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公害を糾弾するのは社会派らしい

標題に偽りありなのだが適当な標題が思いつかないのでこのまま書き進める。

環境問題がイメージ先行であるという認識がある、例えば化学物質否定派などの存在からだ。例えば石鹸は自然に優しくて合成洗剤は自然に優しくないというステレオタイプの論説がある、全くの間違いであるのだが<両方を扱う団体石鹸洗剤工業会参照>、洗剤の開発の歴史を見るとそう一概に非難できない状況らしい。歴史的に見て社会派環境保護団体が築いた功績は大きい、明治から昭和まで工業優先で有毒な廃棄物を河川に垂れ流し、それを告発した経緯があるからだ。古くは田中正造など日本を正しい道に導いた功績は大きい。その後、戦後工業が発展していく中で公害を告発してきたのは社会派(ここでは科学知識を軽視したという意味で扱う)の存在が大きいであろう。ところがレイチェル・カーソン、彼女を信奉する一派が捻じ曲げた。

現在の化学物質否定派はレイチェル・カーソンの「沈黙の春」や琵琶湖の富栄養問題で活躍した知識から一歩も進んでいないように見える。科学界はカーソンの疑問に答えようとした。科学者が工業で使用している物質の毒性は無いことを証明すれば、彼らは極低濃度でホルモン様に作用する「環境ホルモン」を発明した(魚類ではその影響があることは証明されている)。その一方でエストロゲン(女性ホルモン)様の石榴が健康のためにというギャグのような流行もあった(彼らとは関係ない、と思う)し、その後大豆イソフラボンの過剰摂取は良くないとの見解もある。

何がい言いたいか。危険の可能性を言い募れば何だって言える。そのエビデンス(科学的根拠)を理論的に言及するか、論理的(例えば疫学的)に説明できるかという点に尽きる。週刊金曜日の「買ってはいけない」で言い尽くされたが脳内妄想を化学を装い、他者を説得するのは止めよって話。

標題では「社会派」と記述したが実は正しくなくて、「根拠無き思い込み」を社会派として記述している。本来の人文社会学を勉強している人は論理学を修めているのでそのようなことはないはずだが、科学となると無視する偽社会派がこのような論説を行っている。ということで結論は社会派は論理を修めているので科学と矛盾したことは言わないはずなのだが、公害活動の延長で活動していて、現代化学を理解しない人は脳内妄想が起こっていると推定する。

違うかもしれないけど。

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