「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

「色彩の詩人 脇田和」展  

2010年03月08日 02時06分05秒 | 美術展
「色彩の詩人 脇田和」展 @川越市立美術館では3月14日(日)まで




洋画家・脇田和を知ったのは後藤清一さんのアトリエに架けられた花の絵であった。

1908年東京に生まれ、15歳の時に渡欧し17歳でベルリン国立美術学校に入学して人体デッサンや版画の技術を学び1930年に帰国。
新制作派協会(現・新制作協会)を創立し、新進気鋭の画家として活躍、子どもや鳥、花といった身近なモチーフに温かいまなざしを注ぎ、豊かな色彩感覚でそのモチーフを描き出した。戦地に出征しても絵を描き続け、2005年に97歳で亡くなるまでその制作意欲は衰えることはなかったという


概ね作家たる所以はその辺りに在るのだろう。

作品を観る機会に恵まれなかったが「色彩の詩人 脇田和」展が開催されていると知り川越に出向いた。
川越は、後藤清一さんに縁のある方も居り,取材に訪れたのが25年前頃だろうか。
それ以来だが、基本的に大きな変化は無いように見えたが,水戸より格段に活気にあふれていた。
昨年NHKの朝の連続テレビ小説の舞台となったこともあろうが、東京の隣接地域としての活力を感じる。

美術館は旧川越城の跡地に造られた博物館に隣接して設けられている。
道路の向かい側の本丸御殿は大掛かりな改修作業が進行中で観ることは出来なかった。

主なる展示空間は地下1階。
展示室を地下に設ける美術館が増えたようで、何らかの利点があるのだろうか?





作品が50~60点展示されている。

主に「脇田和美術館」の蔵品とのことで、僕が期待した(自分で創り上げたイメージ)作品にはめぐり会えなかった。

しかし、実物を観れば印刷された画集とは異なる雰囲気を感じることが出来る。
これこそ、現物を観ることの楽しさ喜びだ。

何が人生の楽しみ?
と問われれば、美術館や博物館を観る。
街を歩いて建築物をみたり、地元人と触れ合う。
地の食べものや飲み物を味わう。
等であろうか。

観光都市「蔵の街・川越」の散策から、水戸の街づくりに大きな示唆を得ることが出来た。
これについては、追々に書いてみるつもり。
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「好文café」オープン @千波湖畔

2010年03月04日 20時25分45秒 | 水戸今と昔
「好文café」オープン @千波湖畔

千波湖畔の黄門像の近くに建築されていた施設がオープンした。
建築中の状況を見て、景観上どうなのか?疑問を感じていた。



外壁にガラス面を多用し、開放感があり明るい外観ではあるのだが。

水戸市市制施行120周年を記念し、飲食・売店・休憩・案内などの機能を併せ持つ施設なそうな。



入り口には「好文café」の洒落た看板。



喫茶や軽食のコーナーは、平日にもかかわらず観梅に来たと思われる観光客で満員。
観光案内のボランテアの方もいる。



お土産コーナーには水戸に関する本も販売されている。

入り口脇のラセン階段を登れば屋上に出られる。
屋上一面には芝生が植えられている。
環境に配慮した設計と云うことなのだろう。
今は、枯れ芝状態だが、暖かくなれば緑一色になりそうだ。

建物前には千波湖にせり出す形で親水デッキが設置された。
湖面には大・小3か所に噴水も設置された。
水質浄化を図りながら、見た目にも楽しくと意図されたもの。
夜間はライトアップされるらしい。
未だ観ていないが、夏の夜など美しく涼しげだろう。

何かが出来れば賛否に両論は当然だ。

如何に、運用するか?

観光客に満足してもらると同時に、散歩やジョギングなど湖畔の遊歩道を利用している市民にも受け入れられる施設であって欲しい。
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岩上二郎・妙子ご夫妻

2010年03月03日 01時29分40秒 | 水戸今と昔
岩上二郎・妙子ご夫妻

茨城県立歴史館を創設したのは、元の茨城県知事を務めた岩上二郎さん。

『ウィキペディア』には、
岩上 二郎(1913年- 1989年)さんは、茨城県那珂郡瓜連町(現那珂市)生まれ。
水戸高等学校から1940年に京都帝国大学法学部を卒業、ブリヂストンに入社したものの直後に応召され太平洋戦争を戦う。
1946年に復員し青年文化運動に参加、翌1947年に瓜連町長となる。
1951年に一旦町長の座を退きペパーダイン大学に留学、地方自治や社会福祉を研究し帰国後の1955年に町長に復帰する。

1959年の茨城県知事選挙に農協を中心に擁立され、日本社会党と県職員組合の支援を得て出馬。
自民党が支援していた友末洋治を破って当選するが、直ぐに自民党が与党に転向。
それと共に革新とは縁遠くなり、1971年の知事選ではかつての与党だった社会党から石野久男を対立候補に立てられるほどにまで対立が進んだ。
知事在任中は鹿島臨海工業地帯・筑波研究学園都市の開発と米軍水戸射爆場(跡地は常陸那珂港になった)の返還に力を入れ、「農工両全」の地域開発を目指した。
1975年に知事退任後、茨城県歴史館長を努め、歴史史料保存法(後の公文書館法)制定に向けた運動に心血を注ぐ。
また、鹿島地域の教育のレベルアップを目指した清真学園創立に尽力。
1977年12月に妻で参議院議員を務めていた岩上妙子が難病(尋常性天疱瘡)に罹り議員を辞職。
それに伴う参議院補欠選挙に出馬し当選し3期務め、議員立法で「公文書館法」を制定する。科学技術政務次官。
とある。

岩上さんご夫妻のご自宅と我が家は至近距離だった。
長男のKさんとは同級生だったので、息子同様に面倒を見ていただいた。
二郎さんとは、京都に旅した事もあった。

妙子さんからは、俳句の愉しみを教えていただいた。
『かびれ』という俳句雑誌の1年分を払っていただき、会員とさせていただいた。
それからも、俳句は続けているが一向に上達しないままだ。

昔に戴いた色紙が出てきた。

芹飯や 父母亡き里は 遠くなり  妙子



今では懐かしい想い出が甦る。

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「親鸞-茨城滞在20年の軌跡-」@茨城県立歴史館

2010年03月02日 23時54分47秒 | 博物館
「親鸞-茨城滞在20年の軌跡-」@茨城県立歴史館 2月6日~3月22日

鎌倉時代は新しい仏教が興隆した。
同じように、大正時代も仏教が多くの人達の心を捉えた時代であった。
浄土真宗の開祖の親鸞に帰依した人は多い。

僕の尊敬する、後藤清一さんもその一人だ。
親鸞の展覧会が茨城県立歴史館で開催されている。
歴史館が開館したのは岩上二郎さんの頃だから30年以上かもしれない。


親鸞はその生涯のうち20年を茨城で過ごした。


茨城における親鸞の軌跡をたどり、滞在20年の意義を探る展覧会。

主な展示としては



親鸞聖人直筆国宝「坂東本教行信証」(真宗大谷派(東本願寺)=国宝
唯一現存する親鸞直筆の顕浄土真実教行証文類。


長きにわたって,坂東報恩寺とも称された報恩寺(常総市豊岡町丙,東京都台東区東上野の2か所に所在)に所蔵されてきたことにより,坂東本教行信証とも呼ばれている。 

400年ぶりに茨城へ里帰り!

その他に、重要文化財が展示されている。
聖徳太子像(善重寺),善性本親鸞聖人消息集(専修寺),拾遺古徳伝絵(無量寿寺),聖徳太子絵伝(上宮寺),聖徳太子絵伝(妙安寺)、恵信尼像(稲田西念寺),聖徳太子像(永泉寺・無量寺),親鸞聖人像(願入寺),西念上人像(辺田西念寺),覚信尼像(常敬寺),善光寺式阿弥陀如来像(信願寺),唯善上人像(常敬寺)など多数。



写真の写りは良くないが、善重寺の聖徳太子像は今回の白眉。

寺伝では親鸞も礼拝したといわれる。
木造の本体に布貼りを漆塗りを施し,さらに漆の盛り上げで文様を作り,そこに彩色を施している。極めて高い技術であり,作者は朝円という京都の仏師もある。

もとは,大山村(城里町阿波山)の浄土宗・慈願寺にあり,慈願寺の廃寺にともない,徳川光圀によって,父頼房以来,信頼を寄せる善重寺に託さた。
聖徳太子像のなかで,全国的にみても最も秀作であろう。
と言われる。
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水彩連盟いばらき支部展  2月26日~3月3日

2010年03月01日 21時53分17秒 | 美術展
水彩連盟いばらき支部展  2月26日~3月3日
@水戸市泉町3丁目 「アートセンター タキタ 2階ギャラリー」


安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - )の司馬遼太郎の歴史紀行『街道をゆく』の装画や旅の絵本のように、淡い色調の水彩をのせた絵に憧れる。
あのように細密な描写や人物を描くのは無理にしても、旅先で眼にした風景を描いて見たいと思っている。

先輩のNさんは、カメラを持たずに旅に出るのを信条としていた。
持ち歩いている、イギリス製の小さなパレットの水彩用具はおしゃれに見えて憧れた。
真似て試みたこともあるが、時間がかり、簡単なものではない。
しかし、写真では味わえない楽しさと思い出が残る。

「アートセンター タキタ 2階ギャラリー」で水彩連盟いばらき支部展が3月3日まで開催されている。







22人の作品が展示されている。
何れも大作で、力作ぞろい旅のスケッチがなど無いが、小品もあれば楽しいと感じた。





水彩画は『図工』の大きな要素であったから、懐かしさもある。

水彩画といえば、小堀進(こぼり すすむ、1904年 - 1975年)を思い浮かべる。
茨城県出身の水彩画家で、水彩連盟の設立メンバー。水彩画家として初めて日本芸術院会員となった。
霞ヶ浦・水郷をはじめとし各地の風景を、鮮やかな色彩と単純化した大胆な構図でダイナミックに描いた画面は見事なものだ。
水彩連盟の設立会員で、水彩画界の発展に大きな影響を与えた方だ。



第69回「水彩連盟展」が3月31日~4月12日まで六本木の国立新美術館開催される。
日本の水彩画が一堂に会した展覧会、一度は観てみたい。


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