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賄賂の値段について

海外では賄賂や裏稼業が横行しているという、何故かを少し考えた。

仮説1)正規の手続きが高コスト
まずは賄賂を払う側からの論理、もらう側の論理は無視だ。例えば軽微な交通違反の場合。正規の手続きが非常に煩雑でかつ高負担の場合、手続き代を惜しむだけでも賄賂を払う動機が生まれる、高負担であればなおさらだ。速度違反で裁判所からの通知が来て、出頭し、サインして、罰金を払う、という一連の手続きに何ヶ月もかかり、何回も当局に出頭するくらいなら賄賂を払った方が得というもの。賄賂の相場があれば被疑者は正規と非正規のどちらかを選ぶのも容易いと言うものだ。犯罪を厳罰化すれば無くなると言う人も居るが、他国では賄賂という手段がはびこるだけだ。

仮説2)正規の手続きに信用性が無い
賄賂社会では時に見せしめを作成し、賄賂を払った方が得だと言う気分を醸成する必要がある。賄賂を払わない奴を吊るし上げ不幸な状況を宣伝するのだ。合法的に捕まった人に合法的な処分を下しているのだから、理論的にはなんの問題も無い。正規の手続きの方がヤクザな場合だ。

仮説3)収賄への厳罰化を行わない
ここが日本と違うところなのであろう。日本では公務員を勤め上げることに価値がある(退職金とか年金とか)ので、賄賂の相場が高くなってしまう。業界を絡めたカルテルとかは非常に高価な金額が動く。賄賂の額は公務員が収賄し、見つかった際のリスクと比例するため日本ではなかなか低額で融通という意味での賄賂が存在できない。他方アジア圏では賄賂で交渉はある程度成り立つと考えられる。真の意味での経済学的思考回路は日本人には理解できないのではないか、他方東南アジアでは経済学で犯罪も回っている。どちらが幸せかはよく分からんが。

日本の役人・警官は賄賂を受け取らない、賄賂を取るメリットが少ないのであろう。一方、一般人には軽微な犯罪に賄賂という選択肢がないことへの不自由を感じていない。日本の行政システムが 選択肢がない=ブレが無い=犯罪の量刑に不満を持っていない ということが広く行き渡っているのであろう。

賄賂を取らない社会と言うのはそれはある意味ユートピアであろう。他国からは信じられない社会かもしれない。公務員が収賄に手を染めず、なので賄賂で自分の有利な条件を引き出せない、お上の判断はある程度公正性を担保できているからだ。

アジア圏では賄賂が横行し、犯罪への対処も被疑者が選択できると述べた。逆に賄賂を払わなければ酷い目に合わすぞというメッセージでもあろう。それは近代国家日本が140年かけて「賄賂を受け取らない社会」を築いてきたからそのような「選択できる」ということが輝かしく見えるのであろう。裏をみれば賄賂は本来高コストであり無い方がいい社会だと言うことなのであろう。

少年犯罪や被害者なき犯罪への厳罰化の動きが加速しているが、賄賂が跋扈しないような社会設計を望む。犯罪の重さと量刑が一致しなければ賄賂を取った方が優しい警察官だという事をキモに命じてねっていうこと。

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