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官僚の効率化が高すぎる件

日本の高級官僚は少ないらしく、そもそもOECDの中で人口比公務員数は最低だとか(ソース探す気なし)。なんか分かる気がする。例えば「業界団体」を使い省令を決め、業界は金科玉条に省令を法律のごときあがめてるし。なので高級官僚は課長クラスでものすごい権限を有している。彼らが恣意的かといえばそのようなことは無く、世論や「お上の責任問題」に汲々としている印象。そう官僚は国民を守っているのだ、低コストで。その手法が競争入札ではなく随意契約に象徴される業界囲い込みだ。「官僚の夏」みたいな。

と言っても分かり辛いであろう、例を挙げる。官僚は国民に責任を負っている。馬鹿にされようが揶揄されようがその点では意識が高い。マスコミだって問題が起きれば国に責任を求める程度のアホさ加減なので官僚が全部決めないと動かないシステムとなっている。食品のガイドラインから自動車の安全性まで「国」が担保しているのだ。馬鹿な愚民の手下は公務員が何か悪さをいつも画策していると思っているみたいであるが、なにか問題が起きると国(行政)に責任を求める豹変ぶりには唖然とする。国に仕事をしてもらいたいのか、してもらいたくないのかぐらいのスタンスははっきりしてもらいたいものだ、ねっ「噂の東京マガジン by TBS」。

効率化が高い事は結構だと思う向きもあるかもしれないがそうでもない。それは表裏一体でギョーセーシドーとなどの権限が強すぎる事を意味する。官僚の権限が強くても安全・安心が担保できるのだかから良いという意見も当然ある。銀行の経営が放漫だとしても税金を投入して潰さないのは良いのかという議論があっても当然である。また極度に安全サイドに振れば薬品の認可は遅れるし、新しい殺菌システムによる食品は認められなくなる。ようは失敗を恐れイノベーションが起きないように心がけているわけだ。その責任は官僚・国民の「お上主義」に大部分の責任があるであろう。

社会システムに「お上」が関与しすぎであると思うのだがどうであろう。そして国民はそれを望んでいるのかという疑問がある。いや、それを国民が望んでいるのであればそれでいいのだけど、だとしたら多くの公務員批判(例えば行政の不作為)は批判にすら値しないと思うんだけど。そうでなく行政に手取り足取りして消費者の保護を求めるのであればもう少し評価しても良いのではないか。

結論としては、「日本の官僚は効率的だ」、それは業界異分子を認めない専制であるから。「お上」は常に責任を求められている、そのため保守的に成らざるを得ず、イノベーションを潰す。結果論として官僚は国民のニーズをきちんと拾っている気がするのだが間違ってるかなぁ。

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