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美しい国である必要はないのでは

「美しい国」をよく聞く。日本はそこで生まれ育った人にとってはいい国であろうがそんなにいい国かなぁと思う。マナーも決して良くないし、犯罪も多い。そういった問題へのスローガンが美しい国っていうのはおかしいと思う。

美しい国との対比は美しくない国だ。どこかを想定しているのかは良く判らないが、どこかと比べたら美しい国だというのがぷんぷんしている。そう、ナショナリズムを誘導していると感じられるのだ。ナショナリズムは差別的な発想だ。日本は「美しい」よそは「美しくない」ことになるからだ。

歴史認識にしても正しいかどうか、事実であるかないかを争ったところでなんのメリットもない。国益のために論争を仕掛けるなら別であるが。というより国益をかけて論争を挑まれてるんだろうけど。

それに対する答えが「ナショナリズム」ではどうにもまずいのではないか。「日本人はすばらしい」などと馬鹿な事は言わない方がいい。

というより日本は美しいどころか馬鹿だ。一例を挙げるなら自由貿易を推進しないから。自由貿易を推進すれば皆が幸せになれる。貿易立国が自由貿易を妨げるなんて頭悪すぎ。「美しい水田」を守るため?美しい日本のため?農業の規制緩和を行い、競争力をつけて、自由貿易を推進するのが貿易立国ではないのか。食料自給率?農業は規制産業であるから何時まで経っても良くならない。食料自給率は競争力を磨いた結果で論じたらどうか。だいたい日本農業への安全性の期待はそんな安っぽいもんなのであろうか。

差別を助長して、既存のシステムを保護し、馬鹿である(かもしれない固有の)システムを賛美する「美しい日本」はやめた方がいい。

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