こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

岸和田 生活保護裁判 「勝利判決」を喜ぶ

2013-10-31 22:32:22 | 社会保障
月末、最後の一日。何かと忙しい。
明日は東京へ、自治体病院についてのセミナーに参加。夜は横浜の母を訪ね、翌日は東京に転勤した娘の家に。
ということで、今日中にしておきたいこと、訪ねておきたい人・・・。時間に追われているなかで、FBで飛び込んできた「岸和田生活保護裁判 完全勝利判決!!」のニュース。裁判を傍聴した方から次々と喜びの知らせ。

たまたま事務所にいた人たちと皆で拍手をして喜びました。

派遣切りで職を失い、就職活動してもなかなか次の仕事につけず、困窮のなかで生活保護の申請をした夫婦が申請を受け付けさえ拒否され、申請した後も却下。5回も繰り返して。
まったく許されない行政の対応に対し、毅然と声をあげた原告夫婦に支援と共感が広がった。

「困ったときには、誰でも利用できる」のが憲法に基づく生活保護の制度だ。
生活保護についての異常なバッシングのもとで、勇気をもって訴えた原告夫妻に「ありがとう。ご苦労様!」と言いたい。
あたりまえのことがあたりまえに守られるように、「勝利判決」の意義をかみしめたい。

以下、弁護団と原告、支援する会の「声明」が公開されていたので転載します。


2013年10月31日


声   明


(速報版)


岸和田生活保護訴訟弁護団
岸和田生活保護訴訟 原告
岸和田市の生活保護申請(却下)の取り消しを求める裁判を支援する会


1 はじめに
 本日、大阪地方裁判所第7民事部合議3B係は、平成21年(行ウ)第194号生活保護申請却下処分取消等請求事件(以下「岸和田生活保護訴訟」という。)において、岸和田市福祉事務所長の行った生活保護却下処分を取り消し、岸和田市に対し、損害賠償として慰謝料等68万3709円の支払を命じる判決をしました。

2 事案の概要
 本件は、派遣切りに遭って新たな仕事を探し続けても見つからず日々の食事にも困るようになった原告が、岸和田市福祉事務所に生活保護申請に赴いたところ、門前払いをされ、その後も、5回も生活保護申請を却下され続けたことについて、岸和田市を被告として、却下処分の取消しと、精神的苦痛に対する慰謝料を求める行政訴訟です。

3 判決の内容
 生活保護法4条1項が定める稼働能力活用要件につき、本判決は、稼働能力の活用要件について、憲法25条の理念に基づく生活保護法の立法趣旨を勘案して判断すべきとし、①稼働能力があるか否か、②その具体的な稼働能力を前提として、その能力を活用する意思があるか否か、③実際に稼働能力を活用する就労の場を得ることができるか否か、によって稼働能力の活用要件を判断するとしました。そして、①については、その有無だけでなく、稼働能力の程度についても考慮する必要があり、②については、困窮の程度を勘案すべきと指摘しつつ、社会通念上の最低限度必要とされる程度の最低限度の生活の維持のための努力を行う意思が認められれば足りるとし、③については、申請者が求人側に対して申し込みをすれば原則として就労することができる状態か否かで具体的に判断し、抽象的な有効求人倍率等のみで判断してはならないとし、ここにいう「就労の場」とは申請者が一定程度の給与を一定期間継続して受けられるものをいう、としました。
 
 その上で、本判決は、本件原告夫妻について、①原告の稼働能力の程度を具体的に検討した上で、②原告夫妻の求職の努力を認め、③就労する場を得ることはできなかった状態にあると結論づけました。
さらに、岸和田市が原告を門前払いにした行為ついて、保護の実施機関は保護の開始申請意思の確認や意思を有している場合には保護の開始申請手続を行うことが職務上認められているとして、本件においても原告の申請権が侵害されたとし、さらに、本件各却下決定は、生活保護法4条1項の稼働能力活用要件の解釈を誤った違法なものと判断して、いずれも岸和田市に対する国賠請求を認めました。

 なお、手続的違法については、判断しませんでした。

4 判決に対する評価
 本判決は、却下処分が違法であったことを断言し、かつ、申請権の侵害や5回にわたり却下処分を継続して一年以上にわたり原告夫妻が保護を受けられなかったことについて、岸和田市の違法行為を断罪した、極めて正当な判決です。その中でも、憲法25条や生活保護法の理念に即して、稼働能力活用について踏み込んだ判断をしており、高く評価できます。

5 おわりに
 被告岸和田市は、本判決の判断を真摯に受け止め、今後、本件と同じような被害者が出ないようにするため、憲法25条の理念に則った適切な生活保護行政を行っていくよう、原告弁護団として、強く求めます。                   
以 上
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「泉大津の保育をみんなでよくする会」の 市との話し合い 

2013-10-30 23:52:42 | 保育・子育て
「泉大津の保育をみんなでよくする会」と市との話し合いに参加しました。
当初10月25日に予定されていたものが台風のために延期になったものです。
会議室は仕事帰りの保護者の皆さんでいっぱい、別室では子どもたちの保育が行われています。

今、母親になった娘たちが保育所に通っていた頃、私も保護者会の役員としてこういう場にいました。なつかしい思い出です。
各保育所に保護者会があっても、市内の保育所全体の保護者が集まったり連絡をとったりすることはなかったところから、公立保育所保護者会連絡協議会を立ち上げました。
それから約30年になりますが毎年毎年、保護者の代表の皆さんと市の福祉部との話し合いがもたれなかったことはないと思います。

一日の仕事を終わったお母さん、お父さんがこうして出かけてくるのは大変なことです。
市の職員さんも健康福祉部の幹部職員、児童福祉課、幼保一体化推進グループの職員さんに加え、各保育所の所長さんも参加していただいています。
保護者の皆さんも、行政の職員も皆さんもご苦労だと思いますが、子どもたちの過ごす場所をよりよいものにするために話し合いを重ねてくださることを心強く思います。

前半は各保育所から事前に出された要望に対する市の回答。
「去年も同じ要望してたように思うんですけど・・・」という保護者の厳しい意見もありました。

それに対して「去年の要望でその後、改善されたこと」を具体的にあげ、全ての要望には応えられなくても行政も努力していることが伝わります。
それにしても「小さい子がお昼寝する部屋に網戸を」など、あまりにもささやかなすぐにでも改善して欲しい要望です。
新しくできた、くすのき保育所の保育室に通じる通路は外に張り出しているので、雨の日はびしょぬれ」なども切実な声でした。

「保育料はなぜ、税額によって決まるですか?」という質問もありました。
保育料が税額、つまり所得によって違うのは、「保育は子どものための福祉」だから。
親の経済状況に関わらず、保育の必要な子どもたちには同じように保育が保障されなければならないからです。
いわゆる「応能負担」です。ゆずれない原則だと思います。
それにしても、一定の所得がある保護者の皆さんも「高い税金を払い、その上に保育料も高い」と言う不満が出るものわかります。
そもそも、私たちが30年前に「公立保育所保護者会連絡協議会」を立ち上げたのも、保育料の値上げがきっかけでした。

話し合いの後半は、市が進めようとしている認定子ども園について。
低年齢児対象の戎保育所のお母さんから「3歳になったら必ず他の施設に移らなければならないのだから、認定子ども園についてきちんと説明して欲しい」という要望がありました。
「市役所の人が保育所に来て説明してもらうことはできないんですか?」と。それに対しては「そのようにします」というはっきりした答えがありました。本来、今年の入所申請の前にされなければならなかったことです。

「“認定子ども園はいいことばっかり”のような説明をされるけど、デメリットは?」という質問もありました。
去年、市議会の厚生文教常任委員会で、新宿の認定子ども園を視察したときに議員から同じ質問がありました。
園長さんは「デメリットではなく、課題だと考えています。」とおっしゃったことを思い出します。
「子どもを真ん中において、どうするのが子ども達にとって一番いいのかを考えてきた」とも。

くすのき子ども園に続いて2015年度の開設が予定されている上條幼稚園・上条保育所が5歳児の合同保育をするなかで、とっても仲良しの子どもがいて、実はお隣同士だったということ。家が隣同士でも保育所と幼稚園では一緒に遊ぶこともなかった子どもたちが、仲良くなって、その輪が広がる。そして一緒に小学校に・・・という話がされました。親が働いているかどうかで「子どもの世界」が別々であるより、一緒に過ごせることは嬉しいことでしょう。子ども達が手をつないで駆け回る姿が目に浮かび、「幼保一体化」のよさがイメージできるお話でした。

幼稚園の子どもと保育所の子どもは、同じ年齢でも親の生活スタイルによって子どもの生活リズムが異なる場合があります。
保護者の会の活動も一緒にするのは困難であったり、保護者が参加する行事の日程なども工夫がいります。

「課題」は現場の知恵、親の願いを出し合って、皆で考えながら、子どもたちのためによりよいものを創りあげていきたいものです。


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法律相談会のご案内

2013-10-29 17:57:53 | 活動報告
今、配布中の議員団発行、議会報告ニュース「こんにちは 日本共産党議員団です」でお知らせしている生活法律相談会を以下の通り開催します。

11月7日(木)6時~(受付は8時まで)
泉大津市民会館 2階 6・7会議室



協力してくださる弁護士さんは、岸和田駅近くの阪南合同法律事務所の若手弁護士、南部秀一郎さん。
泉大津市在住で、とても気さくで「話しやすい」と好評です。

特に予約はお受けせず、当日、先着順とさせていただいています。
時には、ずいぶん長い時間、お待たせしてしまうこともありますが、その点はお許しください。

このブログの「カテゴリー 私への連絡相談はこちらへ」に掲載している携帯電話の番号に問い合わせていただけば、だいたいの待ち時間等、お知らせできるかと思います。

心の中に抱えている悩み事、法律の専門家のアドバイスでうまく解決に向かうこともあります。
もちろん、弁護士ではなく私たち、議員でお聞きできるお話でもどうぞ。
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出生届

2013-10-28 17:06:18 | 大きくな~れ パート3
「出生届は子どもが生まれた日から15日以内」ですが、海外で出産した場合は3ヶ月以内に、その国の大使館または、親の本籍地か住民票のある市町村の役所に届けを出します。

8月19日にソウルで生まれた○みちゃんの出生届は、今日、泉大津の市役所で手続きしました。
添付書類は出産した病院が発行する出生証明書、そしてその日本語訳。
今回の旅行で長女から預かってきました。

暮らしの場所は、ソウルにありますが1年のうち合計1ヶ月以上は日本に滞在します。
住民票の上では私の世帯の一員となり、国民健康保険の家族にもなります。

3歳の兄、○クンも日本にいる間に熱を出したり風邪を引いたりして、医療保険証があることで助かりました。
乳児健診も、時期はずれても受けることができました。

少し遅くなりましたが本日をもって晴れて日本国民、泉大津市民になりました。
以下はソウル滞在中のスナップです。



はじめまして!日本のハルモ二です。あなたに会いに大阪から来ました。





はじめまして! 少し人生の先輩、従姉妹の○ちゃん、1歳半です。
孫とひ孫に対面した、私の母。「大きいおばあちゃん」と呼びます。あまり大きくはないけれど。



向こうにいるのは「大きいおばあちゃん」。満面の笑みで歓迎してくれました。

3歳の○クン同様、「日本国籍を留保する」と出生届に書き込むことにより、子ども時代はふたつの国籍を持ち成人したときにどちらかの国籍を選ぶことになります。
どちらの国を選ぶにしても、あなたたちが、ずっとずっと平和のもとで生きることができるように。

「日本のハルモ二」こと私の切なる願いです。









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絵本ひろばで“ひろば読み”体験

2013-10-27 23:08:28 | 旅行・楽しいこと
昨日、ソウルから一緒に帰ってきた○ちゃんと、その母親(次女)を駅まで送りました。

その前に、絵本の会「ぽっかぽか」の主催する絵本ひろばへ。
勤労青少年ホーム1階の大きな部屋に、ずらりと並んだ絵本。
「絵本のひろば」は、図書館の書棚のように、本の背表紙が並んで署名だけで本を探すのではなく、表紙が見えるように「面展台」という台にズラリと並んでいます。

その様子を写真でアップできないのは残念です。(人物が入った写真は了解をいただかないと・・・)想像してください。

絵本が読み手を待っています。呼んでいます。
たくさんの絵本の中から自分の好きな本、読んでみたい本を自由に手にとります。

1歳の○ちゃんも、自分で本を持って母親のひざにのります。



お昼の休憩をはさんで、午後は加藤啓子さんの講演。
「絵本あれこれ研究家」という不思議な肩書きで、「絵本ひろば」の普及に取り組んでおられる加藤さんのお話の1時間半は、本当に素敵な時間でした。
「絵本ひろば」に並んだ本を手にとって、次々と読みながらのお話。絵本の向こうに広がる深くて広い世界に、いつのまにか引き込まれます。

お話の途中、「3人1組で、それぞれ好きな本を読みあってください」の声で、たまたま隣り合って座っていた3人で順番に読みました。
3人グループが17組できたそうです。あちこちで、笑い声が起きています。
いろんな声が響く中、他のグループの声も気にならず「1冊の本」に集中できることを発見しました。


私たちが読んだ1冊は「もこもこもこ」(谷川俊太郎;作、 元永定正;絵 文化出版社)



私は谷川俊太郎さんのこの本を知っていましたし、子どもたちが小さい頃一緒に読んだこともあります。
でも、「読んでもらう」という体験は初めて。それは新鮮な感動でした。

出会ったばかりの3人で1冊の本を読むことで生まれるひとつの世界。
「これが“ひろば読み”って言うんだな!」と納得です。

読み手が本を選び、子どもたちは静かに座って聞く「読み聞かせ」とは違い、「ひろば読み」は、子どもたちが自分で絵本を選び読んで欲しい人のところで行きます。
「絵本のひろば」が、小学校や幼稚園、保育所、地域に広がるといいなと思います。

(追記)当日の雰囲気や加藤さんのお話など・・・絵本の会「ぽっかぽか」のブログにアップしてくれています。ぜひご覧ください。


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91歳になった母は「要支援1」

2013-10-26 23:44:32 | 父・母のこと
母と一緒に、ソウルの長女一家を訪ねる3日間の旅から帰ってきました。

次女とその子、1歳の○ちゃんも一緒に。

帰りは母は金浦空港から羽田へ、母が乗る飛行機を見送ってから私たちは関空へ。

母から「定刻通り無事に羽田に到着。その後の電車もバスも順調で8時過ぎに帰宅しました。素晴らしい旅をありがとう。長生きして良かった。・・・」とメールが届きました。

母と3日間一緒にいて、母の健康、体力には感心しました。
毎日、よく歩きました。
昨日の夜は、夕食後、ホテルに帰るのにタクシーが拾えず、結局40分ほど歩きました。

それだけ歩けて、横浜から一人で新幹線に乗って大阪の私の家まで来ることができて、海外の空港からひとりで飛行機に乗って帰ることができるのは、91歳という年齢からすると「健康と体力に恵まれている」のだろうと思います。
それがわかったのは、私にとってもとても嬉しいことです。

それと同時に、その体力を維持するのに、相当の努力をしていることもわかりました。
「体を動かさないいと動けなくなる」と言います。
毎日、自分なりの体操をします。数日、それを怠ると「足に力が入らなくなる」と言います。

介護保険が始まったときに77歳だった母は、リュウマチのため荷物を持ったり、手先に力を入れることができませんでした。すぐに認定を受けて「要介護1」、それから「要支援2」になり、今は「要支援1」。
週2回のディ・サービスを利用し、週に一回、ヘルパーさんにトイレ、浴室、部屋の掃除をしてもらっています。

ディ・サービスでは、体操、手話コーラスや太極拳をして、ディ・サービスに行かない日も部屋の中で体操はします。

もし母が、在宅の一人暮らしで介護サービスを使わずに暮らしていたら、今のような「91歳」ではなかったと思います。

3日間、一緒にいたら少し手を貸さないとできないことがいろいろあることがわかります。
少しの段差でも何かにつかまらず足をあげることはできないし、指先に力を入れて「袋をあける」ことなどもできません。
娘たちの会話は「早口で何を言ってるのかわからない」と言います。
とても元気そうであっても、母はやっぱり「支援が必要な高齢者」です。
その「支援」を受けることができてこそ、「健康で文化的な生活」を楽しむことができて「長生きしてよかった」と言える母がいるのだと思います。

自分の意志で行きたいところに行くことができる91歳。それは言葉の本来の意味で「自立した高齢者」です。
公的支援を利用し、私的支援にも支えられ、「自立した生活」を楽しむ母から、「介護保険のサービス」を取り上げないで欲しい。
羽田へ向かう飛行機に乗り込む母の背中を見ながら、願ったことです。
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市政報告懇談会。90歳の母も参加して・・・

2013-10-23 23:49:54 | 父・母のこと
朝から雨。

午前中は定例の相談会で、事務所に。
電話での相談が2件。「明日から留守にしますので・・・」とお断りして、具体的な対応は週明けにさせていただくようお願いしました。

夕方、明日からのソウルへの旅行に同行するために母が来て、雨の降っているので最寄の北助松駅まで迎えに行きました。
横浜から新幹線に乗って、ひとりで来るくらい元気な90歳。明日で91歳になります。

母は、明らかに10年前より元気です。

4年に一度の私の選挙のときは「何も手伝えないけど」と言いながら、やっぱり気になるのか来てくれました。
6年前、10年前は数時間座っているのも辛そうで、よく横になっていました。

きょうは夕方、家に着いて食事をした後、一緒に市政報告懇談会に参加してくれました。

そして、9時過ぎに家に帰ってから私が机の上に置いてあった本を手にとって、「読み出したらやめられない」と言って一冊読んでからお風呂。

母は、介護保険制度が始まってすぐに介護認定を受けました。
リューマチで手に力が入らないので、お風呂やトイレの掃除はヘルパーさんの助けを借り、ディ・サービスも利用してきました。

高齢者共同住宅に住み、夜はみんなと一緒の食事を楽しみます。
自宅で一人で暮らしていたときと違い、「いつも見守られている安心感」が嬉しいと言います。

住環境、医療と介護、毎日自分のやりたいことをする暮らし。
それらが、「10年前より元気な90歳」の母を支えているように思います。

市政報告会の「報告」をするつもりが、つい母の話になってしまいました。

前半は、岩手・陸前高田の報告をさせていただきました。
そして、9月議会の報告です。

次々といろんな意見が出て、皆で怒ったり、励ましあったり・・・。
今夜もなかなか楽しい懇談会になったと思います。
小雨ふるなか、出かけてくださった皆さんに感謝です。









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旅支度

2013-10-22 13:02:50 | 旅行・楽しいこと
明後日から2泊3日で、長女が家族と暮らすソウルへ行きます。

8月19日に生まれた○クンの妹、○みちゃんも、生まれたときのほぼ倍の体重に。
すくすく育っているようです。

横浜にいる母と、大阪市内にいる次女と○ちゃんも一緒です。

去年、母の90歳の誕生日に、ひ孫○クンのいるソウルへの旅をプレゼントしようと思ったのですが、直前になって会議の日程が入りキャンセルしました。
公務の会議なので、どうしようもなかったのですが、母は「私に来年の約束はできないのよね。」と言いました。

嬉しいことに母は健康でこの一年間を過ごし、今回の旅行が実現します。
旅立ちの日、10月24日は母の91歳の誕生日です。



帰りはほとんど空っぽになる予定のスーツケースの中身は、○クンの積み木と本と衣類、娘のリクエストの本と日本の食材(切り干し大根、乾燥わかめ、ひじき・・・)など。
赤い袋は、部屋の中で組み立てて子どもが中で遊べるテント。これは三女から○クンたちへのプレゼント。
テントの袋の中にもいろいろ入れました。
荷物は、笑えるくらいスゴイことになりました。
機内持ち込みで預ける手荷物はひとり20キロ上限ですから、スーツケースの重量を20キロに抑えるのに出したり入れたりしながら何度も計りなおし。

もし雨が降ったら傘をさす手が足りません。


母91歳、私61歳、次女31歳、そして○ちゃん1歳。
4世代のソウルへの旅、どうなることでしょうか?

出発の前夜、明日は市政報告会。(7時~ 条東長寿園)
きょうの夕方は宣伝カーで、そのご案内です。
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土鍋でご飯を炊きました

2013-10-21 23:47:35 | 私の食卓
朝の連ドラ。「ごちそうさん」で、主人公、め以子に母親がご飯の炊き方を教える場面がありました。
米をシャッ、シャッと研ぐ音を聞き分け「力が入りすぎている」と言い、釜の中でパチ、パチと言う音に「耳をすましてごらん」と母が言う。
強火にするタイミングも音で聞く。
「お米は、音が大事なんだ」と、め以子がつぶやく。

ご飯も、漬物も、卵焼きも・・・とてもおいしそうです。

それで・・・というわけでもないのですが、土鍋でご飯を炊きました。
ふっくらとおいしく炊けました。




冷蔵庫に少しづつ残っていた野菜をいっぱい、豆腐とわかめも入れた味噌汁と、オクラの柚ドレッシングあえ、ラデッシュの甘酢漬け。



今日は、朝、いくつかのことで職員さんから説明を聞き、続いて議員団会議、会議や打ち合わせ、懇談がずっと夜まで続く一日でした。

合間に銀行や郵便局へ行ったり買い物をしたり。それでも、ご飯はしっかり食べました。

「ごちそうさん」のめ以子さんは、これから激動の時代をどんなふうに生き抜いていくのでしょう?
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「がんばっぺし!ぺしぺしぺし! 陸前高田市長が綴る“復興を支える仲間”との732日」

2013-10-20 20:33:28 | 読書


岩手に行ったときに買いました。
そして帰ってきてからすぐに読みました。

読み終わってからも、何度か手に取りページをめくりました。

市長に就任して2ヶ月で直面した大災害。
激動のなかで何を考えてきたのか。
「私のすべてをさらけだすつもりで書き進めてきた」という著者の言葉にあるように、行政の長として、ふたりの子どもの父として・・・率直な思いが綴られている。


「ノーマライゼーションという言葉の必要ないまち」を目指す陸前高田のこれから。
そこから学ぶことはとてもたくさんある。

また岩手へ行きたくなった。

著者;鳥羽 太(陸前高田市長)
発行;大和出版
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市政報告懇談会 ご案内

2013-10-19 22:16:09 | 活動報告
9月議会の報告を中心に、市政報告懇談会を開きます。

10月23日(水) PM7:00~
条東長寿園(森町2丁目)
 条東保育所の近くです。


「猛烈な台風」の予報があり、ちょうどそのころ西日本に接近?

そうでないことを願っています。

そして日本列島、どこにも被害のないことを。

東北から帰って1週間。
あっと言う間に過ぎました。

いろいろたまった用事、お答えできていない要望・・・気になりながら、後援会ニュースの編集と印刷を何とか間に合わせました。
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ようやく国会が始まりました

2013-10-18 23:27:51 | 日本共産党
10月15日から臨時国会が始まりました。

初日の首相所信表明を受け、昨日は衆議院で、きょうは参議院で代表質問がありました。
昨日の志位委員長の代表質問はコチラから。

きょうは午後1時からの参議院、市田議員の質問をリアルタイムで視聴できました。

首相の答弁には、国会で多数をとったものの驕りが最初から最後まで、あふれています。有権者は「白紙委任」したわけではないのに。

志位委員長は、質問のあと、首相答弁への感想を記者に問われて「聞く耳持たない暴走」と答えました。

「国民多数の願いがどこにあるのか」・・・聞く耳を持たない政治家に届けるのは力がいります。

今月の後援会ニュースには「消費税増税中止署名」で寄せられた市民の皆さんの声をそのまま、載せました。
なかには「国の借金を減らすため」「社会保障の財源なら」と条件をつけて「増税賛成」、または「やむをえない」という声もありますが、圧倒的多数は「増税やめて!」という悲鳴です。

こちらも後へひけません。

急に冷え込んできました。
風邪などひかないようにしないといけませんね。
健康が何よりの財産です。
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「どうなる? どうする?! 介護保険」・・・身近な地域で考える

2013-10-17 23:36:28 | 社会保障
泉大津の社会保障推進協議会の会議。

昨日、参加した大阪社保協の学習決起集会の報告をし、11月中旬に泉大津で「みんなで考えるつどい」をすることになりました。

今、政府が進めようとしている改悪の内容について、急いで知らせることが何より大切だということ。
「知らないうちに決まってしまった」ということにさせないために。

政府の改悪メニューについては私が報告します。
昨日の集会での行動提起、「きょうの参加者が地元で講師になって」の呼びかけに素直に(?)応えることにしました。
政府の改悪案を泉大津の現状に照らして整理したいと思います。

昨日の集会に参加して、「当事者の声」に耳を傾けることがとても大切だと言うことを痛感し、泉大津の集会でも、今、家族の介護をしている人、ヘルパー、ケァマネージャーとして働いている人・・・に発言してもらうことを提案しました。
そう考えたら身近な人の名前がたくさんあがりました。
その場で、ぜひとも発言をお願いしたいケアマネさんに連絡をとってOKいただきました。

「要支援」という人はどんな状態なのか?今、どんなサービスを利用しているのか?
それが利用できなくとどんなことがおこるか?
特別養護老人ホーム追い出しの対象の「要介護1・2」の方の日常生活は?
どんな支援があれば、どんなことができるのか?
具体的に知り、そして考えたいと思います。

「5年後、10年後・・・どんな暮らしをしたいか」を、それぞれが考え、そのために必要なもの、足りないものがあればみんなで作り出す。
そして自治体の次期事業計画に反映させていく。そのための努力を今から始めたいと思っています。







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介護保険・・・人としての尊厳を踏みにじる大改悪にストップを

2013-10-16 23:45:38 | 社会保障
大阪社保協主催の「こんな介護保険なら保険料詐欺だ!! 次期改悪内容を知り何ができるかを考える学習決起集会」という長い名前の集会に参加した。

「介護保険改悪で何が狙われているか」と題して日下部雅喜さんの基調報告に続いて、介護の現場からの発言。地域包括支援センター、特別養護老人ホーム、ケアマネージャーから。

改悪の中身は以下の通り。
1、要支援1・2を介護給付の対象からはずす。
2、特別養護老人ホームの入所は「要介護3」以上に限る。
3、所得によって介護保険の利用料を2割に引き上げる。(厚労省の検討案では「所得160万円以上」等)
4、低所得者でも預貯金や不動産があれば施設の居住費・食費を補助しない。

どれをとっても、とんでもないことだ。

本日開催予定だった社会保障審議会介護保険部会は台風のために中止とのこと。
日下部さんより、その会議のための事前資料も含めて、改悪のメニューとその狙いが詳細に報告された。
そして「これから国民の声を運動を台風のように巻き起こそう」と呼びかけられた。

現場からの報告、介護保険を利用されている高齢者の皆さんの声は、進められようとしている負担増と給付削減がどれほどひどいものであるかを生々しく告発した。
同時に、専門職による心ある介護サービスが、高齢者の方々の命を支え、笑顔を甦らせていることも教えてくれた。

聴きながら、最近相談を受けたヘルパーさんの話を思い起こす。
高齢者と家族に寄り添い、体調の変化を気遣い、生きる希望を支える介護をしたいと願いながら、現実の壁に悩んでおられた。

その悩みの大本には、制度そのものの矛盾がある。

それを一緒に考えていきたいと思う。

高齢者や家族の皆さん、介護の現場で働く方たち、皆で考え現場から声をあげる。
地元でそんな学習会をしたいと思う。

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岩手・陸前高田の今

2013-10-15 16:38:24 | 東北被災地支援・がれき処理問題
2011年の7月、津波・震災から4ヶ月後の陸前高田を訪ね、青空市のお手伝いや仮設住宅の訪問、要望聞き取りなど、ささやかながらボランティアを経験しました。

そのときから「何年かたったら、きっとまた来よう」と思い、その思いを果たすことができました。
思い切って行ってよかったと思います。
「今、行かないと・・・」と決断を促し、1200キロの遠路の運転をしてくれた同会派の森下議員、現地の宿泊を手配し、多忙な時間をさいて案内してくださった藤倉陸前高田市議はじめ市議団の皆さんに感謝です。

9日10日11日の現地から投稿を補足し、今、心にあることを記しておきます。

あの日から2年半たって、被災地の様子がマスコミで報道されることはほとんどないように思います。

「復興はようやく緒に就いたところ」ではないかと思います。
震災前の人口は2万4千余人。
今は、約2万人。

亡くなられた方が2千人以上。やむなく他県、他市へ移り住んだ方もあることでしょう。

約4割の家屋が居住不可能となり、今も、52箇所、2100戸の仮設住宅に多くの方が暮らしておられます。

住宅、商店、市役所を初めとした公共施設が集積していた市街地は津波被害で壊滅し、そこは広大な更地です。




「とりあえず」と言う感じで小さな「追悼施設」が建てられていました。
全国から訪れた人のメッセージ、千羽鶴などが掲げられています。
慰霊碑に合掌。



遠くに見えるのは屋上まで水没した気仙中学校。生徒の犠牲者がなかった校舎は取り壊さず、津波・震災被害を伝える遺構として残すとのこと。




線路も駅のホームも津波で流され、運休中のJR大船渡線。2年前に訪ねたときは、「ここに駅があった」ことがかろうじてわかる「駅のホームの残骸」でした。
鉄道の復旧が待ち望まれながら、なかなかすすまないようです。今はバスが運行。竹駒駅のあとはきれいなバス停に。



隣町の住田町、お寺の境内に建てられた木造仮設住宅。

地元の木材を使い、仮設住宅としての用途を果たしたあとは無償で譲渡されるとのこと。
普通のプレハブでは、後の使い道がありません。
昔の長屋風の温もりを感じます。



街のあちこちにある花壇。立て札には、全国各地の学校名。
復興に思いを寄せ、花の種を撒いた若い人たちの祈りがこめられているようです。



2日間、連泊でお世話になった民宿「むさし」さんは、5分も歩けば海岸。
帰る日の朝、小雨の中を歩きました。
静かなこの海が、荒れ狂った日のことを思います。

海岸がすぐに見下ろせる場所ではありながら、高台なので津波の浸水被害はまぬかれたものの、地震は「今までに経験したことのない怖さ」。
余震が続く数日間、家に入れず車のなかで寝たこと、家を流された人たちを受け入れ「とにかく食糧を、暖かいものを」ありったけの物を提供し着の身着のままで過ごした日々のことを話してくださいました。

「それでもここは、壊れた街もいつかは作りなおせる。取り返しがつかないのは、福島、原発の被害だ」と言われました。









コメント (3)
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