その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

棚から天罰…?

2023-07-20 09:38:00 | 転職

「我に天佑あり」…芥川賞 市川沙央さんのことば

市川沙央さんの「ハンチバック」が、第106回芥川賞を受賞されたようである。(『おやじぃ』は読んでおりません^^;)気になったのが「我に天佑あり」という会見の言葉でありまして、折しも大相撲名古屋場所が開催されておりますから、以前「北天佑」という大関がいたよなぁ…なんて思い出しましてね。その四股名の由来は『北の天の下に生まれ、人の右に出る(Wikipedia)』とされているようだから「天佑:天のたすけ」とは、全く意味が異なっていたようでありますよ。そりゃ~そうだわねぇ…プロのスポーツ選手が、天の助けによって、横綱、大関まで上り詰めようなんて思わないだろうと思うから^^;
稽古、稽古…『天は自ら助くる者を助すく』…天分に恵まれていても、突然の怪我、病気で思いが叶わない人生なんてよくある話だもの。努力が報われて「我に天佑あり。」と言える人生も、努力が報われず「天は我を見放した。」と嘆くのも、それぞれの人生であり、「願いが叶わないのは努力が足りないから…。」と突き放せるのは『成功者』のことであって、その他大勢の平凡な『成功者』は、そこそこの『成功』に、そこそこの『幸せ』を感じているのではないかなどと思ってしまう『おやじぃ』でありますよ…それで良いと思っているのでありますけれどね(笑)


百日香の花言葉ねぇ…

さて、『天は自ら助くる者を助く』という言葉は、欧米人の成功談を集めた「自助論」の序文らしい。『おやじぃ』は、原典は「聖書」あたりと全くの勘違いをしておりましたよ。「人に頼らず努力せよ。」という戒めの言葉のようでもあるけれど、『おやじぃ』には『成功者』の突き放した言葉に感じられてしまうのでありますよ。
はてさて、人はどこかで、誰かに『助けられ』、また、その裏返しとして、どこかで、誰かを『(意識していなくても)助けながら』生きている存在ではないかと思っている。「努力せよ。」と語るのは簡単ではあるけれど、自分にできる『努力』が、必ずしも他の人もできる『努力』とは限らない。さらには、『努力』をしたからといって『棚からぼた餅』のごとく幸運に恵まれ続けることもないし、『努力』を怠ったからといって『天罰』が下るとも思えない。『不運』を嘆く人には、多少なりとも『助け』が必要であるし、上手く『不運』を抜け出せたなら、多少なりとも『助ける』側に回れないものかと…「天佑:天のたすけ」を待つまでもなく、身のまわりには『人佑:人のたすけ』が必ずあると信じたい『おやじぃ』でありますけれどねぇ。

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