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クレーマーとはなんぞや

半径狭い範囲の感想と新聞の報道を見ると「クレーマー」という存在がクローズアップされた「らしい」。というのは弊社のお客様相談室の記録を読むといやはや。簡単な苦情を言ったつもりがクレーマー扱いされた、という新聞記事もある。このような事象が起こる理由を推察しよう。

まず「クレーマー」の定義が曖昧だ、新聞でも話題になっているぐらいなのだが最小公倍数で扱われるということか。クレーマーの定義が数項目あったとすればそのひとつでも該当すればクレーマーと言う扱い。でもそれは正しいのか?クレームは宝の山という格言があるがそれは嘘っぱちでは無いはずだ。最初から最小公倍数でクレーマー扱いしていたらその企業は伸びないのではないであろうか。

内情を暴露するとその商品へのクレームはその正常商品との交換が基本で、幾ら費用がかかっても現金の扱いはレシートが無いとできない。クレームに対処するのは「商品を買った」ことが最低限必要であり、一般的な苦情は「うけたまう」だけなのだ。また自称消費者とメーカーの争いは実際に存在するのだ。缶コーヒーに蝿が入っているとか。缶コーヒーに蝿が入っていてもそれが缶を開けてから入ったか、最初から入っていたかは分析可能なのだ。しかしそのような詐欺苦情は後を絶たない。そのような事実を背景に「クレーマー」とメーカーは身構えるのだ。また正当な主張をしていると思われる場合でも交渉手法が感情的でありすぎてクレーマー扱いをされたということもあろう。

クレーマーを定義すると

(1)金品要求目的:これが所謂クレーマーとイメージされているものであろう。多くの人はこれに該当していないと思われる。だからって「私はクレーマーではない」と思うのは危険なのだ。

(2)商品の交換を希望する人:商品・サービスを購入し不具合があるので交換を希望する。多くの場合は消費者の使用ミスであるがそれを説明しようとするとキレる人が多い。

多くの場合、(2)であろう。新聞記事で問題になっているのも多くは(2)タイプでこじれた結果であろう。これは消費者・メーカー対応者両者とも自分の責任を追及されたと思い込むのだ。企業側でも自商品に問題が無いことを説明しなくてはならないという誤解がカンに触るということもあるであろう。どちらも「不具合は誰の責任か」という観点で入ってしまうとこじれ、企業からクレーマー扱いされる。もちろん消費者が単純に悪いというものではない。しかしその挙句の定番のセリフが「消費者センターに訴えてもいいんだな」だ。これはそうされても企業は全く困らない上、「こいつはクレーマーだ」と思わせるに充分な態度といえよう。

これには簡単な解決方法がある。怒りを持ち込まなければいいのだ。また真実を求めるという姿勢だ。例えば不具合は使い方に問題があるのか、製品側に問題があるのか。特徴ある製品の場合使用方法が限定していることが多い、使用方法をよく確認したか。メールで苦情を連絡するのもいいかもしれない、もちろん送信前に一晩置いて冷静になって確認すると良いだろう。感情が入るとろくなことは無い。

仮に企業担当者が自社の言い訳ばかり言っていたとしても冷静に対処を求めればいいのだ。その際、慰謝料的な金品・おまけを一切期待しないことだ。クレーマーだと思われると損をすることが多い。誰だって自社製品を愛用してもらいたいし、嫌な奴には投げやりに仕事をする。謙虚な態度で苦情を述べれば「その人を助けたい」と思うものだ。

苦情をクリーンに対処できたことによりその企業が好きになることも多い。私も海外旅行先での休日の疑問を聞いたら(Netにその日は休日だと書いてあったが年が分からないので確認をお願いした)、その場では分からなかったが調べてくれて丁寧に対応されその企業が好きになった。苦情がきっかけで私は幸せになれたと言っていいであろう。

苦情を受ける側、特に述べる側は自分の権利ばかり主張するのではなくどうすれば解決できるかと言う事を念頭に置くべきであろう。感情に任せて、論理(屁理屈)でやっつけるとクレーマー扱いされまっせ。

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