鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

大迫、頑張るしかない

2011年03月22日 | Weblog
大迫「今は頑張るしか」…22日・U―22ウズベク遠征出発

ウズベキスタン遠征のため、広島県内のホテルに集合した大迫

 ウズベキスタンに遠征するU―22日本代表が21日、広島県内に集合した。初招集の鹿島FW大迫勇也(20)は、東日本大震災の影響でスタジアムなど本拠地が被害に見舞われ、チームも一時解散中。まともな練習ができないまま、鹿島を含めた被災地復興への祈り、苦境からロンドン五輪へ立ち向かう決意を胸に22日、飛び立つ。

 「いろいろと日程的に厳しかったけど、頑張りたい。今は頑張るしかない」。広島県内のホテルに集合した大迫は、気丈に話した。コンディションも精神状態も、普通でいられるはずはない。だが、短い言葉には強い決意がにじんでいた。

 地震でカシマスタジアムは損壊。寮は断水となり、日常生活が奪われた。シャワーが使えず、洗濯もできない。満足な食事も取れず、トイレにも困った。チームは15日のミーティング後にやむなく一時解散。大迫は鹿児島県の実家に戻り、母校・鹿児島城西高で自主トレに臨んだが、「ちょこちょこ体を動かす程度」だった。

 代表自体もドタバタ出発となる。当初は29日に日本で試合を行う予定だったが、相手が来日をキャンセル。敵地遠征が決まったのは、わずか3日前だ。出発前日のこの日でさえ試合時間、場所も未定で、宿泊ホテルも把握できていない状況。準備はほとんどできていない。

 だが、この世代でようやく代表入りを果たした大迫の胸には、強固な使命感がある。「僕らは地震だけで済んだ。もっと被害を受けている人がたくさんいる」。次々と明らかになる被害に心を痛め、自身に問いかけたのは今できること。「この遠征でアピールし、クラブに戻っても結果を出すことが大事」とロンドン五輪に視線を向け、20歳のストライカーが被災地を、ニッポンをゴールで元気にする。

(2011年3月22日06時00分 スポーツ報知)

ロンドン五輪へ向けて招集されたU-22代表の大迫である。
本人の意気込みを感じる。
この遠征で結果を残して欲しい。
大迫の活躍が、我等に力を与えるのだ。
期待しておる。

新井場・梅鉢、吹田で汗

2011年03月21日 | Weblog
G大阪“救いの手”鹿島・新井場らに練習施設提供
 G大阪が20日、東日本大震災でチーム活動停止中の鹿島DF新井場徹(31)とMF梅鉢貴秀(18)に練習施設を提供した。G大阪ユース出身の新井場は03年までG大阪に在籍し、関大一出身の梅鉢は地元が高槻市。この日までに鹿島の鈴木満強化部長から山本取締本部長の方へ連絡が入り、実現した。2人はジムなどで汗を流した。

 西野監督は「こういう状況だから。ウチのグラウンドを使ってもらってよい」と快諾。山本本部長も「サッカー人というより、人間として当たり前のこと」と話した。普段はライバルクラブ同士ながら、未曽有の危機だけに協力を惜しまない姿勢を示した。

 鹿島の選手は中田ら6選手が宮崎市内で合同自主トレをするなど各自で活動している。
[ 2011年3月21日 06:00 ]

鹿島・新井場らに練習場快く提供…G大阪
 被災によりチームが活動休止中で、地元の大阪に帰省中の鹿島DF新井場、MF梅鉢にG大阪が万博の練習場を提供した。G大阪出身の新井場から依頼があり、これを快諾。西野朗監督(55)は「こういう状況だし、どんどん使ってくれればいい」と話した。この日、チームは京都と練習試合を行い、0―0の引き分け。MF遠藤は「一番の目的はコンディションを崩さないことなんで」とドローも前向きにとらえていた。
(2011年3月21日06時01分 スポーツ報知)

G大阪が鹿島選手に万博練習場を開放
 東日本大震災で被災したJ1鹿島のDF新井場徹(31)とMF梅鉢貴秀(18)が20日、大阪府吹田市にあるG大阪の万博練習場に姿を現し、汗を流した。2人とも大阪出身で、新井場はかつてG大阪に所属した縁がある。

 鹿島は現在、クラブが解散状態。2人は大阪に避難したが、練習場所の確保に困った。平時ならリーグで覇権を争うライバル選手でも、同じJリーグの仲間として見過ごすことはできない。西野朗監督(55)が「こういう状況だし、オファーがあれば可能な限り協力したい。いい準備をしてくれれば」と理解を示し、G大阪が救いの手を差し伸べた。

 日本代表として、29日の慈善試合に出場するMF遠藤保仁(31)も「クラブの事情が許せば、どんどん利用してもらえばいい。助け合いながらやっていきたい」と、全面的なアシストで協力を惜しまない姿勢を見せた。

(2011年3月20日)

ガンバの練習場で調整する新井場と梅鉢である。
チームは無期限の休止中であり、選手としては明日が見えぬ。
とはいえ、身体を維持しておかねばならぬ。
ここは、ガンバの好意に甘えさせて頂きたい。
また、新井場のプロ意識をマンツーマンで伝授される梅鉢には良い経験となろう。
肉体だけでなく、精神も鍛え上げられて欲しいところ。
そして、公式戦再開時には、ガンバに感謝の意として、強い鹿島を見せつけようではないか。

小笠原満男、Jリーグ選抜から打診

2011年03月21日 | Weblog
被災地大船渡出身の小笠原にも出場を打診
 Jリーグは東日本大震災被災地、岩手県盛岡市出身の鹿島MF小笠原満男(31)にも29日に開催される「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」(大阪・長居)出場の打診をしていた。関係者が明かした。小笠原は甚大な被害を受けた大船渡市の大船渡高OB。被災した鹿島が無期限休止を決めた15日以降帰省。18日には母校や避難所を訪問、被災者を励ましている。
 [2011年3月21日9時2分 紙面から]

小笠原にJ選抜入りの打診 支援活動重視で辞退も
東日本大震災復興支援チャリティーマッチ Jリーグ―日本代表 (3月29日 長居)

 鹿島の元日本代表MF小笠原満男(31)がJリーグ選抜のメンバー入りを打診されていることが20日、分かった。小笠原は東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県出身で、チームに加われば“復興のシンボル”になることは間違いない。また日本代表として通算55試合7得点。09年にJリーグ最優秀選手賞を獲得するなど実力も申し分ないことから、Jリーグ側が出場を要請した。

 ただ、小笠原は18日に大船渡市、陸前高田市の避難所を訪問するなど東北地方に滞在しており、クラブ側から連絡が取れない状態で参加に関しての本人の意思を確認できていない。「いろんな人の話を聞いて、できることをしたい」と話していることから、被災地での支援活動を重視すれば、辞退する可能性もある。Jリーグ選抜のメンバーは22日に正式に発表される。

[ 2011年3月21日 06:00 ]

昨日報じられたように、Jリーグ選抜から小笠原満男に出場要請があったとのこと。
しかしながら、辞退もあり得ると報じるスポニチである。
とはいえ、この記事はあくまでスポニチの憶測であり、誰のコメントも取っておらぬ。
この件については本人の決断を待つべきであろう。
どのような結果であったとしても、価値観の問題である。
結論を待ちたい。

シャルケ・篤人、フル出場も敗戦

2011年03月21日 | Weblog
内田は攻撃参加できず、フル出場も敗戦
2011.3.21 01:43


レーバークーゼン戦の前半、先発出場し競り合うシャルケの内田(左)=レーバークーゼン(共同)

 サッカーのドイツ1部リーグで日本代表DF内田篤人が所属するシャルケは20日、敵地でレーバークーゼンに0-2で敗れた。右サイドバックでフル出場した内田は守備に追われ、ほとんど攻撃参加ができなかった。(共同)

フル出場も守備に忙殺されたシャルケの篤人である。
アウェイの戦いとはいえ、監督交代の影響もあったのでは無かろうか。
今後に注目である。

宮崎合同自主練

2011年03月20日 | Weblog
活動休止中の鹿島6選手、宮崎で合同自主トレ開始
 鹿島の中田、増田、西、柴崎ら6選手が19日、宮崎市内で合同自主トレを開始した。

 増田、興梠の母校である鵬翔高の練習に参加して、ボール回しなど約2時間のメニューを消化。選手は例年キャンプで利用しているリゾートホテルではなく、ビジネスホテルに宿泊している。東日本大震災で被災したチームは活動休止中で練習再開の見通しは立っていない。関係者は「まだしばらくは練習や試合ができる状況にはならないと思う」としている。

[ 2011年3月20日 06:00 ]

3月17日に報じられたように宮崎で合同自主練をする選手たちである。
札幌で調整しておった西も参加しておるとのことで、チームに馴染んでおると言って良かろう。
選手たちはビジネスホテルからに宿泊しておるとのことで、不便も多いと思われる。
ここは、押しかけるような真似はせず、静観しておくべきであろう。
今は非常時であり、平時ではないのだ。
我等も、平常時に戻すべく、早まった行動をせず、世のため人のために行動しようではないか。

小笠原満男、Jリーグ選抜に選出か

2011年03月20日 | Weblog
Jリーグ選抜はピクシージャパン!…29日・代表と慈善試合
 29日に行われる日本代表―JリーグTEAM AS ONE(Jリーグ選抜)の慈善試合(長居スタジアム)で、昨季のリーグ王者・名古屋のドラガン・ストイコビッチ監督(46)がJリーグ選抜を率いることが19日、分かった。

 Jリーグ関係者によると、パリ在住の長男に無事を知らせるため16日にスネジャナ夫人を伴い渡欧したピクシーには、ザックジャパンを迎え撃つスター軍団の監督就任の正式オファーが届いている。22日に再来日予定の監督は、この申し出を内諾したという。

 昨季名古屋に念願のリーグ初優勝をもたらし、イングランドの強豪・アーセナルの次期監督候補にも挙がる若きカリスマは、現代表をもしのぐほどのスター軍団を指揮することになりそうだ。

 すでにJリーグ側はピクシージャパンのメンバーとして、昨夏の南アフリカW杯後に代表引退を表明した横浜Mの中村俊輔(32)、清水MF小野伸二(31)、川崎MF中村憲剛(30)、母校・岩手県大船渡高など被災地を訪問した鹿島MF小笠原満男(31)という絶大なテクニックを誇るファンタジスタ軍団に加え、横浜MのDF中沢佑二(33)ら現代表に比肩する実力者をリストアップ。さらにJ2横浜CのFW三浦知良(44)らにも水面下で打診しており、候補者のコンディションやけがの状況を見ながら22日の会議で正式発表する見込みだ。日本サッカー界の総力を結集したドリームマッチで震災復興を支援する。

(2011年3月20日06時01分 スポーツ報知)

3月29日に開催される東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ 日本代表vs.Jリーグ選抜に小笠原満男がリストアップされておる模様。
これは面白い対戦である。
チャリティ・マッチとはいえ、負けず嫌いの満男がプレイするのであれば、勝利を目指すこととなろう。
ガツガツ当たりに行き、ミドルパスを連発し、ゴール前へ飛び出す姿は、観客を沸かせるのでは無かろうか。
正式な発表を待ちたい。

平瀬、弁当を販売

2011年03月20日 | Weblog
仙台・平瀬アンバサダー、格安弁当を販売
2011.3.20 05:00

 仙台の平瀬智行アンバサダーが19日、選手御用達の焼肉店で、被災者に向けて格安の焼肉弁当を販売した。昨季限りの現役引退まで3シーズンを仙台で過ごした平瀬アンバサダーは、「できる範囲で何かしたかった。これからもやっていきたい」。午前11時半から、行列を作る人たちを励ましながら約100食を売った。(仙台市)

仙台・アンバサダーの平瀬が格安弁当販売に協力とのこと。
重い被災地となった仙台への貢献である。
今回の状況は、今季から平瀬が就任したアンバサダーという立場が活躍する場と言えよう。
重苦しい雰囲気になりがちな被災地に明るい風を巻き起こして欲しい。

満男が与えた勇気

2011年03月19日 | Weblog
小笠原激励、母校大船渡高、陸前高田訪問
 岩手・盛岡市出身の鹿島MF小笠原満男(31)が18日、震災で大きな被害を受けた同県大船渡市の母校・大船渡高を訪れ、被災した人たちを励ました。生徒や被災者に向け、色紙に「がんばってください」と書き込んだ。約40人が避難中の体育館にも足を運び「足りない物はありますか」と話し掛けた。同校によると18日現在、生徒24人の安否が不明。小笠原は「大変な状況なのに避難所の皆さんは『大丈夫です』と話してくれた。これから現場でいろいろ見て聞いて、何ができるかを考えたい」と心配そうに話した。

 これに先立ち、妻の出身地で隣接する同県陸前高田市の避難所も訪問。サッカー部の中学生と一緒に写真を撮るなどして励ました。テレビの取材に「自分の目で見て何かできることがないかと思って来ました。町を見たらよく行った場所や道がなくなり複雑な気持ち」と答えていた。

 関係者によると、小笠原は陸路、秋田経由で岩手入り。妻の家族の無事も確認したという。
 [2011年3月19日7時42分 紙面から]

鹿島・小笠原、母校の大船渡高を激励
2011.3.19 05:01


避難所で被災者と握手を交わす小笠原(右)。「何とか力になりたい」と口にした

 J1鹿島の元日本代表MF小笠原満男(31)が18日、東日本大震災で大きな被害が出た岩手・大船渡市の母校、県立大船渡高を訪れ、関係者や避難所の人たちを励ました。

 「目で見て、何が足りないのか知りたくて来ました。何とか力になりたい」

 15日にチームの活動休止が決まると、居ても立ってもいられなかった。約40人が避難中の体育館に足を運び、「足りない物はありますか」と話し掛けた。生徒や被災者に向け、色紙に「がんばってください」と書き込んだ。

 同校によると18日現在、生徒24人の安否が不明だ。小笠原自身も消息不明の知人が少なくない。「現場でいろいろ見て聞いて、何ができるかを考えたい」と表情を曇らせる。小笠原は、夫人の出身地の陸前高田市も訪問した。

小笠原 夫人の出身地・陸前高田市に笑顔届けた

避難所で被災者と握手を交わす鹿島アントラーズの小笠原満男選手(右)
Photo By 共同


 鹿島の元日本代表MF小笠原満男(31)が18日、東日本大震災で甚大な被害を受けた故郷・岩手県にマイカーで駆けつけた。かおり夫人の出身地である陸前高田市の避難所では変わり果てた街の姿を目の当たりにした。NHKの取材に応じ「何て声を掛ければ良いのか、頑張ってと言うのも正しいのか分からない」と言葉を詰まらせた。

 盛岡市出身で大船渡高卒の小笠原は、地震直後から「知人の安否が分からない。今すぐにでも行きたい」と語っており、いてもたってもいられなかったのだろう。鹿島もクラブハウスやカシマスタジアムの損壊が激しく、現在は無期限で活動を停止している。鹿島の井畑社長や友人からは安全が確保できない被災地への訪問は控えるように言われていたが、それを承知の上で小笠原は自らハンドルを握った。

 避難所では、お年寄りやサッカー少年ら一人一人と握手をしたり、優しく励ましの声を掛けて回った。被災者が笑顔を見せると、小笠原も少しだけ表情を緩めた。一緒に携帯電話の写真に納まった中学生は「これを見て、これからも頑張りたい」と感激していた。

 「昔、よく行っていた場所や通っていた道がなくなっていた。非常に複雑な思いです。いろんな人の話を聞いてできることをしていきたい」と小笠原。スポーツ選手がプライベートな活動で東日本大震災の被災地に駆けつけたことが確認されたのは今回が初めて。小笠原は震災の爪痕が激しく残る故郷を必死に勇気づけた。
[ 2011年3月19日 06:00 ]

小笠原が岩手に勇気!母校・大船渡高で握手、そして握手…鹿島

盛岡市出身のJ1鹿島・小笠原が被災地に入り市民を激励

 18日、鹿島の元日本代表MF小笠原満男が、チームのオフを利用して東日本大震災で甚大な被害が出た岩手県大船渡市の母校、県立大船渡高を訪れ、学校関係者や避難所の人たちを励ました。

 小笠原は生徒や被災者に向け、色紙に「がんばってください」と書き込んだ。約40人が避難中の体育館にも足を運び「足りない物はありますか」と話しかけた。同校によると18日現在、生徒24人の安否が不明だという。

 大船渡高訪問前には、妻の出身地で隣接する同県陸前高田市の避難所も訪問した。故郷が生んだスター選手の登場に、避難所では多くの被災者から握手攻めにあい「すごい!!」「うれしい!!」と喜びの声が上がった。

 写真撮影などにも快く応じた小笠原は「よく行っていた場所もなくなって複雑な気持ち。何と声をかけていいか分からないけど、自分に何ができるかを考えて、できることをやっていきたい」と神妙に話した。

 鹿島本拠地である鹿嶋市も断水や停電などの大きな被害を受け、チームは無期限の活動停止中。Jリーグは3月いっぱいの試合の延期が決定し、再開の見通しは立っていない状況。29日には日本代表とJリーグ選抜が大阪・長居スタジアムで「がんばろうニッポン」と題したチャリティーマッチを行い、小笠原もJ選抜に選出される可能性が高い。母校の大船渡高は17日から生徒が登校を再開した。今度はピッチから故郷に再び勇気を与える番だ。

 ◆小笠原 満男(おがさわら・みつお)1979年4月5日、岩手県出身。31歳。大船渡高―鹿島―メッシーナ(イタリア)―鹿島。J1通算307試合出場61得点。攻守の判断に優れたMFとして活躍し、09年には最優秀選手。02、06年W杯日本代表。173センチ、72キロ。

(2011年3月19日06時01分 スポーツ報知)

自らハンドルを握り、陸路で岩手に向かった満男である。
この地に足を運んだ満男の行為は、人々に大いなる勇気を与えたことであろう。
そして、深い爪痕の残った風景はどのように満男の目に映ったであろうか。
ここからの復興は容易なことではない。
強い気持ちがなければ、難しい。
満男の与えた勇気で、この逆境に耐え、前を向いて欲しい。
我等は出来ることをし、少しでも役に立ちたい。

岩政・イノパン・ヒゲくん、日本代表選出

2011年03月18日 | Weblog
日本代表メンバーに岩政、本田、伊野波選手が選出 2011/03/18
本日、「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」(3/29@長居)に出場する日本代表メンバーが発表されました。

鹿島アントラーズからは、岩政大樹選手、本田拓也選手、伊野波雅彦選手が選出されました。


3月29日に開催される東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ 日本代表vs.Jリーグ選抜に岩政、イノパン、ヒゲくんが選出された。
これは素直に喜ばしい。
アジア一に貢献した彼らが日本代表として活躍すれば、暗い話題の続く日本を明るくするであろう。
強い守備力で代表を牽引して欲しい。
楽しみである。

満男、母校へ

2011年03月18日 | Weblog
「力になりたい」 小笠原選手が岩手の母校へ
 「何とか力になりたい」。サッカー元日本代表で、J1鹿島の小笠原満男選手(31)が18日、東日本大震災で甚大な被害が出た岩手県大船渡市の母校、県立大船渡高を訪れ、学校関係者や避難所の人たちを励ました。
 小笠原選手は生徒や被災者に向け、色紙に「がんばってください」と書き込んだ。約40人が避難中の体育館にも足を運び「足りない物はありますか」と話し掛けた。
 同校によると18日現在、生徒24人の安否が不明。小笠原選手は「大変な状況なのに避難所の皆さんは『大丈夫です』と話してくれた。これから現場でいろいろ見て聞いて、何ができるかを考えたい」と心配そうに話した。
 小笠原選手はこれに先立ち、妻の出身地で隣接する同県陸前高田市の避難所も訪問した。

[ 共同通信 2011年3月18日 17:31 ]

母校を慰問した小笠原満男である。
被災者の胸に満男の心は届いたことであろう。
辛い時代であるが、こういった一つの行動の積み重ねで変わることもある。
出来ることをし、少しでも早く復興出来ることを願おうではないか。

大迫、U-22日本代表選出

2011年03月18日 | Weblog
U-22日本代表ウズベキスタン遠征メンバー
スタッフ

監督
関塚 隆  セキヅカ タカシ SEKIZUKA Takashi 
【(財)日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ】

コーチ
小倉 勉 オグラ ツトム OGURATsutomu 
【(財)日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ】

アシスタントコーチ
武藤 覚 ムトウ アキラ MUTO Akira 
【(財)日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ】

GKコーチ
藤原 寿徳 フジワラ ヒサノリ FUJIWARA Hisanori 
【(財)日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ】

フィジカルコーチ
里内 猛 サトウチ タケシ SATOUCHI Takeshi 
【(財)日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ】

選手

Pos. 選手名 (アルファベット表記) 
生年月日 身長 体重 所属

GK
権田 修一 ゴンダ シュウイチ GONDA Shuichi 
1989.03.03 187cm 83kg FC東京

守田 達弥 モリタ タツヤ MORITA Tatsuya 
1990.08.03 191cm 82kg  京都サンガF.C.

安藤 駿介 アンドウ シュンスケ ANDO Shunsuke 
1990.08.10 185cm 78kg 川崎フロンターレ

DF
比嘉 祐介 ヒガ ユウスケ HIGA Yusuke 
1989.05.15 168cm 68kg 流通経済大学

山本 康裕 ヤマモト コウスケ YAMAMOTO Kosuke 
1989.10.29 177cm 76kg ジュビロ磐田

村松 大輔 ムラマツ タイスケ MURAMATSU Taisuke 
1989.12.16 176cm 77kg 清水エスパルス

濱田 水輝 ハマダ ミズキ HAMADA Mizuki 
1990.05.18 185cm 80kg 浦和レッズ

本田 慎之介 ホンダ シンノスケ HONDA Shinnosuke 
1990.06.23 187cm 78kg ジュビロ磐田

酒井 高徳 サカイ ゴウトク SAKAI Gotoku 
1991.03.14 176cm 74kg アルビレックス新潟

扇原 貴宏 オウギハラ タカヒロ OGIHARA Takahiro 
1991.10.05 180cm 61kg セレッソ大阪

岡本 拓也 オカモト タクヤ OKAMOTO Takuya 
1992.06.18 174cm 73kg 浦和レッズ

MF
青木 拓矢 アオキ タクヤ AOKI Takuya 
1989.09.16 179cm 73kg 大宮アルディージャ

清武 弘嗣 キヨタケ ヒロシ KIYOTAKE Hiroshi 
1989.11.12 172cm 66kg セレッソ大阪

山村 和也 ヤマムラ カズヤ YAMAMURA Kazuya 
1989.12.02 184cm 75kg 流通経済大学


山田 直輝 ヤマダ ナオキ YAMADA Naoki 
1990.07.04 166cm 64kg 浦和レッズ

東 慶悟 ヒガシ ケイゴ HIGASHI Keigo 
1990.07.20 178cm 69kg 大宮アルディージャ

山口 螢 ヤマグチ ホタル YAMAGUCHI Hotaru 
1990.10.06 173cm 72kg セレッソ大阪

米本 拓司 ヨネモト タクジ YONEMOTO Takuji 
1990.12.03 177cm 67kg FC東京

宇佐美 貴史 ウサミ タカシ USAMI Takashi 
1992.05.06 178cm 69kg ガンバ大阪

FW
永井 謙佑 ナガイ ケンスケ NAGAI Kensuke 
1989.03.05 177cm 74kg 名古屋グランパス

山崎 亮平 ヤマザキ リョウヘイ YAMAZAKI Ryohei 
1989.03.14 171cm 66kg ジュビロ磐田

大津 祐樹 オオツ ユウキ OTSU Yuki 
1990.03.24 180cm 73kg 柏レイソル

大迫 勇也 オオサコ ユウヤ OSAKO Yuya 
1990.05.18 182cm 70kg 鹿島アントラーズ


スケジュール

3月26日(土) vsU-22ウズベキスタン代表
3月29日(火) vsU-22ウズベキスタン代表


満を持して大迫がU-22日本代表に選出されておる。
3月9日にリストアップされた旨が報じられ、大迫のモチベーションも上がっておった。
「まずは鹿島で試合に出続けることが重要」と申しておったが、この状況ではU-22にて試合勘を養うのも良かろう。
日本を明るくするためにも、大迫の活躍には期待したい。
楽しみである。

シドニー戦、中立開催を検討

2011年03月18日 | Weblog
鹿島 ACLシドニーFC戦を中立地開催も
 鹿島のアジアCLのホーム・シドニーFC戦が海外の中立地で開催される可能性が出てきた。当初は16日にカシマスタジアムで開催予定だったが、東日本大震災の影響を受けて延期。アジアサッカー連盟(AFC)の鈴木徳昭競技部長が17日、日本開催が困難な場合は第3国の中立地で会場を手配する準備があることを明かした。今後もAFCと両クラブが交渉を続けて最善の策を模索していくことになる。

 東日本大震災の深刻な被害を受けて、AFCが動いた。16日にカシマスタジアムで予定されていた鹿島―シドニーFC戦が延期されたことを受け、鈴木競技部長は「規定ではホームスタジアムが使用できない場合は日本の他のスタジアムを使える。それもできないならAFCに中立地を決める権利がある」と説明。カシマスタジアムの復旧の見通しが立っていないことから、第三国の中立地会場を手配する準備があることを明かした。

 本拠地カシマスタジアムには天井からの落下物やコンクリート部分の亀裂などが見られ、修復には最大で3カ月程度を要する見通し。電力問題もあり、国立競技場など関東圏の代替地での試合開催も困難な状況だ。ACL1次リーグはホーム&アウェー形式。シドニーFC側からは5月10日にシドニーで予定されている対戦を前倒しして行い、カシマスタジアムでの対戦と入れ替える案も提示されている。

 AFC側には日程の問題から少しでも早く試合を消化したい意向があるが、鹿島幹部は「鹿嶋市では、まだライフラインも復旧していない。現時点で代替地での試合開催とかそういう問題ではない」と日程や会場の議論自体が時期尚早であることを強調。日本協会側からは4月6日のアウェー水原三星戦(水原)を予定通り行うように促されているが、チームが活動休止している事情を考えても試合開催は厳しい。

 Jリーグは22日のJ1、J2臨時実行委員会でリーグ、ナビスコ杯などを含めた今後の日程を決定する方針。国内の試合予定が決まらなければACL日程も固められないのが現状だ。15日に瑞穂で開催予定だった名古屋―アルアイン戦も同じく震災の影響で延期された。瑞穂は施設面に問題はないが、こちらも開催のめどは立っていない。

[ 2011年3月18日 06:00 ]

延期となったACL シドニーFC戦であるが、中立地での開催も検討とのこと。
これは致し方ない。
カシマスタジアムの復旧は検討中と言えども長期にわたることが懸念され、ホームタウンの爪痕も深い。
平時に戻るにはまだまだ時間が掛かるであろう。
様々なことを考慮し、良い結論を導き出して欲しい。
検討結果を待ちたい。

西、自主練中

2011年03月17日 | Weblog
いつ鹿島に戻れるか…DF西 古巣・札幌で自主トレ

雪の中をランニングする鹿島・西
Photo By スポニチ


 東日本大震災の影響でチームが無期限解散となった鹿島のDF西大伍(23)が16日、J2札幌のクラブハウスを訪れ、宮の沢白い恋人サッカー場で自主トレを行った。札幌の下部組織出身で09年まで在籍した古巣の厚意に「本当にありがたいです」と頭を下げた。

 西が被災地の状況を赤裸々に語った。大地震の際は鹿島の寮にいたという。「壁が崩れたり、物が落ちたり、ひどかった。一番怖かったのは放射能」と明かす。断水や食料不足、停電で練習もできない状態に。水は井戸水で賄ったが「自分たちに水があっても周囲の人たちにはない。特別な状況でサッカーをやっていいものかと思う」と話した。

 本拠地のカシマスタジアムは復旧に3カ月も要し、試合開始のメドは立っていない。今後のチーム集合時期も未定という。「いつ鹿島に戻れるかは分からないけど(被災地のため)何とかしたいという気持ちはある。考えたい」。鹿島を離れ、地元で体を動かす西の心境は複雑だった。

[ 2011年3月17日 12:27 ]

故郷・札幌で自主練をする西である。
鹿島での被災体験を語っておる。
地震やその後の状況も酷い有様ではあるが、サッカー選手という特殊な立場について悩みもある模様。
まさにその通りであろう。
この苦悩を乗り越え、選手として、人間として成長して欲しい。
未だ謎のベールに包まれたプレイスタイルを我等に魅せるため、今は練習に励むのだ。
期待しておる。

スタジアム復旧計画

2011年03月17日 | Weblog
鹿島スタジアムを点検「修復に時間」
 鹿島はトップチーム無期限活動休止の決定から一夜明けた16日、選手、スタッフは帰省、自宅退避などで対応した。チーム広報は「復旧に向けスタッフ間は連携を密に取り合っている」と話した。スタジアム、クラブハウスの補修については、すでに業者が点検を済ませ、復旧工事の優先プランを検討中。井畑社長は「修復には時間がかかる」としている。
 [2011年3月17日8時45分 紙面から]

震災を受けたスタジアムとクラブハウスの復旧計画を検討中とのこと。
まずは一歩前進である。
クラブとしてのハードウェアを修復し、また以前のような輝きを取り戻したい。
とはいえ、急ごしらえはならぬ。
一つ一つ確実に前へ進むのだ。
チーム再始動時には以前よりも強いクラブとなっていたい。
それまで、耐えて堪えるのである。

宮崎にて合同自主練計画

2011年03月17日 | Weblog
鹿島 宮崎市内で合同自主トレ 週末から開始
 鹿島は東日本大震災の影響で活動中止中だが、週末から宮崎市内で合同自主トレを行う見通しであることが判明した。

 帰国したブラジル人ら一部選手を除き、大半の選手が参加するもようだ。この日、古巣J2札幌の練習場を借りて自主トレを行ったDF西は「選手だけで合同自主トレを計画しています」と説明。被災後は十分な練習ができていないため、再び体をつくり直す。

[ 2011年3月17日 06:00 ]

チームは無期限の活動休止中であるが、選手たちは自主的に集まり合同で自主練を行うとのこと。
これは素晴らしい。
明るいニュースである。
西も良いクラブに移籍したと思っておることであろう。
強い気持ちで、強い身体を作り、チーム再始動に備えて欲しい。
鹿島アントラーズは、我等の希望である。