MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

ぶら散歩~平塚宿巡り

2023年07月16日 | まち歩き

暑い一日でしたが、久しぶりに旧東海道五十三次の藤沢宿に次ぐ、7番目の宿場町だった平塚宿の名所を巡ってきました。

先日、平塚七夕まつりが行われたメインストリートの西側には、旧東海道の江戸側の「江戸見附跡」が保存されており、この場所から京側の「京方見附」までの約1キロに亘って平塚宿となっていて、江戸時代には、問屋場や高札場、旅籠などが並び交通の要所として賑わった旧東海道の名所だったようです。

江戸見附跡から約500m先には、幕府の要人や大名が泊まった「本陣」の補助的な役割を担った「脇本陣跡」が残されています。

脇本陣のすぐ近くには、幕府や領主による最も基本的な法令を書き記した「札」が掲示された「高札場跡」とその近くには、幕府の要人や大名が泊まった「本陣跡」があり、現在はその景観は見られませんが、石碑が立てられています。

本陣跡から約600m離れた先の大磯町との市境には、宿場の京方の入口だった「京方見附跡」の石碑が建てられていますが、「江戸見附跡」から1キロ以上離れていて、正確には空襲の後、区画整理されて正確な位置ではようです。

見附跡から更に約500m西側の金目川(花水川)に架かる花水橋からは、高麗山が聳え立ち富士山は望めませんが、旅人のお休み処となっていたようで、広重が浮世絵に描かれた場所ですが、現在の散歩人のお休みスポットとして、「平成の一里塚」として東海道の新しい道しるべになっています。

「平成の一里塚」から折り返して、1号線沿いの東側にある「平塚の塚緑地」へ向かうと、途中には、旧東海道平塚宿の鎮守だった春日神社があり、北条政子の安産祈願のため神馬を奉納したと伝えられる名刹となっているようです。

「平塚の塚緑地」には、「平塚」の地名の由来の場所だそうで、桓武天皇の子女がこの地で亡くなり棺を埋葬され、墓として平らな塚が築かれたことから、「平塚」と名付けられた地名発祥の塚となっており、緑地内には、塚の上に大木の松や緑豊かな樹々が聳え、ひっそりとした緑の公園となって、「平塚の塚」や「平塚の石碑」が設けられています。

平塚の塚緑地公園の側の「要法寺」の境内には、鉢に植えられた約70本の蓮の花が見応えある姿で境内を彩っていて、多くの参拝者もその姿に魅せられていました。

境内の一角には、七福神の毘沙門尊天が祀られていて、金運・健康長寿・厄除けなど御利益を授かる四天王としてパワフルな姿に参拝していました。

藤沢宿や大磯宿と共に、湘南の旧東海道の宿場町の歴史を学びながらのぶら散歩でした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする