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全知全能主義は来ないのか

標題の件、全知主義とは民主主義の対案としての存在で、全知全能の為政者がシステムを構築した方が効率的に成るであろうと言う妄想モードです。

民主主義がダメなのは明らかだ。私のように得意ジャンルが狭く、新聞やWebのネタを真に受け、あれこれ論ずるような奴は邪魔だ。馬鹿に懇切丁寧に教えるのは高コストだし、はたして本当に理解できるかと言うと全く自信が無い。その馬鹿が集団を拵え、耳障りのいい言説に唱えれば、カルト教団のように手におえなくなる。本人が正義感を持っているともうあっちの方向に行っているわけで。そもそも正義漢とは現実との調整が不可と言う存在なのだ。あっ、いえ、特定の誰かを指しているわけではありませn。あくまでも私がボンクラだと自覚しているのでこの段落の主語は「私」です。

そうなると北朝鮮のように、全能の独裁者がコントロールする世界の方が効率的だと言うものだ(北朝鮮の指導者が全能で無い事は明らかなのが泣ける)。もちろん指導者に私利私欲が無い事は当然のごとく求められる、北朝鮮の指導者もこれと無縁ではないであろう。

ある意味レーニン主義は全知全能の指導者であれば、社会主義が抱える矛盾(例えば生産性を上げるインセンティブが無いこと)を改革できたであろう。ところがソ連ス氏や中国モ氏などは人間臭かったようだ。人間臭いと言うのは批判では無い、私がそのポジションに居ても粛清されないように権力の構図に敏感であったであろう、そして権力を握れるなら握る活動を行ったであろう、当然国家は二の次だ。

ここで矛盾が生じる。人間とは旧ソ連のス氏や中国のモ氏のように全知全能はおろか、どちらかというと権力闘争に明け暮れる存在らしい。人間が指導者であれば全知全能主義は来ないということか。まぁそうなのだろう。

うーん、難しい。民主主義と言うのは非常に困ったシステムだ。自分が少数意見だと知らない正直者が、例えば少数派である平和主義者が「みんな分かって無い、我々の意見が正しいのに」と周りを嘆くし、日本民族主義者が「我々の意見は主流派だよね」と勘違いし、これまた根拠無く「日本は美しい」とか言うし。何故主義主張が濃い団体の意見が一般に受け入れられないのか自覚が無いように見える。というか彼らは全知全能の観点から「お前らなー、分かって無いよ」と述べているように見える。

全知全能の立場から述べているので理由は存在しないのだ。これまでのエントリーではそのような存在を理想主義とか観念主義と定義してきた。

そう考えるとやはり民主主義と言うのは非常に高コストだけど受け入れざるを得ないのであろう。選挙の日程とか、そのための党首選挙とか、非常に面倒くさい。

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