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小説に求めるモノ
軽い話題で。最近映画見て無いなぁ、徒歩1分で映画館があるというのに。
で、話は変わって作家開拓で、映画化されたりドラマ化されたりした小説を読むことが多い。古くは奥田英朗氏だったり最近は海堂尊氏だったり。
皆さんは小説家に何を求めますか?私は断然「文体」です。文体と言うのはその作家の個性そのものでプロットやストーリーよりも大事な部分だと思っています。なのでストーリーが面白くても文体に違和感を感じたり、嫌いな印象を持ってしまうとなかなかチャレンジする気がおこりません。
若い頃は村上龍のような乾いた文体を「かっこいい」と思う努力をしていたようですが無駄でした。というよりは現代文を拒否しているようです。
実は司馬がその典型でエッセイのような語り口が導入部にあるのが苦痛でした、現在は慣れましたが。「坂の上の雲」の正岡子規のくだりが苦痛で投げ出したくなりましたがやはり盛り上がりは戦争への突入期と現場の動きからですもの。どうも私は文学チックな、修辞的な表現が苦手なようです。そして海堂に男性的と言うか写実的に論理的に表現する手法に嵌っているようです。
その少し前は経済小説でした。事実ベースなのであとからならいろいろ書けたとはいえ高杉良氏の人間描写と写実的な人物描写にも嵌りました。そのおかげで幸田真音氏にも嵌りました。幸田は技術的な側面を縦に描いているので数年もしたら内容が陳腐化してしまうのですがそれでも面白いです。
文体重視なので海外モノは翻訳者に入れ込む事はあっても作家に入れ込む事は少ないようです。クライブ・カッスラーの冒険小説は面白いと思うのですが冒頭の歴史妄想やSF部分にはついていけません、まぁこれは訳者が悪いわけではありませんが。そういえば一時期シドニィ・シェルダンが流行ったことがあります。ミステリーなのですがストーリーが面白いのは当然として、超訳と名付けられた訳が良かったのだと思います。これも文体が本を読ませると言えるでしょう。
結局私は文体で作家を選んでいるんでしょう、あとジャンルもでしょうが。他の方々はどのような観点で小説を選んでいるのでしょう?流行、文体、対象、風俗、歴史?
意味の無さ過ぎる愚文でした。
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