「色彩の詩人 脇田和」展 @川越市立美術館では3月14日(日)まで
洋画家・脇田和を知ったのは後藤清一さんのアトリエに架けられた花の絵であった。
1908年東京に生まれ、15歳の時に渡欧し17歳でベルリン国立美術学校に入学して人体デッサンや版画の技術を学び1930年に帰国。
新制作派協会(現・新制作協会)を創立し、新進気鋭の画家として活躍、子どもや鳥、花といった身近なモチーフに温かいまなざしを注ぎ、豊かな色彩感覚でそのモチーフを描き出した。戦地に出征しても絵を描き続け、2005年に97歳で亡くなるまでその制作意欲は衰えることはなかったという。
概ね作家たる所以はその辺りに在るのだろう。
作品を観る機会に恵まれなかったが「色彩の詩人 脇田和」展が開催されていると知り川越に出向いた。
川越は、後藤清一さんに縁のある方も居り,取材に訪れたのが25年前頃だろうか。
それ以来だが、基本的に大きな変化は無いように見えたが,水戸より格段に活気にあふれていた。
昨年NHKの朝の連続テレビ小説の舞台となったこともあろうが、東京の隣接地域としての活力を感じる。
美術館は旧川越城の跡地に造られた博物館に隣接して設けられている。
道路の向かい側の本丸御殿は大掛かりな改修作業が進行中で観ることは出来なかった。
主なる展示空間は地下1階。
展示室を地下に設ける美術館が増えたようで、何らかの利点があるのだろうか?
作品が50~60点展示されている。
主に「脇田和美術館」の蔵品とのことで、僕が期待した(自分で創り上げたイメージ)作品にはめぐり会えなかった。
しかし、実物を観れば印刷された画集とは異なる雰囲気を感じることが出来る。
これこそ、現物を観ることの楽しさ喜びだ。
何が人生の楽しみ?
と問われれば、美術館や博物館を観る。
街を歩いて建築物をみたり、地元人と触れ合う。
地の食べものや飲み物を味わう。
等であろうか。
観光都市「蔵の街・川越」の散策から、水戸の街づくりに大きな示唆を得ることが出来た。
これについては、追々に書いてみるつもり。
洋画家・脇田和を知ったのは後藤清一さんのアトリエに架けられた花の絵であった。
1908年東京に生まれ、15歳の時に渡欧し17歳でベルリン国立美術学校に入学して人体デッサンや版画の技術を学び1930年に帰国。
新制作派協会(現・新制作協会)を創立し、新進気鋭の画家として活躍、子どもや鳥、花といった身近なモチーフに温かいまなざしを注ぎ、豊かな色彩感覚でそのモチーフを描き出した。戦地に出征しても絵を描き続け、2005年に97歳で亡くなるまでその制作意欲は衰えることはなかったという。
概ね作家たる所以はその辺りに在るのだろう。
作品を観る機会に恵まれなかったが「色彩の詩人 脇田和」展が開催されていると知り川越に出向いた。
川越は、後藤清一さんに縁のある方も居り,取材に訪れたのが25年前頃だろうか。
それ以来だが、基本的に大きな変化は無いように見えたが,水戸より格段に活気にあふれていた。
昨年NHKの朝の連続テレビ小説の舞台となったこともあろうが、東京の隣接地域としての活力を感じる。
美術館は旧川越城の跡地に造られた博物館に隣接して設けられている。
道路の向かい側の本丸御殿は大掛かりな改修作業が進行中で観ることは出来なかった。
主なる展示空間は地下1階。
展示室を地下に設ける美術館が増えたようで、何らかの利点があるのだろうか?
作品が50~60点展示されている。
主に「脇田和美術館」の蔵品とのことで、僕が期待した(自分で創り上げたイメージ)作品にはめぐり会えなかった。
しかし、実物を観れば印刷された画集とは異なる雰囲気を感じることが出来る。
これこそ、現物を観ることの楽しさ喜びだ。
何が人生の楽しみ?
と問われれば、美術館や博物館を観る。
街を歩いて建築物をみたり、地元人と触れ合う。
地の食べものや飲み物を味わう。
等であろうか。
観光都市「蔵の街・川越」の散策から、水戸の街づくりに大きな示唆を得ることが出来た。
これについては、追々に書いてみるつもり。