33歳平瀬引退 腰痛、右足痛…限界感じる
仙台の元日本代表FW平瀬智行(33)が今季限りで引退することが29日、分かった。今日30日に正式発表される。左手首骨折で出遅れた今季は11試合無得点にとどまり、腰痛や右足首痛も隠してのプレーに限界を感じていた。鹿児島実3年の時に高校選手権で優勝し、96年にFW柳沢(京都)らと鹿島入り。横浜、神戸、仙台を渡り歩いた。
99年、トルシエ監督率いるU-22(22歳以下)日本代表のエースとして、シドニー五輪予選で17得点。日本の予選史上最多で、全世界を通じた予選得点王にも輝いた。翌00年の本大会では、MF中田英や中村俊とともに68年メキシコ五輪以来32年ぶりの8強に進出。同年、鹿島で史上初のリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の3冠を達成し、A代表にも選ばれた。NHK紅白歌合戦への招待や、ハウス食品「バーモントカレー」のCMなどで人気者になった。
04年に移籍した神戸では股関節痛に悩まされ、07年に戦力外通告。引退して解説者に転身予定だったが、同じく元鹿島の仙台手倉森監督に引き留められた。仙台では神様ジーコの練習法など鹿島時代の経験を伝授。08年にチームのFW最多となる11得点(38試合)をマークし、09年に7季ぶりのJ1昇格に貢献した。
[2010年11月30日8時19分 紙面から]
元日本代表FW、仙台・平瀬が現役引退
2010.11.30 17:45
09年12月 天皇杯準々決勝で決勝ゴールを決め、サポーター席へガッツポーズの仙台・平瀬
J1仙台は30日、元日本代表FW平瀬智行(33)が今季限りで現役を引退すると発表した。
平瀬は鹿児島実高から鹿島入りし、神戸などを経て2008年から仙台でプレー。J1は通算180試合出場で32得点、J2では108試合出場で22得点。2000年シドニー五輪代表で、日本代表経験もある。
09年12月 天皇杯準々決勝で決勝ゴールを決め、ゴール裏を走り抜けてサポーター席へ向かう仙台・平瀬
“誇りと幸福の15年”元日本代表FW平瀬が現役引退
J1仙台は30日、元日本代表FW平瀬智行(33)が今季限りで現役を引退すると発表した。
平瀬は鹿児島実高から鹿島入りし、神戸などを経て2008年から仙台でプレー。J1は通算180試合出場で32得点、J2では108試合出場で22得点。2000年シドニー五輪代表で、日本代表経験もある。
平瀬はクラブを通じて「プロサッカー選手として15年という長い期間プレーできたことを誇りに思いますし、とても幸せを感じています」とコメントした。
[ 2010年11月30日 17:30 ]
元日本代表FW平瀬が引退…仙台
5月9日のホーム・名古屋戦でシュートを放つ仙台・平瀬(右)。今季限りでユニホームを脱ぐ
ベガルタ仙台の元日本代表FW平瀬智行(33)が今季限りで現役引退することが29日、明らかになった。近日中にクラブ側から発表される。
平瀬は08年にベガルタに加入。07年限りで神戸を戦力外となり、一時は引退も考えたが、旧知の仲である手倉森誠監督(43)からオファーを受けて快諾。杜(もり)の都では、ベテランならではのプレーでチームを引っ張り、入団1年目には8シーズンぶりの2けたゴールを記録した。翌09年にもリーグ戦40試合で8得点の活躍で、チームを7季ぶりのJ1昇格に導いた。
高卒で入団した鹿島では、期待の若手FWとして大ブレーク。99年には五輪代表に選出され、アジア予選で17得点を挙げて、シドニー五輪本戦の出場権獲得に大きく貢献した。
01年にはフル代表にも名を連ねたスター選手で、誰にも愛される性格の持ち主。ベガルタでは多くの若手に慕われ、精神的支柱としても重要な役割を果たしてきた。ただ、今季は体のキレが落ちていることを周囲に漏らすこともあり、引退を決意した模様だ。「ミスターベガルタ」MF千葉に続き、“巨星”がピッチを去る。
◆平瀬 智行(ひらせ・ともゆき)1977年5月23日、鹿児島県生まれ。33歳。鹿児島実高から96年に鹿島に入団し、00年にはJリーグ初の3冠獲得に貢献。02年途中に横浜Mに期限付き移籍。04年からは神戸に所属し、08年に仙台に加入した。J1通算180試合出場32得点。国際Aマッチ2試合出場無得点。184センチ、76キロ。家族は妻と1男、1女。
(2010年11月30日10時58分 スポーツ報知)
平瀬智行選手 現役引退のお知らせ
ベガルタ仙台の平瀬智行選手が、2010シーズン限りで現役を引退することとなりましたのでお知らせいたします。
◆平瀬智行選手プロフィール
【背番号】
14番
【ポジション】
FW
【生年月日】
1977年5月23日(33歳)
【身長体重】
184cm 79kg
【出身地】
東京都
【経歴】
鹿児島実業高校 - 鹿島アントラーズ - CFZド・リオ(ブラジル) - 鹿島アントラーズ-横浜F・マリノス-
鹿島アントラーズ - ヴィッセル神戸 - ベガルタ仙台(2008年加入)
シドニーオリンピック日本代表/日本代表
【出場記録】
年 所属チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1996 鹿島 J1 0 0 0 0 0 0
1997 鹿島 J1 1 0 0 0 0 0
1998 CFZド・リオ(ブラジル) ― ― ― ― ― ―
1999 鹿島 J1 22 5 2 0 2 0
2000 鹿島 J1 26 11 5 4 5 0
2001 鹿島 J1 23 0 3 1 3 2
2002 鹿島 J1 7 2 5 1 ― ―
横浜FM J1 19 2 ― ― 2 1
2003 鹿島 J1 28 7 4 1 4 0
2004 鹿島 J1 11 0 5 1 ― ―
神戸 J1 10 1 ― ― 1 0
2005 神戸 J1 19 4 3 0 1 0
2006 神戸 J2 30 3 ― ― 1 1
2007 神戸 J1 3 0 1 0 0 0
2008 仙台 J2 38 11 ─ ─ 0 0
2009 仙台 J2 40 8 ─ ─ 1 1
2010 仙台 J1 11 0 5 0 0 0
通算 J1 180 32 33 8 20 5
J2 108 22
【コメント】
プロサッカー選手として15年という長い期間プレーできたことを誇りに思いますし、とても幸せを感じています。
まだ今シーズンのリーグ戦は残っていますので、J1残留のため、チームの勝利のために、できることを精一杯頑張りたいと思います。
応援よろしくお願いします。
[掲載日:11月30日]
2000年の三冠FWである平瀬が引退とのこと。
これは寂しい。
とはいえ、選手はいずれ引退するもの、平瀬の決断を尊重したい。
平瀬と言えば、三冠時のスピードが印象深いが、何と言っても2001年のチャンピオン・シップ第1戦の同点ゴールであろう。
ホームのジュビロが先制し、ジュビロの悪質なファールに対して相変わらず偏ったジャッジの岡田主審が隆行に二枚目のイエローカードを提示し退場、そしてジュビロが追加点を挙げ敗色濃厚となった。
しかしながら、秋田のヘディングで1点差とし、平瀬がアウグストのセンタリングをGKがこぼしたところを左足でゴール。
観ておったものは、誰もが絶叫したものである。
この勢いで第2戦を制し日本一となったのである。
スター性を持つFWであったと言えよう。
我等に勝利をもたらせた、平瀬に改めて感謝の意を表したい。
現役を退いても実績十分な平瀬の未来は明るい。
お疲れさまでした。