鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

當間、凱旋帰国

2010年11月27日 | Weblog
2010年11月27日(土)

明日に迫った京都戦に向けて、最終調整を行いました。また、アジア競技大会に参加していた當間選手が今日からチームに合流しました。

アジア大会で金メダルを取った當間である。
出場時間こそ少なかったが、確実に経験を積んで還ってきた。
来季は戦力なるであろう。
當間の新化に期待である。

京都戦プレビュー

2010年11月27日 | Weblog
【J1:第33節 鹿島 vs 京都】プレビュー:2試合未勝利の鹿島は先発の入れ替えを断行。左サイドバックを宮崎智彦に託す(10.11.26)
リーグ戦もあと2試合。なんとしても3位を死守したいオリヴェイラ監督は、左サイドバックに宮崎智彦を起用する決断を下した。先発出場となれば、第20節のセレッソ大阪戦以来の2度目となる。前節、試合にフワッと入ってしまったことから磐田に2失点を喫した経験もあり、カンフル剤としての役割も期待されての起用となりそうだ。

「やっとですね」
試合前日、宮崎の表情も自然とほころぶ。
「最近勝ててないのでいい雰囲気がつくれればいいですね。前回は自然と守備から入っていた。鹿島のサイドバックは攻撃的にいかなければいけないので、得点に絡めればいいですね」
チームメイトも宮崎をバックアップ。左サイドバックと絡むことが多いボランチの中田浩二は「セレッソ戦は上から見てたけど良かった。そのままやってくれればいい」と話す。また、隣のポジションに位置するセンターバックの伊野波雅彦は「サイドチェンジが多くなる」と、攻撃に変化がつけられる効果に期待を示した。

「大学NO.1サイドバック」と言われ、大学の後輩で浦和レッズの左サイドバックとして活躍する宇賀神友弥でさえ尊敬のまなざしを送っていた宮崎。プロ入り2年目のシーズンも、なかなかチャンスを掴めずにここまで来てしまった。そのなかで巡ってきた出場機会を、重要な分岐点になるかもしれないことを認識しながら「余計なことは考えず、目の前の試合をがんばる」と、あくまで自然体で試合に臨もうとしていた。

ただ、勝ちたいのは対戦相手の京都も同じ。なにしろチームを率いるのは、かつて鹿島の勝負強さの象徴だった秋田豊だ。
「絶対、勝ちに来るだろうね」
ともにプレーした経験をもつ中田浩二は、警戒心を露わにする。
現在、京都はリーグ戦6連敗中。10試合勝利がない。厳しい立場におかれているが、対鹿島ということで、闘争心を燃やしてくることは十分に考えられる。対戦するのは選手ではあるが、監督の気持ちが選手に乗り移っていたとき、決して容易な相手ではないだろう。

そして宮崎にも、どうしても勝利を欲する理由がもう1つあった。出場した試合や、ベンチ入りした試合において、鹿島はいまだに未勝利なのだ。
「そうなんですよ(笑)。いい加減、勝ちを味わいたいですよね」
そうした意味でも、宮崎が出場して勝つことは、チームの雰囲気にプラス材料を与えられる。残り2試合から天皇杯に、良い形で繋げていきたいところだ。


以上

満を持して先発の宮崎である。
この京都戦に賭ける思いは宮崎にとってもオリヴェイラ監督とっても重要なものであろう。
左サイドを駆け上がり、勝利に貢献して欲しい。
鹿島のサイドバックたるものを見せつけるのだ。
楽しみである。

いまいち君、練習合流

2010年11月27日 | Weblog
[鹿島]八木選手、復帰
シーズンが始まってすぐに靱帯を痛めてしまい、ずっとリハビリに励んできた八木直生選手が今日から復帰した。
「部分合流ですけど、今日から復帰しました」
と明るい表情。
しかし、これまでボールを使った練習はほとんど無く、ひさびさのキーパーらしい練習だったこともあり「体はキツイです」と一言。とはいえ、その表情は嬉しさを隠しきれないものだった。

(鹿島担当 田中滋)2010年11月27日 09:06

いまいち君こと八木が練習に復帰とのこと。
これは朗報である。
今季、唯一の新人である八木の成長は我等の未来に必要な条件と言えよう。
Jリーグ最高身長の持ち主に期待である。

10年前のこの日

2010年11月27日 | Weblog
【10年前のきょう】鹿島アントラーズがV(11月27日=1面、運動面)
2010.11.27 02:56
 サッカーのJリーグ1部(J1)後期は26日、東京・国立競技場などで最終節が行われ、鹿島アントラーズが、初優勝を目指した柏レイソルの挑戦を退けて平成10年後期以来2年ぶり4度目のステージ優勝を飾った。最終節での直接対決となったのは平成5年にJリーグが発足して以来初めてで、国立競技場には5万人が詰めかけた。この年、鹿島は年間王者となった。

10年前のステージ優勝を報じる産経新聞である。
この試合は、徹底的に守る戦術を採り延長まで完封しきって優勝を勝ち得たのである。
メンバーは
GK 高桑 大二朗
DF 名良橋 晃
DF 秋田 豊
DF ファビアーノ
DF 相馬 直樹
MF 熊谷 浩二
MF 中田 浩二
MF 小笠原 満男
MF ビスマルク
FW 柳沢 敦
FW 鈴木 隆行

サブ
GK 曽ヶ端 準
DF 内田 潤
MF 本田 泰人
MF 本山 雅志
FW 長谷川 祥之
監督 トニーニョ・セレーゾ

当時のベストメンバーと言えよう。
ここで特筆すべきは、主審が岡田正義氏だったことである。
何もかも懐かしい。
この試合を思い出し、守るべき時には必ず守りきるメンタリティを再び得るのだ。
また、歴史を積み重ねたい。

高級ビューボックスシート設置へ

2010年11月27日 | Weblog
鹿島が来季計画 高級個室年間シート販売
 カシマスタジアムで「マイリビング」観戦が計画され進行中であることが分かった。来季からバックスタンド1階の座席最後列部を改装し、高級個室年間シートを設置、販売する。購入時にクラブが3、4パターンの内装を提案。備品を固定する条件を満たせば、畳敷き和室、掘りごたつ、高級ソファの洋室も。

 背景にはスポンサー、住生活グループの支援も期待される。鈴木秀樹取締役は「メーンスタンド側年間シートは毎年売り切れ状態。チケットは高い方から売れていくので、ニーズはあると判断した。2割の観客から8割の売り上げを得る、欧州の水準に近づけられれば」と話した。

 [2010年11月27日7時35分 紙面から]

鹿島スタジアムに新設!改装自由BOXシート
 鹿島が来季から“分譲型”のボックス席を発売する。06年から5年契約でカシマスタジアムの指定管理者となっている鹿島は、さらに21年まで10年間の契約を更新。長期の指定管理者となったことで、鹿島の井畑社長は「高い収益性のビューボックスを作りたい」とクラブ初となるボックス席の新設を明言した。

 バックスタンド側の最後列の11席×2列の座席を外して、仕切りで区切るこの「ビューボックス」は、購入者が自由にボックス内の内装をアレンジできることが最大の特長。消防法さえクリアすれば、畳を敷いて“居酒屋風”としても、ソファを置いてペアシートにしてもOKということになる。井畑社長は「ボックスシートは他のクラブでも販売しているが、エリアを自由に使えるのはJリーグ初の試み」と説明した。
[ 2010年11月27日 ]

本拠地に「マス席」!購入者が自由にアレンジ…鹿島
 鹿島が来季、ホーム主催試合で新タイプの観戦シート「ビューボックス」を販売することが26日、分かった。カシマスタジアムのバックスタンド1階最後方にある2列の座席を取り除き、相撲の升席のようにスペースとして売り出す。購入者はそのスペースを自由にアレンジできるというもの。1年契約となり、11席×2列分を購入する場合、300~400万円となる見込みという。

 スペースの両側には間仕切りを設営するため、スタジアムにいながらプライベート空間を作ることも可能。Jリーグ規定により、床に固定することが条件となるが、こたつやソファ、床は好みに応じて、畳敷きにすることも考えられる。観戦スペースの販売はあるが、購入者が手を加えられるのはJ初めてとなる。

 鹿島は、2020年度までスタジアムの指定管理者となっているため、スタジアムの改造を県に進言する権利を有する。ビューボックスも県の承認を得られ次第、販売を開始していく予定だ。鈴木秀樹取締役は「チケットは高い方から動く。ニーズはある」と話した。

(2010年11月27日06時01分 スポーツ報知)

先日、毎日新聞に報じられたビューボックスシートの続報である。
企業ニーズが主となろうが、個人で契約するのも悪くはない。
自分の空間を作り、試合を観るのは気持ちの良いものと言えよう。
こういったものを手に入れチームを我が物としたような気分になるのは憧れである。
聖地は更なる新化を遂げていく。
我等も新化していかねばなるまい。

山村くん帰国

2010年11月27日 | Weblog
山村ら流通経大トリオを50人が出迎え

<アジア大会日本代表帰国>花束を受け取る山村(左)と関塚監督
Photo By スポニチ


 【U―21日本代表帰国】主将を務めたMF山村、DF比嘉、GK増田の流通経大トリオは、空港で約50人の大学サッカー部員から出迎えを受けた。

 「久しぶりにみんなの顔を見てホッとした。少し恥ずかしかったけど、大勢で迎えてくれてうれしかった」。不動のボランチとして活躍した大会を振り返り「いい経験になった。自分にできること、できないことが分かった」と収穫を口にした。

[ 2010年11月27日 ]

帰国した山村くんである。
反日の嵐が吹いた広州の地で得た経験は掛け替えのないものとなったであろう。
この経験を次はJリーグで活かすのだ。
活かすべき意中のクラブは決まっておるのであろうか。
出来れば、霞ヶ浦の畔に佇むところへ居を移して欲しいところ。
そして臙脂のユニに袖を通すのだ。
とはいえ、彼には彼の事情もあろう。
こちらの要望だけを押し通すわけにも行かぬ。
我等はジッと待つのみである。