その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

道理を知る

2020-10-29 08:13:13 | 転職

ハクサイの波とウラナミシジミ…

儒教では五常の徳を拡充することを説いているそうですが、「智」…道理を良く知り得ていると思い込んでいる人は、余計な説諭をして、また他人の心を惑わしているような気がしてならない。「無智」であるからこそ、物事の道理をさらに追及しようとする…常人では、なかなか到達できない境地でありますよ^^;
教科書を一冊だけ他より余計に読んでいる…そう思い込んでいるから、勝手に物事をわきまえたつもりになって、目先の変化に気付けなくなってしまっている。ヤマトシジミやルリシジミの類であろうと高を括っていたチョウが、ウラナミシジミであっても、興味の無い方にはただの小さなチョウに過ぎないのであって、そのことを知っていると自負しても、さて、その食草はというと、ハタと頭を捻ってしまう。身に着けた知識などというものは、所詮その程度である。そして、そんなことを知っていたからと言って生きていくためには何の影響もないことでもある。
大きくなったと自慢気に見ていた「山形青菜」を片脇から収穫して、直売所に出品し、そこそこの売り上げに満足していたら、お隣の同級生の畑の「山形青菜」がもっと見事に成長しておりました。「加工用に回すなら目方が増えて、さらにお金を生むだろう…肥料かなぁ?株間かなぁ?」なんて、他者との比較で自分の技量を計っておりますが、大きさ次第で用向きに違いがあるとは中々気付けない。大きいことは良いことという価値観から抜け出せない自分がおりますよ^^;

「合わせ技一本!」
国際柔道審判規定では一時除外されていた^^;

大きな「山形青菜」は、塩漬けにして「青菜漬け」にし、貴重な冬の保存食としてきました。漬物として食べるだけでなく、塩蔵品を水で塩抜きして「高菜煮」としてまた食べる。間引いたり、小さな青菜は、捨てずに刻んで「おみ漬け」として利用する。「近江商人」から伝わったと言われる「おみ漬け」もまた、野菜を捨てずに使う地域の食文化であります。他より大きい、小さいと比較することばかりに気を取られて、本来使うべき姿を忘れかけている。また、漬物としての作り手がいなくなれば、青菜の需要も食品加工会社のみになってしまうのだろうかなんて、つまらないことばかり考えておりますよ^^;
ハクサイもまた、以前は90日ハクサイという大玉を作って、芯に切れ込みを入れて干し、冬場の保存野菜としておりましたが、最近は65日という小玉のハクサイも出ております。常に流通しているから、冷蔵庫の野菜室に入らない大玉よりも四分の一カットの方がウケるのかも…しかし、お年寄りは、まだまだ大玉嗜好の方もいらっしゃるし…。お得感をくすぐるか、扱い易さを優先するか、消費者の嗜好に合わせた作物を目指さないといけないなぁ…来年は、二種類作ってみますかねぇ?「道理」というよりは、「腰」の定まらない『農場長』ではある(笑)

コメント
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