無知の知

ほたるぶくろの日記

「出雲と大和」に行ってきました

2020-02-03 07:19:02 | 日記
先日、平日に時間がとれたので、東博で開催中の特別展「出雲と大和」へ行ってきました。

平日だからか人が少なく、公園内も博物館も適当な人出でした。例の肺炎の影響もあったかもしれません。何となく懐かしい雰囲気でした。この所いつも2時間待ち位の超混雑でしたから。久しぶりにのんびり観覧できそうでほっとしました。

日本書紀成立1300年記念だそうです。出雲政権と大和政権の関係についてはまだ分かっていないことが多いのですが、ここ最近、発掘されたものもいろいろあるはずですし、その成果も期待して出かけました。


東京国立博物館平成館の天井。なかなか美しい。

全体で4章構成になっていて、
第1章 巨大本殿 出雲大社
第2章 出雲 古代祭祀の源流
第3章 大和 王権誕生の地
第4章 仏と政(まつりごと)

最初に出雲大社で2000年に発掘された巨大柱(宇豆柱と心御柱)が来ていました。
迫力満点。この柱であれば40メートルの神殿もさにあらむ、と思えます。ただし、確定しているわけではないらしい。まだ議論は続いているそうな。いろいろ事情があるようです。上代は100メートル近かった、とも言われているそうですが、どうなのでしょう。

そしてそのすぐ左側には、京大の研究室で制作された、古代出雲大社の縮尺一〇分の一の想像模型がありました。これもなかなかの迫力。簡素な本殿が、地上40メートルにあり、そこへ延々と100メートルほどの階段通路が延びている様を模したものだそうです。通路には人形が置かれていました。

ただ、、、階段を登る宮司や巫女さんの人形が、一〇分の一縮尺になってない。せいぜい10センチ程度でしたか。大分小さい。お宮の巨大さを強調するあまり、だったかもしれませんが、それではちょっと残念。16センチ位の人形にするべきかと。一〇分の一縮尺と聞いてすぐに違和感を覚えました。

ともかく今よりも相当に巨大なものであった可能性はよくわかりました。

しかし、この巨大な神殿を建立する文化は何処から来たのか?どういう流れの文化なんでしょう。そしてその後はどうなったのでしょう?これだけ立派なのにも関わらず、その真相が明らかでない。いろいろな記録もあったでしょうに。残っているのは神話だけです。それはいろいろあっての結果、編まれたお話。その経過が重要なんですがね。

今だに隠されているか、隠滅されてしまったか。現、天皇家が天皇になるところの神話でもあり、現在の日本の成り立ちとは、やはり方々に影響の大きいものなのかもしれません。神話的な、、、実に神話的な問題です。

第2章では最近の発掘調査の成果である銅剣や銅矛、銅鐸、銅鏡などの紹介があり、日本書紀や中国の書籍の記述に合致する点がいろいろあることが示されていました。
ただ、この成果を楽しみにしてきた私には、一寸物足りない展示に感じられました。

例えば、「銅鐸の下部の縁にものが当たった痕跡があって、使用されていたものであることがわかった。」という部分も、アナウンスの説明だけでなく、その部分(ものが当たった痕跡)を見せて欲しかっですね。どういうへこみ方をしているのか、棒なのか玉のようなものなのか?どのくらいはっきりとへこんでいるのか。

見たいですよ、見たい。
へ こみ方を見れば何となくそれの使われていた様が想像出来ます。そんなことも観覧する際の楽しみの一つなのですが。あまりにもものがゴロゴロあるだけ。並べ 方の工夫はされていました。そして出土状況の模型もありました。しかし、これはあまり必要なかったのでは?出土状況は大判の写真パネルで十分です。

どちらかといいますと、出土場所の周辺地理のほうが気になります。なぜ、ここだったのか。どうしてこんなにきちんと仕舞うような形で埋められていたのか?果たして埋めたのか?埋まったのか?

銅剣もそうですね。あれだけの銅剣を単に「埋めた」のでしょうか?お祭りしたのでしょうか?そうだとすると埋められていた場所、というのは特別な場所だったのでしょうか?

さて、第3章以降は「大和」の展示。
私は七支刀を初めて拝見しました。以前から興味深く思っていました。もう少し碑文について研究がすすんでいるのか、と期待していましたが、残念です。今の技術があればすぐにでも確定できるのでは、と思いますが。。。

そのほかホケノ山古墳、メスリ山古墳からの出土品など3〜5世紀前半の展示物があり、大和政権成立直前の様子を見せていました。

が、いかんせん、「もの」の羅列の感じは否めず。一つ一つのものに関する掘り下げがなく、かつものの間のつながりもない。大和の一体何を見せたいのか、今ひとつ良く分からず。。。

そして第4章ではいきなり仏教が出てくる。
その前が重要ですよね。
出雲に祀られていた神に対する、大和の神。それはなあに?
そしてその後の出雲と大和の関係性はどうなっているのか?

いろいろと政治的、宗教的な団体の主張もあって面倒とは思いますが、それらを射抜く学術的論説が確立される事を強く願っています。

若干、残念な気持ちで博物館を出ました。