ゆうゆうの教会便り

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「エレミヤの召命」

2014-02-23 20:45:53 | 説教
今日の礼拝説教 テキストは「エレミヤ書」1章4節~10節
タイトルは「エレミヤの召命」でした。


美竹教会初代牧師の浅野先生はエレミヤ書の連続講解説教を3回もなさいました。

当時の中東がアッシリアからバビロニアへと移行する激動の時代(日本は縄文式土器の時代)にエレミヤは召命を受け40年間、
イスラエルの民の預言者として使命を果たしました。 
「エレミヤ記」は苦しい時代のイスラエルに将来のイエスによる救いを預言した物語です。

今日は5節を中心として学びましょう。
「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。
母の胎から生れる前にわたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。」


エルサレム神殿に仕える祭司の息子エレミヤはイザヤとは正反対の内気な内省的な人物でした。
先を見通す力を持ち、預言者として生涯重荷を負い続けたエレミヤはこの時代に最もふさわしい預言者だったと言えるでしょう。

今日は彼の召命記事から三つのことを学びたいと思います

第一は「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた」という神の言葉です。 
聖書の信仰は常に神が最初にあるということです。
創世記の第一声が「初めに神は天地を創造された」とあり、神がこの世を造られ、私をこの世に生まれさせたということです。

第二は、神は永遠の昔からエレミヤを選ばれていたという事です。
「知る」=「選ぶ」 つまり聖別する、ということです。
私たちが選ぶのではなく神が価なき私を恩寵を持って選んでくださっているのです。
「選びの信仰」が分からないと召命も分かりません。
「選びの信仰」は他の人と比べたり他人を云々する余地はなく、自分が選ばれたことを堅く信じて確信することが大切です。
神を「父よ」と読んで祈ることは御霊の恩寵で、これは信じるに足るものです。
信じて聖餐に与り続ければ神の選びがよくわかります。

第三は、召命を受けた者は新しい命を与えられる、ということです。
私たちは、この世のどのような仕事にあってもクリスチャンとしての使命をそこに見ることができるはずです。 
そして主が共におられる希望を持っていることは他の人とは違うはずで、召命の先には新しい命の希望があります。
幸いな時のみでなく、苦しい時も主が最期まで責任を持ってくださいます。


エレミヤは人々の平安の向こうに腐敗や滅びを見ていましたが、人々が絶望している時、その向こうに希望を見て、
神から授かった言葉、慰めを語りました。
エレミヤはその生涯を通して、救いより審判の言葉を多く語らねばなりませんでしたが、
イスラエルを裁く神の苦しみを最もよく知っていました。そして涙ながらに神に執り成しの祈りもしました。

そのエレミヤの最大の使命は裁きの向こうに救いがあることを語ることでした。
彼は甦りの命を語りました。

私達も(聖書を通して)神と共に生きることが大切です。
エレミヤの後、第二イザヤが現れ、不幸な暗い時代の向こうに神の救いがあることを語り続けました。
浅野先生が三度もエレミヤ書の講解説教をなさったのは、当時の暗い世相の中に聖書の語る希望を語られたのではないでしょうか。
聖書の御言葉を聞き、礼拝に与り神からの希望を与えられる私たちは、それを隣人にも伝え語りたいものです。 (以上、文責はゆうゆうにあります。)



公園のグラウンドに<カワラヒワ>の群れがいました。
地味な野鳥ですが、羽を開いて飛ぶと明るい黄色が綺麗です。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
今日は初めての方が来られました。
以前一度いらした方とご一緒でした。嬉しいことです。                                            
コメント
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