大阪にはもう訪れたくなるような寺社は無くなったなぁ、と思っていたら、
まだまだありましたわ。
それは大阪府高槻市にある神峯山寺。
そこは神仏霊場巡拝の道の札所であり、
役行者霊蹟札所の札所でもあるバリバリ硬派なお寺です。
何で今まで見逃していたのかと不思議なのだが、
やはり知名度が低いのが一番の理由かな。
それはさておき、参拝が非常に楽しみです。
神峯山寺と書いて「かぶさんじ」と読みます。
所在地:大阪府高槻市原3301-1
宗派:天台宗
御本尊:毘沙門天
創建:伝・天武元年(683)
開山:伝・役小角
開基:開成皇子
札所:神仏霊場巡拝の道、新西国三十三箇所、役行者霊蹟札所
【縁起】
神峯山寺秘密縁起によれば文武天皇元年(697)に役小角が、
葛城山で修行をしていた時、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け、
神峯山寺に位置する場所にやってきた。
そこで金比羅飯綱大権現と出会い、天童の霊木で4体の毘沙門天が刻まれ、
役小角は伽藍を建立し毘沙門天を祀ったことが起源とされている。
開山以後、神峯山寺は修験霊場として多くの修験者を迎え入れたとされ、
近畿の修験霊場として名高い七高山の一角として大いに栄えたとされている。
宝亀5年(774)光仁天皇の子息であり桓武天皇の庶兄にあたる開成皇子が、
勝尾寺から入山し光仁天皇の命によって本堂を創建して住職となった。
これを機に神峯山寺は天台宗仏教寺院となる。
また光仁天皇の勅願所となって以降、神峯山寺は皇室に緊密な天台宗寺院となり、
その関係は幕末まで続いていたとされる。
楠木正成が奉納したと伝わる殿中刀は、現在も神峯山寺本堂に所蔵されており、
室町幕府三代将軍・足利義満、摂津守護代・三好長慶に仕えていた
松永久秀や淀殿らによる寄進があった。
江戸時代の最盛期には七つの堂に加え伽藍および僧坊が21か所、
寺領は1,300石あり、奈良県生駒郡平群町にも飛地が存在した事が、
神峯山寺秘密縁起に記録されている。
しかし明和2年(1765)に火災により本堂を消失して以降、
安永6年(1777)に再建されたものの、規模は徐々に縮小し現在に至っている。
【鳥居】
ここまで辿り着く道が超絶細い道。
これがにナビに誘導されるからたまらない。(泣)
左横は下に畑、右横は小川で本当にギリギリの細い道で、
運転が下手な人だったら落ちる可能性もあったよ。(^^;
あれは超絶焦った。
しかも帰りも通らなければならなかったので、
このお寺は二度と来るかと思ったもんです。(^^;
でも、迂回路があったみたいだね。
こういう時に迂回路を紹介しろよとナビに小一時間説教したかったわ。(苦笑)
それに新しい道が出来かけていたので、
今後はあんな超絶細い道を通ることは無くなると思います。
【地蔵尊】
【牛地蔵】
牛のお地蔵さんという意味なのかな。(笑)
駐車場はまだ先にあります。
【金比羅飯網大権現】
信濃にある飯縄山の山岳信仰の大権現ですから、
神峯山寺に勧請されているのは至極当然の事ですね。
大権現の前に第二駐車場がありました。
細い道を少し進むと境内により近い第一駐車場がありました。
【仁王門】
緑と朱色のコントラストが美しい。
美しさの中に何だか厳しさを感じる仁王門です。
【狛犬】
【仁王像】
色が紅白になっているんですけど。(^^
【浄水鉢】
【御神岩】
【参道】
これは間違い無く紅葉が素晴らしいことでしょう。
【寂定院】
子院です。
【参道】
【化城院】
境内で最初に見るお堂です。
基本的に外陣から参拝となりますが、
ここで厄除護摩祈願を希望すれば内陣に入れます。
祈願料は三千、五千、一万円となります。
ちょっと弱ってる時だったら三千円で祈願したかも。
【石段】
奥に本堂があるようです。
【諸天来迎】
【本堂】
安永6年(1777)に再建されたもの。
本堂でお参り。
事前予約で拝仏をお願いすると、
重文の阿弥陀如来、聖観世音菩薩等が拝めます。
しかし所要時間50分で拝仏料金は二千円で少し高額。
僧侶の説明付きでお守りがいただけますが。
拝仏するかしないかは貴方次第。(笑)
第二御本尊の兜跋毘沙門天は毎年11月の秋の大祭にて、
御開帳されるそうです。
【回廊】
【観音堂】
【地蔵尊】
【光仁天皇墓碑】
【法華観音】
【鐘楼堂】
長くなりましたので、続きはまた明日。
まだまだありましたわ。
それは大阪府高槻市にある神峯山寺。
そこは神仏霊場巡拝の道の札所であり、
役行者霊蹟札所の札所でもあるバリバリ硬派なお寺です。
何で今まで見逃していたのかと不思議なのだが、
やはり知名度が低いのが一番の理由かな。
それはさておき、参拝が非常に楽しみです。
神峯山寺と書いて「かぶさんじ」と読みます。
所在地:大阪府高槻市原3301-1
宗派:天台宗
御本尊:毘沙門天
創建:伝・天武元年(683)
開山:伝・役小角
開基:開成皇子
札所:神仏霊場巡拝の道、新西国三十三箇所、役行者霊蹟札所
【縁起】
神峯山寺秘密縁起によれば文武天皇元年(697)に役小角が、
葛城山で修行をしていた時、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け、
神峯山寺に位置する場所にやってきた。
そこで金比羅飯綱大権現と出会い、天童の霊木で4体の毘沙門天が刻まれ、
役小角は伽藍を建立し毘沙門天を祀ったことが起源とされている。
開山以後、神峯山寺は修験霊場として多くの修験者を迎え入れたとされ、
近畿の修験霊場として名高い七高山の一角として大いに栄えたとされている。
宝亀5年(774)光仁天皇の子息であり桓武天皇の庶兄にあたる開成皇子が、
勝尾寺から入山し光仁天皇の命によって本堂を創建して住職となった。
これを機に神峯山寺は天台宗仏教寺院となる。
また光仁天皇の勅願所となって以降、神峯山寺は皇室に緊密な天台宗寺院となり、
その関係は幕末まで続いていたとされる。
楠木正成が奉納したと伝わる殿中刀は、現在も神峯山寺本堂に所蔵されており、
室町幕府三代将軍・足利義満、摂津守護代・三好長慶に仕えていた
松永久秀や淀殿らによる寄進があった。
江戸時代の最盛期には七つの堂に加え伽藍および僧坊が21か所、
寺領は1,300石あり、奈良県生駒郡平群町にも飛地が存在した事が、
神峯山寺秘密縁起に記録されている。
しかし明和2年(1765)に火災により本堂を消失して以降、
安永6年(1777)に再建されたものの、規模は徐々に縮小し現在に至っている。
【鳥居】
ここまで辿り着く道が超絶細い道。
これがにナビに誘導されるからたまらない。(泣)
左横は下に畑、右横は小川で本当にギリギリの細い道で、
運転が下手な人だったら落ちる可能性もあったよ。(^^;
あれは超絶焦った。
しかも帰りも通らなければならなかったので、
このお寺は二度と来るかと思ったもんです。(^^;
でも、迂回路があったみたいだね。
こういう時に迂回路を紹介しろよとナビに小一時間説教したかったわ。(苦笑)
それに新しい道が出来かけていたので、
今後はあんな超絶細い道を通ることは無くなると思います。
【地蔵尊】
【牛地蔵】
牛のお地蔵さんという意味なのかな。(笑)
駐車場はまだ先にあります。
【金比羅飯網大権現】
信濃にある飯縄山の山岳信仰の大権現ですから、
神峯山寺に勧請されているのは至極当然の事ですね。
大権現の前に第二駐車場がありました。
細い道を少し進むと境内により近い第一駐車場がありました。
【仁王門】
緑と朱色のコントラストが美しい。
美しさの中に何だか厳しさを感じる仁王門です。
【狛犬】
【仁王像】
色が紅白になっているんですけど。(^^
【浄水鉢】
【御神岩】
【参道】
これは間違い無く紅葉が素晴らしいことでしょう。
【寂定院】
子院です。
【参道】
【化城院】
境内で最初に見るお堂です。
基本的に外陣から参拝となりますが、
ここで厄除護摩祈願を希望すれば内陣に入れます。
祈願料は三千、五千、一万円となります。
ちょっと弱ってる時だったら三千円で祈願したかも。
【石段】
奥に本堂があるようです。
【諸天来迎】
【本堂】
安永6年(1777)に再建されたもの。
本堂でお参り。
事前予約で拝仏をお願いすると、
重文の阿弥陀如来、聖観世音菩薩等が拝めます。
しかし所要時間50分で拝仏料金は二千円で少し高額。
僧侶の説明付きでお守りがいただけますが。
拝仏するかしないかは貴方次第。(笑)
第二御本尊の兜跋毘沙門天は毎年11月の秋の大祭にて、
御開帳されるそうです。
【回廊】
【観音堂】
【地蔵尊】
【光仁天皇墓碑】
【法華観音】
【鐘楼堂】
長くなりましたので、続きはまた明日。