「ヒルザキツキミソウ」のようでありますなぁ^^;
「蒔かなければ出ない。(取れない)」お隣の畑を耕していたオヤジの名言でありますよ。宿根草のような多年生植物であれば楽なのにねぇ…。(とは言え、良い物を作り続けようとすれば株分けも必要であるから、お手入れをしない訳にはいかないのですけれどね。)蒔かなくても、旺盛に繁茂してくれるのが雑草…一度は除草剤で軽く叩いたはずなのに、もう勢力を回復しておりますよ。春先に一度粗く起こして、定植前に雑草が気になって再度耕起して、トウモロコシや枝豆を定植したら、また、チラホラと雑草の芽が出始めている…これに負けないように中耕除草をしなければならないのだろうけれど、梅雨入りで毎年負けちゃうんだわなぁ(笑)
世に「雑草魂」などと、穏やかなだけの人生では身に着かなかったであろう「根性論」を持ち出す方もいらっしゃいますけれど、ネバリと根性だけでは「雑草」には勝てない。高貴な身分の方(栽培作物)を庶民(耕作者)が庶民(雑草)から守り続ける…何かなぁ人生の縮図を見ているような気もしてくる。まぁまぁ、購入当初は勤めていて手が回らずに荒れ放題だったけれど、毎年、少しずつ作付面積が拡大し、何とか体裁だけは保てているから、進歩していると思うことにしよう^^;
数年前にもこんなことがあったっけ…「オラが死んだら、この家はどうなるのだろう?」などと下らないことを考えて、ストライキ状態に突入し、手を抜いてみたら、自宅裏の畑も庭も草だらけ。結局のところ、「オラがやるしかないのよねぇ…。」と悟って、復元するのに倍の時間が掛かったりしてね。初老期の軽いウツ症状には、『自分を許す。』ということも必要なんじゃないかなぁなんてね(笑)
このくらいが適量ですけれど^^;
「うつ病」になりやすい人の特徴は、まじめで・完璧主義、人からの依頼を断れずに仕事を抱え込み、こころのバランスを崩してしまうことも一因であるようです。『完璧主義者』が畑をやったらどうなるか…「まずは、雑草を絶やさなくては。」などと、実現不可能なことを考えるかも知れない。叩いても、叩いても雑草は生えてくるのだから、どこかで折り合いをつけなければいけないはずなのにね。
あ、そうそう、お隣の畑(仕事)と自分の畑(仕事)を比べないことも必要かも。お隣のジャガイモは、もう繁茂しているというのに、我が家のジャガイモは、ようやく芽が出たばかり…なんてね。土台、定植時期が1ヶ月も違うのであるから、差があって当然とすべきところではある。もう使わなくなったけれど、我が在所ではジャガイモを『二度芋』とも呼んでいた。作り方によっては、年間に「二度取れる」という意味なのだろうけれど、少々遅れても取れるものは取れる。これなんざぁ『子育て』にもつながることかも…大体ねぇ、生年月日で1年間違う子どもたちが、就学年齢に達すれば一斉に4月の入学式に出席させられる訳であるから、体格差があっても当然のところを、我が子は大きいとか小さいとか、早いとか遅いとかetc.親心ではあるけれど、比べてみたところで仕方がないのでありますよ。15年もすれば皆立派に大人になっていますから。(成長していない者もいるけれど^^;)
今年はスローペースの出だしではあるけれど焦らないあせらない…その内に、絶対草に負けるから(笑)
こうして自分の『逃げ道』を予め作って置くことが、『持続可能な生き方』なのかも知れないなぁ…。
#戦争反対 「長期化」「泥沼化」…戦争状態だけは『持続』しなくていいんです。