Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

小濱神社・小浜城跡(2015年7月12日参拝)

2015年08月18日 | 神社
本日最後の参拝となるのがズバリ小濱神社です。

海の近くで小浜城があった地に神社は鎮座しております。
御祭神は当然ながら若狭小浜藩の初代藩主酒井忠勝公です。



所在地:福井県小浜市竹原御本丸8
御祭神:酒井讃岐守忠勝公、天御中主大神
創建:明治8年(1875)
社格:県社


【由緒】



【鳥居】



【拝殿】



【幣殿】



【狛犬】



【絵馬殿】



【ころび橋】


橋の一部のようです。


【本丸城石】






参拝するまで存在すら全く知りませんでした。


それと2年ぐらい前の他の方のブログを読んでいると稲荷社があるんですが、
私が参拝した時は綺麗さっぱり無くなっておりました。

あれ~見逃したのかなぁ。

私には見えなかったとかありえんしなぁ。(^^;


【小浜城跡】






この辺りは本丸らしい。

そんなに大きく無いお城だったと想像出来るが、
江戸時代末期に撮られた小浜城の写真を入手した。


【小浜城】


よい雰囲気じゃないですか。

今も現存していたならば拝観料を取れるお城だっただろうね。

明治時代に各地で多くのお城が破壊されましたが、
現在まで残ったとしてもお金を取れるお城は少なかったとされる。

そういう意味で小浜城を火事で失ったのは痛い。


【御朱印】



これにて小浜の神社仏閣巡りも終了。

噂に違わぬ素晴らしい寺社が多かった。
そりゃ大型観光バスで何台もツアーが組まれるわけだ。

まだ行けていない寺社、拝観出来なかったお寺があるので、
またいつの日か訪れたいと思う。

小浜市に住んでる人が羨ましいよ。

高成寺(2015年7月12日参拝)

2015年08月17日 | 若狭観音霊場


ちょっと海を見に。





うみ~。

やっぱええわ~。(^^

癒されます。


海を堪能した後は小浜公園近くにある高成寺へ。



所在地:福井県小浜市青井1-11-1
宗派:臨済宗南禅寺派
御本尊:千手観音菩薩
創建:暦応2年(1339)
開基:大年和尚
札所:若狭観音霊場、北陸三十三ヵ所観音霊場


【縁起】
もとは足利尊氏が全国に建立した安国寺のひとつで若狭国安国寺とされます。

康永3年(1344)に火災により焼失すると、
若狭国守護職の大高重成が大年法延和尚を招き再興、
大高重成の名前から寺号を高成寺に改称しています。

当時の高成寺は寺運が隆盛し塔頭40余院を擁する大寺で大きな影響力がありましたが、
室町時代に入ると度重なる兵火により多くの堂宇が焼失し衰微し、
瑞厳寺の雲居禅師が看護しています。

江戸時代に入ると小浜藩主京極家から庇護され、
京極家が移封になると酒井家の家老や家臣達の菩提寺として庇護されます。


【総門】


なかなかお洒落な雰囲気を感じます。

総門横に無料駐車場がありました。


【山門】




お~、立派な山門じゃないですか。

先に進むのが楽しみになった。


【中川淳庵先生之碑】





【千賀玉斎先生の碑】





【鐘楼堂】



【庫裏】


禅宗らしい庫裏ですね。
大本山クラスの立派なものでした。


【松の根地蔵】





【本堂】



【内陣】


本堂内には入れました。

白い御前立の十一面観音の後ろに御本尊がいらっしゃいますが、
残念ながら御尊顔を拝することは出来ませんでした。

写真では見れましたけどね。(^^;


【境内】


広い境内で向こうに見えるのが山門です。


【観音像】



【方丈】



【地蔵尊】





【瑞雲院】


塔頭でしょうか。


【稲荷社】



【山門】


見仏的には少し物足りなかったですが、
立派な伽藍を見て満足しながら最後の寺社へ向かう。


【御朱印】

赤松神社(2015年7月12日参拝)

2015年08月17日 | 神社
圓照寺の横に神社があったので寄ってみた。

神社名は赤松神社という。

圓照寺の鎮守社なんでしょうね。



所在地:福井県小浜市尾崎22宮ノ脇12
御祭神:不明
創建:不明
社格:村社



【鳥居】


いかにも長閑な場所に鎮座する神社の風情があります。


【手水舎】


これは女陰のようですね。

そう見えるのが私だけだったらすまぬ。(^^;


【狛犬】



【本殿】





【舞殿】



【狛犬】


こちらの方は劣化が激しく顏が崩れてますね。


【境内社】






天神神社と八幡神社らしい。

この神社についていろいろ調べてみたが、
由緒どころか御祭神すら分からない。

せめて駒札でもあればねぇ。

うーむ、困った。

御朱印は120パーセント無いと思います。(苦笑)

圓照寺(2015年7月12日参拝)

2015年08月16日 | 若狭観音霊場
小浜市内中心部から少し離れて圓照寺というお寺へ。

こちらで大日如来を拝仏させていただきます。



所在地:福井県小浜市尾崎22-5
宗派:臨済宗南禅寺派
御本尊:大日如来
創建年:文安元年(1444)
札所:若狭観音霊場


【縁起】
創建は天智天皇の御代と伝えられ、遠松寺と称し真言宗に属した。

慶長17年(1612)越前杣山城主瓜生氏の娘、
了岳慶智尼の発願によって今の場所に臨済宗として再興され圓照寺と改めた。

近世臨済宗中興の祖白隠禅師が、29歳で当山三世鉄堂和尚に参じている。
寺の由来は昔、春日明神の神託によって刻まれた大日如来像を、
奈良三笠山より若狭堂谷の地に遷して一宇を建立し、
ここに奉安して遠松寺と号したのに始まります。

のち南川の大洪水による災害から、
文安元年(1444)対岸の現在地に移して円照寺と名を改め、
真言宗より臨済宗に改宗しています。


【参道】


近くに無料駐車場があります。


【山門】



【鐘楼堂】



【大日堂】




このお堂は通称大日堂と呼んでいるが、
実は坐禅堂で寛政7年(1795)に第七世大提方演禅師が再建している。

拝観料400円を支払い奥様の説明付きで拝見させていただく。


【内陣】


撮影不可でしたので画像はネットで拾ったものです。


藤原時代の作の2メートル50センチもの大きさの大日如来(重文)、
左右に不動明王(重文)、観世音菩薩が祀られていました。

大日如来は平等院鳳凰堂の御本尊を模したと云われています。


三体とも地味な印象がありますが、
なかなか見応えがある仏様達でした。

さすが若狭国ですね。(^^


【本堂】


本堂の拝観は出来ませんでした。
どうせなら本堂も拝観させてくれれば良いのに。


【池泉庭園】


江戸初期に作庭されたもの。

この池にモリアオガエルが現れるそうです。


【モリアオガエル】


泡状の中に産卵するんですね。




オタマジャクシなんて久しぶりに見たわ。

お寺がちゃんと世話をされてるんですね。(^^


【鎮守社】



【境内】





【御朱印】



奥様に良い対応していただき感謝です。


ただ、近くの妙楽寺に参拝し忘れという失態はしたけど。(^^;

常高寺(2015年7月12日参拝)

2015年08月15日 | 仏閣
浅井三姉妹の次女お初の方の墓所がある常高院へ。

ちょっと地味な若狭小浜藩の藩主京極高次に嫁いだだけあって、
姉の茶々、妹のお江と比べ印象は薄いですね。


参拝するまでこのお寺に墓所があるとは、
全く知らなかったのはここだけの話。


所在地:福井県小浜市小浜浅間
宗派:臨済宗妙心寺派
創建:寛永7年(1630)
開基:槐堂周虎禅師




【縁起】
常高院栄昌尼が夫の京極高次の死後京都妙心寺の槐堂和尚を招いて開祖とし、
栖雲寺を移転させた跡地に常高寺を創建しました。

常高院栄昌尼はお市の方と浅井長政の3姉妹の次女として生まれ、
寛永10年(1633)江戸で亡くなりましたが、
その後侍女達と共に常高寺に葬られました。

「もし将来国替えがあっても常高寺だけは、この若狭の地に留めおいて下さい」と
遺言に残している。

実際、常高院没後の翌寛永11年(1634)京極氏は出雲松江藩に国替えした時も、
常高院の墓所である常高寺は若狭に残された。
以後、京極家が出雲、播磨、讃岐へと国替えになってもその庇護を受け続けた。

現存する常高院の貴重な肖像画、自筆の消息、墓所の他、
書院に遺るこの壁画が、往時の盛運を偲ばせています。
 
明治以降寺領は没収され寺は衰運に向かう。
本堂は大正12年(1923)に焼亡、荒れた書院、庫裡などが残りましたが、
昭和39年(1964)には山門の炎上もあって、まさに廃寺同然の荒れ寺となりました。

しかし、由緒ある名刹復興の動きもあって、
平成2年より再建事業が本格化し、平成3年より書院、三門の修復、
平成13年秋に本堂が完成しました。


【案内板】


案内板を頼りに歩いてお寺へ。


【滝天満宮】


高架線路を超えると滝天満宮が鎮座。

ここでまずパンパンとお参り。


【滝の水】






なかなか美味しかったです。

常高寺の駐車場に難なく着いていたら飲めなかったでしょう。


【地蔵尊】



【山門】


写真ではそんなに大きく感じないですが、
実際は結構大きな山門でした。


【本堂】


何というか田舎のちょっと洒落た家のようです。
若干お寺っぽい雰囲気は感じなくは無いが。


【内陣】




大仏さんが安置出来るようなだだっ広いが、
奥にちょこっと小さな御本尊や御位牌が安置されていました。


【山門】



【鐘楼堂】



【庭園】






庭園だけだと拝観料200円です。


【御本尊】


本堂拝観料400円を支払い内陣へ。

とても小さくて新しい仏像ですね。

私でも買えると思います。(^^;

次は展示室へ。


【木彫り】




顏が怖いぞ。(^^;


【写真】


あれ?真ん中で刀を持ってる私がいるじゃないですか!

いつの間に撮ったのか覚えてない、ってジョークです。
あんまり私と似てたのでつい。(笑)






今をときめく斎藤工が来ていたんですね。
当時は無名でブレーク前でしたが。






水川あさみですね。

どうやら2011年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の演者で、
斉藤工が京極氏、水川あさみがお初を演じていたようで、
その縁で訪れていたみたいです。

あの大河ドラマは最初は見ていたんですが、
あまりにもファンタジー過ぎて信長が死んでから見なくなりました。

トヨエツ演じる織田信長は本当にカッコ良かったなぁ。
江じゃなく信長を主役にして大河をやって欲しかったよ。(遠い目)


【サイン色紙】


向かって左が鈴木砂羽、右が斎藤工。




真ん中が水川あさみのサインです。


【御位牌】







【小袖】





【書院前庭園】


書院は撮影不可でした。

襖絵がありましたが、全く覚えてません。(^^;


【御朱印】

正法寺~栖雲寺(2015年7月12日参拝)

2015年08月14日 | 若狭観音霊場
小浜市の寺町界隈にあるお寺を幾つか巡ります。

まずは小さな如意輪観音がいらっしゃる正法寺へ。

若狭観音霊場の一つです。
無料駐車場がありました。


<正法寺>
所在地:福井県小浜市小浜大原37‐1
宗派:真言宗泉涌寺派
御本尊:如意輪観音菩薩
創建:元暦元年(1184)
開山:不明
札所:若狭観音霊場



【縁起】
正法寺の御本尊如意輪観音は平安末期の縁起物語に登場する。

時は元暦元年(1184)、佐渡島巡検使船に忽然と現れて、
その使命を果させた老翁が帰還着岸の間ぎわ、
小浜港坂尻浦にて我を信ずること篤く久しかったことを謝して入水した。

ところがその後、夜々海中に金色の光がさすので、
その時の浦の長、大橋五郎左衛門なるものが海中に入り、
光り耀く仏像を脇に挾んで拾い上げ、堂を上山に建てて奉安した。
そして浦の名を仏谷と改め、長の名を脇左衛門と称したと伝える。


【正門】



【本堂】


とても小さなお寺です。


【茶筅塚】



お寺の方が御不在で拝観出来ず、
御朱印いただけずでした。

さて常高寺へ向かうか。




ナビを頼りに行くもここで行き止まり。
常高寺には専用の大型駐車場があるのに何でやねん。

ここから山門へは行けないし困っていたところ、
目の前にお寺があった。

栖雲寺という若狭観音霊場のお寺で、
事前に調べる限りここは拝観出来そうになかったので、
スルーの予定だったんですけど、
ダメ元で寄ってみました。


<栖雲寺>
所在地:福井県小浜市小浜大原2
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:文明15年(1482)*諸説あり
開山:潤甫周玉
札所:若狭観音霊場


【縁起】
若狭国守護職武田国信の嫡男信親が創建し、
建仁寺の僧潤甫周玉を招聘して開山したとされている。

その後、衰退した栖雲寺を武田信親が再興。

潤甫周玉が没した天文17年(1548)以後は無住となったが、
その後、小浜領主浅野長政や京極高次からも寄進を 受けるなど保護された。

もともと現在の常高寺の場所にあったが、
寛永7年(1630)常高寺が創建された為一時断絶し、寛文2年(1662)現在地に再建された。

武田信親の法号栖雲寺殿から寺号とした菩提寺である。


【山門】


駐車場は無いけど山門横に停めさせていただいた。
ここは絶対警察も取り締まらないので安心です。


【本堂】



【鎮守社】



【本堂内陣】


御朱印をお願いすると本堂に上げていただいた。

有難い。(^^






真ん中の薬師三尊像をはじめ阿弥陀如来坐像等が祀られていた。
いいですね~。

本堂の外見からは想像出来ない煌びやかな内陣でした。(^^




こちらは聖観音ですかね。


【御朱印】



本堂内に入れて本当に良かったと思えるお寺でした。

小浜八幡神社(2015年7月12日参拝)

2015年08月13日 | 神社
空印寺から僅か100メートルの場所に鎮座するのが八幡神社。

駐車場はありませんが、
神社の手前に3台分縦列駐車するスペースがあります。

が、路上駐車になりますので警察には御注意を。(苦笑)
まぁ、ここだと警察もマークしてないと思うけど。



所在地:福井県小浜市小浜男山9
御祭神:應神天皇、神功皇后、宗像三神(多紀理比賣神、多紀都比賣神、市伎島比賣神)
創建:神護景雲3年(769)
社格:県社


【駒札】



【由緒】
当社の創建は奈良時代末神護景雲3年(769)ではないかと考えられています。

戦国末、若狭を領有していた武田家の力が衰え、
やがて滅亡するという事態に至りました。
武田家の氏神であった当社も戦火にかかり、
社家が滅びるなど大変動があったようです。

江戸時代に入ると人々は地域の文献に出ている当社の記録を辿りながら
氏神の由緒を調べ始めました。

延宝3年(1675)祠官渡部左近長次は由緒記を藩庁へ提出していますし、
同年町老の請により藩の学者も八幡神社由緒記一巻を記し当社に奉納しています。

そして若狭の国学者伴信友翁は諸文献を研究し、
その著書八幡考で続日本紀の「神護景雲四年、勅使参向鹿毛の馬奉納」とあるのは、
当社のことで創建はその前年の神護景雲3年ではないかと考証しておられます。



【第一鳥居】



【第二鳥居】


思ってた以上に良い雰囲気です。


【狛犬】



【神馬】



【境内】



【手水舎】


冷たくて気持ち良かった。

出来れば頭から水を被りたかった。(^^


【大神宮】




参道右手、社務所の前に鎮座してました。


【境内社】


何だかお寺のお堂のような雰囲気でした。


【拝殿】







【狛犬】


古代エジプトを彷彿させますね。


【境内社】



【伊勢神宮遥拝所】



【蔵】



【本殿】



【拝殿】



【境内社】










境内社が多いな。


【稲荷社】





【狛狐】




こちらはブロンズ製なんでしょうか。

めっちゃ男前で凛々しい狐です。


【稲荷社】



【狛狐】


こっちは劣化が激しく恐ろしい顔つきに。(^^;


【御朱印】


宮司さんが留守で書置きをいただきました。

無いと思っていただけに、書置きでもいただけたのは嬉しい。
それに予想以上に見所が多くて良かったです。

空印寺(2015年7月12日参拝)

2015年08月12日 | 仏閣
羽賀寺から小浜中心部に入り空印寺というお寺へ。
この辺りは小さいながらもお寺が多い場所でございます。

無料駐車場があります。



所在地:福井県小浜市小浜男山2
宗派:曹洞宗
御本尊:馬頭観音
創建:寛文8年(1688)



【縁起】
酒井家墓所のある空印寺の地は大永2年(1552)武田元光が、
後瀬山築城の際、堅固な城館(旧小浜城)を構築した処で、
以後、京極高次の雲浜築城に至るまで一国支配の本拠でした。

高次没後、嗣子忠高はこの旧地を父の牌所とし、
泰雲寺を建立しましたが、寛永11年(1634)松江に転封。

同年入部した酒井忠勝は、父忠利の霊骨を移して建康寺と称しました。

小浜藩主酒井家の菩提寺で孝心の篤かった二代藩主忠直が、
父忠勝の七回忌法要を執り行うに当り、在来の堂舎では手狭な為、
菩提所にふさわしい壮麗な伽藍を造営したという記録がある。

寛文年中、2代忠直が堂宇大修造のとき、
祖父の法号をとって建康山空印寺と改め今日に至っています。



【薬医門】


寛文8年(1688)建立されたもの。


【八百比丘尼入定洞】






人魚の肉を食べて800歳まで生きたという伝承があるが、
これはどう考えても嘘ですよね。(苦笑)


【宝篋印塔】



【面山禅師像】



【本堂】


本堂真ん中の扉が閉まっていたが、
玄関にお伺いすると開いていた。

しかし誰もいない。

横を見ると本堂内陣。

うーむ、せめて本堂に上がらせてもらって、
拝ませていただこうと思ったが、
さすがに勝手に上がる訳にもいかず。

御朱印もいただくことも出来ず。


しかし、鍵も閉めずに不用心だなぁ。

韓国の泥棒に仏像が盗まれたら、
犯人が捕まっても韓国は返してくれませんよ。

盗んだものを返さないとは韓国の政府や司法も終わってますね。(苦笑)


【聖母観音大菩薩】


八百比丘尼を題材にした映画。

若狭姫神社、明通寺などがロケ地になっています。

しかし何より驚きなのが、
浅野温子が16歳の時の全裸ヌードを披露しています。

今では児童ポルノに引っかかりますが、
時代が時代だけに許されていたんですね。(汗)

羽賀寺(2015年7月12日参拝)

2015年08月11日 | 北陸三十三観音霊場


小浜には素晴らしい仏様が多い。

この羽賀寺にも何とも言えぬ表情と美しさで有名な、
十一面観音菩薩がいらっしゃいます。

羽賀寺がある所は本当に長閑ですね。(^^



所在地:福井県小浜市羽賀82-2
宗派:真言宗高野山派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:霊亀2年(716)
開山:行基菩薩
札所:北陸三十三観音霊場、北陸三十六不動霊場


【縁起】
元正天皇の勅願で行基菩薩が開山したのが始まりと伝えられています。

伝承によるとこの境内には1羽の鳳凰が舞い降り、
羽根を落としたという故事から羽賀寺の寺号が与えられました。

朝廷や為政者からも庇護され天暦元年(947)に洪水で大破すると、
浄蔵(雲居寺の僧)が再興、建久年間(1190-1199)には源頼朝が三重塔を寄進、
さらに元弘の乱(1331-1333)の兵火で焼失すると、
当時の若狭守護職である細川氏清が延文4年(1359)に再建しています。

最盛期には七堂伽藍が並び24坊を擁する大寺となり寛永2年(1625)には、
3代将軍徳川家光により山門や客殿が造営され大きな影響力を持ちました。

その後、再建繰り返し現在は本堂、庫裏、鐘楼堂が現存し、
現在に至る。



【庫裏、客殿】


無料駐車場からすぐに見えるのが、
これらの建物。

ここが本堂かと思ったけど違いました。(笑)


【参道】



【修行大師像】



【宝篋印塔】



【石段】



【本堂】




本堂に到着。(^^

拝観料を支払い内陣へ。


【御本尊】


雰囲気の良い内陣に厨子に安置されてました。

これはたまりません。

何とも言えない柔和なオーラに癒されますね。
じっくり拝見してても飽きることがありませんよ。

わざわざここまで来た甲斐があるというもの。

撮影不可でしたので画像は観光協会から拝借。


【鐘楼堂】



【鎮守社】



【宝珠観音】





【アジサイ】



【御朱印】



見るべきところは本堂と内陣と言ってもいいお寺だけど、
あれだけの御本尊を間近で見れることは幸せだ。

本堂を締め切って堂内すらみれないお寺は多いけど、
やはり仏様の御尊顔を拝することは、
我々衆生の民にとっては大切なことです。

姫宮神社(2015年7月12日参拝)

2015年08月11日 | 神社




羽賀寺を目指し車は走る。

もうすぐお寺に到着するというところで神社発見。

鳥居に姫宮と書かれている。

男はいつの時代も姫には惹かれるものよ。(笑)



所在地:福井県小浜市羽賀宇田中73-15
御祭神:下照姫命
創建:不明
社格:村社


【鳥居】





【境内】


いかにも地域に根差した神社のようです。


【本殿】





【境内社】



【狛犬】



【遥拝所】



【二宮金次郎像】


学校じゃなく神社にありました。


由緒は不明ですが、羽賀寺の鎮守社のようです。

御朱印はございません。

若狭姫神社(2015年7月12日参拝)

2015年08月10日 | 神社
国分寺跡と国分寺の間に鳥居がある。

社号標を見てみると若狭姫神社と書かれている。

あれ?さっき行った若狭姫神社と関係あるの?と思いながら、
興味が湧いたので参拝です。




所在地:福井県小浜市国分53-4
御祭神:不明
創建:不明



【鳥居】



【石段】



【本殿】




とても小さな神社です。
あの一宮の若狭姫神社とは無関係なのかな。

参拝した時は知らなかったけど、
ここは国分寺古墳(1号墳)の頂上だとか。

古墳ということすら分からなかったよ。(^^;


【狛犬】



【境内社】


狭い境内にいくつか境内社があった。

御祭神は山の神のようだ。






清水なんとか神と書かれている。
読めません。(^^;






漢字は見えるけど、どう読むのか分からん。(^^;






櫻姫神社ということですが、
恋之水神社に祀られている桜姫のことなのかな。


参拝は以上です。


しかし、この神社については由緒どころか、
御祭神も不明です。

インターネットで検索をかけてもほとんどヒットせず。
福井県神社庁のHPも全くやる気無し。(苦笑)

恐らく国分寺の鎮守社だと思うので、
国分寺の御住職に聞けば分かるのかも知れない。

若狭国分寺(2015年7月12日参拝)

2015年08月09日 | 仏閣
失意の多田寺の代わりに仏様を拝みたいと、
予定に無かった若狭国分寺に行くことにした。

国分寺って全国的に衰退しているお寺が多いのですが、
若狭には規模は小さくなっても、
見事な仏様がいらっしゃるのです。



所在地:福井県小浜市国分寺53-1
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:8世紀中頃
勅願:聖武天皇



【縁起】
創建天平13年(741)聖武天皇の命令で、
奈良に東大寺、諸国に国分寺を建てさせたと言われています。
若狭国分寺もその一つで、東大寺より少し遅れて、
奈良時代後半8世紀中ごろに創建されました。

昭和47年からの発掘調査によると寺域280メートル四方を擁する
国分寺であったことが確認された。

現在の釈迦堂を一回り大きくした金堂を初めとし、
塔跡、講堂、南大門、中門、北方建築物が確認され、
天平の昔を偲ぶことが出来る。

10世紀中ごろまで存在していましたが、火災に遭い焼失し鎌倉時代に再建。
しかし戦国時代の天正の兵火により焼き討ちにあって、
伽藍は全て焼失し現在の様相となった。



【国分寺跡】




国分寺跡の前に駐車場がありましたが、
国分寺の釈迦堂の裏側にも駐車場があります。


【入口】


向こうに見えるのが庫裏です。


【鐘楼堂】



【井戸】



【釈迦堂】




現在の釈迦堂が建っているところが、
若狭国分寺の中心金堂が建っていたところ。

釈迦堂は慶長15年(1610)に創建されていますが焼失し、
現在のものは宝永2年(1705)に再建された。

堂内には像高約3メートルの木造釈迦如来坐像が鎮座しています。


【釈迦如来】


拝観料を支払い堂内に入れていただいて、
このようなインパクト大な丈六の釈迦如来を拝見。

お顔のデカさがアンバランスを感じさせるが、
このような無骨な仏様もまた味があっていい。


写真撮影は不可でしたので、画像はネットで拾ったものです。


【金堂跡】



【薬師堂】


釈迦堂の次は小さな薬師堂の堂内に入れていただいた。

パッと見、あんまり期待はしてなかったが、
堂内に入って仏様達を見ると、それが過ちだとすぐに分かった。


【薬師如来】


真ん中の薬師如来坐像と、左右に阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像が安置。

中でも御本尊の薬師如来の素晴らしさといったら。
何という気品なんでしょう。

まさかこの御堂にこのような美しい薬師如来がいらっしゃるとは、
嬉しい誤算です。


【中門跡】



【稲荷社】



【庫裏庭園】



【御朱印】


なかなかの達筆でございます。

いや~、それにしても国分寺に来て良かったよ。
多田寺の悲しみが癒えました。

国分寺は外から見ただけでは物足りないと思う。
是非、拝観料を支払ってでも堂内に入ってほしい。

多田寺(2015年7月12日参拝)

2015年08月08日 | 若狭観音霊場
まさに神の存在を感じられるような若狭姫神社であった。

名残り惜しいがいつまでもいるわけにもいかない。

次は仏様を感じようと多田寺へ。
こちらは霊験あらたかな薬師如来がいらっしゃいます。

楽しみや。



所在地:福井県小浜市多田27-15-1
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:(伝)天平勝宝元年(749)
開基:(伝)勝行上人
勅願:孝謙天皇
札所:若狭三十三ヶ所観音霊場、北陸白寿観音霊場



【縁起】
「多田のお薬師さん」の通称で親しまれている多田寺。

勝行上人が多田ヶ岳に籠って100日間の修行を行い、
霊威を感じて薬師如来立像を安置し、
堂宇を建立したことが始まりとされています。

薬師如来は苦行や病から多くの人々を救い、
その霊験は時の女帝・孝謙天皇にまで伝わりました。

孝謙天皇は重い眼病を患い、懸命な治療を行っても治らなかったのだそう。
そこで多田寺を訪れ眼病平癒を願ったところ、
たちまちにして快癒したといわれています。

薬師如来の功徳に喜んだ孝謙天皇は山林と田畑を寄進しました。
石照山の山号と医王閣の勅額を賜り、多田寺は孝謙天皇の勅願寺となりました。

また開祖である勝行上人は孝謙天皇の眼病快癒や地域社会への功績により、
地方の無名僧侶から仏教都奈良・東大寺の僧に抜擢され、
出世を果たしたことから、多田寺は「出世薬師」としても
信仰を集めるようになったといわれています。

「奈良の薬師寺」・「出雲の一畑薬師」・「若狭の多田薬師」と、
日本三大薬師と広く知られるようになりました。


【山門】



【仁王像】




阿形は大型ナイフというか小刀を持っているようですね。

これはちょっと怖い。(^^;


【貼り紙】


拝観料を支払おうと思ったら、この貼り紙がありました。(泣)

マジかーーーー?

何でやねん。

_| ̄|

両手両足ついて、こんな感じで崩れ落ちたわ。(号泣)


今まで御朱印をいただけなくて残念だったことは結構あったけど、
そんなこととは比較できないほど凹んだわ。

拝観出来ると思って出来ないツラさは筆舌に尽くし難い。


【本堂】




開いてないかなぁと思いつつ行ってみたけど、
やっぱり閉まってました。(泣)


【薬師三尊像】


画像はネットで拾ったものです。

見たかったな~。


【多聞天】


こんな凶暴そうな顔の多聞天は見たこと無い。

実物は見てないけど。(泣)


【十三重塔】



【観音像】




何やら観音さんにすがるお爺さんお婆さんの姿が。




こ、これは。。。

可愛いっちゃ可愛いが。(^^;


【地蔵尊】







【御堂】



【八十八ヶ所霊場入口】




めっちゃ荒れてる。
ここ数か月以上、人が歩いた気配なし。

蜘蛛の巣も鬱陶しいし、これ以上登るのは止めた。

こんな荒れてたらお大師さんもお嘆きだろう。


【大師堂】



【狛犬】


これはポチですよね?(苦笑)

これぞ正真正銘の狛犬です。


【地蔵尊】




お地蔵さんの前にあるブロックが残念ですね。


【花】


花の美しさも慰めにならず。


【御朱印】




書置きが置いてありましたので三種類ともいただきました。

他にも三方五湖にある札所の御朱印もありましたが、
今日は参拝するつもりがないので、いただきませんでした。


【感想】
とにかく拝観が出来なかったのがショック。

12月から3月は休みと聞いていたが、
まさか今日がダメとは思わなかったよ。

拝観する際は事前に予約か確認しておきましょう。

若狭姫神社(2015年7月12日参拝)

2015年08月07日 | 一宮
いや~、この地域の寺社は凄い所が多いですね~。

萬徳寺の次は若狭姫神社。
ここは日本でも屈指のパワースポットと呼ばれている神社です。

楽しみや。

無料駐車場がありました。



所在地:福井県小浜市遠敷65-41
主祭神:若狭姫大神(豊玉姫命)
創建:元正天皇養老5年(721)
社格:式内社、若狭国一宮、国幣中社、別表神社



【由緒】
社伝では二神は遠敷郡下根来村白石の里に姿を表したといわれ、
その姿は唐人のようだったといわれております。

和銅7年9月10日に両神が示現した白石の里に上社・若狭彦神社が創建されました。

下社・若狭姫神社は養老5年2月10日に上社より分祀して創建されました
延喜式神名帳には若狭国遠敷郡 若狭比古神社二座として名神大社に列しており、
上社が若狭国一宮、下社が二宮とされました。

元々は上社が中心でしたが、室町時代ごろから段々と祭祀は下社に移っていきました。

若狭姫神社は安産・育児に霊験があるとされており、
境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、乳神様とよばれる大銀杏などが存在します。

現在ほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、
神職も下社にのみ常駐しております。



【鳥居】


うん、良い雰囲気です。

でもまだまだこんなもんじゃありませんよ~。


【手水井】


昔あった井戸ですね。


【遥拝所】


若狭彦神社と鵜の瀬(白石神社)の遥拝所となります。


【随神門】


これまた渋い門です。

しかし、天気が良すぎる。
この神社は早朝の幽玄な雰囲気だったら最高だろう。


【社殿】


随神門から一歩中に入ると感じるものが全然違う。
これは凄い雰囲気です。

その凄さは先ほどの若狭彦神社を凌駕する圧倒的なもの。




見よ!この荘厳な社殿を。

感じろ!この圧倒的な千年杉の存在感を。

素晴らしい。
鳥肌たちました。


【神門】


思わず唸ってしまう。

凄い。




どっから見てもいい。


【幣殿】



【本殿】



【乳神さま】





【子種石】



【御神水】




なかなか美味しかったです。


【参集殿】



【境内社】


日枝神社。




中宮神社。




玉守神社。


【随神門】



【石灯篭】



【蔵】



【神楽殿】



【招霊の木】





【御朱印】


御朱印は若狭彦と若狭姫の二種類書いていただくバージョンと、
二社を一つに纏めて1ページに書いていただくバージョンがあります。


【感想】
この神社はパワースポットなんて軽薄な言葉は使いたくない。

それぐらい重厚で厳かな神社です。

また絶対に訪れたいと思う。
いや、出来ることなら正式参拝したい。

萬徳寺(2015年7月12日参拝)

2015年08月06日 | 若狭観音霊場
若狭彦神社から近い場所にあるのが萬徳寺というお寺。

こちらには私好みの建物があるので寄るしかないでしょ。(^^
とても長閑なところにあります。

大型バス用と乗用車用の二カ所の無料駐車場がありました。



所在地:福井県小浜市金屋74-23
宗派:高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:覚応法印
札所:若狭観音霊場



【縁起】
応安年中(1368~1374)安芸円明寺の覚応法印が各地を廻り、
この地にあった天台宗極楽寺を正照寺と改め真言宗を広めました。

戦国時代若狭国を領した守護大名武田氏が、
当寺を祈願所とし天文13年(1544)罪人は入寺すれば助かるという、
若狭唯一の「駆け込み寺」となりました。

元亀年間兵火により焼失したが後再建し、
慶長7年(1602)城主京極高次の寄進をうけ、
空性法親王の直筆の萬徳寺の額面を賜り寺号を萬徳寺と改めた。

江戸時代、寛永11年(1634)酒井忠勝が小浜藩主となった以後も、
真言本寺としての庇護をうけ、代々の祈願所として崇敬が深い。


【山門】


山門というより通用門という感じでした。

庫裏の受付で拝観料を支払い境内へ。




こちらも山門なのかも知れないが、
勅使門といった感じ。

普段は閉まっていて、貴人が訪れた時のみ開くのでしょう。


【玄関】


まずは書院に通される。


【書院】





【萬徳寺庭園】


蓬莱式枯山水庭園が見事。

これは拝観料を取れる庭園です。

この庭園を見ながら御住職の説明を聞いてから自由行動。(笑)


【上壇の間】


江戸時代の藩主の休憩する間だったとか。




藩主は天皇家とは関係ないしなぁと思っていたら、
皇太子殿下もここで休憩されたそうです。


さすがに恐れおおくて中に入れませんでした。


【位牌堂】




隣の蔵とくっついているようです。




位牌がずらり。


【萬徳寺庭園】




延宝5年(1677年)に小浜藩主酒井氏の命により築造された枯山水庭園。

真ん中の大きな主護石は大日如来を表わし、
両脇の4つの石は阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来で、
斜面にある多数の小石組みは諸仏が座る小さな蓮台を表現しているそうです。


【鐘楼堂】



【鎮守社】



【書院】


茅葺屋根の刈込みがたまらない。

ここからは靴を履いて上の本堂へ行きます。

勝手に見てちょうだいというスタイルで、
扉だけきっちり締めてください、と御住職から一言だけ言われました。


【蓮池】



【石段】



【書院】




いいですね~。
この素朴な感じがたまりません。(^^


【萬徳寺庭園】





【本堂】




一つ目の石段を登ったところ。

趣のある本堂です。

早速内陣に入らせていただいた。

荘厳な飾りもなく実に質素な内陣です。
でもそれはそれでいい。

少し高い位置に御本尊の薬師如来が祀られていた。




撮影不可でしたので、画像は若狭おばま観光協会より拝借。

とても優しい表情とお姿をされていました。
さすが重文です。


【書院】


何処から見ても良いですな~。(^^

これで見納めです。


【御朱印】



とても落ち着く良いお寺でした。
お勧めします。