Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

ノートルダム女学院中学高等学校 和中庵(2016年8月7日拝観)

2016年09月07日 | 旅行、その他
今年の京の夏の旅キャンペーン文化財特別公開は、
正直余り高まる寺社の公開はありません。

しかしながら、一つだけ強く行きたいと思った場所があります。

それはノートルダム女学院の和中庵です。

男がノートルダム女学院なんて日頃は行けないので、
このチャンスを逃すはずはございません。(笑)

普段行けない場所に特別公開等で入れるのは、
どんな所でも嬉しいもんです。(^^


駐車場はタクシーと障碍者用しか無いので、
近くの有料駐車場に停めました。


霊鑑寺より更に上に行くとノートルダム女学院はあります。

それにしても女学院って響きいいですね~。(笑)

決して下心は無いと思う、多分。(^^;




到着しました。(^^

この建物はユージニア館というらしい。


隣を見ると女学院がある。


【ノートルダム女学院】




閉まってるー。(泣)

オーマイガッ!

和中庵は女学院の中にあるわけじゃ無かったのね。(^^;

まぁ、そりゃそうだわな。(笑)

気を取り直して拝観料を支払って拝観開始。


【礼拝堂】




まずは教会の礼拝堂に入ります。

クーラーが入ってて助かる。


しかし、大聖教のような荘厳な建築物なら見て楽しめるが、
学校の教会なんで簡素なもので何も高まらず。

違う宗教とはこんな風に感じるんだな。


【ステンドガラス】





【御蔵】



【和中庵】


綺麗な前庭の奥にある洋館が和中庵です。

近江の商人藤井彦四郎の邸宅として建てられた昭和初期の建物。

昭和24年(1949)にノートルダム教育修道女会が購入し、
多い時に60人ものシスターや修練者達が生活を営んでいたそうです。




靴を脱いでスリッパに履き替え二階へ。










いいですね~。

こんな別荘が欲しい。(笑)


シスター達が住んでいた頃はシャンデリアは蛍光灯にし、
畳は板張りにして質素な佇まいだったようです。




渡り廊下を歩いて書院造りの客殿へ。




渡り廊下から見た洋館。


【客殿】




小さな部屋が最初に見に入ってきます。

この部屋で夜に静かに読書とか酒を飲んだら最高だろうなぁ。






外から客殿を見ることは出来ませんでしたが、
完全に和風建築ですね。

洋館と日本建築がくっついた建物は珍しい。






床の間の上を見ると雀らしき鳥が描かれていました。

こんな目に入り難い所に描いているとは粋ですね。








客殿庭園。




大きな石は鞍馬石だったと聞いた記憶があるが忘れた。(^^;


【竹風軒】


茶室は残念ながら非公開でした。


和中庵の保存事業として年間6万円以上の寄付をすると、
2017年11月に和中庵(竹風軒・御殿)で呈茶と点心席が楽しめるようです。

3年間で目標が3千万円なんで卒業生は頑張ってください。(笑)


これにて拝観終了。

なかなか貴重なものが見れて良かったと思う。

福田寺(2016年8月7日参拝)

2016年09月07日 | 仏閣
続きまして六条に移動し福田寺へ。

こちらのお寺には乳房地蔵尊という、
男にとって憧れの地蔵尊が祀られているそうです。(^^


所在地:京都府京都市下京区六条通河原町西入ル本塩竃町590
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:文永9年(1272)
開基:宗尊親王
札所:洛陽四十八願所地蔵めぐり


【縁起】
福田寺は文永9年(1272)鎌倉幕府6代将軍宗尊親王が京都に送還され、
剃髪後に堯空と称して、東山に一宇に建立したのが始まりです。

その後、弘安5年(1282)に天台宗から時宗に改め、
名称も福田寺から汁谷道場に改めました。
慶長3年(1598)豊臣秀吉による豊国神社の造営に伴って、
高倉五条に移ったが、更に現在地に移動し浄土宗に改宗。

寛文年間に霊元天皇の命により、
僧である宝山が洛外六地蔵以外の四十八寺の地蔵尊を選んだ
洛陽四十鉢願所地蔵めぐりの一つに数えられました。

天明8年(1788)天明の大火、元治元年(1864)の禁門の変によって焼失、
その後再建されました。

札所御本尊は乳房地蔵菩薩である。


【山門】



【本堂】


檀家寺です。


御朱印をいただこうとピンポンを押してみたが、
対応していただいた奥様に、忙しいからということで断られました。(泣)

こうなったら御朱印いただくまで何回も行ってやる。(笑)