暘州通信

日本の山車

◆谷口與鹿 高山帰郷

2005年12月26日 | 日本の山車 谷口與鹿
◆谷口與鹿 高山帰郷
 安政二年春。兄延儔から厳しい手紙が届いた。高山大新町「鳳凰臺組」から、「はやく屋臺を完成せよ」と迫られている。じつは本体はすでに完成し、下臺の彫刻のみとなっている。これは與鹿の仕事だが、とうとう祭には間に合わず、この部分を更紗の生地で覆って曳いたが、今年は完成させないと面目がたたない。兄の苦衷を察し、速やかに帰って彫刻を完成しておくれ。
という内容だった。

與鹿はすぐ手紙をしたため、使いに渡す。
高山をはなれてすでに五年。高山にいないので皆が屋臺の完成するのを待ち望んでいるという。
はやる気持ちはあったがこの年もはついに帰高できなかった。
あけて安政三年。與鹿に訃報が届いた。
兄、延儔の死去である。與鹿は愕然となった。
二月上旬、「かならずもどってきなはれや」のことばに約束しながら、與鹿は
見送られて高山へ帰った。必ずまた伊丹に戻ることを約束して。
高山に帰った與鹿は兄延儔の百箇日の法要を無事済ませるとさっそく大新町に赴いて
丁重にわびると、このとしの祭には間に合わせ「乱獅子渡浪図」を仕上げることを約束し、ついては今しばらくご猶予いただきたい。というのも、兄の延儔が請け負っていた上町神楽臺の改修がしかけとなったままで、春の山王祭が迫っている。
 町内のひとも案じておられるが、年老いた母にこれ以上の心痛をかけたくない。というので、この神楽臺のことは兄に代わって完工したい。

鳳凰臺組頭は「秋の祭には鳳凰臺を曳けるようさえしてくれたら、待ってもええ」と快く與鹿の言い分を聞いてくれた

 言うまでもなく、屋臺の曳き順は毎年籤で決まる。
しかし、神楽はつねに先頭、三番叟は歌舞伎など祝事の出番によって必ず二番目、この一、二は番外で籤とらず。実際には三番以下が曳順になる。 このの屋臺の先頭を曳く神楽臺を休臺にはできなかった。 未完成の下臺の仕上げにさっそくとりかかった。

神楽臺を仕上げると、さっそく次の鳳凰臺の下臺彫刻にとりかかった。
兄延儔の遺児、宗之を励まし、弟子の浅井和助に手伝わせて鑿をふるい、見事に仕上げたときは秋の八幡祭も目の前だった。

兄の遺志を全うして追善供養の志をはたした。與鹿は完成した鳳凰臺が曳かれる姿を見ることなく、すぐ摂津伊丹に向かって旅立った。

 このとし宗之は十六歳、母の於佐野は七四歳。
涙をこらえて宮村境の松橋まで見送った母ともここで別れたが、いかにも名残りのつきない、足の重い旅立ちだった。

伊丹郷町に飛騨高山以上の屋台を建造する。これが兄の意志であり、伊丹郷町との約束だった。


◆00007 岐阜県植物誌 ハガクレツリフネ

2005年12月26日 | 岐阜県植物誌
◆00007 ハガクレツリフネ

九州南部、四国南部、紀州南部。この地方は熊襲、速見、紀州と呼ばれるが、三地方の頭文字を取って〔ソハヤキ〕といっている。
カンラン、コウヤマキ、イワザクラなどの共通する植物に混じって、ハガクレツリフネがある。美濃の水鳥谷に自生がある。ソハヤキ要素の北上といっている。

◆00013 キバナノレンリソウ

2005年12月26日 | 岐阜県植物誌
◆00013 キバナノレンリソウ

 日本で自生が見られるのは伊吹山のみである。ヨーロッパに起源を持つ植物で、口碑では、織田信長がポルトガルの宣教師に許しを与え、伊吹山に薬草園を開かせたという。記録類がまったくないので伝説化しているが、キバナノレンリソウがその謎を語ってくれそうである。

●71 岐阜県植物誌 イブキフウロ

2005年12月26日 | Weblog
イブキフウロは伊吹山に産するとされる。しかしその花は縁辺が紋章の花菱のように凹入する。しかし現地で見かけることが稀なこともあって、種の固体上の変異と
解釈され、このごろは死語のようになっている。
筆者はヒマラヤからジェラニウム・ネパレンセの種子を入手したので播種し、栽培したところ、イブキフウロとおなじように花披の縁辺が凹入する花が開花した。
イブキフウロの再検討が望まれる。