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裁判は事実を開明する場ではない件

何らかの社会事件が起き、原告が敗訴した時の常套文句が「本当のことを知りたいだけだ」みたいなコメントが出てくる。このコメントをマスコミが流すことにすごく違和感がある。マスコミは裁判を事実開明の場だと信じているのかと。そうであればマスコミの存在価値は「ポピュリズムの代表」で売れるための記事を各媒体で、まぁお涙頂戴を垂れ流していると言えると思う。

例えばJR西宝塚線事故の刑事裁判や被告が否認している殺人事件、医療裁判などだ。被害者遺族は「誰かが悪くて事故が起こった」とか、「否認している被告は犯人だ」とか、謂わば荒唐無稽の妄想をしていて冷静な判断がとれないのだと思う。

マスコミは犯人像を作り上げて被害者遺族を応援する。そこには真実に迫るという使命はあるはずの放射線被害を作り上げている人たちと通ずるものがあると思う。

 

ちょっと整理すると、少なくとも民事裁判は紛争を解決する場で、真実を明らかにする場ではない。さらに刑事事件でも「証拠」が無ければ無罪な訳でJR西首脳に明らかな過失が無ければ無罪である。無罪だと事実の開明がなされていないというような遺族会の見解が出るが、それはロジックからして間違っているわけだ。マスコミは何故それを指摘しない。

マスコミは営利団体で売れる記事を書く必要があって、事実に反することを書くのはご法度だけれど、お涙頂戴の判官贔屓はOKなわけだ。

まぁ彼らには公正さは担保できないということだ。

 

光市母子殺害事件の遺族は犯人に極刑を求めていたが、刑罰は復讐の場なのであろうか?それを堂々と表明することには僕はどん引きするし、マスコミが支持することが、、、売れるためにはということであろう。まぁ被害者遺族とマスコミは癒着しているということであろう。利害は共有できていることみたいだし。
さらに刑事裁判でも金で雇われた犯人が自首すれば真実を明らかにすることは出来ないし、真犯人を雇って死んでいただければ事件は解決する。

「真実」って本当に必要なのか?単に利害関係者が逃げたことが許せないという感情論でしかないのでは?被害者遺族は犯人であろう人に極刑を望み、それで解決するのかしら。
知らないでいいこともあるのではないかと思うし、犯人を作り上げて殺すことは善なのかと問いたい。 

 

死刑反対派が光市母子殺人事件の遺族を批判しているという噂を聞いたことが無い。死刑を無くすには死刑判決を無くせば済むのに、死刑を望む人への批判は言わない。どんだけ腰がないねん、博多のうどんレベル。死刑反対派の的外れな運動は理解されないであろう、マスコミが怖いらしい。批判すればいいのに。

 

脱線した。(民事)裁判は事実を開明する場ではない。そこを担当弁護士も言えば良いのに、まぁ報酬があるから言わないよね。

 

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