鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

ファン合同必勝祈願開催

2007年02月06日 | Weblog
史上初!鹿島がファン合同必勝祈願!…24日鹿島神宮で
 鹿島がサポーター呼び戻しへ、改革を断行することが5日、分かった。24日に鹿島神宮で行われる必勝祈願では、クラブ史上初めてサポーターとともに祈願することが決定。また、今年8月にはファン感謝デーを2年ぶりに復活させる予定だ。ホーム観客動員数で2006年は、05年から17・3%の大幅減。サポーター減少に歯止めをかけるべく、動き出す。

キャンプのため宮崎入りした鹿島・柳沢
 タイトル10冠を目指す鹿島が、サポーター呼び戻し作戦を実行する。第1弾は、24日に鹿島神宮で予定される必勝祈願だ。クラブ関係者は「そこでできるだけ多くのサポーターを集めて、選手とともに、リーグ制覇を祈願したい。サポーターとともに必勝祈願をやります」と、球団史上初の試みを明かした。
 例年の必勝祈願では、他クラブと同様、サポーターのスペースは確保されなかった。だが、今年は選手の直近に、サポーター用のスペースを確保し、選手とともに境内に向かって手を合わせる。今後は事業部が中心となって、クラブの公式ホームページ、新聞、広告などで広く参加を呼びかける方針だ。
 作戦の背景には、観客動員数の減少がある。01年に、ホームゲーム1試合当たりの平均動員数で、最高の2万2425人を記録したが、その後は減少傾向。06年は、前年比3208人減、17・3%減の1万5433人。ホームタウンの人口の少なさ、交通機関の利便性を考えれば、健闘しているが、ビッグクラブを目指す鹿島としては、許せない数字だ。
 第2弾には、8月に、05年以来2年ぶりとなる「ファン感謝イベント」の復活を予定。事前に、ファン感謝イベントが、年間スケジュールに組み込まれるのは鹿島では異例だ。かつてのサポーター王国を再建し、今季こそ10冠達成を現実のものにする。

 ◆宮崎キャンプ開始 合宿地・宮崎入りしたイレブンは、宮崎空港で盛大な歓迎セレモニーを受けた。オリヴェイラ監督は「温かい歓迎に感謝したい。すばらしい準備をして、優勝をつかみ取りたい」と謝辞。また、宮崎市から贈呈された特産のいちごについては「低カロリーなのを祈っている(笑い)。食べ過ぎて選手たちが太らないようにね」と話した。合宿は16日まで行われる。
(2007年2月6日06時08分 スポーツ報知)

「四流サポ」発言以来下降線を辿る観客動員、同時にタイトルからも見放されている。
紛れもない真実、それは、トップの意向は如実に表れるという事。
暗愚な主君を仰ぎたるは臣下の責にあらずと言いたげではあるが、臣は主君を選べず。
逆臣を違わず忠告するも手打ちにならざるを得ず、心ならずも果てた忠臣数知れず。
歴史が物語る。
日本書紀にある最大の逆臣蘇我入鹿は、近代の研究によりその立場が解明されつつある。
蘇我入鹿こそ、唐と百済・新羅と調整を計り、外交を成り立たせようとしていた。
そして有事には朝廷を守るべく南北の要害を親子で守る忠臣であった。
なにより白村江の戦いは蘇我入鹿死後に勃発しているのである。
歴史は書き換える事は可能である。
それは勝者に許された特権かも知れない。
そう、勝者ならざるは存在すら否定されるのである。
勝ち続けたい。
その思いを届かせる場が提供されと言う。
ラガーマン監督は手を打ってきた。
離れた心を取り戻す第一歩と考えたい。
しかしながら、まだ小さな一歩である。
民を奮い起こさせる手立てを更なる案を提示してこそのトップと言えよう。

髭アラビアに立つ

2007年02月06日 | Weblog
アル・ヒラルがトニーニョ・セレーゾ氏を新監督に任命
リヤド:元サウジリーグチャンピオンのアル・ヒラルがポルトガル人のホセ・ビセロ監督を解雇し、Jリーグ鹿島アントラーズ元監督のブラジル人、トニーニョ・セレーゾ氏を後任に指名。
ビセロ氏はこのAFCチャンピオンズリーグ出場チームを14試合中10勝で首位に導いていた。
「サウジのサッカーについてはよく知っているし、アル・ヒラルにできるだけ長くいられるよう計画している。」と鹿島アントラーズを2000年と2001年にJリーグ優勝に導いた52歳のセレーゾ氏は語った。
セレーゾ氏の初采配は7日に行われるアル・ヒラル対アル・エッティファクのサウジリーグの試合となる予定。

セレーゾ氏がアルヒラル監督就任
 元鹿島監督のトニーニョ・セレーゾ氏(51)が、サウジアラビアの強豪アルヒラルの監督に就任することが5日、分かった。アジア連盟公式サイトによれば、解任されたビゼロ監督の後任に決まり「サウジアラビアはよく知っている。できるだけ長く指揮を執りたい」と話したという。同氏は00年に鹿島監督に就任。1年目にJリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の年間3冠を達成し、05年に退任した。
[ 2007年02月06日付 紙面記事 ]

セレーゾ氏がアルヒラル監督就任

 元鹿島監督のトニーニョ・セレーゾ氏(52)が、サウジアラビア1部アルヒラルの監督に就任することが5日、分かった。アジアサッカー連盟の公式HPが、ホセ・ビセロ監督の後任に決定したと伝えた。今年のACL(アジア・チャンピオンズリーグ)に出場するため、決勝トーナメントで浦和、川崎と対戦する可能性がある。セレーゾ監督は2000年から05年まで鹿島を指揮した後、06年3月からはブラジル・グアラニの監督に就任したが、フロントと衝突し、わずか1か月で辞任していた。
(2007年2月6日06時07分 スポーツ報知)

世界最大数の王族を持つ国サウジアラビア、この地に髭が向かう事となろうとはおよそ半年前には思いもよらなかった。
昨年五月にはサンフレッチェ広島就任が確実視されていたがご破算になっている。
昨季の終盤を見るに活躍した選手は中後・田代・篤人となり、結果的にアウトゥオリ前監督の育成手腕が脚光を浴びる事となった。
トニーニョ・セレーゾ元監督の元で花開いた小笠原・鈴木隆行・ユダは過去となりつつあり、寵愛した新井場はタイトルに触れられずにいる。
一新された感これ有り。
が、それも傍目でしかない。
ただの巡り合わせである。
今季のオズワルド オリヴェイラ監督は若手の起用を示唆しているが、ベテランを切るわけではない。
融合してチームの底上げを行うだけであろう。
アウトゥオリ前監督も同様。
契約した一プレイヤーとして同列に扱っていただけの事。
ちょうど一年前篤人の起用がニュースとなっておったが、その影には名良橋の怪我があった事を忘れてはならぬ。
同様にメンバー固定で戦った印象あるトニーニョ・セレーゾであるが、実際は若手の抜擢も思い切った采配も揮っていたことは紛れもない事実である。
名波(当時ジュビロ)曰く「誰が出ても鹿島が鹿島」と言わせしめたのは彼の功績に他ならぬ。
200年の守備的な采配と最終節の120分守ったリーグ優勝がイメージを作っているとは思うが、2003年以降は極めて攻撃的であった事は事実である。
(ただFWが…)
恩を返すために来季我等ははACLに出場し、倒さねばならぬであろう。
待っておれよ。
福島と玄広恵探が籠城に武田信虎は救援に来ずとも良い。
いつか恨みを晴らす日も来ようぞ。

岩政学び芸と成す

2007年02月06日 | Weblog
鹿島DF岩政がポルトガル語を勉強
 鹿島DF岩政大樹(25)が、外国人選手とコミュニケーションを図るため、ポルトガル語の勉強を開始した。今季からFWマルキーニョスとMFダニーロ、DFファボンのブラジル人3選手が加入。中でもファボンとはポジションが近く、プレー中の会話を円滑にするためにポルトガル語の習得が不可欠となった。
 成田空港で辞書を購入し、5日からの宮崎合宿にも持参。「まず彼らの会話を聞いて、意味の分からない単語があったら辞書で調べる。最近は趣味になってますよ」と意欲的だった。
[2007年2月5日20時32分]

鹿島・岩政、通訳になる!新外国人と会話し、結束力強化へ
 鹿島のDF岩政が“ピッチ上の通訳”に名乗りを上げた。「新外国人選手の手助けをしたいし、自分の考えも伝えたい」。DFファボンら新外国人選手と会話するため、チームの通訳にポルトガル語の特別授業を依頼。今年に入って成田空港まで出向きポルトガル語の辞書も購入した。4年目の25歳、中堅選手として自覚も出てきた。チームはこの日、合宿を行う宮崎へ出発。「合宿のテーマはコミュニケーションです」と結束力の強化を目標に掲げた。
(鹿嶋市)

アントラーズの選手はポルトガル語必須と考えておったのだが、とんだ見識違いでござった。
されど前向きで勤勉な岩政にはそれなりに評価を与えよう。
立ち止まっていては何も起こらぬ、何も変わらぬ。
彼の努力で、ディフェンスの連携が向上する事は喜ばしい。
それ以上に、自らが歩み寄るという姿勢は多くの者に影響を与えようぞ。
だが、勉強で終えてはならぬぞ。
努力が実ってこそ努力の意味が報われるときなのだ。
サッカーとて同様。
練習のための練習を行っては実を結ばぬ。
試合にどう活かされるか常に考えるであるぞ。
梅岳承芳曰く
「せっかく捉えた虎を野に放つ必要はございませぬ」
状況を上手に使う事こそ寛容。
歴史は常に動いておるのじゃ。