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メシマズの地雷を踏まなかった件

結婚して何年も経つが嫁の飯が普通に美味いことに感謝。嫁は家事が上手い。料理・洗濯・掃除、そつなくこなす。感謝。家事はお互の可処分時間を鑑みてると思っているのだが、時間拘束のきつくない嫁に家事が集中するのはある程度仕方なく思う→だからと言って甘えるわけには行かないとも思うのだが。

当時結婚するに当たって味(料理)については期待していなかった。味覚指向は「辛い」が大好き、エスニック好き、パスタ好き。さらに肉は嫌いで偏食傾向あり。これでまともな味覚を期待する方がおかしいというものだ。

嫁は辛い物を「食べられる」と表現する。私にとっては辛いというのは味の印象であって美味しいかどうかとは別次元と思っていた。私が嫁に「辛い」というと、嫁は辛くて食べられないと思うらしい。また「辛い物を食べられる」のは違う能力に秀でたという感じがするらしい、辛い物好きは偉いのだ。別に辛いから上手い(不味い)わけでもなく、辛くても美味い物もあれば不味い物もある。それがちょっと地雷。

嫁は偏食だ。肉は好んで食わないし、いろいろ食わない物がある。さらに味見をしない。何故だ?私が食べる前に味見をしてOKを出すのだ。嫁の偏食は是正されつつあり、肉も「美味しい肉は食べる」ようになった。私も不味い飯は食べないのでその程度は容認、というか非難していない。私だって生臭い刺身は食べたくないし、灰汁の強い野菜は嫌いだ。その延長線上で「脂臭い肉は嫌い」というのは納得できると言うもの。しかし、「辛いのが好き」「偏食」「創作料理好き」というのはちょっとと思わないでもない。

嫁のメシがまずい」を読んでいて、地雷を踏みそうになったのかと愕然としたのだ。「辛いのが好き」「偏食」「創作料理好き」はまんま当てはまるではないか、おまけに1人飯のときは一皿料理らしく、納豆やら、残り野菜やら何でも投入するらしい。救いなのはマズメシを食べさせるのは罪悪らしく私の意見を尊重してくれたことだ。

私が不幸せでなかったのは嫁が「不味い物は食わせられない」ということを貫いてもらったという点に尽きる。私もそうだが1人飯に労力はつぎ込めない。相手のことを重んじれば手抜きはできないのだ。もちろん、マズメシの手抜きではなく、レシピ通りの普通の物を食すということ。

おかげで私の拙い趣味料理は失敗しても笑い話になる。ああ、嫁に感謝。

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