5月11日告示、18日投票で行われる泉南市議補選で立候補予定の北村みきさんのお話を聞きました。
事務所で初めてお会いしたときは、どちらかというと地味で控えめな印象でしたが(ほんの挨拶を交わしただけで私の勝手な印象ですが)、昨夜、改めて決意のほどを聞かせていただくと頼もしく、そして明るくさわやか。
北村みきさんのプロフィールはコチラから。
北村さんが語った「おばあちゃん」の話。
教師として「お国のために役にたつ人になれ」と子ども達に語り、送り出した教え子たちのうち生きて帰ってきたのは半分もいなかった。
「子どもたちの前にたつ資格はない」と一旦、教職を離れるが「二度と再び、教え子を戦場に送らない。そのために平和と民主主義の教育を」との呼びかけに応えて復帰、定年まで勤められたと言います。
お話を聴きながら、91歳の私の母のことを思います。
母も小学校の教師でした。
戦争中、「この戦争は必ず勝つ。正義の戦いなのだから」と子ども達に教えてきたという話を聞きました。
そのことを、ずっと胸に抱えながら、生きた私の母でした。
北村さんは、「祖母の思いも胸に刻んで、私は教壇に立ちました」と「おばあちゃんの話」を結びました。
神奈川県、千葉県、そして大阪で中学校、高校の教師として働いてきた北村さん。
憲法記念日の今日も、5月の風のように爽やかに泉南の街を駆け抜け、平和や暮らし、命を守る心からの訴えを届けたことだろうと思います。
泉佐野市会議員選挙と同日なので、直接応援に行くことはできませんが、「泉南市に5人目の日本共産党議員」の誕生を願っています。
私は・・・といえば、朝は、久しぶりの土曜日朝市。
端境期でお休みが続いていましたが、新玉ねぎ、ほうれんそう、うまい菜、ラデッシュなど春の野菜が並び、事務所前の掲示を見て常連さんが顔を見せてくださいました。
その後には憲法集会の参加はあきらめて、激戦の泉佐野市議選挙の応援に出かけました。
朝市の新鮮野菜を○クンたちに食べてもらいたくて急いで帰ったら、全員どこかへお出かけ。
暗くなる頃に、帰って来ました。
「赤いラピート見に行ってきた!」そうです。
事務所で初めてお会いしたときは、どちらかというと地味で控えめな印象でしたが(ほんの挨拶を交わしただけで私の勝手な印象ですが)、昨夜、改めて決意のほどを聞かせていただくと頼もしく、そして明るくさわやか。
北村みきさんのプロフィールはコチラから。
北村さんが語った「おばあちゃん」の話。
教師として「お国のために役にたつ人になれ」と子ども達に語り、送り出した教え子たちのうち生きて帰ってきたのは半分もいなかった。
「子どもたちの前にたつ資格はない」と一旦、教職を離れるが「二度と再び、教え子を戦場に送らない。そのために平和と民主主義の教育を」との呼びかけに応えて復帰、定年まで勤められたと言います。
お話を聴きながら、91歳の私の母のことを思います。
母も小学校の教師でした。
戦争中、「この戦争は必ず勝つ。正義の戦いなのだから」と子ども達に教えてきたという話を聞きました。
そのことを、ずっと胸に抱えながら、生きた私の母でした。
北村さんは、「祖母の思いも胸に刻んで、私は教壇に立ちました」と「おばあちゃんの話」を結びました。
神奈川県、千葉県、そして大阪で中学校、高校の教師として働いてきた北村さん。
憲法記念日の今日も、5月の風のように爽やかに泉南の街を駆け抜け、平和や暮らし、命を守る心からの訴えを届けたことだろうと思います。
泉佐野市会議員選挙と同日なので、直接応援に行くことはできませんが、「泉南市に5人目の日本共産党議員」の誕生を願っています。
私は・・・といえば、朝は、久しぶりの土曜日朝市。
端境期でお休みが続いていましたが、新玉ねぎ、ほうれんそう、うまい菜、ラデッシュなど春の野菜が並び、事務所前の掲示を見て常連さんが顔を見せてくださいました。
その後には憲法集会の参加はあきらめて、激戦の泉佐野市議選挙の応援に出かけました。
朝市の新鮮野菜を○クンたちに食べてもらいたくて急いで帰ったら、全員どこかへお出かけ。
暗くなる頃に、帰って来ました。
「赤いラピート見に行ってきた!」そうです。