アイ・ラブ みどり

逆境にもめげず、けなげに生きるみどり達がいとおしくてなりません。

東京養育院

2021年11月11日 | みどりの雑記帖

11月7日のNHK大河ドラ「青天を衝け」で、渋沢栄一が東京養育院を設立したとの話がありました。養育院と言えば、母がよく、父親が「両国の養育院」の院長だったと語っていました。早速Webで検索したみましたが、渋沢栄一の養育院の場所は上野とあり、その後場所を転々としたとありましたが、両国とはでてきませんでした。「上野」のことを「両国」と言ったのか、両国に分院があったのか、或いは別の福祉施設だったのか、今となっては聞く人もいません。

私は母から、「嘘つきは泥棒の元」、「世のため人のため尽くせ」と教えられ、それを守ってよき人生を送ることが出来ました。この人生訓は母が独自に会得したものではなく、父親から受け継いだものに違いありません。もしかしたら、祖父は渋沢栄一からこの訓示を受けたのではないかと、勝手に想像をたくましくしています。母が語った唯一の祖父の姿は、関東大震災の時、人々が右往左往する大混乱の中を、白布を先端にくくりつけた竹竿を目印に、職員・収容者を誘導し、全員無事避難させたというものでした。どんなパニック状態にも冷静に行動できる、肝の据わった人物だったのでしょう。関東大震災では、死者行方不明者が10万人を越えたと言いますが、母がその一人になっていたら、私は今ここに存在しないわけで、祖父への尊敬の念が改めて強まります。

「金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生こそ上なり」とは、後藤新平の遺訓です。ここで言う「人」とは、「世のため人のため尽くす」ひとのことと思います。切羽詰まった大難事に直面したとき、冷静に正しく行動できる人のことではないでしょうか。私もそんな人になれたらよかったと思います。幸か不幸か、大難事に遭遇したことはありませんでした。

小学校5校、中学校2校で過ごした少年時代は、散々いじめ(仲間はずれ)を受けました。孤高を決め込み、不登校にもならず、自殺もせず、ひたすら勉学に励みました。却ってこれが幸いしてか、社会に出てからは、人が尻込みするような難業務を進んで引き受け、成果を上げてきました。「切り込み隊長」と言われましたが、ほとんど部下もいない隊長で、孤軍奮闘で切り抜けました。「あいつに任せておけば何とかなる」と放置状態でしたが、歯車の一つとして組織の中で使われるより、自由奔放に動けました。自分では自覚しておりませんでしたが、大難事に取り組んでいると、同僚は見ていたかも知れません。


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