだ。去年10月1日、日本学術会議の新会員に任命にされるべき人文系学者6名が正当な手続きを経て推薦されたにもかかわらず、菅首相によって拒否された。戦前の滝川事件に匹敵するような、日本の学問の自由への重大な侵害だ。
 この第1報は「赤旗」が10月1日付けで報じた。そんな関係もあり、共産党の雑誌「前衛」がこの問題に関する識者の論文を連続して掲載してきた。
 本書はトップバッターとして、コロナ以来一躍論壇のヒーローとなった藤原辰史さん、2番姜尚中さんから、堤未果さん、内田樹さんまで26人の筆者が登場する。ヤマザキマリさん、桐野夏生さんら文化芸術関係の論者も執筆し、全体としては実に広い視野から問題をとらえようとしている。それゆえ、普通の新書の2倍の分厚さだ。
 教育研究者の鈴木大裕さんは安倍政権下での教育への政治介入を論じている。第1次安倍政権は全国学力調査を43年ぶりに復活させた。小学校6年生と中学校3年生全員対象に行った。調査ならば抽出式で十分正確な結果は入手できる。全員ということは、学力の「調査」は名目であって学校統制、教育内容の統制目的だった。民主党政権下では抽出式で調査がおこなわれた。だが、第2次安倍政権では再び全員へと戻すしつこさを見せた。学力の推移、単元別の特徴、どこでつまづいているか、指導法をどう改善すればいいかなどを研究するのに、それぞれ100万人の答案は必要ない。じゃまだ。
 安倍政権は、指導改善の研究のための学力調査の結果を、教育委員会の判断で学校別の成績開示ができるようにし、学校間の序列化をすすめ、点数競争をあおった。大阪では、市さらに府が全員対象のテストをおこない、1年中テスト漬けの生活を子供たちに強いている。学校は結果責任を求められ競馬の馬のような状態になっている。中学2、3年生では入試の内申点の学校ランク付けに紐づけされるチャレンジテストがある。自分がテストを受けたら平均点を下げるから休むという生徒がいっぱいでている。自治体ぐるみのいじめ・差別だ。安倍学力調査が、いまやとどまるところを知らないほどに異様な様相を示している。経済は弱肉強食の新自由主義で格差社会も行きつくところまで行った。経済の格差を子供たちの世界には持ち込んではいけないと、教育関係者は昔から努力し、どの子も平等に、どの子ものびるようにと努力してきたが、いまや教員の努力を無にするような教育施策が次から次へと下ろされてくる。新自由主義の教育だ。学校に行きづらい子はいっそう行けなくなる。国連の人権委員会から日本の教育が抑圧的だと是正勧告が出て20年にもなるだろう。だが、子どもを点数と競争であおる学校制度では不登校はふえるばかりだ。松井市長は、将来、競争社会を生きぬくために、小学校の時から学校を競争社会にし、点数で競わせ、抑圧をかけて耐える力をつけようという。
 ふりかえると、民主党政権はまっとうな対応をした。しかし、安倍晋三氏は、ことあるごとに「あの悪夢の民主党政権」と口を極めて攻撃してきたが、学力調査問題を見れば、安倍政権こそ「悪夢の政権」だ。
 5月27日全国学力調査がおこなわれた。小さな無料塾の生徒から中3の国語の問題をもらった。見てびっくり、これは子どものための、指導改善のための調査ではなく、財界の求めるグローバル世界で生き抜くための全く新しい学力観へと無理やり引きずっていくためのテストだと思った。もちろん、できない生徒を引き上げるにはどうしたらいいのかは考慮の外だ。

松井市長、都議選でウソまきちらす

2021年07月07日 17時39分44秒 | Weblog
 吉村、松井両氏が、大事な仕事を放って都議選支援に行った。松井氏は、演説で「大阪では公務員を減らしてきたけど、公務に支障は出してません」といったようだ。たしかに公務員を目の敵にして、それを人気取りの手段にしてきたのが大阪維新だ。その結果、公務に支障は出ていないか。ウソだ。大阪のコロナ死者がどれだけ多いか。東京どころか関東圏合わせたほどの死者を出している。在宅のまま放置されて、あるいは施設から病院に搬送されないまま死んだ人がどれだけ積みあがったか。それへの反省も痛みも感じていない悪辣な発言だ。270万大阪市で保健所は1か所だけ。電話しても通じない、何日も自宅療養という名の放置が実態の保健行政だった。第4波では完全に医療崩壊していたのに、それを認めようとしない厚顔無恥。
 コロナ対策では公立病院の役割が決定的だ。コロナ患者を受け入れることが公立病院の使命だ。だが維新政治は猛烈な反対の声をおしつぶして、住吉市民病院をつぶした。この病院があったならばすこしは患者を救うことができたことは間違いない。住吉市民病院をつぶしたことについては、あの橋下氏でさえ反省の弁を述べた。維新政治はまた看護学校もつぶした。行政の公的な役割、
仕事を徹底してないがしろにする、削る、これが維新政治の本質だ。
 東京に行ったら、誰も知らないと思ってデマを飛ばす。だが、松井氏が車に乗るときに、「早う帰って仕事しろ」とヤジが飛んだそうな。東京の人もわかってる。そのとおり。松井氏は石原・元都知事と通じていただけあって、週に3回しか登庁しない。それなのに、公用車に乗って役所の周辺をぐるぐるまわって車内でタバコを吸っている。若い時からの喫煙習慣からぬけられない。一般職員が庁内で吸えば処分される。公用車はいいらしい。
 大阪では維新はトランプのごとき存在だ。超右翼的政治思想から新自由主義的政策までトランプ流だ。だが維新メンバーは殺人未遂から詐欺、役所私物化など犯罪、不祥事のオンパレード。府民市民の側からけじめをつけないといけない。都議選では、維新はあまり相手にされなかったようで、当然といえば当然だが東京の人の良識を感じた。

吉村知事、選挙のために公費出張?

2021年07月04日 11時54分12秒 | Weblog
大阪の吉村知事が首相、大臣に要望を伝えるために上京した。ワクチンがひっ迫したために、大都市中心にワクチンを集中投与すべきだとの新たな思いつきをテレビカメラにしゃべったのを伝えると言ってた。待て!地方も含め全国でワクチン供給が決まり、着々と進んでいるのに、わがまま勝手なことをいう。何様や!
で、7月2日河野大臣に面会した。こんなことのために、わざわざ上京しなくていい。電話という便利なものがある、間違った意見を伝えるために出張などするな。
ところが、上京の真の理由がすぐ分かった。翌日3日、都議選の維新候補の押し上げの行動に集中した。松井市長もいっしょに。松井はコロナでも週に3日しか登庁しないから、暇は余るほどあるけど。
なんのことはない。維新押上のため、東京出張を作ったということだ。往復とも公費なのか、行きだけなのか不明だが、不要な公務を無理やりでっち上げて、私的な政治に利用したことは事実だ。

オンライン学習で市長に提言した校長を処分するな

2021年06月17日 17時10分43秒 | Weblog
 緊急事態宣言中に松井市長がオンライン学習を押し付けたことに対し、市立木川南小学校の久保敬校長が5月17日市長に提言書を出した。その内容は教育の条理に立ったもっともなものだ。
 ところが松井市長は「違う形で学校運営をするならルール違反。辞めてもらわな」「組織で決まったことを覆そうというなら、自らそういう公約掲げて市長にならないと変えれませんよ」と提言をくみ取るどころか、処分をちらつかせた。
 大阪の学校は教育委員会からではなく、市長のテレビでの指示で教育方針の変更を知るという異常な状態だ。松井指示にもとづいて市教委がすすめたのは1・2時間目は自宅でオンライン学習、3限に登校し4限目は授業、昼食は全員で摂り、5限以降は自宅オンライン。久保校長はこれでは子どもの教育によくないと判断して全員集団登校して朝から授業した。松井市長には従わず、子ども第一で対処したのだ。同様の学校は相当数あった。松井市長は3月に全員分タブレットがそろったののお目見えの機会としてぶち上げたのだが、まともな教師はこんなことはしない。案の定、双方向のオンラインといいながら、ひとつの学校に割り当てられたのは1週間で40分のみ。それ以上はつながらないのだ。クラスはいくつあるのか、1・2・5・6時限オンラインといいながら、1週間40分だと。こんなものをおしつけた責任者の教育破壊の責任を厳しく問わなければならない。ちなみに大阪市以外の他市では、授業をおろそかにするような馬鹿なことはしていない。5月27日に全国学力テストがあるので大阪市は不発に終わったオンライン学習なるものを止めた。
 まともな判断をして子どもの学習が遅れないように授業を継続し、教育の条理に立った提言をした校長が処分されようとしている。権力に歯向かったものは許さないというのだ。市長は教育委員会に指示命令をする権限はなく、したがって市教委は市長に媚びる必要はないにもかかわらず、久保校長を呼び出し事情聴取をした。ここでの事情聴取と処分の決定は司法手続きとはかけ離れた一方的なものだ。うむをいわさない。
 6月2日、自由法曹団大阪支部と民主法律協会の法曹2団体が山本晋次教育長に久保校長の懲戒処分をしないよう求める要請書を提出した。要請書は、「市教委は松井市長の発言に左右されることなく、独立して、教育行政を公正かつ適正に行うべきである」と求めた。
 松井氏に始まったことではないが維新政治家は橋下氏以来、選挙で当選したらその権力者の考え、行うことが民意だというとんでもない「民主主義論」をふりまいてきた。当選した政治家にはすべてが委任されるというのはヒトラーの独裁と同じ地平だ。「覆そうというなら、そういう公約を掲げて市長にならないと変えれませんよ」という。権力者は何をやってもいいが、その間違い、不備を正す意見には、文句があるなら選挙で決着をつけてみろという。こうして多くの意見を踏みつけにしてきた。
 思い起こせば、橋下氏が知事になったころ、私学助成を訴えた女子高生に橋下氏は、知事の考えが民意、文句があるならあなたが知事になって変えるか、日本から出ていくしかないと脅したことがある。選挙のみが民主主義というおどろくべき民主主義論。思想的にも学問的にも最低のレベルだが、維新政治家は平気でこれをくり返す。
 だが、大阪市を廃止しない、大阪府に権限財源を移譲しないと決めた単一課題の住民投票の結果に維新松井・吉村氏は従ったか。選挙で当選したから大阪市を廃止するということまではさすがにできない、法的に無理なために、大都市法という法律に従って住民投票を行った。結果は松井・吉村氏らが負けた。圧倒的に有利な情勢の下で、5年前よりも差をつけられて負けた。しかし彼らは、法に基づく住民投票を平気でくつがえした。なにおかいわんやだ。
 こういう人を相手にしているということを久保校長は当然わかっていただろう。腹をくくって提言を出した。その勇気・見識に敬意を表する。広範な市民・国民世論で久保校長を応援しよう。人権侵害拡大の新入管法も廃案にできた。理不尽なことは許さない世論を広げよう。



姜徳相(カン・ドクサン)さん死去

2021年06月12日 21時10分45秒 | Weblog
 朝鮮近現代史研究者の姜徳相さんが、2021年6月12日亡くなった。一橋大学教授、滋賀県立大名誉教授だった。関東大震災時の朝鮮人虐殺関連資料の発掘で知られる。
 わたしがお世話になったのは、1997年岩波書店発行の『朝鮮人学徒出陣』だ。北野定時制の廃校に際し、最後の1クラスの担任をしていた2008年から09年、『北野定時制72年史』を書いた。そのひとつの中心テーマが戦時下の学校だった。校史資料のなかから、憲兵隊が朝鮮人生徒の思想調査を学校に求めた一連の文書を発見した。そこから朝鮮人生徒の動向と学校の対応が浮かび上がってきた。5人の朝鮮人生徒は、本来なら卒業を許されるはずなのに、民族運動をしているとの嫌疑で取り調べ中を理由に落第扱いとなった。のち5人とも学校を去った。姜徳相さんの『朝鮮人学徒出陣』は朝鮮人を軍に志願させるためにありとあらゆる手段、脅し、脅迫で追い込んだ実態が詳述されている。とうぜん抵抗が激しくなる。北野の朝鮮人生徒5人は強制的な志願を忌避すべく帰省したが、朝鮮の方がむしろ圧迫は厳しかった。5人のうち何人が特別志願したかはわからないが、韓国の国立公文書館で調べたところ、1人が1944年11月入営し各地を転戦した軍歴を確かめることができた。
 『72年史』のあと、『おおさかの子どもと教育』(大阪教育文化センター発行)59号2009・9に「発見された資料 憲兵隊による朝鮮人生徒の思想調査」と『大阪の歴史教育』(大阪歴史教育者協議会発行)第43号2010・5に「北野夜間中学とアジア太平洋戦争——朝鮮人生徒の思想調査など――」を書いた。姜徳相先生の研究に導かれて深めることができた。
 あらためて姜徳相先生に感謝したい。

小学校長の松井オンライン批判は親・子どもの願いと教育の条理に沿うもの

2021年05月21日 17時00分17秒 | Weblog
 淀川区の市立木川南小学校の久保敬校長が5月17日付けで松井大阪市長にあてて「大阪市教育行政への提言」を送った。ネットでも公開された。勇気ある発言だ。
 通信環境を整えないまま、松井市長がオンライン授業を行うとしたため「学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている」と訴えている。テレビで紹介されるのは西区の本田小学校と港区磯路小学校だけだ。すべての学校がモデル校と同じではない。放映された磯路の児童の感想文も将来役立つかもしれないと留保付きの評価だ。久保校長は問題が見えていたから、木川南小学校では集団登校をし、朝から授業をした。オンラインはコロナ対策だというが給食は全員で摂るのだからコロナ対策としてはつじつまが合わない。
 久保校長は、オンラインを押しつけ対面授業を取り上げることへの批判だけでなく、今の日本と大阪の教育行政の根本をも問題視する。
 日本の教育行政を裏であやつっているのは日本経団連と経済同友会だ。経団連の文書を読むと経済財政政策や労働政策にとどまらず教育政策を詳細に書きこんでいる。財界にとって金もうけに直結する分野から20年、30年後の金もうけのために社会の構造変化を要求する、その一番の底にあるのが教育だ。その教育に手を突っ込む。それが「グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力」が財界の求める学力だ。だが、ここ5年、10年という短期間に地球環境危機がポイント・オブ・ノーリターンを迎える。灼熱地獄がすぐそこまで来ている。グローバル経済を日本が勝ち抜き、個人は自己責任社会を国に頼らず生き抜くそんな社会像はすでに陳腐だ。
 久保校長は「生き抜く」世の中ではなく「生き合う」世の中を提唱する。そうでなければコロナも気候危機も乗り越えることはできないという。1点、2点を追い求める教育ではない。27日に行われる全国学力調査も必要ないという。その通りだ、調査は数年に一度、抽出調査でいい。統計学的にそうだ。だが今の学力テストはすべての地域、学校を競わせ、競争社会を究極までもっていこうという社会改変のねらいでやられている。これを政治の道具にしているのが維新政治だ。学校と子どもがどれだけいじめられていることか。教育が変質する。
 久保校長の文章からは子どもへの愛情があふれている。競争に打ち勝ったものだけを評価するような今の教育風潮に異を唱える。「子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。1点・2点を追い求めるのではなく」と。
 松井市長は20日、記者を前に久保校長を批判した。「世の中いい人ばかりで、もっと競争することよりもみんながすべての人を許容して、そういう社会の中で子どもが生きていければそれは理想。校長だけれども現場をわかっていないというかね、社会人として外に出てきたことあるんかな。」ひどい言い方だ。松井氏のいうのは、どす黒い裏社会を知らないという意味なのか、社会の現実ということなのか。久保校長は子どもの姿を通して、苦しい家庭の現実をよく知り、競争の教育という現実から子どもの虐待、不登校、いじめ、自殺に心を痛めている。「提言」はこの現実から発して突きつけたものだ。
 松井氏は「今の時代、子どもたちはすごいスピード感で競争する社会の中で生き抜いていかなければならない」という。だから当然、学校社会も人を出し抜いて競争を勝ち抜くことを訓練する場として設計されなければならない。競争の教育を批判する久保校長は許せないということになる。だが、日本の競争教育が子どもの不登校や生きづらさを生んでいるとして国連人権委員会から是正勧告を受けたことはずいぶん前のことだ。
 久保校長の提言に全面的に賛成する。教育は久保氏の言うように是正されなければならない。是正というより元の姿に、教育本来の姿に戻さなければならない。



民主主義を泥沼にぶち込んだリコール署名偽造、責任者たちを断罪せよ

2021年05月20日 15時01分54秒 | Weblog
 愛知県知事リコール署名偽造事件ので署名運動の事務局長の田中孝博と妻、次男、事務局員の4人が逮捕された。田中は日本維新の会愛知5区支部長・衆院候補(当時)だ。
 この田中容疑者の弁解は支離滅裂、とうてい信用できない。頭にタオルを巻いた田中が、指5本を使って偽造署名簿への指押印に励んでいた姿が目撃されている。同様に責任がある河村名古屋市長は、「(田中容疑者らに対する)監督責任はない」「私もちゃんと選挙で選ばれとる」と弁解した。平気で責任逃れをし、選挙で選ばれたら犯罪が帳消しなるというのだ。あきれた言い訳だ。
 田中を愛知5区支部長・衆院候補者にしていた維新の副代表の吉村大阪府知事は、「党として関与しているものではない」田中個人がやったことだといって責任逃れをしている。維新ほど多種多様な犯罪者を輩出している政党は他に例を見ない。だが党として責任をとったことはない。
 日本の民主主義をこれほど無残な姿にした犯罪を絶対にうやむやにしてはいけない。