無知の知

ほたるぶくろの日記

武漢の重症者の治療が第一!

2020-02-11 22:04:33 | 生命科学
他所の国の方針に口出しするのもどうか、とは思うのですが、ともかくいくら何でも1000人以上の方が亡くなっている、とは驚くべき事です。死亡率も突出していて4.06%。武漢のある湖北省以外では死亡者が殆ど出ていないのに、です。

健康な方が感染したとしてもそう大事にはいたらない事がわかってきているのですから、国の総力を挙げて武漢の重症者の救出をするのが第一ミッションだと思うのですが。

日本だったらどうですか?ある地方都市で死亡率が高かった場合、他の地方から医療関係者が集結して何とかしようとするでしょう。医療関係者が、というよりも政府が。

どの程度情報が正しいのかどうかは分かりませんが、死亡率が語っているのは、
ウイルス感染して重症になると、どこかに連れ去られて、放っておかれる=重症者を隔離している。
という状況です。
信じられない思いです。今や中国も経済的にはかなりの力があるはず。総力を挙げて武漢の重症者を救うべきでしょう。

本当にとても恐ろしい国だ、と改めて思います。
申し訳ない事ですが、とても遊びにさえも行きたくないですね。

新型肺炎について

2020-02-09 16:33:45 | 生命科学
大分いろいろな情報が出てきていますが、重要だな、と思われる情報がありました。
↓ は朝日新聞から。
『年末すでに患者が殺到…武漢、会議が大事で初動に遅れ?』
冨名腰隆、平井良和=北京、山根久美子 2020年2月9日 11時00分

これによると既に昨年末には、武漢の病院は肺炎の患者さんで一杯だった、ということです。武漢での初動が遅れた、という事のようですね。とすると、正月前に武漢から世界中へ散った感染者がいたはずです。しかし、その方達がそれ以上酷い症状を起こした、という話しはありませんでした。

また、武漢以外で肺炎を発症した方の症状はそれほど重症ではない。武漢での患者数と死亡者数が多い事が不思議です。何か付加的な要因があるはず。ウイルス自体はほぼ同じですので、
1)他の微生物
2)大気汚染などの環境要因
など、なんらかの武漢特異的な要因があるはずです。

武漢の医療機関の写真を見るに、病原性がそれほど高くないので、写真で見かけるような厳重な防護服は必要ないのでは?と思います。もっと動きやすい体制で機動的に医療ができるようにすることが重要なのかな、とおもいますが、まあ、そこは中国の判断する事ですから。

都内はなんとなくヒトが少ない感じがします。皆さん報道を良く見ていらっしゃるようで、マスクの方はそれほど多くないです。ただし、先週木曜日ころから花粉が飛んでいますので、マスク姿はこれから増えるかと。。。
私も目薬を使い始めました。


氏神様の白梅が満開です。いい香りが漂って、もうすっかり春です。

花粉症への対処は素早さが命!「ぴりっ!」と来たらすぐに目薬!が私のモットーです。症状を出してしまいますと、その時の生理活性物質がさらにアレルギー症状を重くする、という正の(負か?)スパイラルに入ってしまいます。
朝、予防的に早めに「抗ヒスタミン剤」「クロモグリク酸」の入った目薬を使います。そうすることで、夕方まで結局追加の点眼をする必要なく過ごせたりします。使い過ぎないためにも、早めの使用が大事。

そのためにも感覚を磨いておくといいかと。アレルギーがある場合、目や鼻の粘膜に「ちくっ!」とするような刺激があるはずです。
それが合図。

さて、新型肺炎の注意としては、人混みに入ったら、手洗い。を徹底しています。まあ、できれば石けん使用かもしれませんが、私は手が荒れると別の症状が出るので使いません。顔もしゃばしゃばしたりします。

いろいろ言いふらす方もいますが、現状、私はこれで十分だと思っています。
PCR検査も一気に100検体は行けるかな、と思いますが、どのくらいの体制でできているのか、、、。また、検査機関の特定の人員に変な負担が集中することのないよう、統括の方は目配りをして頂きたいものです。こういうときにはブラックになりがちですので。

クルーズ船にも医官が5人ほど入って診療、相談にのっているとのこと、是非丁寧な対応をお願いしたいですね。
感染症のパンデミックは現代社会の大きな課題です。

プチ発熱 今ですかぁ?

2020-02-08 11:24:41 | 日記
今週は出張から週が明けました。


中央アルプスですが、雪がない!ないんです!本当に真冬ですか?という景色。

仕事は順調に進み、午後終了。
で、帰りの新幹線に乗り込み、ほっとしました。
そこまでは何ともなく、割合元気にすごしていたのです。

ところが、丁度帰路の中間地点で、急に左手首関節痛や
背中右から首付け根痛が出始めた。
しかも、熱っぽい。
上気道には異常はない。
でも、怠い。すごく怠い。
何とも気分が悪く、これは発熱のサイン。

今流行のインフルエンザは95%あの豚インフルエンザで、私は抗体を持っている。
B型? 全く思い当たるフシはないが、例のヤツ?
などなど、ぼんやりした頭の中でぐるぐる考えがたゆたって。。。。。

ともかく自宅に帰り着き、家族には具合の悪い事を告げ、
軽く食べられるものを食べて、マスクをして早々に就寝。
熱を測ると、37℃。平熱が35℃程度なので、私としてはかなり高い。
脈拍も早いので、発熱は確かかと。
いよいよ、、、という気分になった。

さて、次の日の朝。
ま、割合元気。熱はなく、怠さもなし。ただ、関節痛はやや残っている。
特に背中痛。
ともかく、夕方までは気を抜けない。また熱が上がる可能性がある。
という判断で、職場へ連絡。
「昨日発熱があって、今朝は下がったが、今時はいろいろな可能性が考えられるので、今日は一日様子を見たい。」と伝えました。

それでも上気道、呼吸器には異変がないのは希望の星。
でも用心して、何もせず、ぼんやり録画した番組を消化したり。。

夕刻になって、さて、どうか?と構えていたが、何も起きず。
熱も上がって来ないし、関節痛も酷くならず。その他の症状もなし。

ようやくこの辺りで、
「では、どういう発熱だったの?」
という方向へ思考を転換。

結論は「過労による発熱」。

これはこれで結構ショック。
そういう方向で考えますと、実はこの背中痛と悪感は前の週の木曜日にもあったのです。
夕方以降、ある会合に出ていたのですが、面白く拝聴していたら急に具合が悪くなったのでした。それでもその会合の後のレセプションまで出て、帰ってきました。
あの時の悪感がサインだったのでしょう。

その後の週末も何となく怠かったのですが、家族の我がままにムカつきつつ、
あれこれやったのが間違い。
あそこでちゃんと身体を休めるべきだった。

と、いうところまで考えが進み、納得。
次の日からまた仕事に戻りました。
で、また木曜日は別の会食があり、夜遅く帰宅。
どうかな〜と心配しましたが、無事今週の仕事をこなす事ができました。

過労のしきい値が大分下がってきていることを「改めて実感」しました。
最近の自分の活動を考えて、以前だったら全然過労の範疇じゃない。
まあ、正直いって本当にショックでした。

そういう歳に突入した、と考えるべきか、体力向上のために何かしなくちゃ、
と考えるべきなのか、迷うところではあります。

でも急な発熱はほんとに勘弁して欲しい。
もう、時期が悪過ぎです。ほんと、「今ですかぁ?」って思いました。

「出雲と大和」に行ってきました

2020-02-03 07:19:02 | 日記
先日、平日に時間がとれたので、東博で開催中の特別展「出雲と大和」へ行ってきました。

平日だからか人が少なく、公園内も博物館も適当な人出でした。例の肺炎の影響もあったかもしれません。何となく懐かしい雰囲気でした。この所いつも2時間待ち位の超混雑でしたから。久しぶりにのんびり観覧できそうでほっとしました。

日本書紀成立1300年記念だそうです。出雲政権と大和政権の関係についてはまだ分かっていないことが多いのですが、ここ最近、発掘されたものもいろいろあるはずですし、その成果も期待して出かけました。


東京国立博物館平成館の天井。なかなか美しい。

全体で4章構成になっていて、
第1章 巨大本殿 出雲大社
第2章 出雲 古代祭祀の源流
第3章 大和 王権誕生の地
第4章 仏と政(まつりごと)

最初に出雲大社で2000年に発掘された巨大柱(宇豆柱と心御柱)が来ていました。
迫力満点。この柱であれば40メートルの神殿もさにあらむ、と思えます。ただし、確定しているわけではないらしい。まだ議論は続いているそうな。いろいろ事情があるようです。上代は100メートル近かった、とも言われているそうですが、どうなのでしょう。

そしてそのすぐ左側には、京大の研究室で制作された、古代出雲大社の縮尺一〇分の一の想像模型がありました。これもなかなかの迫力。簡素な本殿が、地上40メートルにあり、そこへ延々と100メートルほどの階段通路が延びている様を模したものだそうです。通路には人形が置かれていました。

ただ、、、階段を登る宮司や巫女さんの人形が、一〇分の一縮尺になってない。せいぜい10センチ程度でしたか。大分小さい。お宮の巨大さを強調するあまり、だったかもしれませんが、それではちょっと残念。16センチ位の人形にするべきかと。一〇分の一縮尺と聞いてすぐに違和感を覚えました。

ともかく今よりも相当に巨大なものであった可能性はよくわかりました。

しかし、この巨大な神殿を建立する文化は何処から来たのか?どういう流れの文化なんでしょう。そしてその後はどうなったのでしょう?これだけ立派なのにも関わらず、その真相が明らかでない。いろいろな記録もあったでしょうに。残っているのは神話だけです。それはいろいろあっての結果、編まれたお話。その経過が重要なんですがね。

今だに隠されているか、隠滅されてしまったか。現、天皇家が天皇になるところの神話でもあり、現在の日本の成り立ちとは、やはり方々に影響の大きいものなのかもしれません。神話的な、、、実に神話的な問題です。

第2章では最近の発掘調査の成果である銅剣や銅矛、銅鐸、銅鏡などの紹介があり、日本書紀や中国の書籍の記述に合致する点がいろいろあることが示されていました。
ただ、この成果を楽しみにしてきた私には、一寸物足りない展示に感じられました。

例えば、「銅鐸の下部の縁にものが当たった痕跡があって、使用されていたものであることがわかった。」という部分も、アナウンスの説明だけでなく、その部分(ものが当たった痕跡)を見せて欲しかっですね。どういうへこみ方をしているのか、棒なのか玉のようなものなのか?どのくらいはっきりとへこんでいるのか。

見たいですよ、見たい。
へ こみ方を見れば何となくそれの使われていた様が想像出来ます。そんなことも観覧する際の楽しみの一つなのですが。あまりにもものがゴロゴロあるだけ。並べ 方の工夫はされていました。そして出土状況の模型もありました。しかし、これはあまり必要なかったのでは?出土状況は大判の写真パネルで十分です。

どちらかといいますと、出土場所の周辺地理のほうが気になります。なぜ、ここだったのか。どうしてこんなにきちんと仕舞うような形で埋められていたのか?果たして埋めたのか?埋まったのか?

銅剣もそうですね。あれだけの銅剣を単に「埋めた」のでしょうか?お祭りしたのでしょうか?そうだとすると埋められていた場所、というのは特別な場所だったのでしょうか?

さて、第3章以降は「大和」の展示。
私は七支刀を初めて拝見しました。以前から興味深く思っていました。もう少し碑文について研究がすすんでいるのか、と期待していましたが、残念です。今の技術があればすぐにでも確定できるのでは、と思いますが。。。

そのほかホケノ山古墳、メスリ山古墳からの出土品など3〜5世紀前半の展示物があり、大和政権成立直前の様子を見せていました。

が、いかんせん、「もの」の羅列の感じは否めず。一つ一つのものに関する掘り下げがなく、かつものの間のつながりもない。大和の一体何を見せたいのか、今ひとつ良く分からず。。。

そして第4章ではいきなり仏教が出てくる。
その前が重要ですよね。
出雲に祀られていた神に対する、大和の神。それはなあに?
そしてその後の出雲と大和の関係性はどうなっているのか?

いろいろと政治的、宗教的な団体の主張もあって面倒とは思いますが、それらを射抜く学術的論説が確立される事を強く願っています。

若干、残念な気持ちで博物館を出ました。

久しぶりの地震警報

2020-02-01 20:13:12 | 日記
昨夜は久しぶりに地震警報で叩き起こされました。

2時過ぎでした。
東京の揺れはゆっくりした横揺れでした。ああ、震源は遠いな〜と思いました。

深かったのですね。70kmとありました。

阪神淡路大震災以来、大きな地震が一定の期間をおいてやってきています。日本は4つのプレートの境界にできた列島です。その地質学的特性を考えると原発はやはり危険極まりない。

今やっと解体に向けてゆっくりと作業が進んでいる「もんじゅ」ですが、本当にどうかしているんじゃないか、という施設でした。やっと廃炉が決定して、早く全てが無くなることを切に願っています。

全然話題は変わって、近くの道路脇の植木の様子。
ある日突然こんな感じに切り詰められていました。

見通しを良くするため?とはいえ大胆。。。
夏にはこんもりするんでしょうか。。。
心配。