暘州通信

日本の山車

◆左甚五郎の緋鯉

2011年01月20日 | 日本の山車 左甚五郎
◆左甚五郎の緋鯉
 左甚五郎は、尾張藩の木曽川の輪中(わちゅう)の、ある神社の祭に曳く山車の彫刻を頼まれていた。輪中(わちゅう)は今は愛知県ではなく岐阜県である。まだ残暑厳しい初秋のことである。暑さにほとほと参ってしまった左甚五郎は、素っ裸になって木曽川に飛び込んで涼をとっていたのだが、突然股間に衝撃を受けて青くなった。どうやら何か大きなものが食いついたらしい。しかしどう焦せっても離そうとしないから困ってしまい、そのまま川から上がってきたが、なんと、目の下二尺もあろうかと見える大きな真鯉が股間にぶら下がっている。折から川に洗濯に来ていた村の乙女がこれを見て赫くなりながらも、堪えきれずに大声で笑い出した。左甚五郎も赤くなったが水から上がっても真鯉は食いついたまま離そうとしない。乙女は助けを呼びに村に駆けてゆき、大勢の女たちが集めって来た、いれかわりたちかわって、左甚五郎に食いついた鯉を引きはなそうとするのだが、鯉は暴れて跳ねるものの、せっかく捕らえた好餌を離そうとせず、そのつど左甚五郎は、痛い、痛いといって悲鳴を上げる始末。気の毒やら可笑しいやら、物好きの野次馬が押しかけて黒山のひとだかりである。甚五郎は村人に頼んで、仕事場から鑿と、赤松の枝をそれに盥を持ってきてもらった。そして、彫り上げたのは一匹の緋鯉である。盥に水を張ってもらい、彫り上げた緋鯉を放つと元気に泳ぎだした。これを見て左甚五郎はその盥に飛び込んだ。すると、あれほど食いついて離れなかった真鯉が、緋鯉のほうにちらと気を取られ、うっかり咥えていた左甚五郎をはなしてしまった。このときとばかり、左甚五郎が盥から飛び出したのは言うまでもない。その夜は村の女たちが集まりこの土地の名物である【鯉のいばら飯】を炊き上げ。大振る舞いになった。鯉のいばら飯というのは、一匹の大鯉をそのまま炊き込んだごはんのことで、鯉の小骨が茨のようだからつけられた名だそうである。緋鯉は、これを聞いた西濃の垂井というところにある【紫鱗(しりん)】という山車のに飾られることになった。琴高仙人(きんこうせんにん)は赤い鯉に乗るといわれ、この縁起をよろこんだのである。緋鯉の代金は金二両だったという。
 輪中の村人は、これを「木乃伊とりがみいらになった」と言い、【鯉のいばら飯】を炊くときはいつもこの話をして笑い転げたということである。

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