「だんご三兄弟」は1999年1月の今月の歌^^;
「四個刺しの団子には、歴史的経緯がある!三個刺しにするのはけしからん!」…一過性のブームは、訳の分からない論争を呼んだ記憶もありますが、こちらのお店の団子は、基本5個刺しであって、画像の団子は『お試しセット』として、各種の餡をご賞味いただくための工夫です。決して、原材料費の高騰で、五個刺しを三個刺しにした訳ではございません。
先日、お昼にいただいた立ち食いの「天ぷら蕎麦」は、春先に比べれば10%(50円)値上げされた。おやつ替わりにたまに買う「菓子パン」は値段は据え置きではあるけれど、ひと回り小さくなった気がする。こうした生活買い回り品の値段に敏感な反応を示すことを『庶民感覚』と呼ぶらしい^^; したがって、お店で売られているカップ麺の値段やハクサイの値段を知らない政治家や日銀総裁は、『庶民の敵』が如く叩く野党の議員さんやマスコミでありますが、果たして、個人の懐具合(ミクロ経済)とマクロ経済を同じ土俵で論じて良いものやら…『おやじぃ』は少々疑問を感じてしまうのでありますよ。そりゃ~個人の懐具合が良いに越したことはない。けれども、コロナ禍で大打撃を浴びている観光産業も、世界の価格競争に敗れ低迷する製造業を補完する形で、インバウンドだ何だと威勢良く旗を振られただけであって、外国人観光客(他人の懐具合)が低迷すれば、まったく立ち行かなくなってしまうのでありまして、低迷する日本経済からの脱却なんて程遠い気がしてならないのでありますよ。(じゃ~どうするか?自分の懐具合も立ち行かない『おやじぃ』に聞かないでくださいな^^;)
「ひとときの幸せ」が花言葉のようである^^;
「タマネギの値段が上がっているようですがどうですか?」…「あれもこれも値上げで困っちゃう~!」と市井の人々の声を拾えればそれで成功である。何故、タマネギの値段が上がっているのかなんて関係がない。「タマネギの値段が上がっているので、カレーのお肉の量を減らしました。」というおとぼけ夫婦の掛け合いラジオ投稿に笑ってしまいました。こうして『庶民』は何がしかのやり繰りをしているのである…解決の方向性は別にしてね^^;
「天ぷら蕎麦が値上がりしたら、お昼はおにぎり一個で済ませなさい。」とか「ガソリン価格が高騰して悲鳴を上げているなら出掛けるな。」などと、時の為政者が発言しようものなら、袋叩きにあってしまうだろう。「困っちゃう~!」のひと言を拾って『庶民の味方=マスコミ』という構図にも飽きあきして来ましたよ。誰かを悪者に仕立てて、叩いたところで何の解決策にもならないのにねぇ…。
はてさて、外は雨…夏場の起死回生策として、トウモロコシやお盆用の枝豆を定植しなければならないのですが、畑はグズグズで困っちゃう~!春先の雪害、先日は降雹害のあった山形県内…「降雹害はいかがですか?」「雪害、降雹害と困りました。」とまた、同じようなインタビューが続く。天候が落ち着かないのでありますよ。我が家のキュウリは降雹害は免れましたけれど、福島県内では果樹に降雹害があったとの報道もある。「もしかすると、夏秋キュウリの値段が上がるかも知れない。」などと良からぬ思いも湧いてくる。それぞれが『Win Winの関係』が築ければ良いのだけれど、どちらかの産地の被害が、こちらの産地の値段が上がるというジレンマ…結局、誰かの不幸を待っているという野菜農家の思惑も見え隠れするのでありますよ。『ひとときの幸せ』とは誰かの不幸の上に成り立つものではありますまいに…強くたくましく生き残るためには、まずは働かないとなぁ~(笑)
#戦争反対 『世界の食糧庫』間の戦争も『産油国』間の戦争も遠い異国の出来事ではなく、『庶民』の生活を直撃してくるのだよ。侵略に備えることも必要だとは思うけれど、停戦への働きかけが日本の役割であると思うのですが…甘い考えですかねぇ?