鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

青木とイゴール

2011年03月29日 | Weblog
2011年03月29日(火)

今日はサーキットトレニングを実施しました。練習を終えた選手たちは膝に手を置いて休むなど、かなり疲れた様子を見せていました。今日も2部練習のため、午後からもトレーニンを行う予定です。

ハード・トレーニングを積む青木とイゴールである。
この苦しい練習を乗り越え、実戦に活かすのだ。
青木の身体能力を乗り越えてイゴールは進化していくであろう。
楽しみである。

イゴール、初練習

2011年03月29日 | Weblog
鹿島が再始動 アルシンド長男やる気満々
 鹿島が28日、鹿嶋市内のグラウンドで再始動した。11日の東日本大震災でクラブハウスとグラウンドが被害を受け、チームは15日に無期限休止を決めていた。福島第1原発事故も重なり、オリベイラ監督、ブラジル人3選手の来日は今日29日になるが、かつて鹿島でプレーしたアルシンド氏の長男のブラジル人FWイゴール(18)が契約後、初めて全体練習に合流。「外国人では4番目ですが、チャンスがくると思う」と意欲を見せた。

 前日27日に来日した。震災の映像はブラジルで見た。「多くの方が亡くなり、どうコメントしていいかわからない」と顔を曇らせた。一方で「地震はそれほど気にならない。(放射能は)クラブから大丈夫と言われている。父からは『安心して行ってこい』と言われた」。父は現在、ブラジルで農場を経営しているという。「父から献身的なプレーを学んだ。両サイドから突破するスピードとテクニックを見てほしい」とアピールした。【塩谷正人】
 [2011年3月29日8時1分 紙面から]


髪の毛あるしんど!イゴール“決めゼリフ”も披露

チームに合流したアルシンド氏の長男・イゴール
Photo By スポニチ

 かつて鹿島に在籍したFWアルシンド氏の長男のFWイゴールが28日、契約後初めて練習に合流した。

 髪が薄かった父親と違いふさふさの髪をなびかせて、ランニング中心のメニューをこなした後に報道陣に囲まれると、日本語で「友達なら当たり前」と父親の“決めゼリフ”を披露。父との違いを聞かれると「まだ髪の毛があることで、これからもあってほしい。髪のケアはしているが、遺伝的には私はもうおしまいだ」とちゃめっ気たっぷりだった。
[ 2011年3月29日 06:00 ]

「父と同じクラブで プレーの夢かなった」 鹿島にアルシンド2世
2011年3月29日


チームに合流したイゴール選手=鹿嶋市内で

 かつてサッカーJリーグ・鹿島アントラーズでプレーし、特徴ある髪形から「カッパ」の愛称で親しまれたアルシンド・サルトーリさん(43)の長男で今月上旬に新たに加入したFWイゴール選手(18)が二十八日、練習に合流した。イゴール選手は「父とは別の形でクラブの歴史に名を刻んでいきたい」と抱負を述べた。
 アルシンドさんは71試合に出場し50得点したストライカー。イゴール選手は「父と同じクラブでプレーする夢がかなった」と感慨深げだ。「自分の特徴はシュートや前線での流動的な動き。スピードとテクニックも見てほしい」と訴えた。東日本大震災に「言葉が見つからない」と心を痛め「できる支援をしていきたい」という。
 練習では黙々とランニングなどをこなしたが、合間に設けられた取材時間には父と同様、陽気な性格をのぞかせた。アルシンドさんとの違いを問われた際には「髪の毛」と答え、笑いを誘った。
 愛嬌(あいきょう)たっぷりの新顔が被災地・茨城を元気づけてくれそうだ。
 (井上靖史)

アルシンドの長男、J1鹿島に合流 持ち味はスピード
2011年3月29日17時4分


28日の練習後、取材を受けるイゴール。「髪の毛があるのはお父さんとの違いの一つ。遺伝で薄くなってしまったら仕方ない」。ユーモアは父親譲りだ

 J1鹿島にフレッシュさと懐かしさを醸すブラジル人が加わった。かつて鹿島で活躍したアルシンド氏(43)の長男イゴール(18)。Jリーグ随一の人気者だった父の手ほどきと助言を受け、プロとしての道を日本で歩み出す。

 アルシンド氏は1993、94年のチーム得点王で、93年第1ステージ優勝に貢献。明るい性格とカッパをほうふつとさせる髪形も相まって人気を博した。

 93年生まれのイゴールは当時を「正直覚えていない」。ただし「トモダチナラ、アタリマエ」という日本語を暗記している。男性かつらのCMで父が口にしたせりふだ。

 父との記憶がはっきりするのはブラジルでのこと。よくボールで遊んだ。父の農場にはコートがある。「お父さんは今もけっこう動けるよ」

 リオデジャネイロにあるジーコ元日本代表監督のサッカースクールで2005年からアマチュアとしてプレーした。「いつかは行きたいと思っていて声をかけてもらった」。鹿島入りは自然な流れだったのかも知れない。

 同じFWとして父から献身的なプレーを学んだ。「比べられると思うけど、違ったサッカーをして鹿島の歴史のページに名を残したい」。持ち味はスピードという。

 父子のプレーが似ているのかは見てのお楽しみだが、鹿島には先輩ブラジル人が外国人枠いっぱいの3人いる。「チャンスは必ず来るから努力しろ」。そんな助言も父から受けてきた。

 加入発表の翌日に東日本大震災が起こった。余震や放射能漏れが続くが、「心配しなかった。クラブが説明してくれたから」。被災した茨城県鹿嶋市で28日に再開した全体練習に合流した。自分とクラブの未来を信じる新天地での船出だ。
(村上研志)

イゴールの初練習が報じられておる。
契約発表の翌日に震災が起こり、イゴールの去就も不安視されておったが、地震は大丈夫と気丈なところを見せておる。
このメンタルは期待出来るのでは無かろうか。
そして、父・アルシンドからは献身的なプレイを学んでおり、日本サッカーへの順応も早いと思われる。
献身的かつ、前線での流動的な動きを持ち、スピードとテクニックで相手を翻弄する姿を早く実践で観てみたいと思う。
とはいえ、イゴールには耐える日々が続くことであろう。
我等も耐え、イゴールが真価を発揮する日を待とうではないか。
楽しみにしておる。

ヤス、勝利を誓う

2011年03月29日 | Weblog
遠藤「鹿島は日本のトップチーム 言い訳にしてはいけない」
 安否不明だった仙台市在住の祖母の無事を確認した鹿島のMF遠藤は「だいぶ落ち着いてきたけど、何か違うかな」と、約2週間ぶりに練習を再開に集中できない様子。それでも来月6日のACL水原戦(韓国)に向けては「鹿島は日本のトップチーム。地震があったから負けたとか、言い訳にしてはいけない。こういう時だからこそ勝たないといけない」と話していた。
[ 2011年3月29日 08:40 ]

流石に平常心へは戻れておらぬヤスである。
確かに、出身地が重い震災に見舞われておっては、まともな精神状態に戻るのは難しいであろう。
しかしながら、これを言い訳には出来ぬと、トップチームの誇りに賭けて勝利を誓っておる。
強い精神力で立ち向かい、試合に挑んで欲しい。
ヤスの活躍が日本を明るくするのだ。
期待しておる。

野沢、アジアを、国内を

2011年03月29日 | Weblog
鹿島14日ぶりの練習は20人でスタート
 鹿島が28日、鹿嶋市内のグラウンドで再始動した。14日ぶりの練習は20人でのスタートとなった。29日の慈善試合に出場する5人を含む9選手が不在。それでもMF本山雅志(31)は「みんな元気に集まれて、いいスタートが切れた」。MF中田、FW興梠ら6人は宮崎県内で合同自主トレ、MF野沢は茨城県内で調整した。被災した茨城・笠間市出身の野沢は「アジアのタイトルを取って、リーグ戦で優勝することが復興の証明になる」と力強く語った。アジアサッカー連盟(AFC)に延期を要望していたACL1次リーグ、アウェー水原三星(韓国)戦は予定通り4月6日開催が決定的となった。
 [2011年3月29日8時2分 紙面から]

茨城県内で調整しておった野沢である。
余震が続く茨城県は精神的にも苦しかったであろう。
とはいえ、地元でサッカーが出来る喜びはそれにも優るものと言って良かろう。
その野沢が、被災者として復興を目指す。
アジアを制圧し、国内で頂点に立つのだ。
野沢と共に歓喜の時を過ごしたい。
期待しておる。

アジアへの険しい道

2011年03月29日 | Weblog
鹿島、延期のACL戦は4・13開催へ
 震災で延期となっていた鹿島のACL1次リーグ、3月16日のシドニーFC(オーストラリア)戦は、4月13日のアウェー開催が濃厚となった。同6日にアウェー水原三星戦があり、井畑社長は「1度日本に帰るか、そのままオーストラリアに行くかは検討中」と話した。同社長は同19日のホーム水原三星戦はカシマの使用が不可能なため、東京・国立でのデーゲームで調整していることを明かした。
 [2011年3月29日8時8分 紙面から]

延期されておったシドニーFC戦は4月13日にホームとアウェイを入れ替えて開催される見通しとのこと。
これに伴い、日本へ帰らず、韓国・豪州の強行アウェイ連戦を行うプランもある様子。
厳しい戦いである。
しかしながら、アジアの戦いとはそういうもの。
この苦難を乗り越えてこそ、悲願を達成出来るのだ。
強い気持ちで勝利を引き寄せたい。

小笠原満男、立つ

2011年03月29日 | Weblog
小笠原がカズと復興支援協力→即直談判
 「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」は今日29日、大阪・長居スタジアムで開催される。28日に同会場で公式練習が行われ、鹿島MF小笠原満男(31)が、復興支援に向けた強い決意を表した。被災した故郷岩手県に入り、厳しい状況を目にしたからこそ、小笠原は「被災者の方々に比べたら、僕なんて全然大変じゃない。被災地の方々が一生懸命頑張っている姿を見たので、苦しい時にそれを思い起こしたい。試合で少しでも明るい話題を提供したい」と言い切った。

 被災地で苦しい思いをしている人々に今度は自分が勇気を与える番だ。「被災者の方々の姿は一生忘れることはない。きついのに歯を食いしばって頑張っていた。試合では自分が一生懸命さを伝えられればいいと思う」。被災者の思いを背負いピッチに立つ。

 復興支援のため、J2横浜FCのFWカズ(三浦知良=44)とタッグを組む。チーム宿舎でカズに「サッカーで集めたお金でサッカー界も復興したい。グラウンドをつくったり。被災地では子どもたちがサッカーをやる環境がなくなりやめてしまう」と現状を伝えた。これにカズも「小笠原の話を聞いてハッと気付かされた。サッカー少年のために何かできることをやりたい」と即答。日本協会の小倉会長に直談判し、小笠原の思いを伝えたという。

 この日の公開練習で精力的な動きを披露した小笠原は「やるからには勝負だから勝ちたい」と話した。チャリティーマッチが一夜の夢ではなく、復興への足がかりになると信じている。【菅家大輔】
 [2011年3月29日7時55分 紙面から]


避難所にテレビを…岩手出身の小笠原がお願い
2011.3.28 21:05


シュート練習する小笠原満男=28日、長居(撮影・山田喜貴)

 サッカー慈善試合J選抜練習(28日、長居)取材が終わると、Jリーグ選抜の小笠原は「ひとつお願いがあるんですが…」と報道陣に切り出した。

 「被災地ではテレビを見られない人もたくさんいるんです。より多くの人に見てもらえる方法を協力してもらえませんか。避難所に小さなテレビを持ち込むとか…」。18日に生まれ育った岩手県大船渡市と妻の実家がある陸前高田市の避難所を訪れた。現地の実情を知るからこそ、の言葉だった。

 所属する鹿島も被害を受けたが、故郷の悲惨な状況が明らかになるにつれ、居ても立ってもいられなかった。「行かずに後悔するのは嫌だった」という小笠原は家族を連れ、丸1日かけてたどり着いた。「何と表現していいのか…。知らないところに行った感覚。一生忘れることはない」と現場の状況を振り返る。

 その場で被災者の人たちが下を向かずに頑張っている姿を目の当たりにし、慈善試合への出場を決めた。三浦らとも話し合い、被災地のサッカーを復興させる計画も胸に温めている。「一生懸命さを出せて、それを伝えられたら」という今回の慈善試合を、その手始めとする考えだ。(産経新聞)


ミニゲームで競り合う、Jリーグ選抜の小笠原(右)と関口=長居


義援金に協力したサポーターの子供の頭をなでる小笠原満男=28日、長居(撮影・山田喜貴)


故郷が被災、小笠原「東北サッカー復興を」
2011.3.29 05:04


練習で俊輔(左)が小笠原を励ますように、両肩に手を置いた (撮影・山田喜貴)

 東日本大震災の復興支援慈善試合「がんばろうニッポン!」が29日、大阪・長居スタジアムで行われる。Jリーグ選抜のMF小笠原満男(31)=鹿島=は28日、訪問した岩手など被災地へ勇気を送るプレーを約束。FW三浦知良(44)=横浜FC=はゴールを決めて、“カズダンス”で日本中を元気づけることを誓った。日本代表は風邪をひいていたDF長友佑都(24)=インテル・ミラノ=が、強行出場を宣言した。

 熱い思いを胸に、MF小笠原がピッチに立った。公式練習のミニゲームではボレーシュートを決め、白い歯も見せた。

 「被災地の皆さんは疲労、ストレスを抱えて厳しい状況だと思う。一生懸命プレーして頑張っているところを見せたい」

 正面を見据えて口にした。故郷を突然襲った悲劇。いても立ってもいられなかった。鹿島が活動休止となった翌日の17日には丸一日かけ、自家用車に物資を積んで日本海回りで岩手沿岸部に向かった。「行かないと後悔すると思った」。高校時代を過ごした大船渡市、夫人の故郷・陸前高田市など4カ所の避難所を訪れた。

 「知らない場所に来たみたい…。自分の知っているところ、見てきたものすべてがなくなっていた。みんな歯を食いしばって頑張っていた。あのとき見た光景を忘れることはないと思う」

 足りない物を見聞きし、東北サッカー協会を窓口に物資を届けるルートを作った。同時に、東北のサッカー復興を担う決意も沸き上がった。「続けようにも、ボールもグラウンドもなくなっている」。カズら主力選手やJリーグの大東和美チェアマン、日本協会・小倉会長に直談判。「できることをやっていきたい。一緒にやってもらえませんか」と働きかけた。

 この日も練習後、テレビのインタビューで「お願いがあります」と切り出し、「被災地でもより多くの方が試合を見られるように、協力していただけないかと思います」と頭を下げた。

 訪れた避難所で「サッカー頑張ってください」と背中を押された慈善試合への思い入れは、誰よりも強い。愛する故郷へ、被災地へ-。途中出場が濃厚ながら、小笠原はプレーで、言葉にできない思いを届ける。(佐藤ハルカ)


小笠原が高校時代を過ごした大船渡市は、大きな被害を受けた。プレーで元気を与えたい

小笠原、調整不足も「被災者の方と比べれば…」
東日本大震災復興支援チャリティーマッチ 日本代表―Jリーグ選抜 (3月29日 大阪・長居)


笑顔を見せる小笠原(左は中村俊、右は小野)
Photo By スポニチ


 Jリーグ選抜のMF小笠原(鹿島)は東日本大震災後は本格的な練習ができていなかったため、調整不足は否めないが「歯を食いしばって頑張っている被災者の方と比べれば自分は大変じゃない」と強調した。

 深刻な被害を受けた岩手県出身。震災後には高校時代を過ごした大船渡市や夫人の実家の陸前高田市を訪問し「何もかもなくなっていて、知らない土地に行ったみたいだった」と絶句した。既に救援物資を送るなど被災地への支援を開始しており、Jリーグの大東チェアマンやプロサッカー選手会にも協力を呼びかけている。
[ 2011年3月29日 06:00 ]

カズ&小笠原、東北サッカー少年救う!グラウンド造る、ボール贈る…復興支援試合
 ◆東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン! 日本代表―Jリーグ選抜(29日、大阪・長居スタジアム) Jリーグ選抜のFW三浦知良(44)=横浜C=が28日、MF小笠原満男(31)=鹿島=とともに、東北地方のサッカー少年支援に乗り出す考えを明かした。この日、日本代表とJリーグ選抜の両チームは、1万3000人が集まった長居スタジアムで練習。日本代表では風邪で離脱していたDF長友佑都(24)=インテル=が全体練習に復帰し、強行出場へ意欲を見せた。

 カズが岩手県出身の小笠原とともに東北のサッカー少年をサポートする。会場の長居スタジアムで調整後、「こっち(大阪)に来てから、小笠原と一番話をしている。実際に向こう(被災地)に行って現状を見て、それを僕に伝えてくれた。『子供たちのことが心配。ボールやスパイクだけでなく、グラウンドすらない。少年団がつぶれる』と聞いて、ハッと気付かされた」と明かした。

 被災後、岩手5か所を訪れた小笠原から「サッカー少年を助けたいんです。何とかできないですか」と相談されたカズは「選手会を含めてサッカー界全体で動いていきたい」と即答。将来的な東北でのチャリティーマッチ開催など、できる限りの支援をしようという気持ちが一致した。

 この日朝にはJリーグ・大東和美チェアマンから「東北のサッカー協会とも協力して(支援を)やっていきましょう」と選手らに話があり、今後具体化する見通しだ。小笠原は「カズさん、(中沢)佑二さんも賛同してくれた。まずは国(の復興)ですけど、第2弾としてサッカー界の手助けをしたい」と選手会を通じてのグラウンド設立プランやボール寄贈などの考えを明かした。

 慈善試合でも、カズが先頭に立つ。ミニゲームでは右足で1得点と好調をアピールし、先発出場の可能性も出てきた。ハーフナーとともに中央のFWに入り「仲間が期待してくれるなら、得点したい。ダンス? やってもいいんじゃない」とパフォーマンスも示唆した。試合で履くスパイクには「チカラをひとつに」と刻印されることも決定。全力プレーで日本中を勇気づけ、復興への支援を続ける。
(2011年3月29日06時01分 スポーツ報知)

小笠原が涙の訴え…慈善活動の継続を

 練習前、記念写真を撮るJリーグ選抜=大阪長居スタジアム

 「東日本大震災チャリティーマッチ」(29日、長居)

 被災者の思いを背負って、ピッチに立つ。試合会場での最終調整が28日に行われ、Jリーグ選抜の鹿島MF小笠原満男(31)は震災以来初の実戦となる慈善試合に向けて、あふれる気持ちを吐露した。

 「被災地にはサッカーを見たいと言ってくれる人もいる。安否情報も分からない中、今はストレスを抱えている時期。いい話題を提供できればと思う」

 高校時代を過ごした岩手県大船渡市、夫人の故郷である同陸前高田市が大きな被害を受けた。「行かないと後悔する」。丸一日かかってたどり着いた故郷は変わり果てていた。「水が出ない。電気もない。ないものはないでしようがない。なるようになると言って頑張っている」。被災者の言葉に勇気づけられた。

 何とかしたい‐。その思いに突き動かされた。前夜は、カズやDF中沢らに被災地の現状を伝え、慈善活動の継続を訴えた。「まずは国のためにやる。次の段階でサッカーのために。チームが減り、サッカー少年が減っている。ボール、グラウンド、照明を寄付してあげられれば」。この日朝にはJリーグの大東チェアマンに直訴した。

 練習後、泣きながら訴えた。「避難所にはテレビがないところもある。僕らは被災者のために試合をする。一人でも多くの人に見てもらえるために、避難所にテレビを。ご協力お願いします」。復旧、復興への祈りを込めたプレーを、一人でも多くの人に届けたい思いだ。

(2011年3月28日)

被災地救済に立ち上がった小笠原満男である。
本日のプレイは必見と言えよう。
日本を、サッカー界を救うため、戦う満男の姿を目に焼き付けたい。