その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

木を見て森を見ず

2022-06-14 08:34:27 | 転職

見慣れた「ドクダミ」の『花』ですが…

「木を見て森を見ず。」とは、西欧由来のことわざとされているようです。解説するまでもないことですが「些細なことにこだわり過ぎると、物事の本質や全体像を見落とすことがある。」という格言でありますなぁ。「花」の定義を改めて考えてみますと、「種子植物の有性生殖をする器官である。葉から変形した萼、花びら、雄しべ、雌しべおよび花軸からなる。(デジタル大辞泉)」とされ、見慣れたドクダミの『花』も分解すると、白く花びらに見える部分は、葉が変形した「苞」という器官であり、「花」ではない。(ほう!…ダジャレかよ^^;)
しかし、一般的には白い部分も含めて『花(総称)』と認識している訳でありまして、わざわざ分解して、白い部分は「花(器官)」ではないなどと、『知識』をひけらかしたところで、その場限りの話題作りにはなっても、記憶には残らないんじゃないかなぁ…このブログのアルアルだわ。
さて、学生時代に「農学という森に入って、森を見ない。特に〇×学科は、木の根元のコケをピンセットで取っては、顕微鏡で覗いているような学問である。」と酷評された教官がおりましたけれど、確かに、『おやじぃ』の性格は変わらず、ミクロの世界を追い求めることで、その本質に近付けるのではないかなどという考え方に凝り固まってしまっている気がするのでありますよ。これって『男の子』アルアルですかねぇ…目覚まし時計を分解して元に戻せなくなる。レコードプレーヤー(懐かしい響き^^;)を分解して回転数がおかしくなるetc.部品(ミクロ)見たさに分解して、本来の機能(マクロ)が果たせなくなる…何度も繰り返して来た失敗でありますことよ(笑)


「もり」か「ざる」か…?

学生時代の初めてバイトしたお蕎麦屋さんでは、「もり」と「ざる」で割下(つゆ)を変えていたような気がする^^; これまた素人には分からない店主のこだわりだった気がするのですけれど…。
「家のタレは塩辛い。お客様に辛いと言われても、これが当店の味ですと応えなさい。」と初日に叩き込まれた記憶であるのだけれど、それでも奥さんは少々気にしていたようでありまして、蕎麦通とおぼしき来店者に「家のタレは如何でしたか?」と尋ね「丁度良い。」というお応えに安堵していたようである。一般ウケを狙うか、専門性に特化すべきか、判断に迷うところでありますけれどね。
はてさて、円安が止まらない。バブル崩壊後の水準まで急落したとの報道ではあるのだけれど、物価上昇の方に気が取られて、生活実感とは結びつかないのでありますよ。(カップ麺の値上げの方が地肌に直接響くもの^^;)しかしなぁ、せっかく発表した『資産所得倍増プラン』も、政府の思惑とは裏腹に海外資本投資に向いてしまうのではないだろうか?(経済オンチが、必死こいて考えている^^;)
「パソコンが普及すると、人員の合理化が進み、少数のホワイトカラーが生き残り、多くのブルーカラーが切り捨てられる世の中が到来するんじゃないかい?」…40年も前に工学部の後輩に吹っ掛けた議論である。(良しヨシ、『おやじぃ』の肌感覚は、そんなにズレていないじゃないか^^;)バブルに湧いていた頃は、リゾート法とやらで、テーマパークで地方雇用の創出を…なんて騒いでいたよなぁ。(ディズニーランドに50代のメンバーは要らないだろうなぁ…。)観光・サービス分野の振興を…不足する介護職も、2025年をピークに高齢者さえ減少していくんじゃないかい?『日本に居て日本を見ない。』…意外と、経済オンチなはずの庶民の『肌感覚』の方が、的確に感じ取っていたりしてね。「ひとつひとつ分解しないで、全体(トータル)で見ましょうよ。」って騙されている気もするけれど(笑)

#戦争反対 ミクロの視点では二国間の戦争も、これを契機に大儲けを画策する輩も…止めとけ、やめとけ。

コメント
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