鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

練習試合 朝鮮大学戦

2010年11月30日 | Weblog
2010年11月30日(火)

肌寒い天候の中、15時より行われた朝鮮大学との練習試合は佐々木選手の2ゴール、大迫選手、川島選手のゴールにより、4-0と勝利しました。

好調のサブ攻撃陣である。
特に川島はここに来て存在感を増しておる。
同期入団の宮崎がポジションを得ていることに発憤しておるのであろうか。
同じ左利き、同じ生年月日の宮崎と川島が切磋琢磨することによって、チームは確実に底上げされる。
我等も早くトップで活躍する川島を観たい。
川島のプレイに魅了されたいのだ。
期待しておる。

ガブさん残留へ

2010年11月30日 | Weblog
鹿島がオリベイラ監督へ来季続投オファー
 鹿島が29日、オズワルド・オリベイラ監督(59)に来季続投へ正式オファーを出した。今月に入ってから、鈴木満強化部長がオファーへ向け、下交渉を重ねていた。単年契約で、推定年俸1億円。続投へ意欲をみせる同監督とは、近日中に合意に至る見込みだ。オリベイラ監督は07年に鹿島の監督に就任。同年からJリーグ3連覇を達成。00年にコリンチャンスを率いて世界クラブ選手権で優勝した手腕を発揮した。今季はシーズン半ばでDF内田(現シャルケ)李正秀(現アルサド)ら主力が移籍し、最終節を待たずに4連覇の可能性が消滅した。
 [2010年11月30日8時21分 紙面から]

オリヴェイラ監督、契約延長にサインへ
 鹿島のオズワルド・オリヴェイラ監督(59)が正式に契約延長のオファーを受けた。今シーズンは4連覇こそ逃したものの、最終節を残して来季のACL出場権を獲得する2位と上位をキープしていることから、現状維持の年俸1億円(推定)の単年契約が提示された。

 同監督は既にクラブ幹部と下交渉を重ねており、近日中には正式にサインする見込みで、その後は来季の補強などについてクラブ側と話し合うことになる。また、今季から加入したMFフェリペ・ガブリエルも残留が決定的となり「(日本に)慣れた分、来年は自分らしいプレーをしたい」と意気込んだ。

[ 2010年11月30日 ]

オリヴェイラ監督とはほぼ合意に達する見込み。
これは重畳。
安定した結果を残し、Jリーグでの実績十分な監督が指揮を採ることにより、もう一つチームをランクアップさせたい。
来季はプラチナ世代が入団し、チームは再編成の時期となる。
ここで監督まで変えてしまっては、チームの行き先がブレる可能性が出てきてしまうところであった。
まずは、指揮官を固め、来季に備えたい。
そんな中で、ガブさんも残留とのこと。
この一年で日本に慣れ、激しい運動量でチームに躍動感を与えた。
来季は攻撃力を磨き、勝利に貢献して欲しい。
期待しておる。

相馬、川崎の監督へ

2010年11月30日 | Weblog
川崎の高畠監督が退任 後任は相馬氏濃厚
2010.11.30 23:04

 Jリーグ1部(J1)川崎は30日、高畠勉監督(42)が契約満了により、今季限りで退任すると発表した。関係者によると、後任は今季の日本フットボールリーグ(JFL)町田ゼルビアの指揮を執った川崎OBで元日本代表DF相馬直樹氏(39)が濃厚となっている。

 高畠監督は2008年シーズンに続き、今季からは再び監督に就任。しかし12月4日のリーグ最終節を前に6位にとどまり、3位以内のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)出場を逃していた。ナビスコ杯や天皇杯全日本選手権も敗退してタイトルは獲得できなかった。

 鹿島などで活躍した相馬氏は1998年ワールドカップ(W杯)フランス大会に出場し、日本代表は58試合で4得点。町田ゼルビアは今季JFLで3位だった。

川崎の監督に相馬直樹氏…高畠監督は退任、後任最有力に浮上

 J1川崎の高畠勉監督(42)が1年契約を満了し、今季限りで退任。次期候補にOBで、1998年フランスW杯メンバーのJFL町田・相馬直樹監督(39)が最有力候補に浮上したことが29日、分かった。Jリーグ関係者によると、27日の第33節・浦和戦(等々力)に1―1で引き分け、28日の他チームの結果により5位以下が確定、来季のACL出場権の可能性も消滅したことで、高畠監督と契約を更新しない方針を固めたという。

 来季の監督についてはJリーグの代理人関係者によると、相馬氏が最有力候補となった模様。相馬氏は今季、町田で初めて監督を務め、年間3位に押し上げた若き指揮官。実績だけでなく、サッカー理論の緻密(ちみつ)さと、常勝軍団の鹿島で培われた精神的な強さが評価されたという。

 町田の幹部は「何も話せない。ほかのクラブからの話については、そのクラブに聞いて下さい」とオファーに発展することを示唆。川崎は今季、初タイトル獲得を掲げたが、ACL1次リーグ、ナビスコ杯準決勝、天皇杯16強で敗退した。

 ◆相馬 直樹(そうま・なおき)1971年7月19日、静岡県生まれ。39歳。清水東高から早大を経て、94年に鹿島入団。04年に川崎へ移籍し、2年間プレーした後、現役を引退した。日本代表としては、98年フランスW杯に左サイドDFとして出場。国際Aマッチ58試合4得点を記録。10年、JFL・町田の監督に就任。175センチ、72キロ。血液型AB。

(2010年11月30日06時01分 スポーツ報知)

我等がレジェンド・相馬直樹が川崎の監督に就任するとのこと。
これは驚異である。
現役時代から知性派で名を馳せた相馬が攻撃力のある川崎を操れば、強大な勢力になりかねぬ。
とはいえ、相手がどうあれ、我等は我等のサッカーを貫くのみである。
ブレる事無く、前へ進みたい。

仙台・平瀬、引退

2010年11月30日 | Weblog
33歳平瀬引退 腰痛、右足痛…限界感じる
 仙台の元日本代表FW平瀬智行(33)が今季限りで引退することが29日、分かった。今日30日に正式発表される。左手首骨折で出遅れた今季は11試合無得点にとどまり、腰痛や右足首痛も隠してのプレーに限界を感じていた。鹿児島実3年の時に高校選手権で優勝し、96年にFW柳沢(京都)らと鹿島入り。横浜、神戸、仙台を渡り歩いた。

 99年、トルシエ監督率いるU-22(22歳以下)日本代表のエースとして、シドニー五輪予選で17得点。日本の予選史上最多で、全世界を通じた予選得点王にも輝いた。翌00年の本大会では、MF中田英や中村俊とともに68年メキシコ五輪以来32年ぶりの8強に進出。同年、鹿島で史上初のリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の3冠を達成し、A代表にも選ばれた。NHK紅白歌合戦への招待や、ハウス食品「バーモントカレー」のCMなどで人気者になった。

 04年に移籍した神戸では股関節痛に悩まされ、07年に戦力外通告。引退して解説者に転身予定だったが、同じく元鹿島の仙台手倉森監督に引き留められた。仙台では神様ジーコの練習法など鹿島時代の経験を伝授。08年にチームのFW最多となる11得点(38試合)をマークし、09年に7季ぶりのJ1昇格に貢献した。
 [2010年11月30日8時19分 紙面から]

元日本代表FW、仙台・平瀬が現役引退
2010.11.30 17:45


09年12月 天皇杯準々決勝で決勝ゴールを決め、サポーター席へガッツポーズの仙台・平瀬

 J1仙台は30日、元日本代表FW平瀬智行(33)が今季限りで現役を引退すると発表した。

 平瀬は鹿児島実高から鹿島入りし、神戸などを経て2008年から仙台でプレー。J1は通算180試合出場で32得点、J2では108試合出場で22得点。2000年シドニー五輪代表で、日本代表経験もある。


09年12月 天皇杯準々決勝で決勝ゴールを決め、ゴール裏を走り抜けてサポーター席へ向かう仙台・平瀬

“誇りと幸福の15年”元日本代表FW平瀬が現役引退
 J1仙台は30日、元日本代表FW平瀬智行(33)が今季限りで現役を引退すると発表した。

 平瀬は鹿児島実高から鹿島入りし、神戸などを経て2008年から仙台でプレー。J1は通算180試合出場で32得点、J2では108試合出場で22得点。2000年シドニー五輪代表で、日本代表経験もある。

 平瀬はクラブを通じて「プロサッカー選手として15年という長い期間プレーできたことを誇りに思いますし、とても幸せを感じています」とコメントした。
[ 2010年11月30日 17:30 ]

元日本代表FW平瀬が引退…仙台

5月9日のホーム・名古屋戦でシュートを放つ仙台・平瀬(右)。今季限りでユニホームを脱ぐ

 ベガルタ仙台の元日本代表FW平瀬智行(33)が今季限りで現役引退することが29日、明らかになった。近日中にクラブ側から発表される。

 平瀬は08年にベガルタに加入。07年限りで神戸を戦力外となり、一時は引退も考えたが、旧知の仲である手倉森誠監督(43)からオファーを受けて快諾。杜(もり)の都では、ベテランならではのプレーでチームを引っ張り、入団1年目には8シーズンぶりの2けたゴールを記録した。翌09年にもリーグ戦40試合で8得点の活躍で、チームを7季ぶりのJ1昇格に導いた。

 高卒で入団した鹿島では、期待の若手FWとして大ブレーク。99年には五輪代表に選出され、アジア予選で17得点を挙げて、シドニー五輪本戦の出場権獲得に大きく貢献した。

 01年にはフル代表にも名を連ねたスター選手で、誰にも愛される性格の持ち主。ベガルタでは多くの若手に慕われ、精神的支柱としても重要な役割を果たしてきた。ただ、今季は体のキレが落ちていることを周囲に漏らすこともあり、引退を決意した模様だ。「ミスターベガルタ」MF千葉に続き、“巨星”がピッチを去る。

 ◆平瀬 智行(ひらせ・ともゆき)1977年5月23日、鹿児島県生まれ。33歳。鹿児島実高から96年に鹿島に入団し、00年にはJリーグ初の3冠獲得に貢献。02年途中に横浜Mに期限付き移籍。04年からは神戸に所属し、08年に仙台に加入した。J1通算180試合出場32得点。国際Aマッチ2試合出場無得点。184センチ、76キロ。家族は妻と1男、1女。

(2010年11月30日10時58分 スポーツ報知)

平瀬智行選手 現役引退のお知らせ
ベガルタ仙台の平瀬智行選手が、2010シーズン限りで現役を引退することとなりましたのでお知らせいたします。


◆平瀬智行選手プロフィール

【背番号】
14番

【ポジション】
FW

【生年月日】
1977年5月23日(33歳)

【身長体重】
184cm 79kg

【出身地】
東京都

【経歴】
鹿児島実業高校 - 鹿島アントラーズ - CFZド・リオ(ブラジル) - 鹿島アントラーズ-横浜F・マリノス-
鹿島アントラーズ - ヴィッセル神戸 - ベガルタ仙台(2008年加入)

シドニーオリンピック日本代表/日本代表

【出場記録】
年 所属チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1996 鹿島 J1 0 0 0 0 0 0
1997 鹿島 J1 1 0 0 0 0 0
1998 CFZド・リオ(ブラジル) ― ― ― ― ― ―
1999 鹿島 J1 22 5 2 0 2 0
2000 鹿島 J1 26 11 5 4 5 0
2001 鹿島 J1 23 0 3 1 3 2
2002 鹿島 J1 7 2 5 1 ― ―
横浜FM J1 19 2 ― ― 2 1
2003 鹿島 J1 28 7 4 1 4 0
2004 鹿島 J1 11 0 5 1 ― ―
神戸 J1 10 1 ― ― 1 0
2005 神戸 J1 19 4 3 0 1 0
2006 神戸 J2 30 3 ― ― 1 1
2007 神戸 J1 3 0 1 0 0 0
2008 仙台 J2 38 11 ─ ─ 0 0
2009 仙台 J2 40 8 ─ ─ 1 1
2010 仙台 J1 11 0 5 0 0 0
通算 J1 180 32 33 8 20 5
J2 108 22

【コメント】

プロサッカー選手として15年という長い期間プレーできたことを誇りに思いますし、とても幸せを感じています。
まだ今シーズンのリーグ戦は残っていますので、J1残留のため、チームの勝利のために、できることを精一杯頑張りたいと思います。
応援よろしくお願いします。

[掲載日:11月30日]

2000年の三冠FWである平瀬が引退とのこと。
これは寂しい。
とはいえ、選手はいずれ引退するもの、平瀬の決断を尊重したい。
平瀬と言えば、三冠時のスピードが印象深いが、何と言っても2001年のチャンピオン・シップ第1戦の同点ゴールであろう。
ホームのジュビロが先制し、ジュビロの悪質なファールに対して相変わらず偏ったジャッジの岡田主審が隆行に二枚目のイエローカードを提示し退場、そしてジュビロが追加点を挙げ敗色濃厚となった。
しかしながら、秋田のヘディングで1点差とし、平瀬がアウグストのセンタリングをGKがこぼしたところを左足でゴール。
観ておったものは、誰もが絶叫したものである。
この勢いで第2戦を制し日本一となったのである。
スター性を持つFWであったと言えよう。
我等に勝利をもたらせた、平瀬に改めて感謝の意を表したい。
現役を退いても実績十分な平瀬の未来は明るい。
お疲れさまでした。