柳沢、頭で貴重なゴール 鹿島負けても決勝へ
鹿島を決勝に導いたのは柳沢だった。後半32分のFK。ゴールからやや離れた場所に位置取り、相手マークの気をそらす。弧を描いた右クロスに走り込み、頭で合わせた。この1点が貴重なアウエーゴールとなった。
29歳。W杯ドイツ大会で再三の決定機を外し、一気に下降線をたどっていた。リーグ戦は16日の清水戦で先発落ちを味わった。この夜も、得点場面を除けば全くさえなかった。前半は絶好のクロスを合わせ損ない、後半は大きすぎるトラップで決定機をつぶしていた。
それでも最後に、FWに最も大切な「ゴール」という結果を出した。試合後、鳴りやまない柳沢コールの中、インタビューで答えた。「ずっと応援してもらっていたのに期待に応えられなかった。絶対に、タイトルを取ります」
02年にナビスコ杯を制覇して以来、主要タイトルから遠ざかる鹿島。チームでは急速に世代交代が進んでいる。その波に懸命にあらがう柳沢。このゴールで一息ついていられないことは、本人が一番、自覚している。
讀賣
鹿島、アウエーゴール差で決勝進出…柳沢久々の得点
横浜M2―1鹿島(サッカー・ナビスコ杯=20日)――試合中、鹿島のサポーターからはプレーに関係ない時にも「柳沢」のコールが起こった。
8月19日の浦和とのリーグ戦以来、得点のないエースに対しては、最近では味方サポーターからブーイングが起こることも。繰り返されるコールには、「応援」だけではない「叱咤(しった)」の意味も含まれていた。
この日の動きも本来のものではなかった。松田、中沢といった強力なDF陣に押し出されるようにサイドに流れたり、下がってボールを触ろうとする姿が目立った。
だが77分、好機が訪れる。フェルナンドのFKに対し、DFラインの裏にフリーで飛び出して頭でコースを変える技ありの同点ゴール。「後半、相手が選手交代して自分へのマークがずれていた」というわずかなスキを逃さなかった。
結局、この試合は敗れ、2試合合計でも2―2で並んだが、アウエーでの得点が重視されるアウエーゴール方式のため、鹿島が決勝に進出。柳沢のゴールには文字通り「1点以上」の価値があった。久々の得点に「なかなか声援に応えられなかったから本当にうれしい」と笑顔を見せた。
「この大会にも優勝し、リーグ戦もあきらめずに戦っていきたい」とアウトゥオリ監督。10個目のタイトルを狙うチームにとって、点取り屋の完全復活は絶対に欠かせない。(内田守俊)
(2006年9月20日23時54分 読売新聞)
ニッカン
鹿島10冠へ柳沢が千金ヘッド/ナビスコ杯
鹿島は横浜に1-2で敗れたが、FW柳沢敦(29)が値千金のヘディングシュートを決めて、2試合合計得点2-2とし、アウエーゴール数で横浜を上回り3年ぶりに決勝進出。J初の10冠に王手をかけた。
右拳を振り抜き、それまでのモヤモヤを吹き飛ばした。相手に先制されて迎えた後半32分。右タッチライン際からMFフェルナンドが左足でFKを放り込んだ。柳沢はフェイントを入れず、落下地点へ一直線に走った。1分前に、相手1人が交代したため、セットプレー時のマークの確認ができていないことを察知していた。簡単にマーカーを振り切り、頭でゴール左隅を狙ってたたいた。低迷ムードのチームを生き返らせる値千金のゴールを入れた。
「試合に出てタイトルを取って、いい経験をして僕は成長してきた。その中で自信が付くもの。若手のためにもタイトルを取りたい」。この日、出場したメンバーの中では唯一、鹿島が過去獲得した全9冠にかかわった。自身はチームで経験を積んで、代表にも呼ばれ、2度のW杯を経験した。その恩返しとして、まだ優勝を経験していない若手にも優勝の喜びを味わわせたい。その一念で決めたゴールでもあった。
今季からルールが変わり、2試合の得点合計が並んだ場合、アウエーゴール数の多いチームが次に進むことになった。鹿島はホームで1-0で勝っており、この日1点取れば、3失点しない以上決勝に進むことができる。それを試合前日に全員で確認。柳沢の得点は実質、2点に値するものだった。「1戦目を含めて2試合で結果を出したかった」と、チームを決勝に導いた殊勲ゴールに満足した。
オシム体制になって1度も代表に呼ばれていない。現段階ではオシム構想60人にも入っていない。しかし「代表への思いは、サッカー選手である以上持ち続けます」。ここへきて、W杯戦友・高原や中田浩二、稲本らがそれぞれのチームで結果を残している。古い井戸とは言わせない。柳沢が、J初の10冠とともに、代表へ返り咲く。【盧載鎭】
[2006年9月21日8時50分 紙面から]
サンスポ
ヤナギ救った!鹿島10冠まであと1勝…ナビスコカップ
勝利の味を何度もかみしめてきた男が、鹿島10冠への扉を開いた。FW柳沢だ。1点を追う後半32分、MFフェルナンドの右FKに鋭く反応。滑り込みながら、頭で同点に追いつく値千金弾を沈めた。
「自分自身が本当にうれしかったです。なかなか得点できず、決まってくれてよかった」。その後に勝ち越しを許して試合は1-2で敗れた。2戦合計2-2(ホームでの第1戦は1-0)ながら、今季から採用されたアウエーゴール2倍の新ルールで決勝進出。最高の舞台に導く一撃に柳沢は白い歯をみせた。
鹿島はリーグ4度、ナビスコ杯3度、天皇杯2度とJ最多9つのタイトルを誇る。柳沢はそのすべての歓喜に立ち会ってきた。セリエA挑戦前に置き土産とした02年ナビスコ杯以来、チームは3年間タイトルから遠ざかっている。「自分がいる限りタイトルを目指している。絶対取る」と請負人の自負がある。
前戦16日のリーグ戦・清水戦はベンチスタート。アウトゥオリ監督は「価値を考え、この試合を優先した。連戦の疲労を考えての作戦」と温存策だったことを試合後に明かした。90分間でわずか1本のシュートを決勝の舞台・国立への切符に変えた。
A代表の大熊コーチが視察した一戦。「また青いユニホームが着たいと思う」と日本代表への復帰願望も明かした背番号13。まずは自身不在の3年間遠ざかっていたタイトルをもたらし、前人未到の10冠を打ち立てる。
(後藤茂樹)
◆10冠に王手をかけた鹿島DF岩政
「決勝進出の実感はまだない。きょうチームの出来がよくなかった分、修正しないといけない」
スポニチ
柳沢千金アウエー弾で鹿島王手
【鹿島1―2横浜】鹿島に決勝切符をたぐり寄せたのは不振にあえいでいた柳沢だった。0―1で迎えた後半32分、FKを頭で押し込んだ。終盤に1点を勝ち越されたが、アウエーで奪ったこの1点が効いた。「チーム内のミスが多かったけど、みんなが持ち直そうとした結果」と喜んだ。
期するものがあった。W杯後は公式戦1ゴールと調子を落とし、16日の清水戦では先発から外された。アウトゥオリ監督からは直接「(横浜戦では)やるべきことをやってもらう」とエースの仕事を要求されていた。厳しいながらも、温かいその期待に応えたかった。
96年に入団して以降、獲得した9つのタイトルをすべて経験した。黄金時代を築いた男の「試合に勝ち抜く精神力」が大事な場面で生きた。「決勝で負けるのは、一番つらい」。10冠達成への強い思いと、もう1つ。「青いユニホームを着たい」。掲げる目標に向けて柳沢が加速する。
[ 2006年09月21日付 紙面記事 ]
報知
柳沢千金ヘッド!鹿島10冠王手…ナビスコ杯準決勝第2戦
◆ナビスコ杯準決勝第2戦 横浜M2―1鹿島(20日・日産スタジアム) 鹿島がJ史上初の10冠に、千葉は連覇に、それぞれ王手をかけた。第1戦でも川崎と2―2で引き分けていた千葉は、2―2で突入した延長戦の後半終了直前、MF阿部勇樹(25)がPKを決めて勝ち越した。鹿島はアウエーの横浜M戦に1―2と敗れ、第1戦(1―0)との合計スコアで並ばれたが、アウエーでの得点数で決勝進出を果たした。決勝進出の立役者は後半32分に同点弾を決めたFW柳沢敦(29)。11月3日の決勝戦(国立)が注目だ。
自然と笑みがこぼれた。2点分の重みを、柳沢は誰よりも理解していた。前半に先制され、2試合合計で追いつかれてなお、横浜Mペース。しかし、鹿島の黄金期を知る29歳は、じっくり相手のすきを狙っていた。後半32分。MFフェルナンドのFKに、ゴール前でフリーになる。「向こうのマークにずれがあった」体を投げ出しながら、丁寧に頭で合わせた。この試合には敗れたが、貴重なアウエーゴールで国立行きをもぎ取った。
主力FWアレックス・ミネイロが19日の練習で背中を負傷し緊急離脱。若手中心のメンバーもミスを連発していた。そんな中、頼れるエースが奮起。前節のリーグ戦・清水戦で先発を外したアウトゥオリ監督(50)も、「外したのは今日の試合のため。累積やけががなければ先発と考えている」と絶大な信頼を寄せた。
ドイツW杯1次リーグ第2戦・クロアチア戦で最大の決定機を外し、戦犯扱いされた。オシム・ジャパンでは“古井戸”となり、声もかからない。「サッカー選手である以上代表を目指す」と柳沢。巻き返すには、クラブで地道に結果を残すしかない。
鹿島の最後のタイトルは02年ナビスコ杯。当時の先発メンバーでこの日出場したのはGK曽ケ端と柳沢だけ。あれから4年。その間にも2度(02年天皇杯、03年ナビスコ杯)10冠に王手をかけたが、逃している。エースとともに鹿島が3度目の正直で10冠を目指す。
(2006年9月21日06時03分 スポーツ報知)
一般紙二紙は柳沢と鹿島の状況を丁寧に報道をしている。
締めの言葉を柳沢選手なのかアウトゥオリ監督なのかという違いは方向性として興味深い。
スポーツ紙のなかでスポニチだけが代表と絡めず記事を作成しており好感が持てる。
>96年に入団して以降、獲得した9つのタイトルをすべて経験した
という最も重要な情報を載せていることもメディアとしての役目をわかっている証拠である。
そういう過去の情報を載せていないのはニッカンだけなのであるが…
朝日の方に「02年にナビスコ杯を制覇して以来、主要タイトルから遠ざかる鹿島」という記載があるにも関わらず同系列のニッカンに無いのは業務として手落ちがあるとしか考えられない。
少々朝日新聞社は勘違いをしているきらいがある。
思想を押しつけることはメディアとして危険視せざるを得ないのである。
我等が正しく考えるための情報としてメディアがあることを常に念頭に置いてもらわなければ困るのである。